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Trigger for
学院の中にある、一つのこじんまりとした階段教室。
傾き始めた西日が画一的に並んだ窓から規則正しい四角形の光を落としていた。
40名ほどの生徒たちが姦しく喋りながらめいめいに外へと流れてゆく。
教室の中程に、TeamSAYOの姿があった。
「疲れたー!どこか何か食べに行こうよ」
ピンバッジや缶バッジがいくつも付けられた小さなリュックを背中に回し、机に立て掛けてあった細長い革で出来た袋を担ぎながらヤナギが3人に声をかける。
「ええよ、いつもの店にでも行こか」
アサギは答えながら机上に広げられた筆記用具を手早く片付けてキャンバス地のメッセンジャーバッグに仕舞う。
「……ん、誰か来ますね」
校章の入った革のスクールバッグと錆色の細長い布袋を手にして、サビがふとドアの方へと目を向けた。
「や、調子はどうかな」
現れたのは、真っ白な単発とカストロ髭、ゆったりとした灰白色のロングコートが特徴的な1人の老人。
その顔、右半分には異形とも取れる奇怪な模様の刺青が施されている。
彼は軽く手を上げて4人に笑顔を見せる。
「ロッケンバーグ学長!?」
気怠げにスクロール端末をいじっていたオミナエは慌てて閉じる。
ウレキサ・ロッケンバーグ。学院の設立者にして学院長を務める老人だが、とある経営体制の変更によりもはや傀儡と化し隠居をしていると言う噂の男。実際ほとんど人の目につくところには現れず、重要な催事で言葉のみの挨拶をする程度である。
そんな男が4人の前に現れた。
「まぁまぁ、そう気を張らなくていいよ。楽にしてくれないか」
ウレキサは笑顔のままそう言って、部屋のドアを閉め、ロックを掛ける。
「あまり、人に聞かせることでもないし私は恥ずかしがり屋でね。鍵はかけさせてもらうよ」
そうして彼は軽い足取りで4人に歩み寄る。
「今、君たちと、そして教員であるアオイさんがなにかコトを行っているのは知っているよ」
彼の言葉にサビが言う。
「何か、不味いことでも御座いましたでしょうか」
「いやいや、そうじゃなくてね。君たちはどう思っているのかなぁって、さ」
ウレキサは4人のすぐ近くのテーブルに腰を掛けて手を組む。
その指には両手合わせて12本の様々な意匠が施された指輪がはめられている。小指には2本ずつ、その他は1本ずつだ。
「どう思っている、っていいますと?」
アサギの問いにウレキサは笑みを崩さないまま言う。
「君たちは、今回の一件をどう認識しているのかな?……まぁ、現在の研究に横槍を入れてきた組織との対立、そう思っているのだろう。でも君たちはしらないんだろう?自分の上司が、一体何をどうしてどのような研究をして何を目指しているのか」
ウレキサに言われ、言い返したのはヤナギ。
「だって、ボク達が聞いても『貴様らには関係のないことだ』の一点張りだし」
似ていないモノマネでそう言うヤナギにウレキサは苦笑すると、口を開く。
「ふっふ、まぁ、彼女ならそういうだろうなぁ。それで?君たちはそれでいいのかい」
少々不服そうにオミナエが答える。
「正直に言うのなら、納得はしかねているわ。一応だけれど命を懸けているのに秘密にされちゃぁ、ねぇ?でもワタシ達とアオイは所詮この学院にいる間だけの付き合いだし?何でもかんでも一切合切晒し合うってのも無理よね」
「何も知らされず、仕事だけを伝えられてそれをこなすだけの生活は楽しいかい?」
焚きつけるような言い方でウレキサは悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「おっしゃりたいことが見えかねます、学長」
