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  1. 足あと帳(4)
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法華講って日蓮が本仏の文証全然出せないよね

 投稿者:しつけ  投稿日:2016年 5月30日(月)01時09分45秒
  >大聖人様は自ら仏様(三世を知る聖人、主師親の三徳を具す、法華経の行者)だと説いているし、日道上人も大聖人様を「聖人=仏様」と認めているぞ。


アホラシ くだらない法華講員よくやってるよね!

聖人知三世事は文永の蒙古襲来があり他国侵逼が適中したことを受け、三世を知る聖人は、儒・外・内を列挙されて、

本門寿量品の釈尊こそ過去五百塵点から未来五々百歳広宣流布を見通す聖人であるとしている。

よく読みなさい、アホはみっともない。

しかし人違いも甚だしい。

 
 

副管理人くん

 投稿者:法華講  投稿日:2016年 5月30日(月)00時23分42秒
  わかった?
人のコメントを闇雲に消して逃げるんじゃなく、きちんと破折しなさい。
 

愚人くん

 投稿者:法華講  投稿日:2016年 5月30日(月)00時14分53秒
  つまり遁走っちゅうことやな。
御苦労さん。

自論なんだから、自分で証明しな。
以前も書いたが、君が嘯く「日蓮正宗の師伝」で、正しいものは一つもありません。
 

ジャパネットタケタくん

 投稿者:法華講  投稿日:2016年 5月30日(月)00時12分49秒
編集済
  君に2点だけ質問してあげよう。

1.「第二十六条 曼荼羅は末寺に於て弟子檀那を持つ人は之を書くべし」
→創価学会は末寺?

2.『富要』とやたらに出しているが、創価学会が出版する『富士宗学要集』では、日蓮正宗師伝の全貌は掴めないことを理解してから書きなよ。
日亨上人が纏められた『富士宗学全書』は、全134巻あり、『富士学林教科書』は全30巻あるのを知って書いてるかい?
創価学会が抜粋した『富士宗学要集 10巻』だけでわかったつもりで文証主張をしても片手落ちで、日蓮正宗信徒から見たらかなり恥ずかしいですよ。
「創価学会員として、かなり恥ずかしい行為をしてるんだ」と理解してから書くように。
 

スーパーグレイドウルトラアホ氏

 投稿者:愚人  投稿日:2016年 5月30日(月)00時10分11秒
   貴方は、サム氏に「自分で調べろ!。グズ!」とか「自分でググれ!。グズ!」と書いていましたね。

 スーパーグレイドウルトラアホ氏よ。

 自分で調べろ!。アホ!。

 自分でググれ!。アホ!。

 自分で大石寺住職に聞け!。スーパーグレイドウルトラアホ!。
 

愚人くん

 投稿者:法華講  投稿日:2016年 5月30日(月)00時00分6秒
  で、君。
大月天さんの掲示板に書き込みをしたいみたいだけど、きちんと自分が所属する宗派を明示しようなー。
 

「大白法」の検証

 投稿者:サム  投稿日:2016年 5月29日(日)23時58分45秒
編集済
  サワディーさん


>サム氏は無視されているようなので、大聖人様御真筆の御本尊様について再掲しておきます。

・大聖人様の御真筆の御本尊様で板に彫刻されたのは、「本門戒壇の大御本尊様」だけです。
 後の御本尊様は紙幅の御本尊様となります。(「創価学会の邪義迷妄を破す」より)

・大白法で以前読んだ内容ですが、それから、当初の御本尊様は、御題目と「日蓮」の恩名の位置関係が離れていましたが、弘安二年に向かって「日蓮」の恩名が中央によってくるとのこと。


○幾分か、御本尊の御相貌についても考察されようと意識されているのですね。 それについては素直に称賛しましょう。
処が、貴方は、大聖人が自ら楠板に摸刻されたと、認識されているのですね。
でも調べれば調べるほど、大聖は、摸刻されなかったと推考せざるを得ないのです。

次に公表されている大聖人の直筆御本尊の中から「弘安二年に向かって「日蓮」の恩名が中央によってくる」のかどうか検証してみます。

http://homepage3.nifty.com/juhoukai/mandara/mandaraitiran.html
日蓮聖人大漫荼羅一覧

ご覧の通り、確かに初期、文永年間では離れていますが、建治年間や弘安年間は、題目の真下に「日蓮」の御名が多くあります。
少し区分けしてみます。

①題目の真下に大聖人の御名連なる御本尊 (34幅)
(図顕番号と図顕年月日を記載します。)
28. 建治1年12月 日
30. 建治1年12月 日
32-1建治2年2月 日
36. 建治2年4月 日
39. 建治2年8月13日
41. 建治3年2月 日
45. 建治3年10月 日
50. 弘安元年7月5日
53. 弘安元年8月 日
54. 弘安元年8月 日
57. 弘安元年11月 日
61. 弘安2年4月 8日
63. 弘安2年4月 日
65. 弘安2年7月 日
69. 弘安2年11月 日
80. 弘安3年3月 日
83. 弘安3年4月 日
92. 弘安3年5月8日
97. 弘安3年8月 日
100. 弘安3年11月 日
101. 弘安3年11月 日
102. 弘安4年2月2日
103. 弘安4年2月 日
105. 弘安4年4月5日
106. 弘安4年4月17日
107. 弘安4年4月25日
108. 弘安4年4月26日
109. 弘安4年8月23日
117. 弘安5年正月 日
118. 弘安5年正月 日
119. 弘安5年正月 日
120. 弘安5年4月 日
122. 弘安5年6月 日
123. 弘安5年6月 日

②題目と大聖人の御名が少しずれている御本尊 (23幅)
67. 弘安2年10月 日
68-1弘安2年11月 日
71. 弘安3年2月 1日
73. 弘安3年2月彼岸
75. 弘安3年2月 日
76. 弘安3年2月 日
81. 弘安3年3月 日
82. 弘安3年3月 日
84. 弘安3年4月 日
85. 弘安3年4月 日
86. 弘安3年4月 日
87. 弘安3年4月 日
88. 弘安3年4月 日
89. 弘安3年4月 日
91. 弘安3年4月13日
93. 弘安3年5月8日
95. 弘安3年6月 日
96. 弘安3年6月 日
98. 弘安3年9月3日
99. 弘安3年9月8日
104. 弘安4年3月 日
111. 弘安4年9月 日
121. 弘安5年4月 日

③題目と大聖人の御名がずれている御本尊 (15幅)
59. 弘安2年2月 日
60. 弘安2年2月 日
70. 弘安2年11月 日
72. 弘安3年2月 日
74. 弘安3年正月   日
77. 弘安3年2月 日
78. 弘安3年3月 日
79. 弘安3年3月 日
94. 弘安3年6月 日
110. 弘安4年9月 日
112. 弘安4年10月 日
113. 弘安4年10月 日
114. 弘安4年10月 日
115. 弘安4年10月 日
116. 弘安4年11月 日

纏めますと、結構多岐に亘っており、③の題目と大聖人の御名がずれている御本尊が弘安2年以降でも存在する事から、結論として「大白法」で書かれていた事は、事実ではないという事ですね。

それでは、次は貴方が、私から質問したA~Eを答えてください。
そして、「楠板本尊の正当性」を立証してくださいね。


 

