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青い海に向日葵を 作者:ささべまこと
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Act. 3

朝10時。よく寝たな、と独り言ちながらソロは宿泊しているホテルを出て、福沢漁業へと向かった。ホテルは少し小高い山側にたっているけれど、福沢漁業は海側、港のすぐ横にある。焼津の町を行き交う人を見ながら、ソロは長い下り坂を降りて行った。
 福沢漁業はこじんまりとした会社であったが、遠洋漁業船を持ち、若い乗組員たちをそこそこ抱えている会社であった。社長の福沢はつなぎに長靴、そのままでも船に乗り込めるうような格好だ。どうやら今も、ついさっきまで、船内で用を済ませていたらしい。約束の10時半ぴったりにやってきたソロに若干慌てふためきながら、ソロを迎え入れた。
「Welcome to our office. Nice to meet you. Please take a seat.」
福沢はそういって、ソロを事務所の奥にあるソファーへと促した。経理なのかなんなのか、事務机に座っていた女性がソロに気がつくと、軽く会釈をしてすぐに奥の部屋へと引っ込む。しばらくして、奥からコーヒーの香りが漂って来た。
「Thank you for your coming here. It must be take a long time to come ….」
福沢の船員には若い外国人船員も多くいる。そのためか、福沢も少しは英語がしゃべれるようであるが、あくまでも船の中での作業に支障をきたさない程度なので、若干たどたどしいし、表現もたくさん知っているわけではなさそうだ。ソロにしても日本語が得意なわけでは決してないが、まだ自分が日本語を話すほうがスムーズに会話が行くかもしれない、と考えた。
「そうですね、東京からも少しありますが、のどかでいい町ですね。」
得意ではない、と良いながらも昨日のディナーで散々ヒマリと話したせいか、いつもよりソロの口からはすらすらと日本語が出た。それをきいて、若干目を見張ったのが福沢だった。
「日本語がお上手ですね。これなら、こちらが下手な英語を使わなくてもよさそうだ。」
福沢が笑いながら言った。先ほどソロを迎え入れた時の様子といい、この二言三言のやりとりといい、ソロは福沢の人の良さを感じ取った。
「いえ、福沢さんの英語は十分ですよ。ただ、僕の方はたまには日本語を使わないと忘れてなまってしまうので、是非ご協力ください。」
と、ソロはいつもの人懐っこい笑みで答える。つられて笑う福沢が、
「いえいえ、こちらとしては大助かりですよ。」
といった。そこへ、先ほど奥の部屋へと戻った女性がお盆にコーヒを2つのせて、福沢とソロのもとへとやって来た。
「ソロさん、ようこそ焼津へ。」
歳のほどは40代半ばというところ。派手ではないし、着飾ってもいないけれど、笑顔の優しい美人であった。
「コーヒーでよろしかったですか?」
そう問いながら、ソロの前に1つ、続いて福沢の前に1つコーヒーを置いた。
「ソロさん、こちら、私の妻で綾乃です。ここで事務やら経理やら、まぁ一手に引き受けてくれているんですよ。零細企業なんでね。」
やはり小さな会社らしく家族経営であるらしい。福沢が綾乃を紹介すると、ソロは綾乃に右手をだした。
「どうも。僕はソロ。ナポレオン•ソロです。」
「こんにちは、ソロさん。…かわったお名前ですね?」
出された右手を握り返しながら、綾乃が問う。
「よく言われます。」
美人とみれば、いつも以上に魅力的な笑みを返しながらソロは答えた。にこやかに笑うソロの目に、誰にも気づかれないほどの短い一瞬に、ふと疑問の色が浮かんで消えた。
綾乃は挨拶を終えるおとお盆を持って奥の部屋に戻り、そのうち自分のデスクで仕事を再開した。そんな綾乃へソロがちらりと一瞥をなげかけつつ、
