会社と自宅を往復し、休日は主に寝て過ごす生活が、遠ざかって消えようとしている。
現状に疑問を感じ、変化を求めて避け続けていたTwitterを始め、ブログを作り、そこから生まれたつながりは、『ハイパーリバ邸』へと至った……が!
そもそも『リバ邸』とは何のことで、なぜ『ハイパーリバ邸』を創るのか。
前半は予備知識として『リバ邸』に焦点を当てた説明を書き、後半は『ハイパーリバ邸』に関わる俺自身の思いと願いを書いた。最後まで読んでもらえたら、とてもありがたい。
そもそも『リバ邸』とは何か?
その存在意義をして「現代の駆け込み寺シェアハウス」と銘打たれた『リバ邸』は、そこに居場所を必要としている人に十分認知されているかといえば、まだ弱いと思う。
ハイパー以前にまずはそこから知ってもらわなければ、何を語るにも準備が足りない。
そもそも『リバ邸』とは、一体全体何のことなのかといえば、「現代の駆け込み寺」をコンセプトに掲げ、各地に展開しているシェアハウスを指す。
その詳細は、『リバ邸』総合サイトのリバ邸の理念・コンセプトページに詳しい。
「世の中の枠組みや空気に苦しくなった人たちが集まる居場所であり、そこで各自が何かしら独自のアウトプットを追求する場所」という意味です。
アウトプットの内容は自由で、ジャンルも規模も収益の有無も問いません。本当に自分のやりたいことを見つけ、それを形にしていく場所です。
各地のリバ邸は「現代の駆け込み寺」というコンセプトは共通していますが、地域や住民の特色に沿って、リバ邸ごとに多様な雰囲気・環境・ルールを持っています。
現代に生きにくさを感じる、多種多様な個性を持つ人たち。その人たちが、人生というタイムライン上に何かを生み出していけるようにという、ささやかな願いだ。
現代を彷徨う誰かが、そこに住み、あるいは立ち寄る。今とこれからの生き方を見つめ、模索しながら、それぞれの形を成そうと試みる――巡る歳月と共に、住人も来訪者も移ろいつつも、それでいていつも居場所としてあり続けるところ。
その発起人には、『ロリポップ!レンタルサーバー』などで知られる現『GMOペパボ株式会社』創業者にして、実業家として活躍する「家入一真」さんの名前が記されている。
それを踏まえて『ハイパーリバ邸』を創る
そんな『リバ邸』が、来る6月下旬、渋谷からそれなりに近い地域で新設される。
プロブロガー「宮森はやと」さんの呼びかけに応じて集まった、総勢7人の住人から成るそれは、「多くの人々の居場所になり、たくさんの人たちの未来を照らせる場所作りをしていきたい」という彼の想いを込めて、『ハイパーリバ邸』と名付けられた。
戸建ての4LDKがその拠点となり、契約金の支払いを間近に控え、契約書を取り交わす予定もある。やや中二病めいた表現ながら、計画は秒読み段階にあると言っていい。
この新しい「住民の居場所にして誰かの居場所」が、関わる人たちの人生に、果てはこの社会に何をもたらすのかは、今はまだ誰にもわからない。
すべてはこれから始まり、生まれ、そしてそれぞれに創り上げていくものなのだから。
なぜ俺が『ハイパーリバ邸』設立メンバーになるのか
傍から見れば、会社員で管理職という一見すると安定した立場にいる俺が、なぜあえて駆け込み寺を兼ねたシェアハウスの設立メンバーになることにしたのか。
入居の誘いを受けて宮森さんと会った日、「これは渡りに船だ」と彼に告げた。その言葉の真意を説明するには、俺のプロフィール記事だけで事足りるのかもしれない。
それらのすべてが、『ハイパーリバ邸』でつながっていく……そんな予感がしている。
関わりの中で、生業を持ちたい
叶えたい夢に、守りたい理想、大切なものと、素晴らしい何か……人が秘める美しさが見せる景色、この世界に広がる美しい風景に、もっと触れられる人が増えていってほしい。
三十路を超え、いい歳をして真剣な面持ちでそんなことを言えば、笑われて終わるのが関の山で……思いを軸に立って踏み出すことも、リスクを取ることもなく、ただ会社という狭い世界にあって、「自分にできること」をしていく。
それが一度は落伍しながら、幸いにも社会的に復活できた俺の人生。これからもおぼろげな何かを掴むことはなく、ただくすぶらせていくはずだった。
それも、今ではもう違う。
きっと多くの人が諦め、忘れてしまっているんだろう。何を胸に抱き、どう生きていくのか模索することを、自分とは一体何で、人生をかけてどこへ向かうのかを。
今も誰かが心の奥底に閉じ込めているそれを、『ハイパーリバ邸』で解き放つ。
多くの人と会い、その心に触れ、物書くということ……長じて、俺はその中から見出したいと望む。これからの生業となる、今までにない何か、あるいは忘れてしまった何かを。
関わることと、いい方向に変えていくこと
会社の事業は、それを成り立たせているだけでも経済を回し、悪徳でさえなければ社会に貢献できる。会社の利益が社員の利益と等しく釣り合うように舵を取れば、少なくとも部下の人生を豊かにしていくことくらいはできるだろう。
加えて、現状よりも良い会社へと変えていくことができれば、会社員でも十分に「関わる何かを、もっといい方向に変えて」いける。それはそれで、間違いない。
だけど、それは俺じゃなくてもいい……大抵のことは俺である必要はないし、文字通り代わりならいくらでもいる。それは会社の外で何をしたとしても、同じことだろう。
そんなことを考えているうちに、ふと気付いたことがある。
実は「関わる何かを、もっといい方向に変えていきたい」と同時に、「何かに関わり、いい方向に変えていきたい」のだと――俺じゃなくてもいいかどうかなんて、そんなことはどうでもよくて、俺がそうしたいからそうする、その意志自体に意味があるんだと。
そして、これまでの生活を延長するだけでは、永久に叶うことはないということにも。
自分のためが、誰かのためになるように生きていたい
この先『ハイパーリバ邸』が来訪者を迎えるようになれば、力強いエネルギーを秘めて訪れる人もいれば、折れかけた心を抱えながら、何とかたどり着く人もいるはずだ。
俺は、誰かの話を聴きたい。聴いて、できることならほんの少し、力になれたらいい。
いつの間にか、ただ生きているだけになってはいないだろうか。何かに夢中になっていたのは、いつのことだろう?気が付けば歳を重ねているとしたら、振り返れば鮮やかに彩られているものであってほしい。それが誰であっても、いつの時代でも……。
誰もが夢見て、望んで、努力の果てに手に入れる、理想が心を揺さぶる世界へ。
これから創る『ハイパーリバ邸』という小さな、とても小さな世界が、いつか社会を大きく変えていくとしたら、俺はきっと嬉しい。
実のところ、俺は『ハイパーリバ邸』の果たす役割には、多くを望んではいない。たった一人でも何かが変わったという人がいてくれたなら、それでいいと思える。
きっと、それが多くの誰かのためになっていくだろうから。
設立メンバーの顔触れを眺めていると、思うことがある。俺はパッとしない、もしかすると何もないのかもしれない、と。だから、これから飛び込んで、確かめてみよう。
俺が嬉しくなる未来を紡ぐために、俺にできることをしていきたい。今より、もっと。
いずれ会おうぜ、『ハイパーリバ邸』で!
うん。
そんなところだ!