秘密ノート

 
 

(10)グルジェフの意図的苦悩という技法

Intentional Suffering


グルジェフのパートクドルグ義務は2つに分かれる。

1)意図的苦悩:意図して苦しむ、苦しさを味わう、苦玉の中に入ってゆく

2)意識的ワーク:何をしているのか気づきつつ行う、観察する、ビッパサナ瞑想に近いかも.


第三の物質を獲得するためには、「意識した仕事(ワーク)」と、

「意図した苦悩(suffering)」を通してのみ得られる。グルジェフ


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<エックハルト・トールと新しい世界>より

『ニュー・アース』で分かったのは、その感情の渦、竜巻のような激しい現象が起こっている「場所」に意識を置くというスタンスです。その「場」を意識し、「場」でいろいろな現象が起こっているのだと観察する視点は、文字通り「新しい場所」をひらくものでした。



ラメッシ・バルセカール『人生を心から楽しむ』


不快な感情や、エネルギーから自由になるためには、これらの感情から逃げず、むしろ積極的に味わうのです。

その感情に注意を向け、全身全霊でその感情を見るのです。

この方法は、古来より多くの聖者たちが語ってきた方法です。


それは、恐怖が愛に、怒りが勇気に、性欲が至福に変容する錬金術です。

不安や恐怖に対しては、胸のあたりにバイブレーションが起こります

怒りに対しては、胃からバイブレーションが起こります

性欲に対しては、性器からバイブレーションが起こります

それらのバイブレーションに注意を向け、集中し、味わいます。

それらを完全に体験するならば、変容するでしょう。


<ミスターSの本棚>  『ポケットの中のダイアモンド』


苦悩も痛みも人生に降りかかってくるすべてを受け止め、

「味わう」ことが最もすぐれた解消法であると、

インドの聖者が言っていたのを思い出した。


ガンガジ『ポケットの中のダイアモンド』から


そこにあらわれているエネルギーそのものの中に、ただあるがままに開く。

あなたの場合は、絶望感でしたが、そのエネルギーの中に、ただ開くのです。


エリエール&ミーヤ・カーン『今ここに生きる力:瞬間的に人生を変容できる生き方の極意』


今この瞬間に起きていることを体験していこうと思えば、状況は楽になります。

悲しみを体験しているのなら、それを取り除こうと悲しみに抵抗するのではなく、代わりに幸せになろうとする必要もありません。

ただ悲しみという感情を、自分が感じることを許しましょう。

そうすれば悲しみは、自己完結し、消えてゆきます。




 ブログ<黄金時代へ> 聖者たちのメッセージ16 悟りへのプロセス


□普通人は苦痛を感じたりすると、酒やドラッグや他人のせいにしたり、自己暗示をかけたりして、苦痛を回避しようとします。決して真正面から苦痛を味わおうとはしません。

しかし、もし人がその苦痛を真正面から「観る」ことができれば、それは大いなる喜びに変換できる、とマハラジは言っているのです。

技法としては、とても簡単で、その苦痛に注意を向ける、あるいは、そこに意識を向け徹底的に味わうということです。

肉体的苦痛は言うまでもなく、精神的苦痛も肉体的なセンセーションなのです。肉体と精神はリンクしているので、、。

心の中で不安・怒り・憂鬱などの苦痛が起こった時、身体のどこかでセンセーションが起こっているので、そのセンセーションに注意を向けてみるのです。徹底的な集中です。


また、例えば誰かの言葉にムカついたとします。

その時は、相手に注意を向けるのではなく、なにふざけたことを言っているんだと、ムカつきの原因を相手のせいにしている自己の思考とムカつきの感情の方に注意を向けます。

その時に沸き起こってくる怒りの感情や、相手を責めようとする自己の想念・思考、更その背後のエゴに注意を向ける、或は気づくわけです。




ニサルガダッタ・マハラジ『私は在る』


□健康な身体、健康なマインドは、その所有者にはほとんど気づかれずにいるものだ。

苦痛や苦しみを通して、それらは注意と洞察を呼び起こす。

同じことを生活全般に拡張されればいいのだ。

人は何が起ころうとも、それに気づきの焦点をあわせることで、十分うまく対応できるものなのだ。