「では、福沢さん、お話を聞かせてもらえますか」
と切り出した。ソロの一瞥を見逃さなかった福沢が取り繕うように言った。
「ああ、綾乃は僕の妻ですし、なにより、今回の話はうちの会社のものほぼ全員が知ってますよ。なんせ、死体なんて引き上げたら、話題になりますよ。時折あることとはいえ、引き上げたときにはびっくりします。しかも、今回は立て続けに4件もでしたから。まぁ、完全に腐乱していたので、近海の船乗りがたまに引き上げる土左衛門のたぐいよりは見れたもんですけどね。」
「ど…ドザエモン…?」
「あ、ああ、失礼しました。水死体のことです。まだ腐ってなくて、水でふやけたような。近海で漁をしてる船は時折引き上げているんですよ。」
福沢が少し眉間にしわを寄せながら答えた。
「ああ、なるほど。ところで、福沢さんは私の身分はどのように聞いてますか?」
福沢には、ソロの身分はインターポールと伝えられている。これはアンクルの日本支部があらかじめ福沢にコンタクトをとりお膳立てをしておいた結果ではある。ソロとしては、もちろんそれで構わなかったのだが、昨日、ヒマリと出会ってしまった。彼女は今日の午後、福沢漁業にくるはずだ。特に話題になることもないはずだが、福沢の人の良さそうな雰囲気を見ていると、一言釘を刺しておく方が安全ではないか、と感じた。インターポールと外国人ジャーナリスト。職業だけで同一人物とは思わないはずだが、ナポレオン•ソロという名前は日に何度も聞くにはあまりにも特殊すぎる。
「…警察の方から、インターポールの人だと伺っていますが…。違うんですか?」
「いえ、単なる確認です。今日、確か午後にヒマリという海洋学者の女性が来ませんか?」
ソロの身分の話から、いきなり午後にくるという海洋学者の話にかわり、福沢は一瞬、ぽかんとする。
「…あ、ああ、ヒマリさんというかは知らないのですが、今度行なう調査航海のために長峰さんという女性の海洋学者が今日からうちにいらっしゃいますね。お知り合いなんですか?」
「昨日、駅前の足…湯で出会いましてね。僕はこの町は初めてだし、どういうお店が美味しいのかわからなかったので、旅行者同士、晩ご飯を一緒に食べに行きましてね。その時に、彼女も今日ここに来る、と言っていたので。」
ソロが若干、後ろめたげに言う。
平たく言えば、軟派したということを次の瞬間に悟った福沢は、おもしろがるような困ったような表情をしながら、ソロを一瞬じっと眺めたあと、苦笑しながら訳知り顔でいった。
「なるほど。」
遠洋漁業の船乗りともなれば、世界各国の海を回っている最中、上陸休暇で若い船員たちがどうしているかは知っている。とはいえ、目の前にいる男はスーツをビシっと着こなして自分たちとは違う世界の住人だと思っていのだ。おそらく女性の誘い方は船員と同じということはないだろうが、やり方が違えどうちの若いものと似たようなものか、と福沢は少しソロに親近感を覚えた。
「それで、そのとき長峰さんにはなんと言ったんですか?ご自分のことを。」
仕方ないな、口裏を合わせてあげますよ、という顔で問う福沢に、ソロは、
「いえ、こちらにくる事は言ったんですよ。まぁ、彼女の話題にあわせようと環境ジャーナリストだと言いましてね。おかげで、昨日は日本のマグロ漁業について、かなりのことを語って聞かせてもたったのですが…。」
ソロは浮気がばれて奥さんに言い訳するかのように、たどたどしく答えた。
「わかりました。ソロさんの話は長峰さんにはしないようにしますし、したとしても、環境ジャーナリストで通しておきますよ。」
そう福沢が言った時に、机で聞き耳を立てていたのか、綾乃が笑いをかみ殺しながら声をかけてきた。
「ソロさんのような色男でしたら、嘘がばれても、君の気をひきたかったんだ、で済むんじゃないんですか?」
「ああ、綾乃の言う通りですよ、ソロさん。」
