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青い海に向日葵を 作者:ささべまこと
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Act. 4

「それで、今のところは異常なし?」
ホテル•シーサイド焼津にイリヤが到着したのは、夕食時をとうにすぎ、普通ならバーに行こうか、という時間だった。
ホテルにつき、ソロの部屋に迎え入れられるなり、ソロにビニール袋に入った小包を渡した。
「何?これ?」
「ん?ああ、夕食。おたくはもう食べちゃった?この時間だと。」
「まぁ、軽くは食べたんだけどね。福沢漁業もあれから異常もないし、ヒマリとの話は調査航海に向けてのやり取りだけだった。ナガミネっていうのは単なる偶然なのかな?」
ソロはすでに食べたといいながらも、渡されたビニール袋から弁当を2つ取り出して、机の上に広げる。なにやら、海の幸が入った弁当らしい。蓋をあけると、刺身が乗っかっている。
お箸を手に取って少し躊躇しているソロにイリヤは鞄の中からフォークを取り出してソロに手渡した。
「ナポレオン、日本に来たら大抵お箸だよ。昨日のディナーもそうじゃなかったの?」
「相変わらず、用意がいいね、イリヤは。いつもマイフォーク持ってるの?それにしても、このお弁当豪華だね。」
「なんでも、駅弁というらしいよ。地方ごとに特産物でつくった弁当が駅に売ってるんだ。だって、昨日のおたくの話きいてたらさ、刺身が食べたくなっちゃって。」
腹が減っては戦はできぬ、とばかりにイリヤは嬉しそうに刺身弁当に手を伸ばした。醤油の封を切って刺身にかける。わさびのふくろはそのまま脇へよける。
「で、やっぱり、その辛いのは、ダメなのね。相変わらずおこちゃまな舌なんだから」
「わさび?仕方ないだろ、おこちゃまなんじゃなくて、繊細なんだよ。」
反撃しながらも、すでにイリヤは刺身を頬張っている。そんなイリヤに一瞥をくべた後、ソロは椅子の背もたれにかけたジャケットの内ポケットから名刺を差し出し、イリヤの目の前に掲げた。名刺の字面を見るなり、イリヤはもの言いたげにソロを見た。その表情だけでソロにはもうイリヤの言いたい答えが伝わってしまった。
「ヒマリなんだ。マキタハルトの妹は。」
「ごめん。僕のミスだった。その字だよ、マキタハルトの妹は。それに、その研究所、今日僕が言って来た千葉県にある研究所だよ。彼女の家から歩いて10分ぐらいのところにある。周辺の聞き取り調査だと彼女がどういう職業なのかは、はっきりとわからなかった。ほとんど近所付き合いをしてないんだ。今年の四月に引っ越して来て、家を長くあけてる事も多いらしい。同じアパートの人は数ヶ月に一度ぐらいしか、会わないし電気がついてるのも見ないっていってた。」
「ヒマリはしょっちゅう調査航海に出ているみたいだからね。今年の4月からその研究所で研究員をやってる。」
イリヤの情報にぴたりと合うかのような情報をさらりと出してくるソロにイリヤは疑問の視線を投げた。
「昼におたくと連絡をとったあと、その研究所に電話してみたんだよ。環境ジャーナリストとしてね。」
なるほど、とイリヤは頷いた。
「で、今回の調査、本当にある調査なんだよね?」
「もちろん。それは確認したよ。確かに2週間後、マグロ漁業にまつわる調査航海が実施される。でも、行き先はマーシャルの方じゃない。」
ソロが答えたまさにその時、机の上に置かれている盗聴器の受信機についたスピーカーから複数の足音が聞こえた。二人は目を見合わせ、瞬時に意識を受信機に向けた。どうやら、福沢漁業のオフィスに二人の人間が入って来たようだ。
『奥さん、それでインターポールの人はどんな人?』
少したどたどしい日本語が聞こえる。
『ナポレオン•ソロという人だったわ。でも、主人は警察に話したことと同じことを話しただけよ。あなたも知ってる、みんな知ってることだけ。』
答えるのは綾乃の声だ。その声には若干の恐怖と嫌悪感が感じられる。この会話を歓迎していないことがありありと伝わって来た。
『そのソロとかいうやつは、なんて言った?それを聞いて。』
『特に何も言ってなかった。質問のやりとりも、こないだの警察と同じことばっかりよ。別に食い下がったりもしなかったわ。』
『嘘を言うとためにならないよ?このボタンを押すと、君が辛いばっかりだ』
会話に一瞬の静寂が訪れる。次の瞬間、綾乃がはじけたように叫んだ。
『わかってるわよ!いつまでこんな事が続くの?あのソロさんが帰ってくれれば、解毒剤は渡してくれるんでしょうね?』
解毒剤、という言葉にソロとイリヤは視線を交わした。綾乃の悲痛で激高した声が続く。
『お昼頃から、体の調子がおかしくて怖くて仕方ないの。そのボタンを押されなくても、怖くてたまらないのよ。まさか、私は約束を守ってるのに、あなたは知らないところで押してるんじゃないでしょうね?』
ソロが昼に出会った綾乃からは想像できないほどにその声は険を帯びた。追いつめられたものが牙をみせる、まさに窮鼠猫を噛むといった雰囲気がその声からは感じられた。綾乃を脅す声も、その迫力に一瞬たじろいだようだった。