Q.苦痛は受け容れがたいものです。

 A.(マハラジ)どうしてかね?試したことがあるのかね?試してみなさい。そうすれば苦しみには快楽が生み出すことの出来ない喜びがあることを見出すだろう。

何故なら苦痛の受容には快楽よりもはるかに深い所へあなたを導くという純然たる理由があるからだ。

個人の自我はその本姓からして絶えず快楽を求め、苦痛を避けている。

このパターンの終焉が自我の終焉なのだ



『マネーゲームより脱出する法』

不快を感じれば感じるほど、

多くの力を取り戻すことができるからです。



■ブログ< 覚醒・至高体験の事例集:しんえもんさん

苦しみは、そこから逃げたり、消したりしようとせず、

受け入れ、味わいつくすことで、消滅するのだと気づきました。


エックハルト・トール氏


思い切ってその感情の中に飛び込んで、痛みや悲しみ、辛さなど、その時の感情を体験しきってしまえば、ふっと体の力が抜けて深い溜息が出る瞬間があります。そのあと、すーっとリラックスしてきます。


ほとんどの人にとって、「苦しみ』だけが唯一のスピリチュアル・ティチャー(霊的指導者)です。エゴに自分に気がつかせてくれるもの。


『ニューアース』:

・苦しみ には崇高な目的が、

意識を向上させて、エゴを焼き尽くすという

目的があったのだ。    


・あなたは苦しみに抵抗する。

エゴはますます増長する。苦しみは長ひく。

だが苦しみを受け入れると、意識して苦しむと、、、

その中で苦しみは変容をとげる。

苦しみの火は、エゴを焼き尽くして、意識の光明を得る。 


・この地上での悪行の犯人はたった一人しかいない。

人類の無意識だ。

それに気づくことが真の許しである。 


『POWER OF NOW』:

□ペインボディをいつも観察していると、ペインボディと思考の繋がりを断つことができます。思考との繋がりを断たれてしまったペインボディは、意識へと変わります。痛みが意識を燃やすための燃料に変わり、結果的に意識の炎がいっそう明るくなるのです。

これが一般的に知られていない、古代錬金術の解釈です。

つまり卑金属(苦しみ)を黄金に変える技術のことを意味しているのです。


□ネガティブな感情を観察するのです。

そうしないと観察されない感情がどんどん心の中につもってゆくからです。

…平和な境地にいない自分をあるがままに受け入れるのです。すると奇跡が起こります。


外に「探し」ていてはダメです。「今、自分がいる状態」以外の状態を探してはなりません平和の境地にいない自分を、あるがままに受け入れるのです私たちは『何か』を完全に受け入れると、その何かを超越することができるのです。


□痛みから顔をそむけてはなりません。

そこに立ち向かうのです。それを十分に感じるのです。それについてあれこれ考えるのではなく、感じるのです。

痛みに原因と思われる人物、出来事、状況に注意を向けるのではなく、注意をすべて感情に向けるのです。


痛みの中に入り込むことです。

すると痛みは変化してゆきます。


「完全に意識を向けること』自体が、すでに「完全に受け入れること」であり、「手放す」ことだからです。


グルジェフ『ベルゼバブ』

 □クンダバッファーの特性からのがれる手段の一つは

「意図的苦悩」である。自分に向けられた不快な表現を耐え忍ぶ時生じる。


□他人と摩擦が起きたら、まさにその瞬間に自己を想起することができれば、おおいに活用できる。


ブログ<ベルゼバブの孫>はせいん氏 から

結局、意識的であるということは、

苦悩そのものを自己の進化のエネルギーに変えてしまう力すら持っている、


OSHO 『JOY』

   何であれ、外からやって来るものは喜びではないし、喜びではあり得ない。何であれやって来ては去って行き、何かに依存することで生じるものは喜びではあり得ない。喜びはまさに、あなたの中から起きてくるもので、あなたの存在に伴ったものだ。

   それは絶対的に独立しているもので、いかなる外部の環境にも左右されない。
   それは真に自分自身との出会いであり、自分という存在に伴う喜びなのだ。喜びは、あなたが本来の故郷へ帰った時に、その時に湧き上がるのだ。そして事実、あなたはその喜びを知らないからこそ、さまざまな娯楽を必要とするのだ。