愚人くん

 投稿者:法華講  投稿日:2016年 5月29日(日)23時57分8秒
  *日蓮正宗の師伝なのだから、大石寺の住職に聞きなさい
○君が出したんだろ。
逃げんでいいから示しなさい。
示せないんだろ。
 

愚人くん

 投稿者:法華講  投稿日:2016年 5月29日(日)23時55分53秒
編集済
  で、はよ答えよ。

*日蓮が法然聖人・良観聖人と書いているのを知らないのか?。
○どの御書で、大聖人様が法然・良観を「三世を知る聖人=仏様」と書いてるの?
きちんと御書だせよ。

*また、聖人=御本仏様でないことは、『知三世事』を読めば解るだろう?。
○だから、人が書いた文意の揚げ足取りはやめな。
大聖人様は自ら仏様(三世を知る聖人、主師親の三徳を具す、法華経の行者)だと説いているし、日道上人も大聖人様を「聖人=仏様」と認めているぞ。
大聖人様が自ら「三世を知るは仏様でなく菩薩だ」と記した御書をだしてみよ。
 

スーパーグレイドウルトラアホ氏

 投稿者:愚人  投稿日:2016年 5月29日(日)23時52分20秒
   そんなことは日蓮正宗の師伝なのだから、大石寺の住職に聞きなさい。  

愚人くん

 投稿者:法華講  投稿日:2016年 5月29日(日)23時50分2秒
  *日蓮の文を阿弥陀仏の文と読む人だからな。
○???
 

愚人くん

 投稿者:法華講  投稿日:2016年 5月29日(日)23時48分40秒
  感情的に錯乱するのは勝手だが、きちんと証明してしろ。

*「南無妙法蓮華経を本尊として南無妙法蓮華経と唱題修行して自受用身となったのが理解できないのか?。」
○アホタレ。
因果を全く理解してないな。
では、自受用身になる為に唱題修行をした本尊は誰が顕わしたんだよ。
答えよ。

*南無妙法蓮華経と唱える因行によって自受用身という果徳を得た。これが、日蓮正宗の師伝だ。
○大聖人様が?
ほい、大聖人様が「南無妙法蓮華経という法を本尊とし唱題して自受用身になった。」と記した御書をだしてみ?
で、大聖人様が唱題修行した本尊は誰が顕わしたんだよ。

*南無妙法蓮華経は自受用身出生の種であり
○だから、その種は誰が顕わしたんだよ。

ほんと、全く仏教を理解できてないな。
人に対して妄言を吐くのはいいが、きちんと証明しろよ。
 

それにしても・・・

 投稿者:愚人  投稿日:2016年 5月29日(日)23時47分26秒
編集済
   スーパーグレイドウルトラアホ氏が投稿するとサワディー氏や無名★氏の投稿が激減するのは何故?。やはり同一人物?。それとも私の気のせい?。  

スーパーグレイドウルトラアホ氏

 投稿者:愚人  投稿日:2016年 5月29日(日)23時28分22秒
編集済
   だから南無妙法蓮華経を本尊として南無妙法蓮華経と唱題修行して自受用身となったのが理解できないのか?。南無妙法蓮華経と唱える因行によって自受用身という果徳を得た。これが、日蓮正宗の師伝だ。南無妙法蓮華経という法を本尊とし唱題して自受用身になった。法があっての自受用身。つまり南無妙法蓮華経は自受用身出生の種であり、法勝人劣だよ。日蓮正宗の自称相伝書を読め。

 知三世事も含めて、あとは貴方の文を読む能力次第だ。なにせ、日蓮の文を阿弥陀仏の文と読む人だからな。

 それと貴方は、スーパーグレイドウルトラアホにランクアップしたよ。パチ・パチ・パチ。あとワンランクアップすればアホの殿堂入りだ。頑張れ!。
 

ジャパネットタケタくん

 投稿者:法華講  投稿日:2016年 5月29日(日)23時24分59秒
  なげーよ。
で、破折して欲しいと懇願していると理解していいかな?
 

愚人くん

 投稿者:法華講  投稿日:2016年 5月29日(日)23時21分58秒
  で、本論に戻り
明らかなら、大聖人様が【法勝人劣が本 人法一箇が迹】と示した御書で、自論をを証明してみ。

http://9308.teacup.com/shukubou/bbs/9902
「人法一箇とする思想は、南無妙法蓮華経が本、自受用身が迹であることを教示している『百六箇抄』の成立時には無かったのは明らか。」

*「南無妙法蓮華経を修行して五大即我身と悟ったのであるから法本人迹・法勝人劣である事に変わりはない。」
 

愚人くん

 投稿者:法華講  投稿日:2016年 5月29日(日)23時16分12秒
  ガキのケンカレベルまで堕ちたかい?

*聖人=御本仏様でないことは、『知三世事』を読めば解るだろう?。
○アホタレ。揚げ足取りか?
『聖人知三世事』で語られてる
「聖人」の呼称に内道・外道に共通して用いられる話を「聖人=仏様でない」と言いたいのか?
もちっと議論が成立する反論をしたらどうだ?
 

愚人くん

 投稿者:法華講  投稿日:2016年 5月29日(日)23時03分17秒
  ほんとどうしようもないな。
レベル低すぎだろ。大丈夫か?
だんだん酷くなってるぞ。

*南無妙法蓮華経と唱えることは、唱題修行であり因行ではないのか?。
○アホタレ
「此の境智冥合して南無妙法蓮華経と唱えたもうが故に即座開悟し、久遠元初の自受用身と顕われたもうなり。」
「境智冥合して南無妙法蓮華経と唱えた」だろ。
おいおい。日本語読めないのかい?

*脱の文を出したのは貴方です。
○君です。
http://9308.teacup.com/shukubou/bbs/9902
では、君が出したい『百六箇抄』で、大聖人様が法本人迹と記した御抄をだしてみな。

*聖人=御本仏様としたのは貴方です。
○そだよ。
『行敏訴状御会通?』をきちんと訳してみ。
 

すぐに投稿が消されてしまう氏

 投稿者:愚人  投稿日:2016年 5月29日(日)22時51分33秒
   日蓮は、聖人=御本仏様としていない事を知りなさい。  

愚人くん

 投稿者:法華講  投稿日:2016年 5月29日(日)22時47分41秒
  まさか『行敏訴状御会通』を言いたい訳じゃないだろね(爆笑)  

すぐに投稿が消されてしまう氏

 投稿者:愚人  投稿日:2016年 5月29日(日)22時41分29秒
編集済
   日蓮が法然聖人・良観聖人と書いているのを知らないのか?。

 また、聖人=御本仏様でないことは、『知三世事』を読めば解るだろう?。
 

学会授与の御本尊

 投稿者:ジャパネットタケタ  投稿日:2016年 5月29日(日)22時36分30秒
  ■日寛上人の御本尊を「単立宗教法人である淨圓寺」が創価学会に授与することを申し出た際の文書など
http://megalodon.jp/2015-0204-1547-41/www.houonsha.co.jp/jiyu/19/697.html