『そんなことするもんか。風邪でもひいたんじゃないのか。そうじゃなきゃ、脅しの意味がないじゃないか。それに、解毒剤はやる。でも、ソロが帰国したらじゃない。2週間後から始まる調査航海が終わってからだ。』
『どうしてよ!調査航海は関係ないじゃない』
『あれには各国から色んなやつらが来る。それに誰か得体の知れないやつが紛れ込んでくるかもしれないだろ。それが終わったら解放してやる。それまでは、腐乱死体の事を聞いてくるやつがいたら報告しろ!』
荒々しい足音と、バタン!としまる扉の音。後には綾乃がすすり泣く声が聞こえて来た。やがて、重い足音が聞こえてきたが、それも盗聴器の範囲外へと消え、微かなノイズだけが残った。
ソロは険しい顔をしている。二人の間の沈黙を破ったのはイリヤだった。
「ナポレオンの勘があたったね。でも、アヤノは病気じゃなくて、何か接種されたみたいだ…。」
そういって、思案に入ったのか、口をつむぐ。しばらくしてソロが答えた。綾乃の悲痛な叫び声が耳に残ってるのか、口調に険しさは残ったままだった。
「そうだね…。ボタンがどうこうと言ってたけど…ボタンを押すと恐怖を感じるってなんだろう…。それに体調が悪いって言ってたね。今日の午前中にあった時にはそんな風には見えなかった。」
ソロの答えに、イリヤが何かに気がついたようにはっと顔を上げた。
「ナポレオン、腐乱死体から出て来たナノロボットにはメーザーがついてた。」
「それで?」
「ナポレオンがアヤノに打った発信器もメーザーが入ってる。何か体の中で問題を起こしてないかな。」
ソロの表情が更に堅くなった。
「まさか…。いや、そうかもしれない。朝見た時には元気だったよ。風邪には見えなかった。そうだね、腐乱死体と同じものを打たれてる可能性は高い。」
「そうなると、さっきの男は誰だろうね?日本語にすごく訛りがあった…。外国人だよね。」
「あの声はアジア系だよ。欧米じゃない。」
「わかるの?」
「声が違うよ。喉の使い方と、多分体格の違い。それに、あの会社にはアジア系外国人が何人かいる。今日も実際、港の方にいたよ。」
「漁船の乗組員?」
「ああ。」
ゆっくりとした口調で答えるソロをみて、イリヤは相棒の優しすぎる性格を思った。こういう時のソロの頭の中はめまぐるしく回転している。どうすれば綾乃を助けられるか、ただ助けるだけでなく、いかに敵に悟らせないか、ありとあらゆる可能性を考えているはずだ。
「イリヤ、あのメーザー発信器、どういうものか知ってる?不調を来すとなると、どういうことが起きてるのかな?」
「そうだねぇ…。あれ単体では変な作用はないはずだよ。そのあたり、開発部のやつら何度も試験をやってる。結果もスペックシートの後ろについてたよ。だから考えられるのは、先に敵さんたちがアヤノに打ったナノロボットとの干渉。ボタンがどうこう言ってただろ?だとすると、ナノロボットの方に組み込まれているメーザーと波長領域が近いんじゃないかなぁ。それで…」
「ナノロボットが作動してしまってる、ってことか。普段はボタンを押すとナノロボット内のメーザーが動いてナノロボットが動き出すけど、それが僕の注入した発信器の中のメーザーからのマイクロ波をうけて、常にON状態ってことか。」
「僕は、そう思ったんだけど。」
二人の間に沈黙が流れた。盗聴器を通して伝えられた男と綾乃のやり取りを、そして午前中にあった時の綾乃の様子を、ソロは頭の中でもう一度再現する。確かに今の仮説はあり得そうな話だった。
ソロが綾乃と福沢に打ったメーザー発信器には解毒剤はない。新陳代謝で自然に排出されるまでおよそ一週間。もし仮説が正しければ、その間中ずっと、綾乃の中のナノロボットはメーザーからのマイクロ波を受けて何らかの動作をしているはずだ。ナノロボットが何をするかは今のところわからない。ただ、実験台にされて最後は腐乱死体となって発見された4つの死体がソロの脳裏に浮かんだ。
同じことを考えたのだろうか、イリヤが黙りこくるソロに言った。その声、いつもに増して沈着冷静。それでいて、わずかにソロを気遣う響きが含まれていた。ソロにすら気づかれない程度にではあったけれど。
「ナノロボットは神経細胞をターゲットにしてる。前に言ったように、殺すだけならこんな厄介なことはしないよ。ナノロボットの動作が4つの腐乱死体の直接の死因とは思えない。」
イリヤの声に自然とソロが落ち着きを取り戻し、そのとたんハッとしてイリヤをみた。
「アヤノの血中には、まだ神経細胞に達してないナノロボットがいるんじゃないか…?」
そう、腐乱死体で確認されたナノロボットは長く海を漂ったせいか、肝心の設計図は失われていたのだ。綾乃がいつナノロボットを注射されたのかは定かではない。体調が悪いことから考えても一部は脳へと達しその目的を果たしているはずだ。しかし、綾乃の血管に注入された全てのナノロボットが脳へとたどり着いたとは思えない。たどり着いたのはむしろ少数のはずなのだ。
ソロの言葉を聞いたイリヤがにっこりと笑って首を傾げ、UNCLEの女性陣を魅了してやまない、さらりとした金髪がほんの少し流れた。
「で?どうする?カードはいっぱいあるよ?ヒマリにアヤノに、アジア系の男…。僕はどこを担当すればいいのかな?」
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