スペルビ・スクアーロは二度死ぬ

拝啓 XANXUS


  自分でも思わず噴き出しそうになるくらいありきたりな始まりだが、まず、お前がこれを読んでいるという事は、俺はきっともう既にこの世から居なくなっているということだろう。

突然でごめん。ビックリしたか?お前が驚いた顔なんて今まで数回くらいしか見た事なかったから、今もし幽霊になれてるなら是非とも後ろから見てみたいものだな、なんて考えたりもしてる。俺は将来の夢なんてもんはないが、死んだらお前の背後霊になりてぇなって夢はずっと思ってたんだぜ。いや守護霊?って言うのか?まぁどっちでもいい。
後任手続きとか遺産分配とか、事務処理のことを書いた手紙は、もうルッスーリアに渡してある。そっちを見てくれればヴァリアーに関する事はまぁ困らないと思う。というかアイツにそれ託した時、殴られたんだぜ、俺。誰かに泣きながら怒られるなんて、何年ぶりだよ。

  という訳で、これはお前個人に宛てたものだ。遺書、と謂うにはあまりにも個人的な想いが詰まり過ぎているので、俺からお前への最後の我儘を綴った手紙だと思ってほしい。と言っても、俺がお前に何か無理言った事なんてそんなないか。逆だよな。
今になってほんとしみじみ思うけど、俺ってよくお前に付き合ってられたよなぁ。あ、まだ破るなよ!どうせ今キレてんだろ?書くの苦労してんだから、ちゃんと最後まで読め!…お前の怒った顔ならこんなにありありと想像出来るのに。

と、言ってはみたものの、手紙を書くなんて初めてだからどんなことを書けば良いのかさっぱり分からない。特に何も考えてなかったし、現在進行形でペンを持ちながら頭を悩ませてる所だ。昔から苦手なんだよな、こういうの。
ここまでの文を書くのに三時間は掛かってるし、便箋は5枚以上も駄目にしてる。笑っちゃうだろ。でも俺もそれだけ緊張してるって事だ。なのでこれから書くことに文法の間違えとかがあっても見過ごしてほしい。死んでまでそんな事でからかわれたらムカつくし、何より言い返せないからもどかしい。
そういやアンタにはいっつも字が汚いって怒られてたっけ。…これは流石に読めてるよな?何か心配になって来る。読み返すなんてそれこそショック死しそうなほど恥ずかしいから見直してないし、誤字脱字もありそうだ。

お前以外にこんな恥を晒せる相手が居ないというのは俺の生きていた中での最大の功績だと思う。もしもそんな人間が複数いたら、誰を選ぶのか、それとも全員に晒すのか、そこから考えなくちゃいけない。もうその時点で俺は面倒臭くなって遺書ではなくメールで済ませそうだ。もし俺が声が出せる状態だったならビデオレターでも良かったんだけど、喋れないしな。
いや本当に、俺の人生でお前だけが居てくれて良かった。

先述の通り、これはお前だけに宛てたものであり、お前はこれを読んだ後でこの紙切れを早急に燃やさなければならない!
何故ならこれは俺の死に恥に他ならず、生き恥よりも耐えられないものだからだ。今から書くのは誰がどう見たってラブレターだろうから、丸秘マークの重要機密文書だぞ。
まぁ万が一にでもこれが外部に洩れたりした時、恥をかくのはお前だ。「アイツは男の部下に惚れられてたんだぜ!」ってな。あ、勘違いしたら困るから一応言っておくけど、俺はホモでもましてやゲイでもないからな!お前が俺を初めて抱いた時なんかは、もしかしてこの気持ちがバレてるんじゃないかって焦ったもんだ。でもすぐにただの性欲処理だって分かってそりゃもう本当に安心した。実際この手紙読むまで俺がお前のこと好きだったなんて気付かなかっただろ?ずっと隠してたのを今こうやって晒すのも何か照れ臭いもんだな。

という訳で、コレは火で、出来ればお前の炎で燃やしてほしい。その後の灰は、永久凍土の下にでも埋めてくれればいい。もしくはシリチアの海にでも撒いてくれ。フィレンツェの丘から空に飛ばすでもよし。任せたぜ、ボス。まずこれが一つ目の願い事かな。


