V.全力青年

 

 

 白いシャツの裾がひらひらと風に揺れる様は、どこか儚くて切なくて、悲しくなる。実体はそこにはなく、まるで幻を見ているような気がして、胸がひどくざわついてしまう。元よりシャツと同化して見えなくなってしまいそうなほど色素が薄い彼のその幻想的な様子に拍車を掛けているようで、このまま永遠にこの距離が縮まることはないように思える。ザンザスは、額にじわりと浮かぶ汗を手の甲で乱暴に拭った。

  スクアーロを追ってこの病院内を走り回るようになってからもう随分経つ。それまでは毎日顔を出していたというのに“あの”報告があって以来、ここ一週間、全くザンザスの病室に立ち寄らなくなった。そんな彼と先程ふと偶然にも廊下で会い、思わず「あ」と声を出したと同時、こちらに気付いたスクアーロは、何故か急に走り出してしまった。ザンザスは彼に何か用があって声を発したわけではない。何となく視線を移した先にその姿があって、何となく勢いで、あ、と言っただけで、それは酷く小さい声だったし、それに極端に傍にいたわけでもないので、まさか聞こえる筈がないだろうと思ったのに、スクアーロはこちらを見て、一拍驚いたように目を見開き、次の瞬間にほんの少しだけ怒ったように、それでいて悲しそうにな眼差しを寄越し、そしてバッと背を向けて走り出したのだった。別に用はなかった。それなのに何故か追いかけなければならないような、追いかけたいような衝動に駆られ、ザンザスもまた走り出した。イェーガー達と対峙した際に両脚を深く斬られたことで未だに思うように動かずやたらと縺れる足をほとんど必死と言っていいような努力で動かして、脇目も振らずに。

  全速力で走り回るそのふたりの外国人を見掛けた入院者や看護師たちは、皆一同に怪訝な顔をして傍観している。傍を通る時に声を掛ける奴もいれば、ぶつかりそうになって怒る奴もいる。文句はあいつに言えとザンザスは思いながらも、実際はそれを口に出さず、先に見えるスクアーロにも制止の声を掛けなかった。

  本当に、何故俺たちはこんなに必死になって走っているんだろう。

 さっきからスクアーロが振り返ることは一度もない。それでもザンザスが追うことをやめれば、きっと彼は立ち止まる。ザンザスはそう思った。けれど足は止まらない。どうしても追いついて、あのひょろっこい腕を掴んでしまいたい。そうして言いたい。

  スクアーロは遂に病院を飛び出して入り口に向かった。ザンザスは馬鹿みたいにそれを追う。遠くの方から誰か医者の怒鳴り声が聞こえたが、それはやがて小さく響いて聞こえなくなった。「XANXUSさん!二人ともまだ怪我が癒えてないんですよ!どこ行くんですか!ちょっと!!…」
 広い道路の上に飛び出してもひたすら走る。照りつける太陽の光と、緩やかに続く坂道のせいで呼吸をするのが辛い。何てったってザンザスはついこの間まで重傷だったのだ。あの馬鹿、主をここまで走らせるなんてどういうつもりだ。次第に息が切れてきたザンザスと同じように、スクアーロも流石に辛いのか段々と走るスピードが落ちてきていた。もう少し。もう少しで、この坂道を登りきる、その前にあの腕を掴んで、そうして。

 一週間前、見舞いに訪れた沢田綱吉が二人を前にしてしどろもどろ口籠りながらも何とかようやっと告げたその報告を聞いてからというもの、スクアーロはザンザスに会うのを頑なに避けている。ボンゴレ十代目という概念自体がなくなってしまったというその事実に、ザンザスはつい自虐的にこう言ってしまった。「もうお前が俺についてくる理由もなくなっちまったな」 すると彼は一言ぽつり、じゃあ俺はもう要らねぇのか、と呟いたのだった。そうしてザンザスは、それに答えてやることが出来なかった。どうしてだか言葉に詰まり、冗談だ、だとか、嘘に決まってんだろ、だとか、そういった事を返そうと思っていたのに、その目に浮かぶ涙を見て口を閉じてしまったのだ。

  視界が開けると同時、ザンザスはスクアーロの腕を掴んだ。大きく手を伸ばして掴んだせいか、彼はバランスを崩し、それつられてザンザスも足を絡ませ、ふたりは地面の上に倒れ込んだ。やけに間抜けな音がその場に響く。
 いたい、そう唸るように言うスクアーロに構っていられず、ザンザスはうつ伏せの状態のまま何度も肩で大きく息をした。空いているほうの腕をゆるゆると動かして汗を拭う。甲高いクラクションが聞こえ、そのすぐあとにふたりの傍を車が通った。続いてガソリンの臭いと風が通り過ぎる。コイツは馬鹿だ。俺がお前を要らないだなんて本気で言うと思い込んでる、正真正銘の馬鹿だ。もしも要らない奴が出血多量で目を覚まさなかったなら、毎日その手を握りながら必死に話し掛けたり、その頬や額に何度も口付けたりなんかするもんか。全力で守りたいと思うもんか。
 こんな馬鹿には、遠回しに言うよりも、傍に居て欲しいという事をハッキリと言ってやるしかないようだ。暫くそのままの状態で何度も荒い息を吐き、やっと呼吸を落ち着かせたザンザスは、顔を上げて仰向けに転がる馬鹿な右腕に向かって口を開いた。



  言うべき五文字は決まっている。












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