これらは一応文証も示していますが、手続き的な話、つまり化儀です。したがって、化儀抄に示された日有上人の允可の延長として理解すれば、誰でも分かることです。
まず、物理的な作業としての形木を掘る(現在では写真製版にする)のも、表装前の「本紙」を印刷するのも、その表装前の本尊を販売するのも、大石寺派の昭和53年以前の実績では、出家ではなく在家でした。昭和54年に大石寺の内事部に形木本尊を管理する第三課という部署が初めて出来て、手続きが一本化されたのです。このような歴史的事実は、宗門の古僧に聞けば大石寺で在勤していた期間が長い僧侶であれば大概が知っていますし、昔の宗門の資料を探せば当然そうした記録もあります。
次に、日有上人が末寺に「形木本尊授与の権利」の允可を与えた以上、その委嘱を受けて、末法下種の僧宝である在家集団(僧迦=本来の意味の僧)に授与の権利を委任するのは、末寺の権限であることは法理論の観点からも明らかです。
それを、「書写本尊の権限」にすり替えて、権限を逸脱しようとしても、論理的に破たんしているだけでなく、すでに行体が僧侶の風上にも置けないようなただのハゲが何を言っても、「日蓮正宗の正依に基づいて反論してみなさい」と言われて終わり、なのです。
おまけに当たり前の法理論で言えば、日蓮正宗と創価学会は別法人なのですから、日蓮大聖人の教えに基づいた実践をすることを定めた学会が、日寛上人の形木本尊を発行することに、よそ者が何を言っているか、というのが古来よりの化儀に基づき、また国法に基づいた当然の結論です。
その上で、日蓮大聖人の仏法における「観心の本尊」の意味を全く取り違えている(坊主が歪曲している、といった方が正しいでしょう)宗門の邪義を、日蓮正宗の正依に基づいて破折すれば、大石寺派の愚かな誤見解が間違いであることに気がつくことでしょう。

同じ手続き論でも、きちんと教義や証拠に基づいてご説明すると、以下のとおりです。
学会はすでに日蓮正宗から破門してもらって、独立した宗教法人として会則を改正し、「日蓮正宗の教義に基づき」という規則を訂正して、「日蓮大聖人の御書を根本として」としたのですから、奪って言えば大聖人の教えに基づいて日蓮正宗を破折するのです。
また、与えて言えば、かつて日蓮正宗の教義を学んでいた学会であるが故に、日蓮正宗の宗規に定める「正依」を根本とした時に現在の大石寺派がどれだけ日蓮正宗の教義に背いているかを教えてあげているのです。

日蓮正宗の正依とは、

○法華経28品並びに開結、
○宗祖遺文、
○日興上人・日有上人・日寛上人遺文

と定められています。


これらの中で、末寺等における御本尊の化儀について具体的に述べているのは9世日有上人の化儀抄であり、59世堀日亨上人が更に詳細に化儀抄について解説を加えた「有師化儀抄註解」を(あくまでも正依に基づく範囲で)参考にしながら、学会による日寛上人の御本尊の下付の正しさについてご説明しましょう。

まず化儀抄では、日有師が末寺での守り本尊の書写を允可し、曼荼羅書写をも条件付きで允可しています。

「第二十五条 末寺に於て弟子檀那を持つ人は守をば書くべし、但し判形は有るべからず、本寺住持の所作に限るべし云云。
第二十六条 曼荼羅は末寺に於て弟子檀那を持つ人は之を書くべし、判形は為すべからず云云、但し本寺住持は即身成仏の信心一定の道俗には・判形を為さるる事も之有り・希なる義なり云云。」(富要1-111 化儀抄)


(通解:第二十五条 末寺において弟子檀那を持つ人はお守り本尊を書いて良い。ただし判形(花押)は書いてはならない。大石寺の住職の書くものに限らねばならない。
第二十六条 曼荼羅は末寺において弟子檀那を持つ人は書いて良い。判形はしてはならない。ただし、大石寺の住職は即身成仏の信心一定の僧侶や在家には、判形をなされることもある。これは稀なことである。)

この内容は、末寺でのお守り本尊や常住本尊の書写を日有上人が化儀抄で允可された箇所です。判形さえ書かなければ、末寺での本尊書写(紙に墨で書き写すこと)さえも認められているのです。
これについては、堀上人が解説を加えています。

「此の二個条は共に曼荼羅書写の事に属す、曼荼羅書写の大権は唯授一人金口相承の法主に在り」「曼荼羅書写本尊授与の事は・宗門第一尊厳の化儀なり」(富要1-112)

ここで言っているのは、法主による本尊書写と、その書写本尊の授与のことです。当然形木本尊(印刷の本尊)等の仮本尊のことは含まれません。よく日顕宗が「宗門第一尊厳の化儀」と偉そうに言いますが、あくまで書写本尊(常住本尊)の化儀のことであり、仮本尊である形木本尊は末寺での下付は允可済みなのです。
そして、書写本尊の化儀は、単に法主以外が書写したというだけでなく、大石寺派においても色々と変化し、謗法にまみれていたのです。

「故に宗祖は濫に曼荼羅を授与し給はず・開山は曼荼羅転授に就いても之を鄭重になし給ひ、尊師は宗門未有の弘通者なれども自ら曼荼羅を書写せず、然るに余門流の僧侶不相伝の儘猥りに曼荼羅を書き散して、僭越の逆罪とも思はざるのみならず・雑乱滅裂全き型式をだに得たるものなし、無法無慙の甚しきもの八大地獄は彼等の為に門を開けり・慎まざるべけんや」(富要1-112)

大聖人、日興上人が御本尊授与の化儀を丁寧になされていたことは十分に理解できますが、ここで紹介されている日尊については、京都の上行院建立(1339年)の2年後(板本尊を1344年に弟子の日印に授与する3年前)に、この上行院に釈迦像や十大弟子の像を建立・安置している(日蓮正宗富士年表P.84)のですから、曼荼羅を書写しなかったのは決して曼荼羅に対する正しい信仰があったなどと言うことは出来ません。日亨上人はここでは他山の本尊雑乱(主題を「南無妙法蓮華経 日×」と書く筆法)に対して厳しく批判されておられるだけなのです。日尊は既に謗法に堕していたのですから、本尊書写をしなかったことに何の意味もないのです。まして板本尊はしっかり建立しているのです。この時に法主の允可を受けたはずもありません。すでに釈迦像建立をするような謗法に陥っていたのですから。
しかし、学会のように形木本尊を安置することについては、堀上人はその次下に示すように全く問題なく認められているのです。

「然るに本尊の事は斯の如く一定して・授与する人は金口相承の法主に限り 授与せらるる人は信行不退の決定者に限るとせば・仮令不退の行者たりとも・本山を距ること遠きにある人は・交通不便戦乱絶えず山河梗塞の戦国時代には・何を以つて大曼陀羅を拝するの栄を得んや、故に形木の曼荼羅あり仮に之を安す、本山も亦影師の時之を用ひられしと聞く、此に於いて有師仮に守護及び常住の本尊をも・末寺の住持に之を書写して檀那弟子に授与する事を可なりとし給ふ・即本文の如し、但し有師已前已に此の事ありしやも知るべからず、然りといへども此は仮本尊にして形木同然の意なるべし」(富要1-113)

