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愚人くん

 投稿者:法華講  投稿日:2016年 5月29日(日)22時47分41秒
  まさか『行敏訴状御会通』を言いたい訳じゃないだろね(爆笑)  
 

すぐに投稿が消されてしまう氏

 投稿者:愚人  投稿日:2016年 5月29日(日)22時41分29秒
編集済
   日蓮が法然聖人・良観聖人と書いているのを知らないのか?。

 また、聖人=御本仏様でないことは、『知三世事』を読めば解るだろう?。
 

学会授与の御本尊

 投稿者:ジャパネットタケタ  投稿日:2016年 5月29日(日)22時36分30秒
  ■日寛上人の御本尊を「単立宗教法人である淨圓寺」が創価学会に授与することを申し出た際の文書など
http://megalodon.jp/2015-0204-1547-41/www.houonsha.co.jp/jiyu/19/697.html

これらは一応文証も示していますが、手続き的な話、つまり化儀です。したがって、化儀抄に示された日有上人の允可の延長として理解すれば、誰でも分かることです。
まず、物理的な作業としての形木を掘る(現在では写真製版にする)のも、表装前の「本紙」を印刷するのも、その表装前の本尊を販売するのも、大石寺派の昭和53年以前の実績では、出家ではなく在家でした。昭和54年に大石寺の内事部に形木本尊を管理する第三課という部署が初めて出来て、手続きが一本化されたのです。このような歴史的事実は、宗門の古僧に聞けば大石寺で在勤していた期間が長い僧侶であれば大概が知っていますし、昔の宗門の資料を探せば当然そうした記録もあります。
次に、日有上人が末寺に「形木本尊授与の権利」の允可を与えた以上、その委嘱を受けて、末法下種の僧宝である在家集団(僧迦=本来の意味の僧)に授与の権利を委任するのは、末寺の権限であることは法理論の観点からも明らかです。
それを、「書写本尊の権限」にすり替えて、権限を逸脱しようとしても、論理的に破たんしているだけでなく、すでに行体が僧侶の風上にも置けないようなただのハゲが何を言っても、「日蓮正宗の正依に基づいて反論してみなさい」と言われて終わり、なのです。
おまけに当たり前の法理論で言えば、日蓮正宗と創価学会は別法人なのですから、日蓮大聖人の教えに基づいた実践をすることを定めた学会が、日寛上人の形木本尊を発行することに、よそ者が何を言っているか、というのが古来よりの化儀に基づき、また国法に基づいた当然の結論です。
その上で、日蓮大聖人の仏法における「観心の本尊」の意味を全く取り違えている(坊主が歪曲している、といった方が正しいでしょう)宗門の邪義を、日蓮正宗の正依に基づいて破折すれば、大石寺派の愚かな誤見解が間違いであることに気がつくことでしょう。

同じ手続き論でも、きちんと教義や証拠に基づいてご説明すると、以下のとおりです。
学会はすでに日蓮正宗から破門してもらって、独立した宗教法人として会則を改正し、「日蓮正宗の教義に基づき」という規則を訂正して、「日蓮大聖人の御書を根本として」としたのですから、奪って言えば大聖人の教えに基づいて日蓮正宗を破折するのです。
また、与えて言えば、かつて日蓮正宗の教義を学んでいた学会であるが故に、日蓮正宗の宗規に定める「正依」を根本とした時に現在の大石寺派がどれだけ日蓮正宗の教義に背いているかを教えてあげているのです。

日蓮正宗の正依とは、

○法華経28品並びに開結、
○宗祖遺文、
○日興上人・日有上人・日寛上人遺文

と定められています。


これらの中で、末寺等における御本尊の化儀について具体的に述べているのは9世日有上人の化儀抄であり、59世堀日亨上人が更に詳細に化儀抄について解説を加えた「有師化儀抄註解」を(あくまでも正依に基づく範囲で)参考にしながら、学会による日寛上人の御本尊の下付の正しさについてご説明しましょう。

まず化儀抄では、日有師が末寺での守り本尊の書写を允可し、曼荼羅書写をも条件付きで允可しています。

「第二十五条 末寺に於て弟子檀那を持つ人は守をば書くべし、但し判形は有るべからず、本寺住持の所作に限るべし云云。
第二十六条 曼荼羅は末寺に於て弟子檀那を持つ人は之を書くべし、判形は為すべからず云云、但し本寺住持は即身成仏の信心一定の道俗には・判形を為さるる事も之有り・希なる義なり云云。」(富要1-111 化儀抄)


(通解:第二十五条 末寺において弟子檀那を持つ人はお守り本尊を書いて良い。ただし判形(花押)は書いてはならない。大石寺の住職の書くものに限らねばならない。
第二十六条 曼荼羅は末寺において弟子檀那を持つ人は書いて良い。判形はしてはならない。ただし、大石寺の住職は即身成仏の信心一定の僧侶や在家には、判形をなされることもある。これは稀なことである。)

この内容は、末寺でのお守り本尊や常住本尊の書写を日有上人が化儀抄で允可された箇所です。判形さえ書かなければ、末寺での本尊書写(紙に墨で書き写すこと)さえも認められているのです。
これについては、堀上人が解説を加えています。

「此の二個条は共に曼荼羅書写の事に属す、曼荼羅書写の大権は唯授一人金口相承の法主に在り」「曼荼羅書写本尊授与の事は・宗門第一尊厳の化儀なり」(富要1-112)

ここで言っているのは、法主による本尊書写と、その書写本尊の授与のことです。当然形木本尊(印刷の本尊)等の仮本尊のことは含まれません。よく日顕宗が「宗門第一尊厳の化儀」と偉そうに言いますが、あくまで書写本尊(常住本尊)の化儀のことであり、仮本尊である形木本尊は末寺での下付は允可済みなのです。
そして、書写本尊の化儀は、単に法主以外が書写したというだけでなく、大石寺派においても色々と変化し、謗法にまみれていたのです。

「故に宗祖は濫に曼荼羅を授与し給はず・開山は曼荼羅転授に就いても之を鄭重になし給ひ、尊師は宗門未有の弘通者なれども自ら曼荼羅を書写せず、然るに余門流の僧侶不相伝の儘猥りに曼荼羅を書き散して、僭越の逆罪とも思はざるのみならず・雑乱滅裂全き型式をだに得たるものなし、無法無慙の甚しきもの八大地獄は彼等の為に門を開けり・慎まざるべけんや」(富要1-112)

大聖人、日興上人が御本尊授与の化儀を丁寧になされていたことは十分に理解できますが、ここで紹介されている日尊については、京都の上行院建立(1339年)の2年後(板本尊を1344年に弟子の日印に授与する3年前)に、この上行院に釈迦像や十大弟子の像を建立・安置している(日蓮正宗富士年表P.84)のですから、曼荼羅を書写しなかったのは決して曼荼羅に対する正しい信仰があったなどと言うことは出来ません。日亨上人はここでは他山の本尊雑乱(主題を「南無妙法蓮華経 日×」と書く筆法)に対して厳しく批判されておられるだけなのです。日尊は既に謗法に堕していたのですから、本尊書写をしなかったことに何の意味もないのです。まして板本尊はしっかり建立しているのです。この時に法主の允可を受けたはずもありません。すでに釈迦像建立をするような謗法に陥っていたのですから。
しかし、学会のように形木本尊を安置することについては、堀上人はその次下に示すように全く問題なく認められているのです。

「然るに本尊の事は斯の如く一定して・授与する人は金口相承の法主に限り 授与せらるる人は信行不退の決定者に限るとせば・仮令不退の行者たりとも・本山を距ること遠きにある人は・交通不便戦乱絶えず山河梗塞の戦国時代には・何を以つて大曼陀羅を拝するの栄を得んや、故に形木の曼荼羅あり仮に之を安す、本山も亦影師の時之を用ひられしと聞く、此に於いて有師仮に守護及び常住の本尊をも・末寺の住持に之を書写して檀那弟子に授与する事を可なりとし給ふ・即本文の如し、但し有師已前已に此の事ありしやも知るべからず、然りといへども此は仮本尊にして形木同然の意なるべし」(富要1-113)

ここで「然るに…とせば」以降は、それまでの書写本尊の化儀による制約を否定されている箇所です。法主一人が書写し、信行不退の者だけに下付する、などと硬直的な運用をしていては、時代の変遷の中で大聖人の民衆救済という目的が達成できなくなる。こうした理由に基づいた結論として、「故に(だから)」形木の曼荼羅を仮に安置するという化儀を古来より認めているのだ、と解説しているのです。そして、日有師は更に末寺での守りや常住本尊さえも、「形木と同様に」仮本尊とみなして允可を与えている、というのです。
この「常住の本尊を『も』」という言葉の意味は、連結の副助詞「も」によって、「形木本尊と同じように」という意味を表しているのです。すでに日有上人、日亨上人が形木本尊の下付について、末寺で自由に行うことを允可されている以上、学会が唯一の和合僧団として、改革同盟の真実の僧侶達の申し出に基づいて日寛上人の形木御本尊を下付することは、大聖人の大慈悲の意志にも叶う「法華経の行者」としての最適な選択だったのです。
しかも、その御本尊を提供した浄圓寺は、宗教法人として独立した存在なのですから、大石寺派からとやかく言われる筋合いなど全く無いのです。

天魔の軍勢は、この新たな歴史の建設を必死になって妨害しようと、ありとあらゆる誹謗中傷を繰り返している訳ですが、事実として法華経の行者の決意を固めた同志たちに次々に功徳が涌き出ていることからも「利生の有無を以て隠没・流布を知るべきなり」(文段)で、学会の正義は既に証明されているのです。

「故に守に於いては『判形有るべからず』と制し・曼荼羅に於ては『判形為すべからず』と誡め給ふ、此の判形こそ真仮の分るる所にして猶俗法の如し、宗祖の御書中所々に判形云云の事あり・思ふべし」(富要1-113)

ここで判形についての意義を論じておられる訳ですが、世間の法での真仮を分けるものとして、例えば印鑑証明やサインのようなものが、歴代の書く花押であろうと言われています。確かに、後世に御本尊の偽作がたくさん存在していますが、さすがに花押まで似せることは不可能ですから、欧米でのサインのような意義を持たせているのは、大聖人の仏法の合理性と言えます。