サビの言葉にウレキサは少しの沈黙を挟んで話しだした。
「私が、アオイさんと出会ったのは数年前だ。当時彼女は学院とは一切関係のない組織を立ち上げ、そこの管理者兼研究者としてその職務にあたっていた。彼女の夫とともにね」
優秀だったよ。とウレキサは続ける。
「今のように陰鬱とした性格ではなかった。純粋に人のため世のためにと邁進していた。事態が変わったのは、私が彼女と出会って直ぐの事だった」
彼は目を落とし指輪を軽くいじり、
「彼女はその身に新たな命を身籠ったのだ。それ自体は喜ばしいことだよ、掛け値なしにね。そして双子の姉妹が生まれた。……未熟児だった。多臓器不全、心収縮性の障害、慢性肺疾患、無呼吸発作、動脈管開存症、未熟児網膜症。数え上げればキリがないほどの、疾患を抱えて生まれ落ちた双子の姉妹を目にして、彼女とその夫は狂気に走った」
彼はそこまで行って自嘲的に口端を歪める。
「私が止めてやるべきだったのかもしれないが、今ではもう手遅れだ。その夫婦は彼らの頭脳と技術を、生涯はじめて、世のためではなく、ただ己のエゴのためだけに振るうことを躊躇しなかったよ。全てのプロジェクトは永久凍結され、主要な研究員をの除いた大規模解雇、そして新プロジェクトとして2つの計画が始動した。1つは、人の欠損した部位をダストや機械を用いて補填する研究。もう1つは、アオイさん個人による秘匿研究だった。夫にも知らせず、自分一人だけで推し進めていたそうだよ。グリムの素子を人工的に再現して人に投与する研究。グリムの強靭な侵食性と生物的堅牢性を人工的に後から人間にインストールする技術だ」
「そんなめちゃくちゃな事、上手くいくとは」
アサギの言葉にウレキサは頷く。
「当然だ。ただでさえ得体のしれない、生き物と定義することすら危ういモノを人の中に押し込めるのだよ。そううまくいくはずがない。医療研究と称して、新技術の治験と称して、彼女は何百、何千という幼い被験体に手を付けた。その結果、グリムと人の混合体、その試作技術らしき何か、は完成し、2人の娘にその技術が使われてしまった。だがそんな凶行を隠し通せるわけがなく、しばらくして彼女の研究は暴かれたよ。夫の手によってね」
そうして、ついに何もかもご破算になった。と、ウレキサが言う。
「夫はその凶行を受け止めきれずに狂ったよ。彼女との籍を切り、彼女を研究所から追放。夫本人は重度の精神障害、記憶障害と診断され、数年間の治療を受けた後に研究職に戻ったが、今でも完治していないとの噂だ。重すぎる事態は秘匿され、なにもかも、綺麗さっぱりなかったコトにされた。そうして行き場を失った彼女を、私がここの教員として登用したのだ」
「双子の姉妹のその後は」
サビの言葉に、ウレキサは少しの逡巡を見せ、ついに答える。
「私に残されたわずかばかりの良心かな。1人は、私の人脈を使い、信頼できる家に引き取ってもらうことができた。過去の経歴を消すために今はどこで何をしているか不明だが、私が託した男はこの世界中でも最も信頼できる男だ。元気に生きていることだろう」
「もう一人は」
ヤナギの問いに、答える。
「安心して欲しい。亡くなってはいない。生きている。……アオイさんのすぐそばで、彼女の研究の最後の傑作として」
「知っていて、アタシ達に言わずに?」
オミナエの咎める様な目を、ウレキサは見透かすような、どこか諦観した目で見返す。
「君たちは、一度でも知ろうとしたかい?一度でも彼女が敷き詰めた線の内側へと踏み込もうとしたかい」
ウレキサの年老いた眼は底の抜けた桶の様に昏く4人を見つめる。