「いえいえ、とんでもない、嘘つき!ってすぐ振られちゃいますよ。」
ソロはいつもの事なんです、と言わんばかりに肩をすくめた。
福沢夫婦はもはや押し殺す事もなく、クスクスと笑いながら、
「ええ、ええ、わかりました。大丈夫です。」
とソロに言った。
ソロは参ったというようにソファに深く身を沈める。その時に素早くソファの座席部分と背もたれの間に、昨日ヒマリにもらった名刺を思い浮かべながら、シャツの袖口に予備ボタンのように隠していた、小さな盗聴器を押し込んだ。ヒマリの名刺は漢字で書かれていたとはいえ、昨日イリヤの話を聞いた時に「ナガミネ」という名前にピンとこなかった自分に心の中で舌打ちをした。ただ、妹の名前は「ナガミネ…ハルキ」。ヒマリとは違うが、そう簡単に何人もナガミネさんが周りをうろついててよいものか。
1つ大げさに息をついたあと、ソロは上半身を起こして、いかにも話を聞いています、という前傾姿勢を取り直した。
「では、福沢さん、詳しいことをお聞かせ願えますか。」

ソロが福沢産業を後にしたのはちょうどお昼過ぎであった。ヒマリのほうは漁協との話し合いの後、昼ご飯を食べてからくるつもりだったようで、福沢が言うには午後1時にアポイントメントを取っていたらしい。今回の訪問で、ソロには気になることが2つできてしまった。一度は白だと思ったヒマリの存在。そして、妙に固い血管の浮き出た綾乃の手。握手して気がついたが、その手は綾乃から受ける美しい印象とはアンバランスなほどに血管が浮き出し、その上、筋張っていることがわかってしまった。疑うほどのことはないかもしれない。でも、何か病気を抱えているということはあり得る。そして、そういうものは、ツグミ達の大好物であるかもしれないのだ。用心するに超したことは無いはずだ。
福沢産業を出るとき、ソロは福沢にも、綾乃にも握手を求めた。ご協力ありがとうございました、の言葉を添えて両手で相手の手を包んだ。
手の中には、針のない圧入式の超小型注射器。二人の血管に2つの薬剤を注入する。1つはメーザーの一種で特定の長い波長を出す分子。そして、もう1つは周囲の酸素量が低下すると、分子の形状が変化する特殊な薬剤だ。形状が変化する瞬間、シグナルを出す。どちらも、アンクル開発部の新作だった。
なんだか、嫌な予感がした。

*********************

「オープンチャンネルD。こちらイリヤ。ソロさん首尾はどう?」
ソロが一度ホテルに戻ったとき、ちょうど胸にさした小型通信機が鳴った。イリヤが日本についたらしい。
「やあ、イリヤ。そっちこそ、飛行機の中はどうだった?機内食食べ過ぎてない?」
軽口をたたきながら、ソロはホテルの机の上に、この旅行に持って来たスーツケースから、何やら小さな装置を出して組み立てている。さっき福沢漁業の二人に圧入したメーザーの信号を受け取る特殊な装置だ。ホテルと福沢漁業の距離はおよそ2kmほど。この距離ではメーザーの出す微弱な電磁波は届かないが、帰り道がてら計10カ所ほど電信柱に小さな小型中継地を引っ掛けて帰って来た。
「機内食?うーん、まぁまぁだったかな。きっと昨日ナポレオンが食べたディナーの方が美味しいと思うよ。」
「そっか。それは残念ね。えっと、引き上げられた4つの死体なんだけど、引き上げポイントは課長からもらった情報にさほど付け加えることはなさそうだよ。思ったんだけど、海流の流れに沿っているように思うんだ。マーシャル諸島内のどこかの島に何かあるんじゃないかな。」
ソロの答えにつかの間イリヤが沈黙する。
「…まさか、ナポレオンがわざわざ出向いたってのに、収穫はそれだけ?そんなわけないよね?」
「…もちろん。僕を誰だと思ってるの?気になる事があるんだ。福沢漁業、社長はすごく人もいいし、奥さんは美人なんだけどさ。スラッシュが手を伸ばしてるんじゃないのかな、と思うんだ。」
「どうして?」