「有師斯の如く時の宜しきに従ひて寛容の度を示し給ふといへど、しかも爾後数百年宗門の真俗能く祖意を守りて苟も授与せず書写せず・以て寛仁の化儀に馴るること無かりしは、実に宗門の幸福なりしなり、然りといへども宗運漸次に開けて・異族に海外に妙法の唱へ盛なるに至らば・曼荼羅授与の事豈法主一人の手に成ることを得んや、或いは本条の如き事実を再現するに至らんか・或は形木を以て之を補はんか・已に故人となれる学頭日照師が朝鮮に布教するや、紫宸殿の御本尊を有師の模写せるものによりて写真石版に縮写し・新入の信徒に授与せり、其病んで小梅の故庵に臥せし時、偶予に此縮写の本尊に判形を加ふべきや否やの談を為されたる事あり、予は直に此文を思ひ浮べて云為したり・忘られぬ儘此に付記す」(富要1-113)

堀上人は、世界広布の時には曼荼羅授与は法主一人の手では出来なくなることを宣言され、この化儀抄の允可のような、末寺での常住本尊書写や、形木本尊で補うことを想定されています。
そして、その具体的事例として、日有師による紫宸殿本尊の模写本尊を、学頭日照が写真製版で縮小し、名刺大にして韓国で授与した事実を論じたときに、この縮写本尊に判形を書くべきか議論した旨を書き残されているのです。このように、御本尊の化儀はいろいろと変遷があったのです。
続けて堀上人は、未来の世界広布の時の判形のあり方について、4種類の具体的な可能性を検討されていますが、それ以前にすでに、判形など書かない形木本尊の下付は承認されておられるのです。

「併し乍ら此の判形といへるに種々あるべし、一には形木又は縮写のものに法主の判形を為されたるもの、二には平僧の書写せしものに法主の判形を加へられたるもの・三には後代の法主が宗祖開山等の曼荼羅を其儘模写し給ひて更に模写の判形を為されたるものを形木又は写真版等となしたるもの・四には先師先聖の模写版又は形木に平僧が自らの判形を加へ又は平僧自ら書写して判形(自己)まで加へたるもの等に分つを得べきか・此中に一と三とは事なかるべし、二は未だ広く実例を見ず、第四は大なる違法にして・是こそ正に本条の制誡なり」(富要1-113)

要するに、ありとあらゆる化儀の可能性があって、「宗門第一尊厳の化儀」である法主による書写本尊以外にも、正式な本尊として判形をどう書くのかの違いで、一から三は認められるものだと言うのです。第四の末寺で判形を書くことのみが禁止された化儀なのです。そして、形木本尊は正式な本尊ではないので、そもそもこれらにさえも該当しない自由な化儀に分類されているのです。大石寺派がいくら勿体ぶってみても、全ては堀上人が明らかにされてしまっているのです。
学会の日寛上人の形木本尊に誰かが判形を書いていたら文句を言われることがあるかも知れませんが、日寛上人の御本尊を写真製版で形木にしただけの、古来より大石寺末寺で行ってきた化儀なのですから、誰にも何も言われる筋合いなど全く無いのです。

あくまでも参考ですが、昭和55年12月に、四国有志僧侶たち16名が「祖道の恢復と真の正信の確立の為に」という本を作成しています。その中で、過去の宗門の歴史として、

「宗門中古より大聖人、日興上人、日寛上人の御本尊の模刻、模写のものも多く、時の法主尚それをかつ認めて御開眼の供養をされているもの多し。まして学会伸展の初期の頃地方末寺にて御未来本尊の摺形木を出していた所もあり、御棟札も書いていた。
化儀抄の『末寺に於いて弟子檀那を持つ人は守りをば書くべし、但し判形は有るべからず、本寺住持の所作に限るべし云々』の許容のまま御守り、御形木御本尊を図せし証拠、東北四国等にも残っておる。
むしろ御本尊授与の御法主の大権が確立され宗門の綱紀統制されしは、創価学会の全国的な折伏による宗門側の対応の成果にあらずや。」


と、極めて正直な事実を記録しているではないか。
ちなみに、学会による本尊模刻について、宗門は大ウソをついているようだが、この文書では非常に正確に真実を述べているので紹介しておきます。

「御本尊模刻の件については、総監、教学部長、早瀬理事等の証言によれば、会長登山御目通りの刻、御本尊模刻を願い出た所、法主上人自ら黙認されたことを承知しているのである。従って、今こちらでこの件をついてゆけば、それでは事実はこうと聖教で公表するだろう。秋谷副会長はその意向であると言っている。かかる事体になれば法主上人の御徳にきずがつくことは免れない。故にこの件に関しては是以上言うべきではない。宗務院として強制力のある通達をもってこれを達しなければならない。」

「『辻副会長の〝不用意に謹刻〟と明言した通り云々○何故本山へ回収しなければならないのでしょうか』の問は、当時陰の宗務院で、6・30、11・7を演出された貴師方の代表が一番よく御存じでないかと存ずる。学会側に、『不用意に謹刻云々』と言う言辞を入れて発表してくれれば、納まると説得したのは誰であったか。週刊誌でY弁護士が、活動家の諸師方と密接に協調し、学会にも納得させて、自分が全部原稿(脚本)を書いたと告白しているではないか。」

要するに、学会側は言われるままに悪者になってあげただけで、実態は何の手続き的な問題も無かったというのが舞台裏で明かされた歴史の真実なのです。

http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=3137679&id=76285276
 

すぐに投稿が消されてしまう氏

 投稿者:愚人  投稿日:2016年 5月29日(日)22時31分1秒
   南無妙法蓮華経と唱えることは、唱題修行であり因行ではないのか?。

 脱の文を出したのは貴方です。

 聖人=御本仏様としたのは貴方です。
 

都合が悪いと暫し雲隠れする方がいますが

 投稿者:サワディー  投稿日:2016年 5月29日(日)22時25分58秒
  なお、本宗上古の時代においては、謗法者からの法難が多かったため、大御本尊はあくまで秘蔵の扱いで厳護されてきた。それ故、『三大秘法抄』にせよ、日寛上人の御指南にせよ、文の表に、大御本尊安置の処が本門事の戒壇、というような直接的表現を用いることはなかったものと排せられるのである。
(「誰にでもわかる顕正会の誤り」より)

 日蓮正宗の上古の時代には、法難が多い故に本門戒壇の大御本尊様は秘蔵の扱いだったとそうです。ということで、本門戒壇の大御本尊の恩名を直接発することは少なかったものと思われます。ましてや、現在ほど御指南が書物になることもないでしょうから、絶対的な文書量も少なくなかったと言えます。
 故に文証に「本門戒壇の大御本尊」の恩名が使われていないと言って否定できないことになると思います。
 この話が理解できないのは、想像力が著しく欠如しているか、いちゃもんを付けるのが目的ということなんでしょう。

http://ameblo.jp/baanaiby1

 

愚人くん

 投稿者:法華講  投稿日:2016年 5月29日(日)21時57分46秒
編集済
  *南無妙法蓮華経を修行して御本仏様になったとしている。
○で、どうして「法勝人劣」になるの?
「此の境智冥合して南無妙法蓮華経と唱えたもうが故に即座開悟し、久遠元初の自受用身と顕われたもうなり。」
だろ?
この御抄のどこに「南無妙法蓮華経を『修行して』御本仏様になった」と書いてるの?

ほんと大丈夫か?
更にレベル落としたな。
 

愚人くん

 投稿者:法華講  投稿日:2016年 5月29日(日)21時50分58秒
編集済
  日本語マトモに読めてないだろ。
トホホだな。

*「所説の正法は本門なり、能説の教主釈尊は迹門なり。」と法勝人劣を前提としての「人法ともに尊し」であることを知れ。
法勝人劣が本 人法一箇が迹
○アホ
どこを取って妄想してんだか。
『脱益の妙法の教主の本迹』
「所説の正法は本門なり、能説の教主釈尊は迹門なり。法自ら弘まらず、人法を弘るが故に人法ともに尊し。 」

見えるか?
『脱益の妙法の教主の本迹』
と書かれてないか?
わかる?

『観心本尊抄』
「彼は脱、此は種なり。彼は一品二半、此は但題目の五字なり」
『本因妙抄』
「仏は熟脱の教主、某は下種の法主なり」
『経王殿御返事』
「日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給へ。仏の御意は法華経なり。日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし」
だぞ(爆笑)

*聖人=御本仏様ならば、法然や良観も御本仏様なのだな。
○アホだな(爆笑)
大聖人様を菩薩といったかと思えば、法然や良観も御本仏とは。
法然や良観が本仏だと書いた書物をだしてみな(笑)
法然も良観も「上人」だろ。
 

日蓮正宗の師伝を紹介

 投稿者:愚人  投稿日:2016年 5月29日(日)21時37分18秒
   「此の境智冥合して南無妙法蓮華経と唱えたもうが故に即座開悟し、久遠元初の自受用身と顕われたもうなり。」

 日蓮正宗の師伝でも久遠元初仏は、南無妙法蓮華経を修行して御本仏様になったとしている。
 

無名★氏

 投稿者:愚人  投稿日:2016年 5月29日(日)21時15分28秒
   大石寺歴代住職と同じの「ウルトラアホ」には、何を書いても理解できません。好きなように能書きを垂れていなさい。  

削除されてしまう人氏

 投稿者:愚人  投稿日:2016年 5月29日(日)21時11分41秒
   「所説の正法は本門なり、能説の教主釈尊は迹門なり。」と法勝人劣を前提としての「人法ともに尊し」であることを知れ。

 法勝人劣が本 人法一箇が迹

この事を忘れるな。


 聖人=御本仏様ならば、法然や良観も御本仏様なのだな。


 後は何が書いてあったか忘れた。
 

愚人殿

 投稿者:無名★  投稿日:2016年 5月29日(日)21時01分33秒
  ○南無妙法蓮華経 日蓮 と曼陀羅本尊にあるからといって
南無妙法蓮華経と日蓮が人法一箇とする思想は、南無妙法蓮華経が本、
自受用身が迹であることを教示している
『百六箇抄』の成立時には無かったのは明らか。



★「思想」じゃないスよ。「道理」。
例えばあなたの、
「無名★氏はアホ」との書き込みはあなたの意思のもとに顕された文字。
「投稿者・愚人」、すなわち、あなたの心。だから
「無名★氏はアホ」と「あなたの心」は一体。




○もし、五大即我身だから人法一箇とするのならば、
南無妙法蓮華経を修行して五大即我身と悟ったのであるから
法本人迹・法勝人劣である事に変わりはない。
【法勝人劣が本 人法一箇が迹】である。


★理解し難い無茶苦茶な仏法論スね。

「五大即我身」?    (笑)
だから「人法一箇」とするならば ?