   ロシアのもっとも偉大な小説家の1人であるマクシム・ゴーリキーが、アメリカを訪問した時のことだ。彼はアメリカ人が発明したさまざまな娯楽設備を見せられ、ガイドは彼が喜ぶだろうと期待していた。だがゴーリキーはそうしたものを見れば見るほど悲しそうに見えるので、ガイドはその理由を尋ねた。マクシム・ゴーリキーは言った。「私はこれらの娯楽がよくわかります。だからこそ私は悲しく感じているのです。おそらくこの国には喜びがないに違いありません。そうでなければ、これほど多くの娯楽は必要ないと思うからです」

   一度、あなたが自分の惨めさ、虚しさに直面する方法を学ぶならば、あなたの中に喜びが満ちあふれるようになるだろう。なぜなら自分を直視するプロセスが進めば進むほど、あなたの中で理解が深まり、惨めさ虚しさが消滅し始めることから、あなたはどんどん解放され完全になっていくからだ。




<煩悩くん フルスロットル>から      6・16・2009


人は誰しも緩衝器(クンダバッファー)をもっており、仕事上での失敗も「あいつが悪い、、」と自己正当化することで、ショックを和らげています。

しかしその緩衝器を取り去って、湧き上がる感情をそのままダイレクトに受け取り、観察し続け、意識エネルギーをより高次の感情想念層に流し込めるようになると、、ついに覚醒に至るといいます。


スピ系は「癒し」なので、この理論から離れた所作となり、覚醒から離れていくことになりそうです。 


 ■タオ指圧の遠藤喨及

□善も悪も表裏一体、内なる悪性こそが宝であると認識しないと、外部に悪を求めてしまう。

極端に言えば、戦争はそうして起きるんです。」


□我々の同しようもない部分(業)こそが、まさに宝なんですね。そのほかに我々の魂を成長させる要素はないんですね。

常に我々のネガティブな部分を内面に見て、それを転換するように瞬間瞬間深めてゆく。

仏教が「善悪不二」と説くように、善も悪も表裏一体であって、内なる悪性こそが宝であることを認識しないと、外部に悪を求めてしまう。

「我の中に、実は仏性がある」 つまり否定的なものの中に肯定的なものがある。


世界が物質のみによって成り立っているという、世間一般に流通している思い込みは、支配的でネガティブな(魔的な)勢力が、人類を覚醒させないようにするためにかけている、チャチな洗脳に過ぎないんですよ。


灸療法:皮膚に小さな火傷を起こすことで、微量の毒素を生じさせ、身体にとっては有害なものであるが、これによって逆に白血球が増え、免疫力を高める。

ホメオパシーも同じ考え。高血圧の人に極微量の血圧を上げる自然物を投与することで、逆に血圧を下げる。


「内なるネガティビティ」は、人間の自由性、他者に対する共感的理解、また霊性の向上などの必要性があって、宇宙大霊によって与えられているものです。

また、“あるもの”を、“ないもの”とすることは、心に負担をかけるので、きっと心身が疲れると思います。



【内なるネガティビティを認識しない平和運動の問題】


住職戦争を生み出すのは、ネガティブな勢力のエネルギーに呼応してしまう、私たち人類一人一人に内在するネガティビティです。これこそゲーム・チャリテイックスで、
ユーモアを持って包み、平和へと反転させるべきものなんです。ネガティブこそ、ポジティブを輝かせるための「宝」になり得るんですから。

住職:正義の旗を前面に出している場合なんですが、、、。
通常これは、「正義でない何かに対して行う運動」に伴って出て来るものです


住職:反戦にしても反原発にしても、もちろんそれは正しいことです。
ただし、戦争や原発を生み出している、攻撃性や金銭欲などのネガティビティは、誰の心にも内在しているものです。


住職:自己の内に潜むネガティビティに対して「立ち向かう」という姿勢
が明確にないと、そのネガティビティは外部に投影されます。

すると、攻撃的になってしまうんです。


住職:“世の中を良くするために「闘う」”という姿勢では、“世の中を悪くしている相手を断罪する”という気持ちが潜在せざるを得ません。


住職:真に立ち向かうべき相手は、内なるネガティビティです。それにも関わらず、内なるネガティビティを外部のものとして対象化し、敵視してしまう。

でも、それは、少なくとも平和なことではない、と思います


住職:もちろん、戦争に反対するの は大事なことです。でも、平和を求めることと、何かを敵視したりネガティブな気持ちになったりすることとは、また別の話だと思うんですよ。

すべきものではなく、むしろユーモアで包んで反転させるべきものだからです。

人類にとって最もネガティブなものが戦争です。しかし宇宙の一切は、心によって現象化しています。ならば、戦争もネガティブな心が現象化したものと考えなければなりま
せん。


