5月27日、G7伊勢志摩サミットが閉幕しました。新聞、テレビの関心のかなりの部分は、その後のオバマ大統領の広島訪問に集中しましたが、他方で安倍総理が首脳会合で、現在の世界経済について「リーマンショック発生の直前と似ている」と強調したことも、関心を集めました。
この現状認識には他のG7メンバー、特に英国やドイツ首脳から否定的な見解が出され、共同声明では「さらなる危機に陥ることを回避するために経済の強靭性を強化してきている」と表現されるにとどまりました。この表現は極めて一般的(次の世界的な危機を回避する必要があるのは、いつでも当たり前のこと)なもので、これをもって「世界経済の現状がリーマンショック直前と同様の危機的な状態にあると各国の首脳が合意した」とはいえません。
これに関して、フィナンシャル・タイムズは「各国首脳との不一致にもかかわらず、伊勢志摩経済イニシアティブで各国が合意したと安倍総理が発表」と報じ、タイムズは「安倍総理の悲観論に各国首脳は不同意を示した」と断じました。また、ニューヨーク・タイムズはIMFのラガルド専務理事の「世界経済はリーマンショック直前と同様の状態にあるといえない」という見解を紹介しています。
これらの報道でほぼ共通するのは、「リーマンショック直前との類似性」を強調することと消費税率の引き上げ延期を結び付けていることです。この観点からの報道は、アル・ジャズイーラなどでもみられます。
実際、29日に安倍総理は消費税率の引き上げ延期を与党幹部に通達。「安倍総理は消費税率の引き上げを回避するために『リーマンショック直前との類似性』をG7の場で強調した」という大方の見立ては、少なくともこの面において、妥当といえるでしょう。
ただし、G7サミットの場で「リーマンショック直前との類似性」が強調された背景には、国際的な理由を見出すこともできます。それはつまり、「日本がアジア、アフリカにおいて中国との援助競争を推し進める」ことです。
日中間の「援助競争」
これを考える際、前提として確認すべきは、日中両国が開発途上国において「援助競争」を行っているということです。
そのことの是非はさておき、政府の予算を用いて行われる以上、開発援助や国際協力には、相手国政府との友好関係の獲得、ひいては国際的な立場の強化など、外交的な目的を拭うことはできません。その一方で、どこの国も金太郎アメのように同じような援助を行っているわけではありません。そのため、もともと関係が必ずしもよくなく、さらに開発協力で類似したアプローチをとる国同士は、お互いに競合せざるを得ません。
2000年代後半以降、日本と中国は特にアジア、アフリカ各国における道路、橋、鉄道、発電所、ダムなどのインフラ整備の分野で競合してきました。2015年、インドネシアにおける高速鉄道の建設計画で、日本と競った中国が受注を勝ち取ったことは国内でも大きく報じられましたが、これは一つの例に過ぎません。
もともと、開発協力が始まった1950年代から、経済インフラの整備は日本の援助の中核を占めてきました。インフラ整備では一つの案件で数十億円規模のものが珍しくないため、その多くが借款、つまりローンを組んで提供されます。言い換えると、開発協力の中心がインフラ整備であることは、日本の援助が貸し付けで行われる傾向を強める要因となってきたのです。それがプロジェクトを受注する日本の大手ゼネコンなどにとって、少なからず利益になったことも確かです。
しかし、1990年代後半から欧米諸国は、開発協力の焦点を「成長」から「貧困」にシフトさせました。その結果、特に貧困国を対象とする援助では、経済インフラではなく教育、医療などの「社会サービス」が、融資ではなく贈与が、それぞれ重視されるようになったのです。この方針は、「先進国クラブ」であるDAC(開発援助委員会)だけでなく、2000年に国連総会で採択されたMDGs(ミレニアム開発目標)でも確認されました。そのため、2000年代の日本は、「十八番」である「ローンを組んだインフラ整備」を抑制せざるを得なくなったのです。小泉政権時代の構造改革、緊縮財政は、これに拍車をかけました。
その間に、入れ違いのように、アジア、アフリカで「ローンを組んだインフラ整備」を爆発的に増やしたのが中国でした。情報の透明性の低さから、その詳細は不明ですが、世界銀行の推計では、2000年から2010年までの間のアフリカに対する中国輸出入銀行の貸し付け額は672億ドルにのぼり、これは世界銀行の547億ドルをしのぐとみられます。
中国の場合、DACメンバーではないため、あくまで西側の一員であることに国際的な立ち位置を求める日本政府と異なり、「貧困国を相手に、ローンを組んだインフラ整備は抑制すること」という「仲間内の方針」の縛りはありません。さらに、中国政府が開発協力として各地でインフラ整備を行うことは、それを受注する中国企業にとっての利益にもなります。
こうして日中両国は、開発協力の分野において、お互いに最大の競合相手となったのです。
転機としてのリーマンショック
この背景のもと、日本政府は2000年代後半から徐々に「ローンを組んだインフラ整備」を増加させる傾向を見せ始めました。そして、その転機になったのが、2008年のリーマンショックだったのです。
図1は、開発協力における経済インフラと社会サービスの比率を、日本とDAC平均でそれぞれ表したものです。ここから見て取れるように、日本の援助における経済インフラの比率は、2008年頃から急激に増加しています。
これと連動して、日本政府による貸し付けも急増しました。図2は、OOF(その他の公的資金の流れ)の提供額の推移を表したものです。
OOFは金利の高さや返済期間の短さなどからODA(政府開発援助)として認められない貸し付けを含みます。欧米諸国の間では「援助」とみなされにくい資金協力の形態であり、日本のOOF提供額はDACメンバーの合計の大半を占めますが、「ローンの抑制」が強調されるようになった1990年代後半から減少させたものの、やはり2008年頃から急激に増加し始めたことが分かります。
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