…ところで、もう2枚目に突入しているところで今更なんだけど、こういうのって普通は丁寧語で書くらしいな。遺品整理の時、俺のipadを見つけたらgoogle検索履歴でも見てくれ。“遺書 書き方”なんていう最高に笑えるネタが残ってるだろうから、それを酒のツマミにすればいい。絶対ベル達には見せるなよ!アイツ等まで呼吸困難でこっちに来させる事になっちまう。大爆笑間違いなしだ。
なので、遅蒔きながらここからはですます口調で書きたいと思う。せめて最後くらいちゃんとしなきゃな。お前には面と向かってる時だって敬語なんて使わなかったのに、うまく使えるか不安だ。言っておくけど、使えない訳じゃないからな!勿論!流石に俺だってお前が居ない八年間は代わりとしてうまくやってたし。ただお前に向けてってなると何か妙に… だから変な所あっても見逃せ。お前じゃなくて貴方、俺じゃなくて私だ。次の便箋からはほとんど別人みたいなもんだから、これなら素直になれるしちょっとは気が楽っていうのが正直な感想だ。…ある意味逃げだな、これ。
ごめん。





  それでは改めて、私からの最後の言葉をお伝えしたいと思います。

こうしていざ書くとなると、案外取り留めも無い事をつらつらと書いてしまうのだなと知りました。
これでも何回も何回も書き直したものなので、無駄な脱線が多くても許して下さい。正直、一番最初に書いたものなど目も当てられないような内容でしたので、随分とマシになった方です。

  さて、貴方と初めて出会ったのは、今からもう九年近く前ですね。貴方にとってはほんの一年ほど前だということが何だか不思議で、そして同時に悲しくもあります。
私は決して神を信じないけれども、あの日あの瞬間あの場所で貴方と巡り合せてくれた天の恩恵にだけは感謝しています。

今思い返しても、あの頃の私といったら身体だけではなく精神までひどく幼く、剣の本当の使い方さえろくに知らぬ未熟者でした。自分が何をしたいのか、何になりたいのか、そして何を目指しているのかさえ分からないまま只々我武者羅に突っ走っていたものですから、自分の力には自信があるのに自分の事が嫌いだという、よく分からない状態になっていました。
そんな学生時代、私にとって貴方はある種の憧れでもありました。一目で敵わないと悟ったのもありましたが、自らの手で運命を切り開こうとする姿や、野望の為に努力を惜しまない姿がとても格好良く見えたのです。そんな貴方だからこそ一生を掛けてついて行こうと決めました。今思えば、それは最早憧憬などではなく、恋情だったのでしょう。単純ですね。でも、最初で最後の、恋でした。
それは貴方がボンゴレファミリーの血を受け継いでいないという事実を知った後も当然変わりませんでした。
日本でのあの戦いの後、貴方は私がずっと騙されたフリをしながら同情していたのだと言いました。あの時も言いましたが、今一度ここに記しておきます。それは全くの誤解です。間違いです。勘違いです。思い込みです。更に言うなら、的外れです。
私にとって貴方が実子であるか否かなどという事は、アウディのトランクに転がるペットボトルのキャップくらいどうでもいい物でした。

  貴方とあの学園で過ごした半年間は、私の短い生涯の中で最も光り輝いていたものです。
青春時代から続く片想いというのは思いのほか根深いものなのですね。今こうして死を前にしながらもふと思い出されるのはいつだってあの慌しかった六ヶ月であり、学校での日々であり、貴方との思い出でした。あの半年こそが何より、一等大切なものです。そして、それが全てでした。あの日々があったからこそ、今の私が此処に在るのだと思います。
いや、まぁ思い出だけで支えられる人生というのもどうかとは思いますが、所詮は死者の戯言ですから笑い飛ばしてやって下さい。

  もし、もしも私と貴方が普通の人間であれば、マフィアという荒波の中に揉まれていなければ、私達の関係はもっと違う形でいられたのか、最近、一人でよく想像します。
他愛のないことで泣き、些細なことで笑い、何でもないことで悩み、そして恋に落ちることが出来たのでしょうか?そんな“ありふれた幸せ”という到底ありえない過去を想像し一人夢見る私を、貴方はきっと笑うのでしょうね。
馬鹿げた想像だと笑ってくれても構いません。しかし私にとって、そんな夢物語に縋るくらい、今のこの状況と立場が辛く、恨んでしまう事があるのです。
もし貴方と私がXANXUSでもスクアーロでもなければ、私は貴方に、あんなに沢山の辛い思いを味あわせることがなかった筈だ、と思うからです。あの地下室で凍らされる事も、あの校庭で焼かれる事も、…あの公園で右腕を斬られる事も、なかったのに。
そしてもう一つ。私が独立暗殺部隊ヴァリアーの次官でなければ、ただのスペルビ・スクアーロであったならば、きっと貴方に面と向かって想いを口に出来たと思うからです。
後悔はしていませんが、暗闇の中に一人身を投じているとそんな考えに苛まれてしまうことがあるのです。今更遅いですね。何もかも。