ここで「然るに…とせば」以降は、それまでの書写本尊の化儀による制約を否定されている箇所です。法主一人が書写し、信行不退の者だけに下付する、などと硬直的な運用をしていては、時代の変遷の中で大聖人の民衆救済という目的が達成できなくなる。こうした理由に基づいた結論として、「故に(だから)」形木の曼荼羅を仮に安置するという化儀を古来より認めているのだ、と解説しているのです。そして、日有師は更に末寺での守りや常住本尊さえも、「形木と同様に」仮本尊とみなして允可を与えている、というのです。
この「常住の本尊を『も』」という言葉の意味は、連結の副助詞「も」によって、「形木本尊と同じように」という意味を表しているのです。すでに日有上人、日亨上人が形木本尊の下付について、末寺で自由に行うことを允可されている以上、学会が唯一の和合僧団として、改革同盟の真実の僧侶達の申し出に基づいて日寛上人の形木御本尊を下付することは、大聖人の大慈悲の意志にも叶う「法華経の行者」としての最適な選択だったのです。
しかも、その御本尊を提供した浄圓寺は、宗教法人として独立した存在なのですから、大石寺派からとやかく言われる筋合いなど全く無いのです。

天魔の軍勢は、この新たな歴史の建設を必死になって妨害しようと、ありとあらゆる誹謗中傷を繰り返している訳ですが、事実として法華経の行者の決意を固めた同志たちに次々に功徳が涌き出ていることからも「利生の有無を以て隠没・流布を知るべきなり」(文段)で、学会の正義は既に証明されているのです。

「故に守に於いては『判形有るべからず』と制し・曼荼羅に於ては『判形為すべからず』と誡め給ふ、此の判形こそ真仮の分るる所にして猶俗法の如し、宗祖の御書中所々に判形云云の事あり・思ふべし」(富要1-113)

ここで判形についての意義を論じておられる訳ですが、世間の法での真仮を分けるものとして、例えば印鑑証明やサインのようなものが、歴代の書く花押であろうと言われています。確かに、後世に御本尊の偽作がたくさん存在していますが、さすがに花押まで似せることは不可能ですから、欧米でのサインのような意義を持たせているのは、大聖人の仏法の合理性と言えます。

「有師斯の如く時の宜しきに従ひて寛容の度を示し給ふといへど、しかも爾後数百年宗門の真俗能く祖意を守りて苟も授与せず書写せず・以て寛仁の化儀に馴るること無かりしは、実に宗門の幸福なりしなり、然りといへども宗運漸次に開けて・異族に海外に妙法の唱へ盛なるに至らば・曼荼羅授与の事豈法主一人の手に成ることを得んや、或いは本条の如き事実を再現するに至らんか・或は形木を以て之を補はんか・已に故人となれる学頭日照師が朝鮮に布教するや、紫宸殿の御本尊を有師の模写せるものによりて写真石版に縮写し・新入の信徒に授与せり、其病んで小梅の故庵に臥せし時、偶予に此縮写の本尊に判形を加ふべきや否やの談を為されたる事あり、予は直に此文を思ひ浮べて云為したり・忘られぬ儘此に付記す」(富要1-113)

堀上人は、世界広布の時には曼荼羅授与は法主一人の手では出来なくなることを宣言され、この化儀抄の允可のような、末寺での常住本尊書写や、形木本尊で補うことを想定されています。
そして、その具体的事例として、日有師による紫宸殿本尊の模写本尊を、学頭日照が写真製版で縮小し、名刺大にして韓国で授与した事実を論じたときに、この縮写本尊に判形を書くべきか議論した旨を書き残されているのです。このように、御本尊の化儀はいろいろと変遷があったのです。
続けて堀上人は、未来の世界広布の時の判形のあり方について、4種類の具体的な可能性を検討されていますが、それ以前にすでに、判形など書かない形木本尊の下付は承認されておられるのです。

「併し乍ら此の判形といへるに種々あるべし、一には形木又は縮写のものに法主の判形を為されたるもの、二には平僧の書写せしものに法主の判形を加へられたるもの・三には後代の法主が宗祖開山等の曼荼羅を其儘模写し給ひて更に模写の判形を為されたるものを形木又は写真版等となしたるもの・四には先師先聖の模写版又は形木に平僧が自らの判形を加へ又は平僧自ら書写して判形(自己)まで加へたるもの等に分つを得べきか・此中に一と三とは事なかるべし、二は未だ広く実例を見ず、第四は大なる違法にして・是こそ正に本条の制誡なり」(富要1-113)

要するに、ありとあらゆる化儀の可能性があって、「宗門第一尊厳の化儀」である法主による書写本尊以外にも、正式な本尊として判形をどう書くのかの違いで、一から三は認められるものだと言うのです。第四の末寺で判形を書くことのみが禁止された化儀なのです。そして、形木本尊は正式な本尊ではないので、そもそもこれらにさえも該当しない自由な化儀に分類されているのです。大石寺派がいくら勿体ぶってみても、全ては堀上人が明らかにされてしまっているのです。
学会の日寛上人の形木本尊に誰かが判形を書いていたら文句を言われることがあるかも知れませんが、日寛上人の御本尊を写真製版で形木にしただけの、古来より大石寺末寺で行ってきた化儀なのですから、誰にも何も言われる筋合いなど全く無いのです。

あくまでも参考ですが、昭和55年12月に、四国有志僧侶たち16名が「祖道の恢復と真の正信の確立の為に」という本を作成しています。その中で、過去の宗門の歴史として、

「宗門中古より大聖人、日興上人、日寛上人の御本尊の模刻、模写のものも多く、時の法主尚それをかつ認めて御開眼の供養をされているもの多し。まして学会伸展の初期の頃地方末寺にて御未来本尊の摺形木を出していた所もあり、御棟札も書いていた。
化儀抄の『末寺に於いて弟子檀那を持つ人は守りをば書くべし、但し判形は有るべからず、本寺住持の所作に限るべし云々』の許容のまま御守り、御形木御本尊を図せし証拠、東北四国等にも残っておる。
むしろ御本尊授与の御法主の大権が確立され宗門の綱紀統制されしは、創価学会の全国的な折伏による宗門側の対応の成果にあらずや。」


と、極めて正直な事実を記録しているではないか。
ちなみに、学会による本尊模刻について、宗門は大ウソをついているようだが、この文書では非常に正確に真実を述べているので紹介しておきます。

「御本尊模刻の件については、総監、教学部長、早瀬理事等の証言によれば、会長登山御目通りの刻、御本尊模刻を願い出た所、法主上人自ら黙認されたことを承知しているのである。従って、今こちらでこの件をついてゆけば、それでは事実はこうと聖教で公表するだろう。秋谷副会長はその意向であると言っている。かかる事体になれば法主上人の御徳にきずがつくことは免れない。故にこの件に関しては是以上言うべきではない。宗務院として強制力のある通達をもってこれを達しなければならない。」

「『辻副会長の〝不用意に謹刻〟と明言した通り云々○何故本山へ回収しなければならないのでしょうか』の問は、当時陰の宗務院で、6・30、11・7を演出された貴師方の代表が一番よく御存じでないかと存ずる。学会側に、『不用意に謹刻云々』と言う言辞を入れて発表してくれれば、納まると説得したのは誰であったか。週刊誌でY弁護士が、活動家の諸師方と密接に協調し、学会にも納得させて、自分が全部原稿(脚本)を書いたと告白しているではないか。」