「奥さんの手がね、なんか、握った時に変だったんだよ。血管がとても筋張ってるというか…。」
「そんな人いくらでもいるんじゃないのかな?それとも…何か薬を使ってる?血管が筋張ってるっていったよね。ただやせているだけではなくて…?」
「うん。あれは痩せているというだけじゃない。僕がこれまでにどれぐらいの女性の手を握って来たと思うの?手の感触と外見のギャップがとても大きくて。だけど手が荒れているという感じでもない。仕事は基本的に事務仕事みたいだし。」
「…血管が筋張って固いのなら、血管の細胞の状態が良くないのかもしれないね。他よりも血管がやられやすいとすれば、それは毒のようなものが血管を良く流れているから、ということも1つ考えられる。例えば、抗がん剤とかね。」
「…がん、か。」
「そこにスラッシュがつけ込んだ、とか考えてるの?ナポレオン?」
「そこまでは…わからない。ただ、もう1つ気になる事があって。実は僕、ナガミネという女性に会ってたんだよ。」
昨日すぐにピンとこなかった事にちょっと後ろめたさを感じつつ、打ち明け話をするかのようにソロは言った。
「え?福沢産業に来てたの?」
「いや、その、昨日一緒にディナーを食べたヒマリなんだ。名刺もらってたんだけど、漢字だったのもあってさ」
少し間をおいて、イリヤがため息をつく音がきこえた。
「…まったく、女性には甘いよね。彼女、そんなにいい人だったの?警戒心をなくさせるぐらい?おたくらしくないじゃない」
「うん、まぁ…純情というか素朴というかね。ただ、ハルキじゃない。ヒマリなんだ。でも、名字が同じ人が何人も出てくるなんてさ。」
ソロの言葉に、イリヤが沈黙した。
「…イリヤ?どうしたの?」
「…それは僕の落ち度かもしれない。あの後、ナガミネハルキでデータベースに検索をかけてみたんだけど、どうもハルキは女性の名前じゃなさそうなんだ。」
「え???それはどういうこと?妹じゃなくて弟なの?」
「いや、そういう事じゃない。漢字の読み方を間違えたのかもしれない。特に人名漢字は難しいんだよ…。どんな漢字なの?」
「えっと…この漢字は何だろう…?直接名刺を見てもらった方がいいな…。イリヤ、今どこにいるの?」
「さっき、成田についたところだよ。ナポレオンは今日はどんな予定?東京まで出られる?」
「…そうね、行けるよ、と言いたいんだけど実は福沢産業に盗聴器をしかけてきた。あと、二人には今回出る時に開発部に持たされた発信器を注射して来たんだ。」
ソロがいうと、イリヤが通信機の向こうで頷いた。
「ああ、メーザーのやつね。そっか。それなら、そっちにいないとシグナルが届かないよね。僕はナガミネの住所の千葉をまず訪ねるつもりだったんだけど…そっちを確認したら、夜には焼津に出向くよ。なるべく早く行くからさ。」
「ごめんね、イリヤ。ホテルは駅から少し山手側にむかった、ホテル•シーサイド焼津。レストランのオーシャンビューが奇麗なホテルだよ。」
…やけにメーザーが出てくるな、と今回初めて知った科学用語を頭の中で反芻しながら、ソロは通信を切った。
机の上には、通信中にも着々と組み立てていたアンテナが2つ組み上がっている。1つは盗聴器用、もう1つはメーザー発信器用であった。時計を見れば、ちょうどヒマリが福沢漁業を訪ねるという午後1時になっていたため、ソロはあわてて受信機のスイッチを入れた。受信機から、微かなノイズと部屋の中で人が動く気配が流れて来た。同時にソロは福沢と綾乃に仕掛けた発信器の受信機もオンにする。二人はさっきソロと話をしたオフィスにいるようだった。時折紙をめくるような音がするのは、綾乃が経理簿をめくる音かもしれない。
ノックの音、続いて響く、ヒマリの声。ソファのきしむ音に足音がして、ソロは福沢がヒマリを招き入れ、先ほどソロが座っていたソファーへと案内した事がわかった。


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