今まで数え切れないくらいのご迷惑をお掛けしました。この場を借りて謝罪致します。そして同時に、結局貴方の孤独を何一つ取り除いてあげられなかったこと、それだけが心残りです。
最後まで役立たずでごめんなさい。こんな右腕でしたが、居ないよりはマシだったと、思ってくれれば少しは救われます。

すみません、暗い話になってしまいましたね。これが最後かもしれないから、言っておかなくてはと思ってしまうのかもしれません。
また書き直すべきか悩みましたがこのまま進めることにします。こんなに醜いこの感情も、きっと私の一部なのですから。貴方はいつも私の事を単細胞だ何だと馬鹿にしていましたが、実はこんなに色々考えていたのですよ。驚きましたか?

…本当に、どうして私たちはこんな立場で出会ってしまったんでしょう。答えが出る筈もない、そんなどうしようもない自問自答を繰り返す日々に、少し、疲れました。 まるで当てもなく彷徨い続ける浮浪者のように、私の心は辺りをふらふらしていました。


  今日は貴方が病室まで来て私を安心させようとしてくれました。貴方だってリハビリで忙しいだろうに、わざわざ顔を見せに来てくれたこと、とても嬉しかったです。
そして私を絶対に死なせないと、いつになく真面目な顔をして約束をしてくれましたね。(貴方の真剣な表情、久し振りに見てときめいてしまいました)

ごめんなさい。私はその約束を破らせてしまう事になるのを分かっていたから、うまく笑えませんでした。取り繕うのが下手な私に合わせてくれて、有難う御座いました。
最後にそっとしてくれた口付けの味は、きっと地獄に行ったって忘れません。

貴方が帰った後、実は私は密かに泣いたのです。声が出ないのを良いことに、シーツにくるまる事もせず、ただ涙を流しました。貴方ともう会えないのが、どうしようもなく悲しくって、悔しくって。プロともあろう者が死を恐れてどうするんだとは自分でも思います。自分がこんなに情けない奴だとは、こんな時になるまで知りませんでした。嫌な大発見です。

  私は今まで、貴方と出会わなければ良かったのかもしれないと何度も思った事があります。お互い知らなかった頃に戻れればって、何度も何度も。
そしたら多分あんな気持ちにならなかったから。貴方に「治ったらどこか遠い場所で、二人だけで暮らそう」だなんて、そんな嘘をつかせる事も、なかったから。

でもそれは違うと今なら言えます。
確かに出会っていなければこんな想いはしなかったでしょう。
だけどそれと同じように、出会ってなかったら、あんなに幸せだと思う日々はなかったのだと思います。あの温かい半年も、冷たい八年も、全部全部ひっくるめて貴方への想いです。
貴方のちょっとした笑顔にいちいちどきどきしたり、もっと触れ合いたいと強く願ったり、交わす言葉のひとつひとつを全て覚えていたいと思ったり、純粋に貴方の事を想う、そういった気持ちすらなくなってしまうのは、とても寂しい事だと思います。
だから私は、貴方と出会わなければよかったとはもう思いません。

これは、ただ時が来ただけなんですね。
これから先、こういう世界に生きている以上、きっといつかこうなる事は目に見えていましたから。遅かれ早かれ、その時が今なんだなと改めて思います。


  そろそろ本題に移ります。
端的に言えば、私は貴方の事が好きです。
この気持ちは後生大事に自分の胸に仕舞って墓場まで持って行こうと思っていましたが、何かにしたためないとやり切れないほどに、自分の気持ちが膨張していたことに、死を目前にしてようやく気付いたのです。
今更告白するのもどうかとは思いましたし、更に貴方からの印象を悪くするだろう事は分かりきっていたのですが、いやまぁ正直私が墓に入れるかどうかは別として、言っておきたいと思ったので書いております。もっと言ってしまいますと、例え貴方にこの恋慕を知られても、きっと私は既にこの世に居ないと思うので良いかな、と。