細かい事を言えば、あなたの頭同様、根本に「因縁」が抜けてまスね。

eco殿指摘の因果  (⌒-⌒; )


「南無妙法蓮華経を修行して」・・(笑)

大聖人は久遠元初の自受用報身如来のお方ス。
本因妙の教主のお方ス。
直達正観のお方。

修行なんかしておられないスよ。


その人法一箇の御本尊様に縁し因を積めば、
あなたも即身成仏の身。

仏法の因縁果報の原理、

単純な話じゃないっスか。


(-_-)
 

宿坊殿 フェイクの記事

 投稿者:無名★  投稿日:2016年 5月29日(日)20時56分44秒
  ◯日蓮正宗も泡沫候補を必死に支援した過去がある。


★政教一致批判の反論?

にしては幼稚っスね。

公明党て学会が作った政党じゃないス か。

政教一致どころか、
政教一体?   同体同心?

最近は少し同体異心の人が増えてるようっスけど。

(-_-)
 

eco氏

 投稿者:愚人  投稿日:2016年 5月29日(日)20時51分17秒
   『ダンマパダ(法句経)』から因果を学ぶ

 快楽から憂いが生じ、快楽から恐れが生じる。快楽から離れた者には憂いがない。まして恐れなどどこにもあり得ない。(NHK出版刊  佐々木 閑 著 『ブッダ 真理のことば』047頁)

 「因果関係によって作り出されたすべてのものは無常である」と智慧によって見る時、人は苦しみを厭い離れる。これが、人が清らかになるための道である。(NHK出版刊  佐々木 閑 著 『ブッダ 真理のことば』057頁 )
 
 

ecoさん

 投稿者:法華講  投稿日:2016年 5月29日(日)20時45分58秒
編集済
  ほらね。
都合が悪くなると消してしまう。
創価学会の意地汚い境涯がよく見て取れますな。

 

法華講さん と 愚人さん

 投稿者:eco◆Smw69  投稿日:2016年 5月29日(日)19時01分26秒
編集済
  >>法華講さん
(今、退会されると票が減るだろ。ただでさえ、退会者が増加してるからさ。)

話を伺う限り 少なくとも 愚人さんは それを望んでいますよ


あと 愚人さんの話をうかががって ひとつだけ気になった事があったのですが
愚人さんの考え方や解釈だと 南伝の教えでは因果が解かれていない形になってしまう為か
「因果」つまり「原因⇒結果」という概念を理解しないまま結論が導きだされた「不完全な教え」とも捉えることができてしまうのですが
もし 南伝の教えの中で「因果」に関する教えが存在しているのなら
その部分を出来れば示してほしいのですが できますか?

少なくとも「因果」を否定することはできないでしょ

http://

 

(無題)

 投稿者:憂国の武士  投稿日:2016年 5月29日(日)18時37分46秒
  創設以来創価学会は菩薩を信仰してたのか?

http://www.erigonomi.net/

 

あべひ 正義ヅラも いいかげんにしろよ

 投稿者:eco◆Smw69  投稿日:2016年 5月29日(日)18時28分28秒
編集済
  http://6903.teacup.com/huwahuwakujira/bbs/t4/871
   ↓ ↓ ↓ ↓ ↓

誰が 富士宮ボーイの管理者を訴えよう・・・としたんだよ
フカシこいてんじゃねぇーよ

訴えられても おかしくない行為をしたのは あべひさん

富士宮ボーイが 電気通信事業法27条 ならびに30条を盾に
あなたを訴えることができる環境が整っていて
それを 大勝利さんから指摘されたら 慌てたのが お前さんだったんじゃないかよ

あべひさん 富士宮ボーイ管理者の財産を私物化していたのを自覚して述べていますか?
あそこは、ここGMOや2ちゃんと違って 個人が提供したサーバーで運用していたのにも関わらず
自身のブログ(あべひブログ)で何か書いて 炎上するような事態に陥った場合
その炎上の尻拭いを 富士宮ボーイ掲示板に丸なげするようなレトリックやロジックを仕掛けていて
申さん所有のサーバーを破壊するような行為を 平然とやっていたでしょ

本当に卑怯者で最低な奴だな

それとだな 3人以上揃ったから アク禁にしろ等と
しつこく富士宮ボーイの管理者にけしかけたり煽るような書き込みをして 恫喝をしていたのは
あべひさん あなたですよ

しかも ポチョドンも含めて願いが叶うと 急に丁寧な文章を示して
ご苦労様です。などと ねぎらいまで掛けていたのは誰でしたっけ?
 

愚人くん

 投稿者:法華講  投稿日:2016年 5月29日(日)18時05分55秒
編集済
  相も変わらず妄想を繰り返しますなー。

*日蓮正宗の自称相伝書の『百六箇抄』には、一貫して法勝人劣が教示されていることを知りなさい。
○「法自づから弘まらず、人、法を弘むるが故に人法ともに尊し 」
ね。
君、君が本仏だと嘯く「久遠元初の釈尊」が法だといいたい訳?
ならば、その法を修得し(=成仏の境涯を得)、説いた人は法に劣る訳?
道理が成り立たないだろ(笑)

*また、日道も書いているように仏は、五百塵点劫成道の釈迦仏であり、日蓮は菩薩です。
○『御伝土代』の文頭を言ってるのかな?
『日亨上人』
「此の書未完なり。目師天奏も記せず。(中略)また正本には此次に申し状の案文ありて未完なり」

また、『御伝土代』に
「三世を知るを聖人と云う」
「日蓮は日本国の棟梁なり」
と記しているが。。。
はい。
三世を知るのは菩薩かいね?

『蒙古使御書』
「仏のいみじきと申すは過去を勘へ未来をしり、三世を知しめすに過ぎて候御智慧はなし」

『聖人知三世事』
「日蓮は一閻浮提第一の聖人なり」

三世を知る聖人とは仏様です。
『棟梁』とは主師親の三徳、つまり仏様です。

日道上人は立正安国論奏上で「日蓮『聖人』」と記しているが如何に?

『延書筆者』??「『日興上人御跡の人々面々法門を立て違え』候。或いは天目に同じて方便品を読誦せず。或いは鎌倉方面方に同じて迹門得道の旨立て申し候。唯『日道一人正義を立つる』間、強敵充満し候」

はい。君の書いている事は道理がたたないよ。
 

あら?!。

 投稿者:愚人  投稿日:2016年 5月29日(日)17時23分54秒
   彼の人の投稿が消えている。
 私の投稿が空しいな。
 

我見と言えば

 投稿者:愚人  投稿日:2016年 5月29日(日)17時17分57秒
   日蓮の遺文に依らずに、戒壇本尊を一大秘法だとする大石寺の歴代住職はウルトラアホだな。まあ、スーパーウルトラアホの通りすがり氏に比べればマシだが。

 創価学会の歴代会長は、日蓮の遺文に依らずに大石寺の住職の我見によってしまった依人不依法の輩だな。まあ、やはりウルトラアホではあるが、通りすがり氏よりは、やはりマシだ。

 そう言えば、無名★氏。同じウルトラアホで、貴方が敬っている大石寺の歴代住職に肩を並べたな。パチ・パチ・パチ。
 

通りすがり氏

 投稿者:愚人  投稿日:2016年 5月29日(日)16時57分50秒
   スーパーウルトラアホの復活ですね。お帰りなさい。馬鹿やノータリンと違い、アホは教えても理解することができないので捨て置く事にしています。
 日蓮信仰をして、アホの殿堂入りにならないように気を付けなさい。

 それと、日蓮正宗の自称相伝書の『百六箇抄』には、一貫して法勝人劣が教示されていることを知りなさい。また、日道も書いているように仏は、五百塵点劫成道の釈迦仏であり、日蓮は菩薩です。

 
 

南無妙法蓮華経 日蓮

 投稿者:愚人  投稿日:2016年 5月29日(日)10時01分59秒
   南無妙法蓮華経 日蓮 と曼陀羅本尊にあるからといって南無妙法蓮華経と日蓮が人法一箇とする思想は、南無妙法蓮華経が本、自受用身が迹であることを教示している『百六箇抄』の成立時には無かったのは明らか。

 もし、五大即我身だから人法一箇とするのならば、南無妙法蓮華経を修行して五大即我身と悟ったのであるから法本人迹・法勝人劣である事に変わりはない。【法勝人劣が本 人法一箇が迹】である。





 
 

天台・妙楽・日蓮等が自説の根拠に用いた中国産の偽経

 投稿者:愚人  投稿日:2016年 5月29日(日)09時40分6秒
   『提謂波利経』

 五行説は、木・火・土・金・水の五元素を立て、その循環生成の様子を説明し、それぞれに対応する方角や色など諸事象を、五をセットとして分類し規定する。中国特有であり、インドにはない考え方である。(岩波書店刊  船山 徹 著 『仏典はどう漢訳されたのか スートラが経典になるとき』127頁)

 『清浄法行経』

 この経典には老子、仲尼、顔淵という中国の儒教道教を代表する三人への言及がある。(中略)もちろんこれら中国の人物や『道徳経』『易』などへの言及は、インド語の文献を逐語的に訳した翻訳文献にはあり得ない、中国的要素である。(中略)このように本経は、その根幹にかかわる内容において、インドにはあり得ない情報を含む。これに加えて、さまざまな経録をみると、本経はしばしば偽経ないし偽妄経に分類されたこともわかる。つまり本経は、内包と歴史的評価の両面から、偽経であると言えるのだ。(岩波書店刊  船山 徹 著 『仏典はどう漢訳されたのか スートラが経典になるとき』129~130頁)

 『梵網経』

 『梵網経』の説く十重四十八軽戒の体系はインドの経典には遡ることのできない、中国特有の教説であることが知られている。
 (中略)
『梵網経』上巻には、(中略)「従来八趣心」「十長養心」「十金剛心」という三十の準備的階位が説かれているが、これも中国特有の用語である。さらにまた、『梵網経』上巻には「捨心」という語を用いて菩薩行を説く一段があるが、無関係な二つの梵語を混同して漢字「捨」の意味を説明することから、中国成立の教えであることがわかる。
 このように『梵網経』は、系統の異なる諸経の文言を用いて作成されている点、中国仏教特有の教理を説く点、梵語では説明できない漢語ベースの教説を含む点において、翻訳とみることができない。(岩波書店刊  船山 徹 著 『仏典はどう漢訳されたのか スートラが経典になるとき』136~137頁)

 『菩薩瓔珞本業経』

 『菩薩瓔珞本業経』は、一般によく知られる「十地」の菩薩階位よりも前に、菩薩は「十住心」「十行心」「十迴向心」の「三十心」を実践すべきことを説くが、これは中国仏教特有の説であり、インド仏教に遡ることができない。(岩波書店刊  船山 徹 著 『仏典はどう漢訳されたのか スートラが経典になるとき137頁』)