要するに、学会側は言われるままに悪者になってあげただけで、実態は何の手続き的な問題も無かったというのが舞台裏で明かされた歴史の真実なのです。

http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=3137679&id=76285276
 

すぐに投稿が消されてしまう氏

 投稿者:愚人  投稿日:2016年 5月29日(日)22時31分1秒
   南無妙法蓮華経と唱えることは、唱題修行であり因行ではないのか?。

 脱の文を出したのは貴方です。

 聖人=御本仏様としたのは貴方です。
 

都合が悪いと暫し雲隠れする方がいますが

 投稿者:サワディー  投稿日:2016年 5月29日(日)22時25分58秒
  なお、本宗上古の時代においては、謗法者からの法難が多かったため、大御本尊はあくまで秘蔵の扱いで厳護されてきた。それ故、『三大秘法抄』にせよ、日寛上人の御指南にせよ、文の表に、大御本尊安置の処が本門事の戒壇、というような直接的表現を用いることはなかったものと排せられるのである。
(「誰にでもわかる顕正会の誤り」より)

 日蓮正宗の上古の時代には、法難が多い故に本門戒壇の大御本尊様は秘蔵の扱いだったとそうです。ということで、本門戒壇の大御本尊の恩名を直接発することは少なかったものと思われます。ましてや、現在ほど御指南が書物になることもないでしょうから、絶対的な文書量も少なくなかったと言えます。
 故に文証に「本門戒壇の大御本尊」の恩名が使われていないと言って否定できないことになると思います。
 この話が理解できないのは、想像力が著しく欠如しているか、いちゃもんを付けるのが目的ということなんでしょう。

http://ameblo.jp/baanaiby1

 

愚人くん

 投稿者:法華講  投稿日:2016年 5月29日(日)21時57分46秒
編集済
  *南無妙法蓮華経を修行して御本仏様になったとしている。
○で、どうして「法勝人劣」になるの?
「此の境智冥合して南無妙法蓮華経と唱えたもうが故に即座開悟し、久遠元初の自受用身と顕われたもうなり。」
だろ?
この御抄のどこに「南無妙法蓮華経を『修行して』御本仏様になった」と書いてるの?

ほんと大丈夫か?
更にレベル落としたな。
 

愚人くん

 投稿者:法華講  投稿日:2016年 5月29日(日)21時50分58秒
編集済
  日本語マトモに読めてないだろ。
トホホだな。

*「所説の正法は本門なり、能説の教主釈尊は迹門なり。」と法勝人劣を前提としての「人法ともに尊し」であることを知れ。
法勝人劣が本 人法一箇が迹
○アホ
どこを取って妄想してんだか。
『脱益の妙法の教主の本迹』
「所説の正法は本門なり、能説の教主釈尊は迹門なり。法自ら弘まらず、人法を弘るが故に人法ともに尊し。 」

見えるか?
『脱益の妙法の教主の本迹』
と書かれてないか?
わかる?

『観心本尊抄』
「彼は脱、此は種なり。彼は一品二半、此は但題目の五字なり」
『本因妙抄』
「仏は熟脱の教主、某は下種の法主なり」
『経王殿御返事』
「日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給へ。仏の御意は法華経なり。日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし」
だぞ(爆笑)

*聖人=御本仏様ならば、法然や良観も御本仏様なのだな。
○アホだな(爆笑)
大聖人様を菩薩といったかと思えば、法然や良観も御本仏とは。
法然や良観が本仏だと書いた書物をだしてみな(笑)
法然も良観も「上人」だろ。
 

日蓮正宗の師伝を紹介

 投稿者:愚人  投稿日:2016年 5月29日(日)21時37分18秒
   「此の境智冥合して南無妙法蓮華経と唱えたもうが故に即座開悟し、久遠元初の自受用身と顕われたもうなり。」

 日蓮正宗の師伝でも久遠元初仏は、南無妙法蓮華経を修行して御本仏様になったとしている。
 

無名★氏

 投稿者:愚人  投稿日:2016年 5月29日(日)21時15分28秒
   大石寺歴代住職と同じの「ウルトラアホ」には、何を書いても理解できません。好きなように能書きを垂れていなさい。  

削除されてしまう人氏

 投稿者:愚人  投稿日:2016年 5月29日(日)21時11分41秒
   「所説の正法は本門なり、能説の教主釈尊は迹門なり。」と法勝人劣を前提としての「人法ともに尊し」であることを知れ。

 法勝人劣が本 人法一箇が迹

この事を忘れるな。


 聖人=御本仏様ならば、法然や良観も御本仏様なのだな。


 後は何が書いてあったか忘れた。
 

愚人殿

 投稿者:無名★  投稿日:2016年 5月29日(日)21時01分33秒
  ○南無妙法蓮華経 日蓮 と曼陀羅本尊にあるからといって
南無妙法蓮華経と日蓮が人法一箇とする思想は、南無妙法蓮華経が本、
自受用身が迹であることを教示している
『百六箇抄』の成立時には無かったのは明らか。



★「思想」じゃないスよ。「道理」。
例えばあなたの、
「無名★氏はアホ」との書き込みはあなたの意思のもとに顕された文字。
「投稿者・愚人」、すなわち、あなたの心。だから
「無名★氏はアホ」と「あなたの心」は一体。




○もし、五大即我身だから人法一箇とするのならば、
南無妙法蓮華経を修行して五大即我身と悟ったのであるから
法本人迹・法勝人劣である事に変わりはない。
【法勝人劣が本 人法一箇が迹】である。


★理解し難い無茶苦茶な仏法論スね。

「五大即我身」?    (笑)
だから「人法一箇」とするならば ?

細かい事を言えば、あなたの頭同様、根本に「因縁」が抜けてまスね。

eco殿指摘の因果  (⌒-⌒; )


「南無妙法蓮華経を修行して」・・(笑)

大聖人は久遠元初の自受用報身如来のお方ス。
本因妙の教主のお方ス。
直達正観のお方。

修行なんかしておられないスよ。


その人法一箇の御本尊様に縁し因を積めば、
あなたも即身成仏の身。

仏法の因縁果報の原理、

単純な話じゃないっスか。


(-_-)
 

宿坊殿 フェイクの記事

 投稿者:無名★  投稿日:2016年 5月29日(日)20時56分44秒
  ◯日蓮正宗も泡沫候補を必死に支援した過去がある。


★政教一致批判の反論?

にしては幼稚っスね。

公明党て学会が作った政党じゃないス か。

政教一致どころか、
政教一体?   同体同心?