つまるところは言い逃げです。
返事なんて聞かなくても分かりきっていますしね。それでも、面と向かって拒絶されるのはやはり幾分怖いので、文面という形を取ります。 
そして、こんなものを書いていたら、何だか急に貴方を一目見たくなってきました。本当に未練がましいですね。自分の事ながらほとほと情けなく思います。やはり、恋情とは面倒臭いものです。面倒と思えど捨てられないというのがまた、厄介極まりないです。

これは私が私の自己満足の為に書いたものですから、そんなものを読んでしまった貴方にとっては迷惑以外の何物でもないでしょう。
  だから、忘れて下さい。
ここまで想いを散々つらつらと書き連ねましたけれど、だからといって貴方に何かを求めている訳でもないのです。いわば懺悔のようなものです。一人で長年抱えた気持ちを、いい加減吐き出したかっただけなのです。
  だからどうぞ、わすれてください。

…こんな事を取り留めなく書きましたが、書けば書くほど貴方への想いを自覚するばかりです。何だか泣けてきました。
女々しいこととは重々承知ですが、だけどやっぱり、私は貴方のことが好きで、それを死んでも捨てられそうにないみたいです。
この恋情を捨てられない私を許して下さい。この想いは私が持って逝きますので。


どうせ死ぬのだから、私の嘘偽りのない言葉をしたためておきます。
  いつまでも、ザンザス。いえ、XANXUSのことを愛しています。どうか幸せな人生をお送り下さい。貴方はきっと立派な夫と父になるでしょう。愛する女性と一緒に愛を囁き、共に生きてください。子どもを授かり、温かい家庭を築き、そして最後に良い人生だったと笑いながら、天寿を全うしてください。
その時に一瞬、ほんの数秒だけで構いません。一瞬でも、貴方の心に私という存在がいた事を刻みつけてほしいと願った愚かな男がいたことを、ちらりと思い出して頂ければ嬉しいです。そういえばそんな奴も居たなと、名前の一部分だけでも蘇らせて下さい。間違えてても構いません。

私の名前は、スペルビ・スクアーロです。
あなたの事を好きで好きで仕方ない、ひとりの人間です。



  そろそろ時間がなくなってきました。
悩みながら書いてもやはり脈絡の無い内容になってしまうものなのですね。何が言いたいのか自分でもよく分かりません。
もう少し、語彙があれば良かったと思います。そうしたなら、多分こんなにも長々と書く事はなかったのでしょう。まあ、これも私らしいということでひとつ。
本当はもっと書きたい事があった筈ですが、頭の中が混乱してしまってよく分からなくなりました。それに涙で手紙がよく見えないんです。
実は始めに書いた“便箋を何枚も駄目にした”というのは、文に失敗したという意味でなく、便箋を濡らして物理的に駄目にしてしまったのです。このことは秘密にしておこうと思いましたが、やっぱり貴方に隠し事は無理でした。
この手紙には涙が落ちないようさっきから必死に耐えていますが、もう限界です。なので名残惜しいですが、これで最後にしようと思います。
本当はまだまだ伝えたい事がありますが、この場でその全てを書き尽くすことは到底出来そうにもなく、この辺りで筆を置くことにします。
相変わらず馬鹿だな、と貴方が笑う声が聞こえるような気がします。そんな幸せな記憶に抱かれながら旅立つことが出来るのは、本当に幸せな事ではないでしょうか。願わくは、もう一度貴方の声が聞けますように。



ごめん、ザンザス。
  最後までこんな感じでどうしようもないけれど、これ以上書いても多分とめどなく謝るしかない気がするのでもうやめます。
  こういう時ってどう締めれば纏まるものなんでしょうか。馬鹿な俺には分かりません。
  ただ今はもう、お前のことが好きなのだという気持ちしかなくて、どうしようもないです。