 同書によると、『仁王経』もまた、梁の武帝の時代には既に偽経とされている。


 天台・妙楽・日蓮は、小釈迦とか御本仏様とか崇められているのに中国産の偽経と見抜けないとは、お間抜けな小釈迦に御本仏様な事だ。





 
 

無名★さん

 投稿者:サワディー  投稿日:2016年 5月29日(日)08時14分54秒
編集済
  サムさんへのフォローありがとうございます。
こちらは、「慈折広布の御本尊」の正統性について集中しますので、他のいちゃもんの破折は今後もよろしくです。


 サム氏は無視されているようなので、大聖人様御真筆の御本尊様について再掲しておきます。

・大聖人様の御真筆の御本尊様で板に彫刻されたのは、「本門戒壇の大御本尊様」だけです。
 後の御本尊様は紙幅の御本尊様となります。(「創価学会の邪義迷妄を破す」より)

・大白法で以前読んだ内容ですが、それから、当初の御本尊様は、御題目と「日蓮」の恩名の位置関係が離れていましたが、弘安二年に向かって「日蓮」の恩名が中央によってくるとのこと。

 このことの意義は頭破七分の現証が出ている人にはわからないでしょうね。 

http://ameblo.jp/baanaiby1

 

フェイク 第1535号

 投稿者:宿坊  投稿日:2016年 5月28日(土)23時43分0秒
  (発行=16.05.27)

宗門は泡沫候補を必死に支援
「慧妙」の的外れ政教一致の愚論を粉砕 ②
日顕が「理境坊の檀家の応援を頼む」

 「慧妙」五月十六日付一面の「創価学会・公明党は政教一致の違憲団体だ」と
の悪口雑言に対して、本紙前号で学会と公明党の関係は政教一致ではなく、政
教分離の原則にも反しないと説明した。「慧妙」は政治と宗教の関係について
浅薄な偏見から悪意に基づく中傷を繰り返しているが、日蓮正宗も泡沫候補を
必死に支援した過去がある。

平成十三年七月の第十九回参議院議員選挙では日蓮正宗が立正佼成会と一緒
に白川勝彦の新党・自由と希望を支援したのである。

同党の比例区名簿登載者は十人。このうち庄野某、児玉某が妙観講員で、日
顕が投票日の四日前に、本山で塔中坊の住職や無任所教師ら約百人を前に「白
川と理境坊の檀家の庄野を応援してもらいたい。特に、法華講を抱えている塔
中坊は法華講員に応援を働きかけてほしい」と強く訴えた。

ニセ法主自ら檄を飛ばしていたのだが、結果は十人全員が落選。庄野某は一
万数千票、児玉某は千票にも届かなかった。

妙観講員が名簿に登載されたため、立正佼成会が手抜きしたと言われていた。

柿沼広澄の孫も落選

また、平成十九年の参議院選挙の民主党の比例区名簿に山村明嗣(てるつぐ)
が登載された。

山村は東京都品川区の妙光寺六代目住職・柿沼広澄(大東院日明)の孫にあ
たる法華講員で、この時も日蓮正宗は全力で応援した。

結果は民主党比例区候補の三十五人中三十位という大惨敗に終わり、日顕や
日如をはじめとする宗門人は落胆したという。

この山村は政治家よりも出家した方が良いのではないか、と言われていたが、
母親が民主党の菅直人の女房に五反田のマンションで、お茶を教えていた関係
から菅の秘書になった。

公示後、山村は東海道新幹線の新富士駅北口にある大石寺行きのバス停で、
自分自身は信仰心も無いのに、法華講の夏期講習会に参加する講員一人一人に
握手を求めていた。

大石寺行きのバスは三~四台で人数も少なく、効果は殆ど無かった。また、
本山売店の中にもポスターを張り出し、講習会に参加した法華講員には「比例
区は山村に投票するように」と徹底していたのである。

山村自身も氏名を書いた違反文書を末寺に送り、山村の個人名入りのチラシ
を置いていた末寺もあった。

また、某末寺の講頭のホームページのブログには、学会や公明党への誹謗中
傷を下品な言葉で書き連ねた後に「法華講では、どの政党、誰を応援するとい
う決まったものはない」と逃げ口上を述べながらも「山村さんには今の世の中
を良くする為に頑張ってほしい。是非とも当選して法華講の清気、清風を政界
に送っていただきたい」等と狡猾に投票依頼を書き込んでいた。

更に、「慧妙」は同年七月発行の二回分とも一面に大きく「行動あるのみ――
安国の為に立つ!」という本の広告を山村の上半身の写真と略歴なども掲載す
るなど応援に力を入れたが、この時は落選。その後、平成二十五年六月、大江
議員の辞職に伴い繰り上げ当選となったが、二ヶ月足らずの短命議員で終わっ
た。


 

サム殿

 投稿者:無名★  投稿日:2016年 5月28日(土)23時01分4秒
  ○無名★さん
貴方は、いつも、口から出まかせで、投稿していますが、


★あなたの口から出まかせのイチャモンを
オイラは道理をもってキチンと破折してまス。



○貴方も含めて法華講の方は、功徳の姿が見えないのですよ。
六根清浄の意味が解らないのでしょう


★オイラはあなたと違って、御書に基づき、大聖人御図顕の御本尊に
信をもって信仰してまス。
あなたは、どこに信を置いてるんスか?
あなたに信の基などないでしょ。
六根清浄は解る解らないじゃなく、
信の在り方次第ス。


○相手に、馬鹿とか、謗法者等、言える訳がないのです。

★まず、あなたの信仰の現状が滅茶苦茶スから馬鹿であり、
大聖人の仏法を謗じているから謗法者ス。
ちゃんと、根拠をもってあなたを破折してるス。


○御本尊に対する「御内証」や「御相貌」の質問は、貴方ではなく、
サワディーさんに向けたのですが、サワディーさんは、
大聖人の御真筆御本尊の意義や全貌を御存知ありません。
だから、答えられないのは、残念です。


★キチンと歴代御法主の御指南で破折されてるっしょ。



○貴方が替わって答えて頂いたのは、有難いのですが、
 貴方は、いつも通り、口から出まかせで回答にはなっていないのです。
では、一問ずつ、問題を明らかにしていきましょう。


○A.「楠板本尊」と「他の大聖人御真筆御本尊」とにおける「大聖人の御内証」に
どの様な違いがあるのでしょうか。
★違いはありましぇん。
本門戒壇の大御本尊は末法衆生救済のため。
他の御本尊は一機一縁の御本尊様。

○大聖人が「一機一縁の御本尊」と、そうでない御本尊があると、
区別したのでしょうか。
したのであれば、その証拠・文証を示しなさい。


★あなたや会員が信仰している御本尊で明白。
本部に奉掲されている本尊も含め、全て、
弘安二年十月十二日御図顕の本門戒壇の大御本尊の書写本尊。

ちゅう現実。

大聖人が御在世中に弟子檀那に宛てた本尊は、
個人で所蔵された本尊。

文証?
聖人御難事、二箇相承書


○B. その証拠を貴方はお持ちなのでしょうか。
目師書写の御本尊(小泉・久遠寺蔵)には「日蓮 在御判」が「日蓮聖人」となっており、
「仏滅度後二千二百三十余年之間一閻浮提之内未曾有大曼荼羅也」の讃文もありませんが、
此の御本尊も「大聖人の御内証」を書写された、で宜しいのでしょうか。
★はい。

○「大聖人の御内証」に違いが無いと、言っているのだから、
「その証拠をお持ちならば、示してください」と関連質問をしているのに「はい」だけですか。


★~で宜しいのでしょうか。
の確認の問いに対しての「はい」。


○「日目上人の御本尊」が「大聖人の御内証」の御書写であると肯定されたのでしょうが、
その理由が欲しかったのです。

★理由は簡単ス。大聖人曰く
「伝持の人無れば猶木石の衣鉢を帯持せるが如し」顕仏未来記
「仏宝・法宝は必ず僧によりて住す」四恩抄


○C.「楠板本尊」と「他の大聖人御真筆御本尊」と「書写本尊」の3つを比較して、
ご相貌の類似点および相違点を列記する事が出来ますでしょうか
★大聖人の御内証スから、相違点はありませんス。

○「御本尊の御相貌」を争点にしているのに、「大聖人の御内証」に帰着させ、
御相貌に相違点無しとする、全く思考ゼロには驚かされます。


★スからね、どこかで言ったと思うんスけど、
御内証の書写とは、そのまま書き写すことじゃないんス。

大聖人の御内証の肝心は、中央の南無妙法蓮華経とその下段にお認めの在御判ス。


○D. 書写本尊のご相貌も色々ですが、どの歴代法主が、
最も『楠板本尊』のご相貌に近いと思いますか。
★唯授一人血脈相承の全ての御法主上人の書写本尊。

○貴方は、対話しようと全く考えていませんね。
 呆れて、だから、貴方を無視したくなるのですよ。

★「御内証の書写」の深義が理解できてりゃ、これ以外の回答は無いでしょ。


○E. 歴代法主は、強いて『楠板本尊』のご相貌に合わせようとしていない様子ですが、
それは何故なのでしょうか。
★大聖人の御内証の書写だからス

○まるで頓珍漢な回答です。
法華講員さんは、宗門より「思考停止」を指示されているのでしょう。

★はい。「御内証の書写」の深義を弁えてないとそうなるでしょ。


○何回も言いますが、法華講員の皆さん、貴方達は、楠板本尊が、
確かに大聖人直造だという証明と、
本門戒壇の本尊と命名された証拠を示す責任があるのですよ。


★「仏法の根本は信を以て源とす」スから、
証拠・証明の立証はイチャモンの方で為すべきことス。

あなたのような方ばかりだと、世間は崩壊しまス。


d( ̄  ̄)
 

無名★氏

 投稿者:愚人  投稿日:2016年 5月28日(土)22時45分44秒
   貴方は、アホの一階級上のウルトラアホですね。御愁傷様です。  

サム殿

 投稿者:無名★  投稿日:2016年 5月28日(土)22時19分43秒
  ○大変懐かしい、戸田先生の指導ですが、
私が、何回も申し上げている通りですよ。
時代が変わってきているのです。

創価学会は、かつて弱小教団・日蓮正宗の純真な信徒集団でした。
そして、「無疑日信」の赤誠の念で、宗門の己義仏法を学び、
宗門の為に弘教拡大して来たのです。
従って、結果的に宗門の虚偽の法門をそのまま踏襲してしまったのですよ。