最近は少し同体異心の人が増えてるようっスけど。

(-_-)
 

eco氏

 投稿者:愚人  投稿日:2016年 5月29日(日)20時51分17秒
   『ダンマパダ(法句経)』から因果を学ぶ

 快楽から憂いが生じ、快楽から恐れが生じる。快楽から離れた者には憂いがない。まして恐れなどどこにもあり得ない。(NHK出版刊  佐々木 閑 著 『ブッダ 真理のことば』047頁)

 「因果関係によって作り出されたすべてのものは無常である」と智慧によって見る時、人は苦しみを厭い離れる。これが、人が清らかになるための道である。(NHK出版刊  佐々木 閑 著 『ブッダ 真理のことば』057頁 )
 
 

ecoさん

 投稿者:法華講  投稿日:2016年 5月29日(日)20時45分58秒
編集済
  ほらね。
都合が悪くなると消してしまう。
創価学会の意地汚い境涯がよく見て取れますな。

 

法華講さん と 愚人さん

 投稿者:eco◆Smw69  投稿日:2016年 5月29日(日)19時01分26秒
編集済
  >>法華講さん
(今、退会されると票が減るだろ。ただでさえ、退会者が増加してるからさ。)

話を伺う限り 少なくとも 愚人さんは それを望んでいますよ


あと 愚人さんの話をうかががって ひとつだけ気になった事があったのですが
愚人さんの考え方や解釈だと 南伝の教えでは因果が解かれていない形になってしまう為か
「因果」つまり「原因⇒結果」という概念を理解しないまま結論が導きだされた「不完全な教え」とも捉えることができてしまうのですが
もし 南伝の教えの中で「因果」に関する教えが存在しているのなら
その部分を出来れば示してほしいのですが できますか?

少なくとも「因果」を否定することはできないでしょ

http://

 

(無題)

 投稿者:憂国の武士  投稿日:2016年 5月29日(日)18時37分46秒
  創設以来創価学会は菩薩を信仰してたのか?

http://www.erigonomi.net/

 

あべひ 正義ヅラも いいかげんにしろよ

 投稿者:eco◆Smw69  投稿日:2016年 5月29日(日)18時28分28秒
編集済
  http://6903.teacup.com/huwahuwakujira/bbs/t4/871
   ↓ ↓ ↓ ↓ ↓

誰が 富士宮ボーイの管理者を訴えよう・・・としたんだよ
フカシこいてんじゃねぇーよ

訴えられても おかしくない行為をしたのは あべひさん

富士宮ボーイが 電気通信事業法27条 ならびに30条を盾に
あなたを訴えることができる環境が整っていて
それを 大勝利さんから指摘されたら 慌てたのが お前さんだったんじゃないかよ

あべひさん 富士宮ボーイ管理者の財産を私物化していたのを自覚して述べていますか?
あそこは、ここGMOや2ちゃんと違って 個人が提供したサーバーで運用していたのにも関わらず
自身のブログ(あべひブログ)で何か書いて 炎上するような事態に陥った場合
その炎上の尻拭いを 富士宮ボーイ掲示板に丸なげするようなレトリックやロジックを仕掛けていて
申さん所有のサーバーを破壊するような行為を 平然とやっていたでしょ

本当に卑怯者で最低な奴だな

それとだな 3人以上揃ったから アク禁にしろ等と
しつこく富士宮ボーイの管理者にけしかけたり煽るような書き込みをして 恫喝をしていたのは
あべひさん あなたですよ

しかも ポチョドンも含めて願いが叶うと 急に丁寧な文章を示して
ご苦労様です。などと ねぎらいまで掛けていたのは誰でしたっけ?
 

愚人くん

 投稿者:法華講  投稿日:2016年 5月29日(日)18時05分55秒
編集済
  相も変わらず妄想を繰り返しますなー。

*日蓮正宗の自称相伝書の『百六箇抄』には、一貫して法勝人劣が教示されていることを知りなさい。
○「法自づから弘まらず、人、法を弘むるが故に人法ともに尊し 」
ね。
君、君が本仏だと嘯く「久遠元初の釈尊」が法だといいたい訳?
ならば、その法を修得し(=成仏の境涯を得)、説いた人は法に劣る訳?
道理が成り立たないだろ(笑)

*また、日道も書いているように仏は、五百塵点劫成道の釈迦仏であり、日蓮は菩薩です。
○『御伝土代』の文頭を言ってるのかな?
『日亨上人』
「此の書未完なり。目師天奏も記せず。(中略)また正本には此次に申し状の案文ありて未完なり」

また、『御伝土代』に
「三世を知るを聖人と云う」
「日蓮は日本国の棟梁なり」
と記しているが。。。
はい。
三世を知るのは菩薩かいね?

『蒙古使御書』
「仏のいみじきと申すは過去を勘へ未来をしり、三世を知しめすに過ぎて候御智慧はなし」

『聖人知三世事』
「日蓮は一閻浮提第一の聖人なり」

三世を知る聖人とは仏様です。
『棟梁』とは主師親の三徳、つまり仏様です。

日道上人は立正安国論奏上で「日蓮『聖人』」と記しているが如何に?

『延書筆者』??「『日興上人御跡の人々面々法門を立て違え』候。或いは天目に同じて方便品を読誦せず。或いは鎌倉方面方に同じて迹門得道の旨立て申し候。唯『日道一人正義を立つる』間、強敵充満し候」

はい。君の書いている事は道理がたたないよ。
 

あら?!。

 投稿者:愚人  投稿日:2016年 5月29日(日)17時23分54秒
   彼の人の投稿が消えている。
 私の投稿が空しいな。
 

我見と言えば

 投稿者:愚人  投稿日:2016年 5月29日(日)17時17分57秒
   日蓮の遺文に依らずに、戒壇本尊を一大秘法だとする大石寺の歴代住職はウルトラアホだな。まあ、スーパーウルトラアホの通りすがり氏に比べればマシだが。

 創価学会の歴代会長は、日蓮の遺文に依らずに大石寺の住職の我見によってしまった依人不依法の輩だな。まあ、やはりウルトラアホではあるが、通りすがり氏よりは、やはりマシだ。

 そう言えば、無名★氏。同じウルトラアホで、貴方が敬っている大石寺の歴代住職に肩を並べたな。パチ・パチ・パチ。
 

通りすがり氏

 投稿者:愚人  投稿日:2016年 5月29日(日)16時57分50秒
   スーパーウルトラアホの復活ですね。お帰りなさい。馬鹿やノータリンと違い、アホは教えても理解することができないので捨て置く事にしています。
 日蓮信仰をして、アホの殿堂入りにならないように気を付けなさい。

 それと、日蓮正宗の自称相伝書の『百六箇抄』には、一貫して法勝人劣が教示されていることを知りなさい。また、日道も書いているように仏は、五百塵点劫成道の釈迦仏であり、日蓮は菩薩です。

 
 

南無妙法蓮華経 日蓮

 投稿者:愚人  投稿日:2016年 5月29日(日)10時01分59秒
   南無妙法蓮華経 日蓮 と曼陀羅本尊にあるからといって南無妙法蓮華経と日蓮が人法一箇とする思想は、南無妙法蓮華経が本、自受用身が迹であることを教示している『百六箇抄』の成立時には無かったのは明らか。

 もし、五大即我身だから人法一箇とするのならば、南無妙法蓮華経を修行して五大即我身と悟ったのであるから法本人迹・法勝人劣である事に変わりはない。【法勝人劣が本 人法一箇が迹】である。





 
 

天台・妙楽・日蓮等が自説の根拠に用いた中国産の偽経

 投稿者:愚人  投稿日:2016年 5月29日(日)09時40分6秒
   『提謂波利経』

 五行説は、木・火・土・金・水の五元素を立て、その循環生成の様子を説明し、それぞれに対応する方角や色など諸事象を、五をセットとして分類し規定する。中国特有であり、インドにはない考え方である。(岩波書店刊  船山 徹 著 『仏典はどう漢訳されたのか スートラが経典になるとき』127頁)