「私はね、無能な男だ。17の時にそれに気づいてから私は多くを観察しようと思ったのだ。多くを知り、多くを見ればその幾許かは私の中へと滑り落ちてくれるのではないかという錯覚に囚われてね。そうして50年、私に唯一与えられた才能は、見ることだと気づいた。私は見る目だけは確かなのだ。だからこそ君たちに目をつけた。私が手を差し出さなければ路傍に転がる虫の死骸のように朽ち果てていたであろう君たちに目をつけ、ここへと連れてきた。あぁ、恩義を感じろとかそういうことを言いたいんじゃない、こう見えても私は損得勘定が嫌いな人間だ。ただ、訊かせてくれ」
ウレキサは言う。
「君たちは、どうしたい」
「どうしたいって言われても」
アサギのはっきりとしない言葉にウレキサは溜息とともに言う。
「自覚がないのかな?今君たちはまさに分水嶺に立っている。誰を生かし、誰を切り捨てるのか取捨選択を迫られている。聞いたよ、TeamBRNZに対する襲撃作戦が計画されているとね」
空気が瞬間的に張り詰め、凍りつく。
サビが即座に袋からオハバリを抜き放ち、ヤナギがヌホコを構える。
その二振りの凶器の切っ先はウレキサへと向けられた。
「無礼をお許し下さい。この作戦はアオイ女史の命により秘匿とされているはずですが、その話をどこで」
サビの底冷えのする声にウレキサは言う。
「いやいや、そりゃここは私の学園だ。学園に関わりのあることならば何でも知らない訳にはいかないよ。腐っても管理者は私だ」
「答えになってないよ学長。事と次第によっちゃ」
ヤナギの台詞にウレキサは割り込む。
「私を殺すかい」
ヤナギは答えない。
「よく訓練された忠犬だ。だが、忠犬といえども子犬では、な」
挑発的な言葉と表情に、ヤナギの腕に力が込められた。
「やめぇやヤナギ!」
アサギの制止、しかし、
「殺しはしないけど叩きのめす!」
ヤナギはそれを拒否。槍を鋭く突き出した。
ウレキサはそれを躱そうともしない。ロングコートを切り裂いて、切先が彼の左太腿に深く突き立つ。
それとほぼ同時、ウレキサの肩口にサビの白刃が振り下ろされ、彼の右肩を浅く切り裂く。
左大腿と右の肩。じっとりとした血の染みがコートに広がる。
「このコート、それなりに高いんだけどね」
ウレキサは流れ出る血を気にもとめずゆっくりと立ち上がってコートを脱いだ。
白いシャツとサスペンダー。灰白色のスラックス姿になったウレキサが軽く指輪を弄り、シャツのボタンを一つ外し、袖を捲り、
「生徒の相手をするのは久しぶりだ。加減が分からんかもしれんが、許してくれるかな」
そう言った直後。
もこりと、彼の体が一回り大きくなったかのような。いや、ような、ではなく、実際に一回り膨らんだ。
一回りではない。明らかに体格が変化している。
鍛えあげられたシュートボクサーのように靭やかで太すぎない、無駄のない筋肉が浮かび上がる。
同時に、肩口と太腿の傷がすっ、と消える。
「BRNZのおにーさんと言い、最近はマッチョが流行りなの?」
槍を握りなおしてヤナギが言う。
そしてその直後、ヤナギの視界からウレキサが消えた。
いや、性格には鋭利かつ神速のロータックルを、ヤナギは目で追えなかった。
流れる水のようなとらえどころのない速さでウレキサはヤナギの左脚を絡めとる。
彼女の脛を左肩で押さえ、手でふくらはぎを押さえ、軽く持ち上げるような動きでヤナギの重心を浮かせて机の上へと放り倒し、その額に軽くデコピンを打つ。
「ふぎゃっ」
情けない声がヤナギの口から溢れる。
「ヤナギくんは軽いからね。相手に接近されて体を取られるとダメだ。意識して立ちまわること」
そう指導をしたウレキサの横からサビが斬りかかった。