それじゃあ、これが本当に最後です。


俺と出会ってくれて、ありがとうございました。





敬具
  平成二十四年 九月二十四日 病院にて
 


追伸
  ごめん、もう一個だけ。俺の義手は、出来ればお前の棺桶に一緒に入れてくれ下さい。
  では、いつかまた会える時まで。



追伸の追伸
  本当に、元気でな。いつかお前がこっちに来た時、家族の話なんかを手土産に頼む。
  さようなら。いつまでも愛してます。








































「さようなら、いつまでも愛してます」



耳の先まで真っ赤になったスクアーロは、その熱い顔を枕に押し付けて両足をばたつかせた。

「さて、もう一回読むか」
「もうやめろおぉぉぉぉ!!」

死ぬ、死んでしまう。これ以上羞恥は間違いなく死に至る。この男、あの時はあんなに切羽詰った、それでいて心から安堵した表情で『お前が生きていてくれて良かった』だなんて強く抱き締めながら囁いてくれたというのに、やっぱり本当は俺を殺したいんじゃないか、あの泣き出しそうな顔は演技だったのか、などと思ってしまうほどだ。酷い仕打ちだ。拷問だ!

「いやーほんと何回読んでも笑えるな。なぁおい?」
「う゛ぅ…」

もういっそのこと死にたい。今なら死ぬ理由も十分ある。天国や地獄がどんな様子をしているとしても、ここよりはずっとマシな筈だ。死にたい。

スクアーロの頭の中に、バカ馬鹿ばかbaka、という自分を責める罵倒の言葉が機関銃のように次々と湧いて出てくる。どうしてちゃんと処分しなかったのか、破り捨てておかなかったのか、というかそもそも何故忘れていたのか。
  決まってる。あの遺書を残した後の出来事がそれほど急展開過ぎたからだ。

それならそれで、本当に死ぬまで出て来ないで欲しかった。スクアーロのあまり丈夫ではない神経細胞は許容範囲を大幅に超えた巨大な後悔に対してすぐにショートを起こす。あまりの恥ずかしさに脳みそがパンクしそうだ。誰だ衣替えの季節だからついでに大掃除しようなんて言ったのは!俺だ!くそったれ!

「コレどこに行ったか探してたんだよ。クローゼットの裏だったとは」
「か、返せよぉ!」

咄嗟に奪い返そうと伸ばした手をさっと素早く避けられ、頭上に高く翳される。硬い機械の腕の方で身体を抑え付けられれば、ただじたばたと藻掻くしか出来ない。元から物覚えが良かったのもあるのか、いつの間にか義手の扱い方がすっかり上手くなっている。自分は何の問題もなくスムーズに動かせるまで何年も掛かったというのに。
ひょい、と男の力で抱え込んでいた枕を奪われてしまえば抵抗なんて出来ない訳で、スクアーロはただただ赤面して俯くしかない。完敗だ。

「こういうの何て言うか教えてやるよ。黒歴史っつーんだ」

ザンザスはある種の抑揚をつけた声でそう言ってにやにやと意地の悪い笑みを浮かべてみせた。
じわじわと熱のせり上がる気配がある。目の奥である。最早頬の火照りを誤魔化す事は叶わず、睫毛と睫毛の間に涙を含ませるしか出来ない。馬鹿にされて瞳を潤ますスクアーロを、彼は愛おしそうに、そしてそれ以上に面白そうに眺めている。

「あーもう!分かったから!!」
「ちったぁ懲りたか?」
「な、何で怒られなきゃいけねぇんだよぉ…」
「ほう。あと五回くらい読み直すか。声に出して」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」

分かりゃいいんだ、と満足げな声が何とも恨めしい。何故こんな嫌な奴と結婚してしまったのだろう。そこまで含めて好きになったのだから、もう自分の負けなのだろうけど。
恋は盲目という格言はかくも正しきものである。この言葉を残した人は本当に偉大だ。

「途中から丁寧語をもう放棄してんのがお前らしいな」
「ち、ちがっ…!それは、…その、感情が昂ぶって、つい忘れ…」
「自分に酔ってるの間違いじゃなくて?」
「からかうなよぉ!」

もしジャッポーネ辺りの科学技術力でタイムマシンが発明されたならば、2年前のあの手術前夜に戻って、それを書くなと自分に言いに行きたい。ペンをへし折って、『弱気になって悲観モードになるのはいいが、残るような事はするんじゃねぇ!』とぐすぐす泣いている自分の胸倉を掴んで怒鳴りつけてやりたい。とんでもない生き恥を晒すことになるぞと脅してやりたい。