 『清浄法行経』

 この経典には老子、仲尼、顔淵という中国の儒教道教を代表する三人への言及がある。(中略)もちろんこれら中国の人物や『道徳経』『易』などへの言及は、インド語の文献を逐語的に訳した翻訳文献にはあり得ない、中国的要素である。(中略)このように本経は、その根幹にかかわる内容において、インドにはあり得ない情報を含む。これに加えて、さまざまな経録をみると、本経はしばしば偽経ないし偽妄経に分類されたこともわかる。つまり本経は、内包と歴史的評価の両面から、偽経であると言えるのだ。(岩波書店刊  船山 徹 著 『仏典はどう漢訳されたのか スートラが経典になるとき』129~130頁)

 『梵網経』

 『梵網経』の説く十重四十八軽戒の体系はインドの経典には遡ることのできない、中国特有の教説であることが知られている。
 (中略)
『梵網経』上巻には、(中略)「従来八趣心」「十長養心」「十金剛心」という三十の準備的階位が説かれているが、これも中国特有の用語である。さらにまた、『梵網経』上巻には「捨心」という語を用いて菩薩行を説く一段があるが、無関係な二つの梵語を混同して漢字「捨」の意味を説明することから、中国成立の教えであることがわかる。
 このように『梵網経』は、系統の異なる諸経の文言を用いて作成されている点、中国仏教特有の教理を説く点、梵語では説明できない漢語ベースの教説を含む点において、翻訳とみることができない。(岩波書店刊  船山 徹 著 『仏典はどう漢訳されたのか スートラが経典になるとき』136~137頁)

 『菩薩瓔珞本業経』

 『菩薩瓔珞本業経』は、一般によく知られる「十地」の菩薩階位よりも前に、菩薩は「十住心」「十行心」「十迴向心」の「三十心」を実践すべきことを説くが、これは中国仏教特有の説であり、インド仏教に遡ることができない。(岩波書店刊  船山 徹 著 『仏典はどう漢訳されたのか スートラが経典になるとき137頁』)

 同書によると、『仁王経』もまた、梁の武帝の時代には既に偽経とされている。


 天台・妙楽・日蓮は、小釈迦とか御本仏様とか崇められているのに中国産の偽経と見抜けないとは、お間抜けな小釈迦に御本仏様な事だ。





 
 

無名★さん

 投稿者:サワディー  投稿日:2016年 5月29日(日)08時14分54秒
編集済
  サムさんへのフォローありがとうございます。
こちらは、「慈折広布の御本尊」の正統性について集中しますので、他のいちゃもんの破折は今後もよろしくです。


 サム氏は無視されているようなので、大聖人様御真筆の御本尊様について再掲しておきます。

・大聖人様の御真筆の御本尊様で板に彫刻されたのは、「本門戒壇の大御本尊様」だけです。
 後の御本尊様は紙幅の御本尊様となります。(「創価学会の邪義迷妄を破す」より)

・大白法で以前読んだ内容ですが、それから、当初の御本尊様は、御題目と「日蓮」の恩名の位置関係が離れていましたが、弘安二年に向かって「日蓮」の恩名が中央によってくるとのこと。

 このことの意義は頭破七分の現証が出ている人にはわからないでしょうね。 

http://ameblo.jp/baanaiby1

 

フェイク 第1535号

 投稿者:宿坊  投稿日:2016年 5月28日(土)23時43分0秒
  (発行=16.05.27)

宗門は泡沫候補を必死に支援
「慧妙」の的外れ政教一致の愚論を粉砕 ②
日顕が「理境坊の檀家の応援を頼む」

 「慧妙」五月十六日付一面の「創価学会・公明党は政教一致の違憲団体だ」と
の悪口雑言に対して、本紙前号で学会と公明党の関係は政教一致ではなく、政
教分離の原則にも反しないと説明した。「慧妙」は政治と宗教の関係について
浅薄な偏見から悪意に基づく中傷を繰り返しているが、日蓮正宗も泡沫候補を
必死に支援した過去がある。

平成十三年七月の第十九回参議院議員選挙では日蓮正宗が立正佼成会と一緒
に白川勝彦の新党・自由と希望を支援したのである。

同党の比例区名簿登載者は十人。このうち庄野某、児玉某が妙観講員で、日
顕が投票日の四日前に、本山で塔中坊の住職や無任所教師ら約百人を前に「白
川と理境坊の檀家の庄野を応援してもらいたい。特に、法華講を抱えている塔
中坊は法華講員に応援を働きかけてほしい」と強く訴えた。

ニセ法主自ら檄を飛ばしていたのだが、結果は十人全員が落選。庄野某は一
万数千票、児玉某は千票にも届かなかった。

妙観講員が名簿に登載されたため、立正佼成会が手抜きしたと言われていた。

柿沼広澄の孫も落選

また、平成十九年の参議院選挙の民主党の比例区名簿に山村明嗣(てるつぐ)
が登載された。

山村は東京都品川区の妙光寺六代目住職・柿沼広澄(大東院日明)の孫にあ
たる法華講員で、この時も日蓮正宗は全力で応援した。

結果は民主党比例区候補の三十五人中三十位という大惨敗に終わり、日顕や
日如をはじめとする宗門人は落胆したという。

この山村は政治家よりも出家した方が良いのではないか、と言われていたが、
母親が民主党の菅直人の女房に五反田のマンションで、お茶を教えていた関係
から菅の秘書になった。

公示後、山村は東海道新幹線の新富士駅北口にある大石寺行きのバス停で、
自分自身は信仰心も無いのに、法華講の夏期講習会に参加する講員一人一人に
握手を求めていた。

大石寺行きのバスは三~四台で人数も少なく、効果は殆ど無かった。また、
本山売店の中にもポスターを張り出し、講習会に参加した法華講員には「比例
区は山村に投票するように」と徹底していたのである。

山村自身も氏名を書いた違反文書を末寺に送り、山村の個人名入りのチラシ
を置いていた末寺もあった。

また、某末寺の講頭のホームページのブログには、学会や公明党への誹謗中
傷を下品な言葉で書き連ねた後に「法華講では、どの政党、誰を応援するとい
う決まったものはない」と逃げ口上を述べながらも「山村さんには今の世の中
を良くする為に頑張ってほしい。是非とも当選して法華講の清気、清風を政界
に送っていただきたい」等と狡猾に投票依頼を書き込んでいた。

更に、「慧妙」は同年七月発行の二回分とも一面に大きく「行動あるのみ――
安国の為に立つ!」という本の広告を山村の上半身の写真と略歴なども掲載す
るなど応援に力を入れたが、この時は落選。その後、平成二十五年六月、大江
議員の辞職に伴い繰り上げ当選となったが、二ヶ月足らずの短命議員で終わっ
た。


 

サム殿

 投稿者:無名★  投稿日:2016年 5月28日(土)23時01分4秒
  ○無名★さん
貴方は、いつも、口から出まかせで、投稿していますが、


★あなたの口から出まかせのイチャモンを
オイラは道理をもってキチンと破折してまス。



○貴方も含めて法華講の方は、功徳の姿が見えないのですよ。
六根清浄の意味が解らないのでしょう


★オイラはあなたと違って、御書に基づき、大聖人御図顕の御本尊に
信をもって信仰してまス。
あなたは、どこに信を置いてるんスか?
あなたに信の基などないでしょ。
六根清浄は解る解らないじゃなく、
信の在り方次第ス。