 ________________

■稲福薫<すべてはうまくいくことになっている(その272)>

    なぜ人は苦しんではいけないのだろうか。    平成24年3月26日


人間は苦しむのを忌み嫌う癖がある。

それがすべての間違いのもとではないか。


苦しみにじっと居座って

逃げないことである。

「私は苦しみから逃げない」と、

覚悟を決めることである。


「わたしは苦しみから逃げない」と、

覚悟を決めた瞬間に

光がそこにに見えてきて

苦しみが解消されてくる。

     ***

まず、苦しい、とする。       平成24年4月8日

その苦しさをまぎらわないで、

感じていることである。


ただ、感じていると、

いつのまにか、背中に人が立っていた、

というような感じで光がやってくる。


わたしは、耳鳴りに注目する。

注目しているうちに

耳鳴りがうるさい耳鳴りから

しびれる快感の耳鳴りに次第に変化していく。

それを「天使の声」と称している。

     

     ***


<ある青年からのメール>より    平成25年3月25日

子供の頃は「見る」が自然と出来ていて

寝る前なんか目をつぶった瞬間、

闇→光→七色の形が変化する幾何学模様が見えて

見てるうちにすぐ眠れてました。


思考しない見て寝る方法を自然とできていたおかげで

どんな辛い事があっても寝れば精神が回復できてました。


     ***


平静年7月8日

「いやだなー、このやろう、苦しい、痛い、うっとうしい、」

という感情がやってきていも

それを見ている。

どんなに苦しくてもそれと一つにならないで、

どこかで見ているものがある。

それが気づきである。


逆に愉快な感情「あたたかい、うれしい、楽しい、」がやってきても、

それを見ている。


     ***

           

平成26年2月22日

人間の 内なる苦玉は

自分の内側に向うことによってしか解消できない。

ところが、意識が、

外側に向いてしまうと、

内なる苦玉から目を背けることになり、

それは、

だれかに苦玉を飛ばして自分が楽になろうとする行為である。

誰かが犠牲になって自分が楽になっている。

それを崇高な理想で覆い隠してしまっている。

これが集団化の本質ではないか。

わたしが団塊の世代に直感的な拒否感を持つのはこれが原因である


     ***


調和波動を追いかけても、手に入れることはできない。

光を追い求めても、手に入れることはできない。


    ***


稲福薫 FACE BOOK  9/5/20014

『この世の戦争を防止するには』

わたしは
クリシュナムルテイに目覚めさせられ、
ラマナ・マハルシによって真我というものがあることに気づかされ、
ニサルガダッタ・マハラジによりその核心を教えてもらった。

それが「真我=空っぽ=ぽっかり穴=超宇宙的全体意識」である。
この三人のお方が
わたしの導きの師である。

ところが、
ずっと腑に落ちない問題があった。

このお三方は
ともに第二次世界大戦中を生きている。
人間一人の意識は宇宙全体をコントロールする、
と言っているのに、
なぜ、
第二次世界大戦を防げなかったのか。

昨日、その答えが見つかったように思えた。

わたしは
週に一度の空手の稽古をしている。
師範は
武禅正道館宮城道場の
宮城館長である。
わたしの現在の意識の状態を
最も理解してくれている一人である。

超宇宙的全体意識の状態で空手の稽古をしている。

わたしが
「空っぽ=超宇宙的全体意識」で師範に向かうと、
師範は
ふと、
「無視されているような気がする」
と言われた。
「えっ?
わたしは完璧な意識の状態なはずなのに?」
そして、
師範の苦玉を見つめるようにすると、
「そうそう」
とうなずかれた。
そして、
苦玉の中に「ぽっかり穴」を発見すると、
「これが完璧な状態!」
と言われた。

そのとき、
わたしは「あっ!」と気がついた。

クリシュナムルテイも
ラマナ・マハルシも
ニサルガダッタ・マハラジも、
超宇宙的全体意識にはなったが、
苦玉を見てなかったのではないか。

簡単に言うと、
心は「あの世」に行っていて、
「この世」を無視していたんじゃないか。

苦玉とは「この世」である。
不調和波動の中心にあるものである。
苦玉に取りつかれていることが、
不安、恐怖、怒り、差別、憎しみ、攻撃、などの
否定的感情に支配される。
それに支配されている心で行動するから、
果てしのない戦争が起こる。