  マーモンの呪いを解くために幹部総出で挑んだ代理戦争でイェーガー達と対峙した際に、スクアーロは腹部貫通という重傷を負った。
ザンザスも右腕切断という取り返しのつかぬ事態に陥ったが、スクアーロはなまじ臓器に関する負傷だった為、内臓破裂に伴う衝撃によって酷い状態となっており、何とか一命を取り留めたその後でも緊急手術を要した。
これがまた成功率30%という何とも不安な手術であった為に、構音器官の麻痺により一時的に声帯の機能がなくなっていた事もあり(ちなみにスクアーロはこれで一生喋れないのだとすっかり思い込んでいた。医者の説明をあまり聞いていなかったのだ)余計に希望を失い、“自分は死ぬんだ”と決め付けた遺書をしたためるに至ったのだった。

  結局のところ、蓋を開けてみれば手術は見事成功した。そして喉もあっさりと戻り、スクアーロは至って順調に回復していったのである。
次に見る景色は地獄だと覚悟を決めて吸入麻酔薬を受けたはいいものの、目を開けた時に眼前いっぱいに広がったのは自分の何とも恥ずかしい手紙と、怒りのあまり妙ににこやかになっているザンザスのぞっとするような顔だった。恰好悪いにも程がある。
結果として二人は揃って退院。やはり後遺症と障害は少し残ってしまったものの、何、命があるのだ。それだけで十分だ。
海外で試験運用中だった遺伝子治療によって劇的な改善が発覚し、その後、抗生剤の投与もなしに半年でほぼ完治してしまった。

  その矢先に、ザンザスがあの二枚の紙を持って来たのだ。『これバラされたくねぇだろ?』そう言って、あの遺書をちらつかせた後、婚姻届を突き出された。
最初は、右腕を失った自分の介護と世話をしてくれる女が見つかったから見届け人にでもなれと言うのかと思ったが、妻の欄に記入させられ、パニックを起こしたまま気が付けば夫婦になっていた。今に至るもその混乱は尚現在進行中で続いている。『治ったら一緒に住むって言っただろ』まさか本気だったなんて!

何故自分が生涯の伴侶として選ばれたのかさっぱり理解出来ず、俺なんかでいいのかとただただ困惑するスクアーロの戸惑いと躊躇いを許さないとばかりに、『お前の弱みは握ってんだぞ』と笑われたのを今でも覚えている。本当にどこまでも素直じゃない男だ。

「俺が一番ウケたのはこの『入れてくれ下さい』のとこだな。これ今夜言えよ」
「下んねぇセクハラしてんじゃねぇ!!」


記憶の傷は、深い。
勿論浅いものも、完治したものもあるのだが、未だにスクアーロはあの時の光景を夢に見るし、何も言わないが、ザンザスも密かに自分を責めている節がある。お互いに、あの瞬間あと一歩が遅れてしまったが故に相手を守れなかったことを、いつまでも悔やんでいる。それはきっとこれから先もだろう。
醜く、歪な傷跡が、心のあちこちに残っている。瘡蓋になっているものはほんのちょっとの振動で裂けて、たまに血を噴き出すこともあるし、じくじくと化膿しているものもある。
だけれど、スクアーロは、その痛みを無理に治そうとは思わなかった。どうしても痛くて痛くてしょうがない夜に、抱き締めてくれる人が隣に居る。それだけで、それはどんな消毒液よりも、どんな絆創膏よりも痛みを抑えてくれる。

「つーか…アンタが、もっと早く言ってくれてたら…俺だって自分ばっかが片思いしてると思わなかったし…」
「はぁ?」
「だって、俺なんてどうでもいいと思われてると…」
「それはてめぇが馬鹿なだけだろ。そもそも何でどうでもいい奴相手に毎日見舞いに行かなきゃなんねぇんだ。俺はそこまで暇じゃねぇ」

ちょっと考えれば分かるだろ、とどこか苦々しく呟かれたその言葉に、今度は羞恥のせいだけではない熱がボンッと顔に昇るのが分かった。それを見た彼があからさまにしまったという表情をして、それを隠すように再度手紙を前に掲げた。

「……やっぱあと一回ぐらい読んどくか」
「やめろよおぉ…」

スクアーロは夫の服の裾を掴んで、恥ずかしくてもう一度死んでしまいそうだ、と弱々しく懇願したが、結局聞き入れては貰えなかった。


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