○相手に、馬鹿とか、謗法者等、言える訳がないのです。

★まず、あなたの信仰の現状が滅茶苦茶スから馬鹿であり、
大聖人の仏法を謗じているから謗法者ス。
ちゃんと、根拠をもってあなたを破折してるス。


○御本尊に対する「御内証」や「御相貌」の質問は、貴方ではなく、
サワディーさんに向けたのですが、サワディーさんは、
大聖人の御真筆御本尊の意義や全貌を御存知ありません。
だから、答えられないのは、残念です。


★キチンと歴代御法主の御指南で破折されてるっしょ。



○貴方が替わって答えて頂いたのは、有難いのですが、
 貴方は、いつも通り、口から出まかせで回答にはなっていないのです。
では、一問ずつ、問題を明らかにしていきましょう。


○A.「楠板本尊」と「他の大聖人御真筆御本尊」とにおける「大聖人の御内証」に
どの様な違いがあるのでしょうか。
★違いはありましぇん。
本門戒壇の大御本尊は末法衆生救済のため。
他の御本尊は一機一縁の御本尊様。

○大聖人が「一機一縁の御本尊」と、そうでない御本尊があると、
区別したのでしょうか。
したのであれば、その証拠・文証を示しなさい。


★あなたや会員が信仰している御本尊で明白。
本部に奉掲されている本尊も含め、全て、
弘安二年十月十二日御図顕の本門戒壇の大御本尊の書写本尊。

ちゅう現実。

大聖人が御在世中に弟子檀那に宛てた本尊は、
個人で所蔵された本尊。

文証?
聖人御難事、二箇相承書


○B. その証拠を貴方はお持ちなのでしょうか。
目師書写の御本尊(小泉・久遠寺蔵)には「日蓮 在御判」が「日蓮聖人」となっており、
「仏滅度後二千二百三十余年之間一閻浮提之内未曾有大曼荼羅也」の讃文もありませんが、
此の御本尊も「大聖人の御内証」を書写された、で宜しいのでしょうか。
★はい。

○「大聖人の御内証」に違いが無いと、言っているのだから、
「その証拠をお持ちならば、示してください」と関連質問をしているのに「はい」だけですか。


★~で宜しいのでしょうか。
の確認の問いに対しての「はい」。


○「日目上人の御本尊」が「大聖人の御内証」の御書写であると肯定されたのでしょうが、
その理由が欲しかったのです。

★理由は簡単ス。大聖人曰く
「伝持の人無れば猶木石の衣鉢を帯持せるが如し」顕仏未来記
「仏宝・法宝は必ず僧によりて住す」四恩抄


○C.「楠板本尊」と「他の大聖人御真筆御本尊」と「書写本尊」の3つを比較して、
ご相貌の類似点および相違点を列記する事が出来ますでしょうか
★大聖人の御内証スから、相違点はありませんス。

○「御本尊の御相貌」を争点にしているのに、「大聖人の御内証」に帰着させ、
御相貌に相違点無しとする、全く思考ゼロには驚かされます。


★スからね、どこかで言ったと思うんスけど、
御内証の書写とは、そのまま書き写すことじゃないんス。

大聖人の御内証の肝心は、中央の南無妙法蓮華経とその下段にお認めの在御判ス。


○D. 書写本尊のご相貌も色々ですが、どの歴代法主が、
最も『楠板本尊』のご相貌に近いと思いますか。
★唯授一人血脈相承の全ての御法主上人の書写本尊。

○貴方は、対話しようと全く考えていませんね。
 呆れて、だから、貴方を無視したくなるのですよ。

★「御内証の書写」の深義が理解できてりゃ、これ以外の回答は無いでしょ。


○E. 歴代法主は、強いて『楠板本尊』のご相貌に合わせようとしていない様子ですが、
それは何故なのでしょうか。
★大聖人の御内証の書写だからス

○まるで頓珍漢な回答です。
法華講員さんは、宗門より「思考停止」を指示されているのでしょう。

★はい。「御内証の書写」の深義を弁えてないとそうなるでしょ。


○何回も言いますが、法華講員の皆さん、貴方達は、楠板本尊が、
確かに大聖人直造だという証明と、
本門戒壇の本尊と命名された証拠を示す責任があるのですよ。


★「仏法の根本は信を以て源とす」スから、
証拠・証明の立証はイチャモンの方で為すべきことス。

あなたのような方ばかりだと、世間は崩壊しまス。


d( ̄  ̄)
 

無名★氏

 投稿者:愚人  投稿日:2016年 5月28日(土)22時45分44秒
   貴方は、アホの一階級上のウルトラアホですね。御愁傷様です。  

サム殿

 投稿者:無名★  投稿日:2016年 5月28日(土)22時19分43秒
  ○大変懐かしい、戸田先生の指導ですが、
私が、何回も申し上げている通りですよ。
時代が変わってきているのです。

創価学会は、かつて弱小教団・日蓮正宗の純真な信徒集団でした。
そして、「無疑日信」の赤誠の念で、宗門の己義仏法を学び、
宗門の為に弘教拡大して来たのです。
従って、結果的に宗門の虚偽の法門をそのまま踏襲してしまったのですよ。

でも、破門されて、宗門史や宗門の化儀化法を見直す事により、
真実を理解してきているのです。



★それはあなたの見直しでしょ? (笑)

戸田先生はとうの昔に
正法受持のまま即身成仏の身でお亡くなられてまス。

時代は関係ないんスよ。

あなたの邪義は戸田先生に破折されまス。
しっかり、戸田先生の信仰を破折しないと。


無理スよね。
どしてなら、戸田先生は浄土においでスから。

こういう簡単な道理がわからないから、馬鹿と呼ぶんス。


m(_ _)m
 

愚人殿

 投稿者:無名★  投稿日:2016年 5月28日(土)22時18分38秒
  ○『サッダルマ・プンダリーカ・スートラ』の編纂者や
羅什の義を無視して「プンダリーカ・蓮華」を〔因果〕などの意味にするのは
天台・日蓮の己義であり我見である。

 また、「サット」にも「妙」にも〔不可思議〕なる義など無いのに
「サット」「妙」に〔不可思議〕なる不当な意味付けをしたのは
天台・日蓮の己義であり我見である。



★(笑)
編纂者や羅什には己義・我見は存在しないんスか?
都合がいい話スよね。



d( ̄  ̄)
 

中国産の偽経

 投稿者:愚人  投稿日:2016年 5月28日(土)21時55分40秒
   岩波書店刊  船山 徹 著 『仏典はどう漢訳されたのか スートラが経典になるとき 』を読むと、『仁王経』『梵網経』も中国産の偽経。

 日蓮は御本仏様なのに、そんなことも解らなかったのか。哀れなり、日蓮。
 

追伸

 投稿者:サワディー  投稿日:2016年 5月28日(土)14時29分40秒
  サムさんの回答、相変わらず文証ないですね。

http://ameblo.jp/baanaiby1

 

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