ところが、
そんな意識に「気づき」が現れる。

「今の自分ってなんかおかしいんじゃないか?」
という気づきである。
それは誰かに指摘されて気づくというより、
天から降ってくるようなものではないか。
よく
「お天道様が見ている」と言われる。
あれである。

自分がおかしいことに気づく。
その気付きによって否定的感情まかせの行動が抑制される。
そんな抑制する心の力が働かないから
めちゃくちゃな戦争にまで発展するのではないか。

すなわち、
気づきの意識(超宇宙的全体意識)が
苦玉を見ていることである。
そして、
苦玉の中心に穴が開いていることに
気づいていることである。
それが苦玉が完全にコントロールされている状態である。
不調和波動が封印されている。

それが世界中の戦争がめちゃくちゃになるまで発展するのが防止される
のではないか。

「この世」に住んでいながら、
「あの世」だけに行ってしまってはダメなのだ。
「あの世」につながりながら
「この世」=苦玉世界を見つめていないといけないのだ。

わたしは宇宙全体である。
だから、
世界の苦玉を見つめるには、
わたしの中心にある苦玉を見さえすればいいのだ。
わたしのこれからの死ぬまでの間にやるべき義務は
超宇宙的全体意識の状態でわたし自身の苦玉を見つめ、
その中心のぽっかり穴に気付き続けることである。

すると、
地球上すべての人に
気づきが現れるだろう。
それによって、
戦争が拡大して地球全体がめちゃくちゃになるのが防止されるはず。


     ***

10/1・2014

だから、
人々あるいは社会、から離れて
一人でいることが必要なのです。

そして、
一人いて、
自分の内側を見つめたときに、
苦しい芯があるのを発見します。
それこそが、
すべての人間関係を不調和にしている不調和波動の震源である苦玉です。
あなたのすべてをうまくいかなくさせている究極の源です。
それは自我です。
(発見するのが瞑想の真髄です)。

そして、さらに、
苦玉の中心をじっと見つめていると、
ぽっかりと穴が開いているのが発見できるはずです。
その瞬間に、
不調和波動=苦玉を
突き抜けています。
すなわち、
自我が消えています。

それが、
調和波動=光です。

そのとき、
あなたの存在と、
すべての人や物との完全な調和が出現します。
それが
本物のコミュニケーションです。

     ***

10・27・2014 この地図をパソコンの画面に張り付けて、
この苦しみを一人で感じているだけでいい。
ただ「苦しみを感じている」感じ。
苦しみに対して何かをしようとはせず、
「見ている」感じ。
それが「見る見る」である。

ただし、絶対に苦しみからは目をそらさない。

すると、
次第に、
苦しみが解消されてくるはず。

それとともに、
エボラ出血熱が収束してくるはず。






吉川宗男 ハワイ大学

痛みでズキンズキンさせることでによって、流れを作っているのです。

そうです、痛みこそヒーリングプロセスそのものです。



<幸せって意外とカンタン>より

寒さを全部感じきってみようと思ったんですね。

寒さを拒絶しないで、寒さにに対して見を開いてみました。


ナグ・ハマディ文書Ⅱ  福音書     小林稔 訳

自分の苦しみを眺めることができれば、

自分が苦しみではなく、目撃するものであることを理解する。


津留晃一:

・講演会「空間認識」 1999年5月15日

S さん、2千年問題に意識が行ったら、「今、2千年問題に意識が向かってるなー」って、ただ、ジーッと感じてください。

感じていると、ここ(胸)に、自分の内側に光が入っていくんです。

そうすると「2千年問題起きたら大変だ」ということを知っている自我が解けて消えてなくなります。それが無くなった人には、2千年問題は起きないんです。


・『幸せテクニック』

あなたの身体に意識を向けてみて下さい。

どこかにストレスを感じているはずです。

そのストレスに意識を向ける。するとブロックに光が射し始め、溶けてきます。

頭を働かせるのは、自我を働かせることです。


・痛みというのは必要があって来るのです。

そしてそれを否定するとエネルギーが流れなくなる。

溜まっているのが痛み。

なので「痛いところに意識を向けてあげる」のです。


ブログ<スピリチュアル・エレガンス>から

ネガテイブは抑え込むものではなくて、感じきるもの。


無気力という恐れや不安から動こうとするのではなく、「無気力」に浸ることによって、そのエネルギーは必ず浄化され、動きたくなってきます。


今ここにある感情を感じ取って下さい。5分ほど感じとるだけで解放されてゆきます。今必要なコトハ、今ここにすべてあるのです。



体験例

1)人前で発言しようとしたら、ドキドキして上がってしまった。そのドキドキに注意を向けたとたん、恋のときめきのようなウットリした感じになって、気持ち良く話せた。



■IN DEEP から

「幸せはガンがくれた」 12章 ガンからの贈り物 - 料理教室の人たち より





「その人が言うのよ。痛くてしょうがない時には、すべて受け入れるんだって。自分にすべて受けることだって言うの。『どう受けるのか分からないよ、こんな痛み。もうなんとかしてほしい』って言ったらね、『自分もものすごく苦しかった。だけど受けたよ、全部ね』って」


「それでも私は分からない。そしたら、『とにかく痛みがきた時は、ああ、ありがとう、と言うことだよ』って言うのよ。私は分からなくてね、この痛み、コンチクショウ、コンチクショウと思ってたからね。闘って、やっつけてやろうと」


「でも、ある日ね、その人の、増田さんっていうんだけど、増田さんの言葉を何回も何回も自分に言い聞かせていた時に思ったのよ。闘うのやめてみようって。やめて、負けるんだったら負けてもいいのかなあって。よーし、今この一時をね、感謝をもって痛みを受ければいいって思った」


「もちろんいろんな手当てはやりながらだけど、神様ありがとうって。私、別に宗教はないんだけど、この痛みは、きっと私を育てるためにくれたんだと。増田さんは、そのこと教えてくれたんだって分かったの。徐々によ、最初からいっぺんにじゃなくて」


「それから、変な言い方だけど、陶酔に変えていったのよ。痛い、だからこれは気持ちがいいというふうにしていった。痛みが気持ちいいんだって、自分に言ってたの。そうしたら、ちょっと言葉で表せないくらいなんだけど、痛みが、単なる痛みじゃなくなったの。通りいっぺんじゃないのよ」


「どう言っていいんだか分からないけど、ともかく違うのよ、痛みが。だから徐々に徐々にね。あっ、今日も来たよ、ありがとう、ありがとうって。本当に心からね、それが思えた日に、スパッと抜けた、痛みが。本当に、見事に、スパッと抜けたのよ。その間がすごく長かったですけどね、やっぱり」


痛みを忘れて、すでに7年ほどになるという。

そして4年前、人間ドックで精密な検査を受けた。結果は、異常なし、であった。


■バシャール


今この瞬間に再現させた不快な体験に自分をめいっぱい共振させて

「病原菌」をしっかりと見ましょう。


すると、その病原菌の波動を

あなたにとって心地よいエネルギーへと変容させていけるのです。


たくさんの不快な出来事や考えを再体験して

変容自在な意識の力につながりましょう。


皆さんがどんどん変容させていくほどに

もっともっとスムースに進んで行けるようになるのです。


忘れないでください。

恐れのエネルギーも 喜びのエネルギーも

全く同じ ひとつのエネルギーなんですよ。


■『わかっちゃった人たち』   p.110

「これは、ある種の完全なくつろぎ、生じるものが何であれその中にすっかりくつろぐということ』という感じでしょうか。それが基本です。何であれ生じるものの中にくつろぐこと。何であれ迎え入れて、何でも愛する。でもそれはすることではないんです。




広島のアナウンサーのえみさん


考えている時は意識が頭にあります。

感じている時は、意識がハートや胴体に下りています。

いまを感じている時は意識が頭に絶対にいきません。

意識を研ぎ澄ませてみて下さい。

身体の体感を養うのがいいと思います。

身体を動かす時に内側を感じるんです。


ガンガジとの対話: 痛みにしっかり向き合う  2015.9.5


質問者    美しい娘、レイチェルを交通事故で失いました。

あなたにお会いするまであまり泣いていなかったのですが、

ここでは、あなたが部屋に入っていらっしゃるたびに泣いています。

 

ガンガジ   たくさん涙を流されているのでしょうね。

 

質問者    今朝もこの部屋で泣きました。

本当にたくさん泣いたので、ちり紙を持っていたら良かったと思いました。


でも、ある時点で、もう手放しました。

あるがままにまかせました。

すると、私にとっては重要だったいろいろなことが、私の顔を伝わって流れていったことに気づきました。

手放せて良かった。。。

 