でも、破門されて、宗門史や宗門の化儀化法を見直す事により、
真実を理解してきているのです。



★それはあなたの見直しでしょ? (笑)

戸田先生はとうの昔に
正法受持のまま即身成仏の身でお亡くなられてまス。

時代は関係ないんスよ。

あなたの邪義は戸田先生に破折されまス。
しっかり、戸田先生の信仰を破折しないと。


無理スよね。
どしてなら、戸田先生は浄土においでスから。

こういう簡単な道理がわからないから、馬鹿と呼ぶんス。


m(_ _)m
 

愚人殿

 投稿者:無名★  投稿日:2016年 5月28日(土)22時18分38秒
  ○『サッダルマ・プンダリーカ・スートラ』の編纂者や
羅什の義を無視して「プンダリーカ・蓮華」を〔因果〕などの意味にするのは
天台・日蓮の己義であり我見である。

 また、「サット」にも「妙」にも〔不可思議〕なる義など無いのに
「サット」「妙」に〔不可思議〕なる不当な意味付けをしたのは
天台・日蓮の己義であり我見である。



★(笑)
編纂者や羅什には己義・我見は存在しないんスか?
都合がいい話スよね。



d( ̄  ̄)
 

中国産の偽経

 投稿者:愚人  投稿日:2016年 5月28日(土)21時55分40秒
   岩波書店刊  船山 徹 著 『仏典はどう漢訳されたのか スートラが経典になるとき 』を読むと、『仁王経』『梵網経』も中国産の偽経。

 日蓮は御本仏様なのに、そんなことも解らなかったのか。哀れなり、日蓮。
 

追伸

 投稿者:サワディー  投稿日:2016年 5月28日(土)14時29分40秒
  サムさんの回答、相変わらず文証ないですね。

http://ameblo.jp/baanaiby1

 

日昇上人様の御本尊について回答を要求します。

 投稿者:サワディー  投稿日:2016年 5月28日(土)14時28分39秒
編集済
   掲示板という性質上、古いものは忘れ去られます。ということで、定期的に元の文をアップすることは、止めないので悪しからず。
 本尊の事であり、信仰の根本に関することです。

 では、核心についてのみ質問します。

 創価学会は本門戒壇の大御本尊様への信仰を放棄しました。また、サム氏に関しては本門戒壇の大御本尊様が大聖人様の出世の本懐ではないと断言しています。

 このことを踏まえた上で、日昇上人様が認めた創価学会本部に安置されている「慈折広布の御本尊」が正統な本尊であることを仏法の道理の上から説明してください。当然、論拠となる文証は必要です。

 日昇上人様は、日蓮正宗の教義に則り、「本門戒壇の大御本尊様の御内証を書写し本尊を建立している」ことは、本尊に関する御指南からも明確となっています。 他の御法主上人猊下様の御指南も同様のことを説明されているものです。

 これらを否定する以上は当然回答できるはずです。

http://ameblo.jp/baanaiby1

 

プンダリーカ(白蓮華)

 投稿者:愚人  投稿日:2016年 5月28日(土)11時31分56秒
編集済
   プンダリーカは何かあるものを譬喩する慣用的な表現である。すなわち、サンスクリット文法で規定されている譬喩の持業釈(同格限定複合語)として解釈すること。

 複合語saddharma-pundarikaの後半部のプンダリーカ(pundarika)が、譬喩として用いられていて、前半部のサッダルマ(saddharma)を譬喩的に修飾する働きを持つということで、「白蓮華のような正しい教え」を意味している。

 その「白蓮華のような」という言葉が、「正しい教え」のどのようなことを譬喩しているのか?。プンダリーカとサッダルマの「両者に共通する性質」は、「最も勝れた」である。

 従って、『サッダルマ・プンダリーカ・スートラ』という題名には、「白蓮華のように最も勝れた正しい教えという経」という意味がこめられている。

 鳩摩羅什が、単に「正法蓮華経」と訳さないで、「妙法蓮華経」と訳したのは、サット(sat)の訳としてだけではなく、プンダリーカ(白蓮華)の内包する「最も勝れた」という譬喩的意味をきちんとくみ取って、それを「妙」という文字に込めて訳した。(岩波書店刊  植木雅俊著 『思想としての法華経』95~100頁 )



 鳩摩羅什が、プンダリーカについて譬喩の持業釈を形成する語であり、「最も勝れた」という譬喩的意味を持つものだと正しく理解していたことは、鳩摩羅什の弟子の僧叡が書いた『法華経後序』からもうかがえる。

 「・・・分陀利〔プンダリーカ〕と称するは、その盛んなるを美〔ほ〕むるなり。(中略)諸華の中、蓮華最勝なり。・・・栄曜独り足るは斯の典を喩う」

 さらに、鳩摩羅什に教えを受けた慧観の著わした『法華経要序』からも、それは明らか。慧観は、「妙」の意味について、

 「故に其の乗は唯一にして、唯一無上なり。故に之を謂いて妙法とす」(岩波書店刊  植木雅俊著 『思想としての法華経』100~106頁)


 つまり、『サッダルマ・プンダリーカ・スートラ』の編纂者や羅什の義を無視して「プンダリーカ・蓮華」を〔因果〕などの意味にするのは天台・日蓮の己義であり我見である。

 また、「サット」にも「妙」にも〔不可思議〕なる義など無いのに、「サット」「妙」に〔不可思議〕なる不当な意味付けをしたのは天台・日蓮の己義であり我見である。


 さらに言えば、「サッダルマ・プンダリーカ・スートラ」つまり「妙法蓮華経」は、梵文の日本語訳からも解るように、経典の編纂者がつけた【経典名】であり、「因果倶時・不思議の一法」などではない。「因果倶時・不思議の一法」とするのは己義であり我見である。


 
 

理解されていない為に再破折

 投稿者:サム  投稿日:2016年 5月28日(土)09時40分6秒
編集済
  サワディーさん


貴方の提示文書
http://9308.teacup.com/shukubou/bbs/9883
流れるので再アップします 投稿者:サワディー  投稿日:2016年 5月27日(金)23時12分25秒

は、既に破折していますよ。 全く情けない限りですね。
しかも何度もアップするほどのものでもありませんよ。

http://9308.teacup.com/shukubou/bbs/9837
帰ってきました 投稿者:サム  投稿日:2016年 5月24日(火)20時02分34秒

其処の関連部分だけを再掲しましょう。


>三大秘法其の体如何。答ふ、予が己心の大事之に如かず。 (三大秘法稟承事)
この言葉からも明らかなように、末法の御本仏 日蓮大聖人様の仏法と言えば、三大秘法につきるわけです。

○「問て云く寿量品専ら末法悪世に限る経文顕然なる上は私に難勢を加う可らず然りと雖も三大秘法其の体如何、答て云く予が己心の大事之に如かず汝が志無二なれば少し之を云わん寿量品に建立する所の本尊は五百塵点の当初より以来此土有縁深厚本有無作三身の教主釈尊是れなり」(三大秘法禀承事1022頁)
通解:問うて言います。寿量品は専ら末法の悪世に限ると経文で明確になっている以上は自分勝手な疑難を加えてはならないでしょう。そうとは言っても、三大秘法の法体はどんなものなのでしょうか。 答えて言います。 我が己心の大事はこれに及ぶものではありません。 あなたの志が無二であるので、少しこれを説きましょう。 寿量品に建立される本尊とは五百塵点の当初から、この土に有縁深厚ある本有無作の三身の教主釈尊であるこれです。

当然、三大秘法は、大聖人の法門ですが、此処でも「楠板本尊の正当性」とは関係ないのですよ。


>そして、三大秘法の中心について、日寛上人様は次のように御指南してくださっています。
三大秘法を合すれば則ち但一大秘法の本門の本尊と成るなり。故に本門戒壇の本尊を亦は三大秘法総在の本尊と名づくるなり (依義判文抄)
 また、本門戒壇の大御本尊様は三大秘法第一の本尊であることも明かされています。

弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟中の究竟、本懐の中の本懐なり。既にこれ三大秘法の随一なり。況や一閻浮提総体の本尊なる故なり。 (観心本尊抄文段)

○日寛上人は、「楠板本尊」を大聖人が直に御建立されたと信じて書き顕されたのであって、もし、歴代途中法主の誰かが楠板本尊を模作して「虚偽の法門」とされていたならば、この文証は全く意味を為さないのです。
貴方は、後加文で「日興之を記す」と記載されているのですが、大聖人より日興上人に伝授されたとされる、「上行所伝三大秘法口訣」(富要集1巻45頁)の内容を御存知でしょうか。
時代は不明ながら「本門寿量の本尊」なる文証は存在しますが、「本門戒壇の本尊」なる記載は存在しないのですよ。


>日亨上人様はもっと端的に仰せです。
一期の弘法即三大秘法、三秘の中心即本門戒壇の大御本尊である。 (大白蓮華・昭和28年9月号)
これらの御文からも、三大秘法の中心が本門末法の御本仏 日蓮大聖人出世の本懐が本門戒壇の大御本尊様であることは明らかです。

○前回に述べました様に、日亨上人は、宗門の長として、宗門の法義をについて、懐疑を持ちながらも踏襲したのでしょう。
貴方は『堀日亨上人の記述から判る「宗門の実状」』の私の記事に対して、ブログ先を載せただけで、個々の文意が理解できずに全く反論していないのですよ。


>大聖人様は御本尊の権能は唯授一人の血脈相承された御法主上人猊下様にあることも明言されているのです。

此の血脈並びに本尊大事は日蓮嫡々座主伝法の書、塔中相承の禀承唯授一人血脈なり(本因妙抄)

○「此の血脈並に本尊の大事は日蓮嫡嫡座主伝法の書・塔中相承の稟承唯授一人の血脈なり」(本因妙抄877頁)
この文証自体は、堀日亨上人が後加文と認定されていますが、此処でも「楠板本尊の正当性」とは全く関係ありません。
本来ならば、後世の他者の後加文であったとしても、後世だからこそ「楠板本尊」「大聖の出世の本懐」が書き込まれていて不思議ではないのです。
しかしながら、それすら、書かれていないのです。


>創価学会本部に安置されている「慈折広布の本尊」を認められた日昇上人様は次のように御指南してくださっています。

久遠本仏たる宗祖日蓮大聖人は南無妙法蓮華経をお唱へ出された年から二十七年即ち弘安二年に出世の御本懐たる本門戒壇の大御本尊を一切衆生に総与遊ばされたのであります。
日昇不肖ながら先師の後を継いで此の大御本尊を守護し奉り広宣流布の時を待って居ります。 (大白蓮華 昭和27年6月号)