「あぁだめだだめだ。こういう室内でなおかつ机みたいな障害物があるところで刀を振り回してはいけないよ。必然的に左右ではなく上下の軌道しか選択できなくなってしまうそんな刀は怖くない。狭いところでは刺突一択だ」
大上段に振り上げられた肘を下から押さえ、振り下ろしを静止させたウレキサはサビに言う。
そして彼は前蹴りを撃ち込んだ。
ただの蹴りではなく、肝臓をシェイクするようなポイントに革靴の先端をめり込ませる。
「ぐ……っ」
サビの背中にじっとりとした苦悶の汗が浮かんだ。
「ご老体でやり過ぎよ学長」
動いたのはオミナエ。鞄から取り出したタクティカルペンを握り、殴りかかる。
ウレキサはそれを軽くさばき、反対の手でオミナエの胸ぐらを掴んだ。続けざまに足を払い飛ばし、オミナエの体を人形のように投げ飛ばす。
しかしオミナエは腰を捻って脚から着地。胸ぐらを掴んでいるウレキサの手を取ってその肘を極めようと腕を絡めた。
「やるねぇ。この中じゃ一番デキるじゃないか」
「何を余裕ぶってらっしゃるの?肘が極まってるのに。そのお年で関節を壊しちゃうと治りにくいわよ」
「はっは、ご心配には及ばないよ」
オミナエは錯覚した。
自分が今確かにガッチリと極めているはずの腕がまるでゲルのように変化する錯覚。
ズルリとロックからウレキサの腕が抜ける。
「並の関節技じゃ私には効かないよ」
ウレキサの腕が不出来な人形のようにぶらりと揺れる。
「関節を外して抜けるなんて、曲芸師じみてるわね」
オミナエは警戒して腰を低く落とし、レスリングのように構える。
ウレキサは外した関節を再び繋げて動きを確かめる。
「オミナエくんは特に指導することもないくらいに仕上がってる。正直言って私も驚いたよ。強いて言えば少し器用貧乏かな?今のままきちんと鍛錬を重ねればいつか器用貧乏ではなく、万能型の優秀なファイターになれるだろう」
そしてウレキサは少し間合いを詰めて、
「君には今はまだ基本的なフィジカルが足りてない。修行したまえ」
オミナエは見えなかった。
何が来てもいいように神経を張り詰めていたはずなのに、気づいたらウレキサの左拳が自分の顎を打ち抜いていた。
視界が歪み平衡感覚が消失する。
ペタリと腰砕けに床にへたり込む。
同時に彼は理解する。
手加減をされたと。それも相当な。
「なんで……本気で打たないの……気絶させる打撃を打てたはずなのに」
ウレキサは言う。
「そりゃぁ、かわいい生徒を殺すような教師はいないよ」
今の一撃で殺すこともできたという宣言。
「武器も、センブランスも、オーラも使わずに瞬殺か。世間は広いのぉ」
「アサギくん、君はやらないのかい」
ウレキサに言われ、アサギは困ったように頬を掻いて、
「無理や。勝てん」
そう言い切った。
「君のセンブランスでも、私には勝てないと思うかい」
「無理やろ。いいとこ3:7やな。センブランスで学長を止められても今の僕じゃ決定打がない。先に僕のオーラが枯渇して終わりや」
「今から、武器を取りにってもいい、そう言ったら?」
ウレキサが挑発する。
アサギは少し黙りこみ、そして
「……それやったら、勝ち目は少なくなってしまうな。3:7が、1:9になってしまう」
そう言った。
「はっは、君は敏いな、ゆくゆく成長した君といつか戦うことになったら、私はすこし怖いと思うよ」
ウレキサの体が、元の老人たるべき痩せた体へと萎む。
シャツを着直し、コートを手にとってウレキサはドアへと歩み寄る。
ドアの鍵を外し、そして彼は振り返って言い残した。
「よくよく、考えて欲しい。君たちはどうすべきかを」
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