レイチェルの死をめぐっては、たくさんの物語がありました。

ただ、

あなたが以前、

「物語の中での考えや感情を、『本当の私』と同一視しないように。それらは『真実の私』ではないのだから」

と、おっしゃっていたのを覚えていたのです。

それで、物語を見つけるたびに、それを手放すという選択をしています。

そうすると、即座に苦しみが終わります。

 

苦しくないから泣いていない。という物語がありました。

もちろん、まだまだたくさんの物語があるのですが、

あまり泣いていなかったのは、

忙しくて泣く暇がない、という物語がそこにあったからだと思いました。

 

レイチェルが死んでしまったので、

脳性麻痺や、いろいろな医学的な問題を抱える3歳の孫を育てているのですが、そのようなわけで、私には、忙しいという正当な理由がありました。

やることがたくさんあるのです。

 

でも、今日は、

『真実を語りなさい』とあなたがおっしゃるのを、何度も耳にしました。

 

そして、自分に真実を語った時、

レイチェルがもういない、という事実とともにいることを避ける為に、忙しくしているのだと、気づいたのです。

忙しく過ごすことを自分で選択していたのです。

 

彼女はもうここにはいません。

娘に会いたくて、何もかもすべてが彼女を思い起こさせます。

でも、私はただ、その事実とともにいたいです。

 

ガンガジ   そうですね。そこが、あなたが居るべきところですね。

 

質問者    そこにいることを避けて、忙しく動き回ったり、いろいろなことをしていた理由には、恐れがかかわっているのだと思いました。

もしも、感情をそのままにしておいたら、自分をコントロールできなくなってしまうかもしれないという恐れです。

 

ガンガジ   そうですね。

 

質問者    もし自分をコントロールできなくなってしまったら、どうやって孫のエデンの世話をしたらいいのかしら。

やらなければいけないことを、いったいどうやってこなしていけばいいのかしら。でも、もうすぐガンガジの修養会があるから、あそこでならコントロールできなくなっても大丈夫だわと。

そんなふうに、思っていたのだと思います。

 

(笑い)

 

そして今、ここにいるわけですが、

これまで、人生のすべてを傾けて忙しく動き回り、直面することを避けてきたそれは、自分で仕切ったりコントロールすることができないものなのだ、ということに気づきました。

 

ガンガジ   そのとおりですね。

コントロールのまねごとですね。

 

質問者    コントロールするのはもう嫌です。明け渡したいです。

 

ガンガジ   まねごとは必要ありませんね。

素晴らしいですね。

 

参加者    それで、ほんとうにもうたくさん泣いたんです。

そうしたら、すっきりしました。

とても気持ちがよかった。

 

ガンガジ   亡くした子どもへの深い悲しみは美しいです。

 

質問者     そしてもう一つ、

今朝ここに座っていて気づいたのは、感謝の気持ちです。

 

レイチェルに対して、感謝の気持ちでいっぱいです。

レイチェルは、とってもすばらしい人でした。

いつもそうでしたし、今もそうです。

そうして彼女と一緒にいることのできた23年間に、

それから、彼女の母親であるという名誉と、

そのような深いレベルで、彼女のことを知ることができたことに、心からの感謝を感じるのです。

 

ガンガジ   幸運ですね。

 

質問者    初め、私の物語の中には、

孫が母親の死から立ち直れないのではないかというものがありました。

 

でも孫は3歳で、喜びそのものです。

母親が、もうそこにはいないことを知っているのですが、

いつも母親に話しかけています。

彼女の存在をとても強く感じているのだと思います。

母親の愛を感じ、彼女を愛しているのです。

そのことが、私には、ある意味とてもうらやましいのです。

私もそんなふうに感じてみたい。

レイチェルがまだそこにいるように感じたい。

娘がそこにいるのだと知っていて、そんなふうに感じたい。

 

そして、思ったのは、

このような切望は、いつも、誰の中にもある、あの切望と同じだということです。

 

ガンガジ   そのとおりですね。

 

質問者     真我への切望だと思いました。

そして、ほんの一瞬ですが、『本当の私』がわかった瞬間がありました。

レイチェルと繋がったのです。

レイチェルと一緒でした。

 