夫れ戒壇の本尊は宗祖日蓮大聖人の本懐、末法衆生の帰命の法体、一宗依止の当体なり。宗祖日蓮大聖人弘安二年十月十二日之れを建立して、血脈付法の二祖日興上人に身に当て給わるところなり。 (大日蓮 昭和30年12月号)

戒壇の大御本尊の御内証を、帯し奉って不肖日昇六十四世の法主として、御本尊様に信仰をそめておしたため申しあげている御本尊でございまする。 (聖教新聞 昭和30年12月18日付け)

 この御文からも、日昇上人様は、次のことを明確に御指南してくださっています。
 ・本門戒壇の大御本尊様が末法の御本仏 日蓮大聖人様の出世の本懐であること。
 ・歴代御法主上人猊下が本門戒壇の大御本尊様を護持されてきたこと。
 ・各本尊は本門戒壇の大御本尊様の御内証を書写したものであること。

当然、創価学会本部大誓堂に安置されている慈折広布の本尊も、本門戒壇の大御本尊様の御内証を書写されたものであることは疑うことができません。
本門戒壇の大御本尊様が大聖人様の出世の本懐でないとするとどうなるのでしょうか。
故に、本門戒壇の大御本尊様が大聖人様の出世の本懐であることは、疑うことはできません。でなければ、創価学会の本部に安置されている慈折広布の本尊はまがい物と言わざるえません。

○法華講員さんの常套手段であり、あまりに強引な決めつけですが、全く「楠板本尊の正当性」の論証になっていないのです。
貴方が提示された文章は、未完成ですが、これを捕足し、
「楠板本尊建立が大聖人の出世の本懐」これを①とします。
「これまで歴代法主が楠板本尊を護持されてきた」これを②とします。
「各書写御本尊は本門戒壇の大御本尊の御内証を書写したもの」これを③とします。

① 末代の法主がどの様に記録を残されていても、大聖人が御自身の「楠板本尊建立を出世の本懐」とされていたのかが、重要なのです。
何処にも、大聖人はその様な言葉は述べていません。
大聖人は、
文永9年3月51歳御作の阿仏房御書(1304頁)で「出世の本懐とはこれなり」と御自身の出世の本懐を述べられ、
弘安元年正月57歳の御義口伝巻上(717頁)にも「日蓮出世の本懐なり」と「出世の本懐」を述べておられます。
つまり、共に大聖人御自身が御本尊を御図顕される事が「出世の本懐」であると宣言されているのです。

②貴方は、「大石寺何世の法主から楠板本尊を護持されてきた」とお考えなのでしょうか。
是非、文証をお示しください。

③貴方にお聞きします。
A.「楠板本尊」と「他の大聖人御真筆御本尊」とにおける「大聖人の御内証」にどの様な違いがあるのでしょうか。
B. その証拠を貴方はお持ちなのでしょうか。
目師書写の御本尊(小泉・久遠寺蔵)には「日蓮 在御判」が「日蓮聖人」となっており、「仏滅度後二千二百三十余年之間一閻浮提之内未曾有大曼荼羅也」の讃文もありませんが、此の御本尊も「大聖人の御内証」を書写された、で宜しいのでしょうか。
C.「楠板本尊」と「他の大聖人御真筆御本尊」と「書写本尊」の3つを比較して、ご相貌の類似点および相違点を列記する事が出来ますでしょうか。
是非、お答えください。


>最後に戸田城聖氏の指導を記して終わりとします。

御本尊様は一つしかありませんが、無量義経に分身散体というのがあります。この分身散体の法というのは、創価学会を除いて日本広しといえども絶対に説いておりません。分身散体の分け方により種々分けられますが、すべて一閻浮提の御本尊に帰一するのです。
(戸田城聖全集第4巻)

弘安2年の御本尊は、本門戒壇の大御本尊と申し上げ、日蓮大聖人が出世の本懐として、弘安2年10月12日に御図顕になられたのであります。『聖人御難事』に、建長5年より、余は27年にして出世の本懐を遂げるとおおせあそばされています。 日寛上人は、大御本尊について 「就中弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟中の究竟、本懐の中の本懐なり。既にこれ三大秘法の随一なり。況や一閻浮提(世界)総体の本尊なる故なりといわれています。
(戸田城聖『聖教新聞』S27.6.10)

日蓮大聖人の真実のお教えは、独一本門といい、文底秘沈というも、みな一閻浮提総与の三大秘法の大御本尊を根本としたお教えでなくてはならない。この教えは、今日末法においては、富士大石寺にこそあれ、ほかにはないのである。 (戸田城聖全集 3-83)


○大変懐かしい、戸田先生の指導ですが、私が、何回も申し上げている通りですよ。
時代が変わってきているのです。
創価学会は、かつて弱小教団・日蓮正宗の純真な信徒集団でした。
そして、「無疑日信」の赤誠の念で、宗門の己義仏法を学び、宗門の為に弘教拡大して来たのです。
従って、結果的に宗門の虚偽の法門をそのまま踏襲してしまったのですよ。
でも、破門されて、宗門史や宗門の化儀化法を見直す事により、真実を理解してきているのです。
化法としての形而上問題では、多角的解釈により多様な変化が生じますので、いずれも真と成り得ます。
従って、他宗を批判する場合には、哲学的価値により優劣関係が決定されてきたのです。
しかしながら、時代的存在である「楠板本尊」に至っては、真贋の物的証明が、唯一かつ直道であり、科学鑑定が必要不可欠なのは論を待たないでしょう。
インド応誕の釈尊は、婆羅門より脱し、日蓮大聖人は、日本天台宗から新興勢力の一員として生まれたのです。
貴方や宗門が認める、認めないにかかわらず、まもなく、創価学会の「発迹顕本」の時がやってくるでしょう。

師は言ったのです「深く大きく境涯を開き、目の覚めるような自分自身と創価学会の発迹顕本を頼む」と。


 

無名★さんの回答に対して

 投稿者:サム  投稿日:2016年 5月28日(土)09時16分41秒
編集済
  無名★さん


貴方は、いつも、口から出まかせで、投稿していますが、節度を持つべきですよ。
貴方も含めて法華講の方は、功徳の姿が見えないのですよ。
六根清浄の意味が解らないのでしょう。
この意味が理解できれば、自ずと発言の姿勢が変わる筈なのですよ。
相手に、馬鹿とか、謗法者等、言える訳がないのです。

御本尊に対する「御内証」や「御相貌」の質問は、貴方ではなく、サワディーさんに向けたのですが、サワディーさんは、大聖人の御真筆御本尊の意義や全貌を御存知ありません。
だから、答えられないのは、残念です。
従って、貴方が替わって答えて頂いたのは、有難いのですが、 貴方は、いつも通り、口から出まかせで回答にはなっていないのです。
では、一問ずつ、問題を明らかにしていきましょう。


A.「楠板本尊」と「他の大聖人御真筆御本尊」とにおける「大聖人の御内証」にどの様な違いがあるのでしょうか。
★違いはありましぇん。
本門戒壇の大御本尊は末法衆生救済のため。
他の御本尊は一機一縁の御本尊様。

○大聖人が「一機一縁の御本尊」と、そうでない御本尊があると、区別したのでしょうか。
したのであれば、その証拠・文証を示しなさい。


B. その証拠を貴方はお持ちなのでしょうか。
目師書写の御本尊(小泉・久遠寺蔵)には「日蓮 在御判」が「日蓮聖人」となっており、
「仏滅度後二千二百三十余年之間一閻浮提之内未曾有大曼荼羅也」の讃文もありませんが、此の御本尊も「大聖人の御内証」を書写された、で宜しいのでしょうか。
★はい。

○「大聖人の御内証」に違いが無いと、言っているのだから、「その証拠をお持ちならば、示してください」と関連質問をしているのに「はい」だけですか。
次に「日目上人の御本尊」が「大聖人の御内証」の御書写であると肯定されたのでしょうが、その理由が欲しかったのです。


C.「楠板本尊」と「他の大聖人御真筆御本尊」と「書写本尊」の3つを比較して、ご相貌の類似点および相違点を列記する事が出来ますでしょうか
★大聖人の御内証スから、相違点はありませんス。

○「御本尊の御相貌」を争点にしているのに、「大聖人の御内証」に帰着させ、御相貌に相違点無しとする、全く思考ゼロには驚かされます。


D. 書写本尊のご相貌も色々ですが、どの歴代法主が、最も『楠板本尊』のご相貌に近いと思いますか。
★唯授一人血脈相承の全ての御法主上人の書写本尊。

○貴方は、対話しようと全く考えていませんね。 呆れて、だから、貴方を無視したくなるのですよ。


E. 歴代法主は、強いて『楠板本尊』のご相貌に合わせようとしていない様子ですが、それは何故なのでしょうか。
★大聖人の御内証の書写だからス

○まるで頓珍漢な回答です。 法華講員さんは、宗門より「思考停止」を指示されているのでしょう。


何回も言いますが、法華講員の皆さん、貴方達は、楠板本尊が、確かに大聖人直造だという証明と、本門戒壇の本尊と命名された証拠を示す責任があるのですよ。

下図は、「楠板本尊」の座配図です。


 

と書きながら暇なのでアホを相手にする。

 投稿者:愚人  投稿日:2016年 5月28日(土)08時54分53秒
編集済
   私は、日蓮信仰者でないので曼陀羅本尊なるものを拝んでいない。

 私は、学会員ではない。

 戒壇本尊は、戒壇本尊を日蓮作として販売するもの達が日蓮の真作である事を証明出来ないでいる。販売員は顧客に対して日蓮作である事を証明せよ。

 「プンダリーカ」を『サッダルマ・プンダリーカ・スートラ』の編纂者や『妙法蓮華経』と訳した羅什の「最も優れた」との義を無視して「因果」との義にするなど、天台・日蓮の己義であり我見である。

 私が馬鹿である事は、認める。
 
 

愚人殿

 投稿者:無名★  投稿日:2016年 5月28日(土)08時15分19秒
  ★あなたも立派な会員なら、
疑っている戒壇の大本尊を書写してる本尊を
どスて拝んでるのか、
キチンとその道理を説明しないと

頭破作七分の症状スよ、
ちゅう事を馬鹿に言ってあげないと、
あなた、馬鹿の与同罪にスよ?


