人間、出来ることなら、嫉妬からだけは免れていたいものです!(イアーゴー)
シェイクスピア『オセロー』第三幕第三場
歴史学者の山内昌之著『嫉妬の世界史』はじめの一文のとおり、できることなら嫉妬したり、嫉妬されたりする世界からは距離をおきたいものだ。
男の嫉妬ほど始末におえないものはないという紛れもない事実を、歴史は語っているのだから。
《目次》
自分は関係ないと思ってたら大間違い
「いや、自分は嫉妬なんかしない穏健派なので関係ないよ」なんて思っていても、いざ「そのとき」が来たら分からない。仮に心から自分は嫉妬しないと言い切れるのだとしても、世の中には嫉妬心にあふれた人が思いの他うじゃうじゃいるので、気をつけておくに越したことはない。
あなたが本物の天才肌であれば四六時中嫉妬の危険に晒されるが、そうでなければ特に注意すべきタイミングは目立つ成果をあげたときだ。これが「若くして抜擢」とか「上長から引き上げられて」というパターンだと、もう赤信号。かくいう僕も、この4月から33歳で上場企業で課長になったところなのだが、早くも男たちのねたみそねみをひしひしと肌に感じはじめている(ここでは敢えて書いたが、このような自分の地位を自分で高める偉そうな表現はとても社内ではできないし、自分の境遇が特別凄いなどとは微塵も思っていないことを付け加えておく)。
何か目立つ成果をあげたときには、少なくとも「あ、これは嫉妬されるかもな」と想定しておいてほしい。心の準備があれば不要に気を病むこともないし、ある程度の対策もとれる。
歴史上の「男の嫉妬」事例集
日本でも天下分け目となった関ヶ原の合戦は、豊臣秀吉の寵をほしいままにした文治派の石田三成に対する武断派の加藤清正や福島正則らの強烈なねたみややっかみを、徳川家康が巧みに利用したことが直接の原因となったのである。
かつての秀吉門下たちの石田三成へのねたみやっかみ。他にも日本では、『忠臣蔵』でおなじみ江戸城中で刺された吉良上野介義央への浅野内匠頭長矩の嫉妬。徳川慶喜のやっかみと猜疑心を一身に受けた、同じ幕府側の才人勝海舟。
森鴎外は周囲の軍人たちから「あれは小説家だから陸軍の重職にはつけられない」「余力があれば公務に回すべきだ」と今で言う副業への強烈なやっかみを受けた。良く読まれているブロガー諸氏や、アフィリエイトなど副業でそこそこ稼いでいるあなたも、こんなやっかみを会社で受けてはいないだろうか。
もし仕返ししたいのであれば、鴎外が『椿姫』など彼の文学作品に分かる人には分かる私怨を巧みに織り込んだように、ブログなどの発信源で遠回しに能力の低い同僚たちをボロクソに書いてみてはどうだろう。鴎外にとっての山県有朋がそうだったように、仕返ししたいヤツらより権限のある大御所にすり寄るのも良い手だ。そうすれば彼らの器の小ささとともに、自分の器がどれほどのものかを悟ることができそうだ。
世界に目を向けてみると、若い頃は有能な部下たちに支えられながら赤壁の戦いで曹操に勝利するも、50歳を過ぎてから部下に嫉妬や猜疑の眼を注ぐようになった孫権。独裁者ヒトラーの寵愛を受けたロンメルに対する他のナチス幹部たちの嫉妬。最近では、豊かな産油国クウェートに対するサダーム・フセインのイラクによるねたみ。
今も昔も、どこにでも男の嫉妬は存在し、それに関わった人たちは決まって悲劇的な結果が待っている。
嫉妬の分類
何かを自分と同じ程度にしかできないか、あるいは自分ほどにもできないと見ていた人間が与の賞賛を受けたときに出る素直な感情こそ、嫉妬なのである。自分ができないからこそ人の成功をねたむ場合もあるだろう。
歴史をみると、嫉妬は2種類に分けることができる。1つは天才の才能に対する嫉妬。もう1つは、大した能力がないと思える人が成功していることへのねたみだ。
嫉妬を避けなければ上には行けない
軍人の社会にも、役人や会社員と同じところがある。出世には、周囲との折り合いが大事なのだ。人の嫉妬をさけ、上司や部下の感情を配慮しなくては、組織で上にはいけない。
満州事変で世界をひっくりかえした天才石原莞爾は、事務処理や調整能力で陸軍大臣どころか総理大臣までのし上がった努力家の東条英機に嫉妬していた。かたや、東条英機の方もあまりに能力の高い石原莞爾を大いに冷遇した。
この男たちの互いの嫉妬心がなければ、日米開戦という日本の針路も変わっていたかもしれないと著者は書いている。
石原莞爾や森鴎外など能力がある者も、天性の能力はさほどないけれど先に出世していく者も、相手の嫉妬心を真に受けてやり返してはいけない。相手の嫉妬心を弾く特効薬のような解決策はないけれども、少なくとも嫉妬で応酬しては悲劇しか生まない。そう多くの歴史が証明している。