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 オバマ米国大統領が広島を訪問したことで1945年8月の原爆投下に改めて注目が集まっているが、米軍の当初計画では横浜も有力な投下候補だったことはあまり知られていない。横浜が候補から外れた理由は明らかでないが、米国の公文書館で新たな資料が見つかり、経緯の一端が浮かび上がってきた。

 原爆の開発から投下までの過程の研究は、米国での公文書公開に合わせ70年代から進められ、93年には山極晃横浜市大名誉教授らが資料集を刊行している。

 それによると、投下都市の選定作業は45年4月27日にワシントンで開かれた目標検討委員会で始まった。原爆を開発するマンハッタン計画の総責任者グローブス将軍が招集し、開発計画関係者と陸軍航空軍のスタッフが集まった。23日にはソ連軍がベルリンに突入し、ドイツの敗北は時間の問題という段階だった。

 ①人口が集中し、直径3マイル(約4・8キロ)以上の広さを持つ都市②東京と長崎の間に位置する③高度の戦略的価値を持つ――などを選定基準とすることを確認した。具体的には東京湾、川崎、横浜、名古屋、大阪、神戸、京都、広島、八幡、福岡……と17地域・都市をリストアップした。

 「すでに破壊された地域は除外されるべきである」との条件がついている。初めて使用する原爆の破壊力を確認するには空襲の被害を受けていない都市が望ましいとされたからだ。川崎は4月15日に大規模な空襲を受けており、この段階ではまだ人口の多い都市を列挙したにすぎなかった。