(⌒-⌒; )

 

大聖人様、日寛上人様 御指南

 投稿者:サワディー  投稿日:2016年 5月28日(土)07時57分2秒
編集済
  此の血脈並びに本尊の大事は日蓮嫡々座主伝法の書、塔中相承稟承唯授一人の血脈なり。 相構へ相構へ、秘すべし伝ふべし。
(本因妙抄)

宗祖の云わく「この経は相伝非ずんば知り難し」等云々。「塔中及び蓮・興・目」等云々。

(撰時抄愚記)

 佐前の御書である「一代聖教大意」のこの御文も佐後から開いて読めば、日寛上人様の御指南通りになります。文に囚われている謗法者には理解できないものです。

http://ameblo.jp/baanaiby1

 

サム氏

 投稿者:愚人  投稿日:2016年 5月28日(土)05時33分14秒
   あの二人はアホだ。相手にするな。
 あの二人が頭を打つのを待て。
 

うんうん 馬鹿スね~ サム

 投稿者:無名★  投稿日:2016年 5月27日(金)23時19分51秒
  ○「御肉牙(御生骨)」を単なる伝承であり、事実ではありません。
 信仰とは関係ありません、と公表していれば、今後、
非難は起きなかったでしょう。
宗祖の代からある本物ですと、宣言しているから、
人々は訝しく疑うのです。


★「御肉牙(御生骨)」は大石寺の伝承であり、
戸田先生も御拝観した事実の存在。
疑ってるのは、あんたらだけっスよ。


○「楠板本尊」や「富士の清流700年」も「御肉牙(御生骨)」と同様に、
最初からの事実関係が崩れるのであれば、
当然論評や考え方が変わって当然なのです。



★少しも事実関係は崩れてないス。
現に戸田先生は拝観しておられるし、
あんたは本門戒壇の大御本尊の書写本尊を拝んでるじゃねースか。

それが、「富士の清流700年」の果スよ。馬鹿ん。


○今後、既知資料の更なる解析、未知史料の発掘、科学鑑定等を駆使して、
堅固な事実関係が明らかになるでしょう。
それに依って、大聖人の御書に発した法義なのか、
途中から登場した法主の文言にある法門なのかが、焦点になり、
是非を問う事になると考えられます。


★そうなってから言ってよ~~。(笑)

現在のあんたの戯言はイチャモンということスよ~から。





○経文が大聖人の御書、論や作り仏説は宗門の史伝であり、
どの文証を拝しても、作り法門(史伝)は真実の御文(御書)には、
勝てないのです。


★「此の経は相伝に有らざれば知り難し」
「当世の学者は血脈相承を習い失う故に之を知らざるなり」

(笑)

んで、史伝の恩恵で日寛上人書写本尊を拝んでる馬鹿?
っちゅうあんたの現実。



(⌒-⌒; )
 

流れるので再アップします

 投稿者:サワディー  投稿日:2016年 5月27日(金)23時12分25秒
  流れるので、再アップします。創価学会の方々破折よろしくです。



三大秘法其の体如何。答ふ、予が己心の大事之に如かず。 

(三大秘法稟承事)

この言葉からも明らかなように、末法の御本仏 日蓮大聖人様の仏法と言えば、三大秘法につきるわけです。

 そして、三大秘法の中心について、日寛上人様は次のように御指南してくださっています。

三大秘法を合すれば則ち但一大秘法の本門の本尊と成るなり。故に本門戒壇の本尊を亦は三大秘法総在の本尊と名づくるなり 

(依義判文抄)

 また、本門戒壇の大御本尊様は三大秘法第一の本尊であることも明かされています。

弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟中の究竟、本懐の中の本懐なり。既にこれ三大秘法の随一なり。況や一閻浮提総体の本尊なる故なり。 

(観心本尊抄文段)

日亨上人様はもっと端的に仰せです。

一期の弘法即三大秘法、三秘の中心即本門戒壇の大御本尊である。 

(大白蓮華・昭和28年9月号)

 これらの御文からも、三大秘法の中心が本門末法の御本仏 日蓮大聖人出世の本懐が本門戒壇の大御本尊様であることは明らかです。

 大聖人様は御本尊の権能は唯授一人の血脈相承された御法主上人猊下様にあることも明言されているのです。

此の血脈並びに本尊大事は日蓮嫡々座主伝法の書、塔中相承の禀承唯授一人血脈なり
(本因妙抄)


 創価学会本部に安置されている「慈折広布の本尊」を認められた日昇上人様は次のように御指南してくださっています。

久遠本仏たる宗祖日蓮大聖人は南無妙法蓮華経をお唱へ出された年から二十七年即ち弘安二年に出世の御本懐たる本門戒壇の大御本尊を一切衆生に総与遊ばされたのであります。
日昇不肖ながら先師の後を継いで此の大御本尊を守護し奉り広宣流布の時を待って居ります。 

(大白蓮華 昭和27年6月号)

夫れ戒壇の本尊は宗祖日蓮大聖人の本懐、末法衆生の帰命の法体、一宗依止の当体なり。宗祖日蓮大聖人弘安二年十月十二日之れを建立して、血脈付法の二祖日興上人に身に当て給わるところなり。 
(大日蓮 昭和30年12月号)

戒壇の大御本尊の御内証を、帯し奉って不肖日昇六十四世の法主として、御本尊様に信仰をそめておしたため申しあげている御本尊でございまする。 
(聖教新聞 昭和30年12月18日付け)

 この御文からも、日昇上人様は、次のことを明確に御指南してくださっています。
 ・本門戒壇の大御本尊様が末法の御本仏 日蓮大聖人様の出世の本懐であること。
 ・歴代御法主上人猊下が本門戒壇の大御本尊様を護持されてきたこと。
 ・各本尊は本門戒壇の大御本尊様の御内証を書写したものであること。

 当然、創価学会本部 大誓堂に安置されている慈折広布の本尊も、本門戒壇の大御本尊様の御内証を書写されたものであることは疑うことができません。

 本門戒壇の大御本尊様が大聖人様の出世の本懐でないとするとどうなるのでしょうか。

 当然、日蓮正宗の歴代御法主上人猊下様が本門戒壇の大御本尊様を護持している意味もありません。そして、本門戒壇の大御本尊様の御内証を書写し新たに本尊として認める意味もなくなる訳です。当然の結末として、慈折広布の本尊の正統性もなくなるわけです。

 故に、本門戒壇の大御本尊様が大聖人様の出世の本懐であることは、疑うことはできません。
でなければ、創価学会の本部に安置されている慈折広布の本尊はまがい物と言わざるえません。

最後に戸田城聖氏の指導を記して終わりとします。

御本尊様は一つしかありませんが、無量義経に分身散体というのがあります。この分身散体の法というのは、創価学会を除いて日本広しといえども絶対に説いておりません。分身散体の分け方により種々分けられますが、すべて一閻浮提の御本尊に帰一するのです。 

(戸田城聖全集第4巻)

弘安2年の御本尊は、本門戒壇の大御本尊と申し上げ、日蓮大聖人が出世の本懐として、弘安2年10月12日に御図顕になられたのであります。『聖人御難事』に、建長5年より、余は27年にして出世の本懐を遂げるとおおせあそばされています。 日寛上人は、大御本尊について 「就中弘安二年の本門戒壇の御本尊は、究竟中の究竟、本懐の中の本懐なり。既にこれ三大秘法の随一なり。況や一閻浮提(世界)総体の本尊なる故なりといわれています。 

(戸田城聖『聖教新聞』S27.6.10)


注意)日蓮正宗の御書と創価学会の御書で、漢文の書き下しが異なる部分があります。

http://ameblo.jp/baanaiby1

 

補足

 投稿者:サワディー  投稿日:2016年 5月27日(金)23時09分54秒
   大聖人様の御真筆の御本尊様で板に彫刻されたのは、「本門戒壇の大御本尊様」だけです。
後の御本尊様は紙幅の御本尊様となります。(「創価学会の邪義迷妄を破す」より)

 大白法で以前読んだ内容ですが、それから、当初の御本尊様は、御題目と「日蓮」の恩名の位置関係が離れていましたが、弘安二年に向かって「日蓮」の恩名が中央によってくるとのこと。

http://ameblo.jp/baanaiby1

 

サム氏

 投稿者:愚人  投稿日:2016年 5月27日(金)23時08分21秒
   何を書いてもアホには通じません。  

無名★さんの回答と同等ですよ

 投稿者:サワディー  投稿日:2016年 5月27日(金)23時04分21秒
   話を散らかさないために、回答は避けていました。

小生の回答も無名★さんと同じですので悪しからず。

http://ameblo.jp/baanaiby1

 

逃げているんですね。

 投稿者:サワディー  投稿日:2016年 5月27日(金)23時02分14秒
  破折できないから、逃げているんですね。

本尊の正統性って、とっても大切なんです。

凡そ本尊とは所縁の境なり。境若し邪なる則んば智行も随って邪なり。境若し正なる則んば智行も随って正なり。故に須く本尊の邪正を簡び、以て信行を励むべし。 
(取要抄文段)

 この日寛上人様の御指南にある通り、本尊の
正がその宗教団体の邪正を決めることになるんです。本尊がまがい物であれば、その宗教団体からはとっとと足を洗うのが肝要なんです。
 本尊の正統性が説明できないということは、創価学会が間違っていることを証明することになります。


http://ameblo.jp/baanaiby1

 

サム殿 再破折 (⌒-⌒; )

 投稿者:無名★  投稿日:2016年 5月27日(金)23時00分24秒
  d( ̄  ̄)



○A.「楠板本尊」と「他の大聖人御真筆御本尊」とにおける
「大聖人の御内証」にどの様な違いがあるのでしょうか。


★違いはありましぇん。
本門戒壇の大御本尊は末法衆生救済のため。
他の御本尊は一機一縁の御本尊様。



○B. その証拠を貴方はお持ちなのでしょうか。
目師書写の御本尊(小泉・久遠寺蔵)には「日蓮 在御判」が「日蓮聖人」となっており、
「仏滅度後二千二百三十余年之間一閻浮提之内未曾有大曼荼羅也」の讃文もありませんが、此の御本尊も「大聖人の御内証」を書写された、
で宜しいのでしょうか。


★はい。


C.「楠板本尊」と「他の大聖人御真筆御本尊」と「書写本尊」の3つを比較して、
ご相貌の類似点および相違点を列記する事が出来ますでしょうか


★大聖人の御内証スから、相違点はありませんス。


○D. 書写本尊のご相貌も色々ですが、どの歴代法主が、
最も『楠板本尊』のご相貌に近いと思いますか。


★唯授一人血脈相承の全ての御法主上人の書写本尊。


○E. 歴代法主は、強いて『楠板本尊』のご相貌に合わせようとしていない様子ですが、
それは何故なのでしょうか。

この5問にもお答えください。

★大聖人の御内証の書写だからス



d( ̄  ̄)
 

宿坊殿

 投稿者:無名★  投稿日:2016年 5月27日(金)22時58分33秒
  ★選挙活動を学会施設でしたらダメっしょ。

政教一致は違憲。

ス。


(⌒-⌒; )
 

再再度質問

 投稿者:サム  投稿日:2016年 5月27日(金)22時36分46秒
  サワディーさん


再再度、貴方にお聞きします。


A.「楠板本尊」と「他の大聖人御真筆御本尊」とにおける「大聖人の御内証」にどの様な違いがあるのでしょうか。
B. その証拠を貴方はお持ちなのでしょうか。
目師書写の御本尊(小泉・久遠寺蔵)には「日蓮 在御判」が「日蓮聖人」となっており、「仏滅度後二千二百三十余年之間一閻浮提之内未曾有大曼荼羅也」の讃文もありませんが、此の御本尊も「大聖人の御内証」を書写された、で宜しいのでしょうか。
C.「楠板本尊」と「他の大聖人御真筆御本尊」と「書写本尊」の3つを比較して、ご相貌の類似点および相違点を列記する事が出来ますでしょうか
D. 書写本尊のご相貌も色々ですが、どの歴代法主が、最も『楠板本尊』のご相貌に近いと思いますか。
E. 歴代法主は、強いて『楠板本尊』のご相貌に合わせようとしていない様子ですが、それは何故なのでしょうか。

この5問にもお答えください。

この貴方のご回答の中に、日昇上人の御本尊書写の意義も含まれているのですよ。


 

再掲:根本か末流か

 投稿者:サム  投稿日:2016年 5月27日(金)22時31分10秒
  根本か末流か


「御肉牙(御生骨)」を単なる伝承であり、事実ではありません。 信仰とは関係ありません、と公表していれば、今後、非難は起きなかったでしょう。
宗祖の代からある本物ですと、宣言しているから、人々は訝しく疑うのです。

新しい事実が判明すれば、論評や考え方が変わるのは、全く普通の道理なのです。

「楠板本尊」や「富士の清流700年」も「御肉牙(御生骨)」と同様に、最初からの事実関係が崩れるのであれば、当然論評や考え方が変わって当然なのです。

処が、一旦公表しているからと、後生大事に新たな事実関係が発覚していても、言を曲げないのは、素晴らしい事でも何でもないのです。
公表を遅くすればするほど、当事者の責任は増大するのです。

むしろ、事実関係を無視して、宗祖の代から存在すると信徒に誤魔化して信じ込ませる宗教ならば、それは淫祠邪教の類ではないでしょうか。

それなのに、当方では、事実関係を考慮して既に変更しているのに対して、一方では、事実関係も調査せず、また調査せずとも事実関係が崩れている事が理解できているのに、変更もせず、何故か、変更した事自体を、発言者が意図としていない発言内容を用いて、変更した当方を責めるのは、筋違いなのです。

原則は、根拠もなしに、前に言った事と、後で言った事が違えば、誰も信用しないのは常識です。
でも、根本が間違っていれば、その枝葉末節も間違っているとされるのは当然です。
何処で間違ったのか、前進していた場所から引き返し間違いを起こした時点まで戻ってやり直すのが普通なのです。
歴代法主の何処かで、虚偽の法門が作られ、歴史を精査すると、辻褄が合わなくなっているのです。
これも、資料の秘匿から公開に変わり、民主化された現在だからこそ誰でも調査・研究する事が可能になったから解った事なのです。
然し乍ら、日寛上人、戸田先生は、事実関係を知らなかったのです。
それは、当時調査・研究する術が無かったからです。

今後、既知資料の更なる解析、未知史料の発掘、科学鑑定等を駆使して、堅固な事実関係が明らかになるでしょう。
それに依って、大聖人の御書に発した法義なのか、途中から登場した法主の文言にある法門なのかが、焦点になり、是非を問う事になると考えられます。



「設い論文に之有りとも慥なる経文之無くば不審の内なり」(当世念仏者無間地獄事109頁)
通解:たとえ論の文があったとしても、たしかな経文にないのであれば、不審とすべきなのです。


「法門を説き給ふとも経文を手に把らずば用ゐざれとなり、天台大師の云く『修多羅と合する者は録して之を用いよ文無く義無きは信受す可からず』文、釈の意は経文に明ならんを用いよ文証無からんをば捨てよとなり、伝教大師の云く『仏説に依憑して口伝を信ずること莫れ』文、前の釈と同意なり」(聖愚問答抄481-2頁)
通解:法門を説かれても経文によらなければ用いてはならないとあります。 天台大師は「経典と合うものは記録してこれを用いよ。経典に文がなく義のない説は信受すべきではない」と言っています。この釈の心は経文に根拠が明らかであるものを用いなさい、文証の無いものは捨てなさい、ということです。伝教大師は「仏説に依って、口伝を信じてはならない」といっています。前の釈と同意なのです。


「像法決疑経に云く『諸の悪比丘・我が意を解せず己が所見を執して十二部経を宣説し文に随つて義を取り決定の説と作さん、当に知るべし此の人は三世の諸仏の怨なり速かに我が法を滅せん』云云」(釈迦一代五時継図646頁)
通解:像法決疑経に「もろもろの悪比丘は私の真意を理解しないで、自分の見解に執着して十二部経を宣べ説き、文に従って意味を取り、それを決定した説とするでしょう。本当に理解してください。この人は過去・現在・未来の三世のもろもろの仏の怨なのです。速やかに私の法を滅ぼすでしょう」とあります。


「法華経に勝れておはする御経ありと申す人・出来候はば思食べし、此れは相似の経文を見たがえて申すか 又人の私に我と経文をつくりて事を仏説によせて候か、智慧おろかなる者弁へずして仏説と号するなんどと思食すべし、(中略)私に経を説きをける邪師其の数多し、其の外私に経文を作り経文に私の言を加へなんどせる人人是れ多し、然りと雖も愚者は是を真と思うなり」(善無畏三蔵抄882頁)
通解:もし法華経より勝れている経があるという人が出てきたのであれば、次の様に考えるべきです。この人は法華経によく似た経文を見誤って言うのでしょうか。または人が自分で勝手に経文をつくり、仏説の様にしているのか、智慧の足りない者が真偽を弁えずに仏説である等と思っているのです。(中略)自分勝手に経を説いた邪師の数は多いのです。そのほか自分で経文を作り、経文に自分の言葉を加えるなどする人々がこれまた多いのです。しかしながら、愚者はこれらを真実の経文であると思うのです。


「又彼の邪宗の者どもの習いとして強に証文を尋ぬる事之有り、涌出品並びに文句の九・記の九の前三後三の釈を出すべし、但日蓮が門家の大事之に如かず」(教行証御書1281頁)
通解:また、彼の邪宗の者達の習いとして必ず証文を尋ねるでしょう。その時には法華経従事涌出品と法華文句の第三の卷と法華文句記第三卷にある前三後三の釈を出しなさい。日蓮が門家の大事、これに過ぎるものはないのです。

経文が大聖人の御書、論や作り仏説は宗門の史伝であり、どの文証を拝しても、作り法門(史伝)は真実の御文(御書)には、勝てないのです。
 

フェイク 第1534号

 投稿者:宿坊  投稿日:2016年 5月27日(金)22時15分12秒
  (発行=16.05.26)

宗教団体の政治活動は憲法が保障
「慧妙」の的外れ政教一致の愚論を粉砕 ①
「政教分離」の原則は国家の宗教的中立性

日蓮正宗の「慧妙」が五月十六日付の一面で「創価学会・公明党は政教一致の
違憲団体だ」との仰々しい白抜きのお化け凸版をつけて批判しているので粉砕
する。

以前は選挙が近づくと学会と公明党の関係について非難する動きが顕著だっ
たが、最近は「政教一致」等という的外れの悪宣伝は少なくなった。それが面
白くない「慧妙」は学会の施設が〝裏選対〟として使われていると事実無根の
悪質な誹謗・中傷をしている。

また、学会に偏見を抱いていた元大学教授(故人)に「適用違憲」等と言わせ
て、重大な政教一致疑惑を世の多くの人々に知らしめていかねばなるまい、等
と宗教団体が政治に参加すること自体が悪いことのように錯覚させようとして
いるが、笑止千万!

既に、学会の公明党支援は「全く問題なし」と決着がついている。それを今
更、蒸し返す「慧妙」は七月の参議院選挙で公明党の票を減らしたいとの腹黒
い魂胆にほかならない。

まず、学会の施設を〝裏選対〟として使っているというのは公認候補から外
されて嫉妬、忘恩、退転、反逆という裏切り者の典型のような悪逆の末路をた
どった元議員の偽りの証言だ。

これを「慧妙」では「活動家学会員なら誰もが承知している事実」と書いて
いる。だが、本紙編集室が多くの「活動家学会員」に問い合せた結果、異口同
音に「そんな事実は全くない」と回答。各候補者は選挙事務所を構えており、
学会の会館を使用する必要はない。

以前、学会の施設を政治活動に使うなら課税せよ、と都知事らを相手に行政
訴訟を起こした脱会者がいたが、裁判所は「課税要件に該当せず」と判決を示
した。

更に「慧妙」は元大学教授の憲法二十条の政教分離原則の解釈を載せて、い
かにも高尚な議論であるかのような装いをしているが、学会と公明党に対する
嫉妬と憎しみによる愚論である。

宗教団体が政治活動や選挙支援を行なうことは憲法が保障した権利である。

憲法二十条の「政教分離の原則」も国民の「信教の自由」を実質的に保障す
るために国家権力の宗教的中立性、分かり易く言うと宗教への国家権力の介入
・関与を禁止したものであって、宗教団体の政治活動を禁止したり、制限する
ものではない。これは憲法が制定された当時から一貫して変わらない〝常識〟
である。

「慧妙」は公明党が与党として政治権力を行使できる立場にあるから政教分
離違反の疑惑を糾明すべきだと述べ「マスコミ・ジャーナリストが沈黙してい
ることは犯罪的」と煽っている。

学会と公明党の関係が政教分離の原則に反しないことは公明党が野党の場合
でも、政権党になっている現在でも何ら変わらない。

憲法制定当時の金森徳次郎国務相(憲法担当)は宗教団体が政党を結成しても
問題ない、その政党が政権を目指す運動をしても問題ないと明言。また、平成
十一年七月、大森法制局長官も「宗教団体が支援している政党が政権に参加し
ても、直ちに憲法が定める政教分離の原則にもとる事態が生ずるものではない」
と明確に答弁した。

歴代の首相、歴代の内閣法制局長官も同趣旨の答弁をしている。 (つづく)

 

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