ガンガジ   そうです。同じです。

その切望は、あなたの味方です。

忙しいからと、どこかに追いやってしまうものではありません。

あなたを預けてしまえる相手です。

切望の中に飛び込み、任せてしまいましょう

 

質問者    この切望は、真理です。

 

ガンガジ   そうですね。

真理への道、というふうに申し上げたくないのは、

もっともっと近いからです。

真理という歌が、それ自身に呼びかけているとでも申しましょうか。

 

けれど、私たちはずっと恐れてきました。

自分でコントロールすることができなくなるからです。

その歌の中に飛び込むと、自分で仕切っているのだという思い込みのすべてを失います。

 

質問者    でも気が軽くなります。

 

ガンガジ   そうですね。

 

質問者    もう、忙しく動き回っていなくてもいいのです。

 

ガンガジ    そのとおりですね。

それは、あなたのお孫さんにとっても、素晴らしいことですね。

これからは、もっと深いところで、お孫さんに関われますね。

 

質問者    私の中に、この子を育てるのに私は適任ではない、という物語もあり、それで仕事に没頭してめまぐるしく動き回っていたのですけれど、

なんて馬鹿だったのでしょう。

この子と一緒にいる為に必要なのは、ただ愛だけです。

 

ガンガジ   そのとおりですね。

 

質問者    その物語がわたしを彼女から遠ざけていました。     

 

ガンガジ   とても明確ですね。

 

参加者    修養会が始まって最初の日だというのに、

この先、どのようなことが起きるのか、本当に楽しみです。

 

先週、サットサンで、あなたをお見かけしましたが、

その時は、あなたがきっと私の心の痛みを取り除いてくださるのだと思い、期待していました。

 

ガンガジ   あらあら、そうじゃないのです。

もしも私が、自分の仕事をちゃんとやっているのだとすれば、

あなたたちが痛みから逃げられないように増幅させているのです。

なぜかと申しますと、

真実をあらわにしてくれるのは、ほかならぬ、痛みだからです。

 

私たちは人生のすべてを、

痛みをコントロールしたり避けるために、または、痛みから救われようと過ごしています。

でも、そうではないのです。

痛みにしっかりと出会い、避けることを止めて進んで体験するならば、

それは、ラマナが死と出会ったのとまったく同じです。

単に、あなた特有の、あなた用の脚色であるという違いだけです。

 

質問者    親しい友人が、私にこんなことを言いました。

「つかんでいるものを手放し、心をただ壊れるままにまかせていれば、そこから、本当のあなたが現れる」って。

 

ガンガジ   それは素晴らしい友ね。

 

私たちは皆、心が壊れるままにまかせるということがとても怖いですね。

 

心が痛むたびにそこには亀裂が生じ、

そうして、何度も何度も、繰り返し心が壊れるままに任せると、

亀裂はどんどん、どんどん大きくなります。

でも、

亀裂はただの空間にすぎないのです。

あなたの真我、真実のあなた、という空間です。

 

ほとんどの人々は、痛みを取り除く為にスピリチュアルな探求に加わりまが、もっともなことです。

なぜなら、痛みがなくなれば幸せになるというふうに、みな思い込んでいるからです。

でも、スピリチュアルな道をずっと先までやってくると、

それは、一つの痛みを他の痛みにすりかえただけだったということが見えてきます。あるいは、痛みを覆い隠したり、固めてしまったり、しびれさせて感じないようにするのが得意になっただけだとわかります。

 

痛みにはしっかり向き合わなければいけません。

そうすればわかります。

向き合うまでは、これは単なる知識でしかありません。

単なる記憶している言葉であり、見識であり、

他の人の過ちを指摘して正したりするような、そういうたぐいのものでしかありません。


でも、痛みとしっかり出会うとき、あなたは、切望に出会い、

そして本当のあなたに出会います。

 

質問者    あなたが、さきほど手紙をお読みになった時気づいたことがあります。それは、問いかければ答えが与えられのだということでした。答えを探すことを止めて、ただ問いかけるのですね。

 

ガンガジ   そのとおりです。


本当の問いかけというのはそのようなものです。

あなたがそうあってほしいという答えを携えながら問うのではないのです。

ただ単に心を開くと、答えはもうそこにあります。

サットサンですね。

問いかければ、どんどん深い答えが得られます。

 

質問者    この機会をお与えくださりありがとうございました。

 

ガンガジ   あなたがここにいてくれたこと、とても嬉しいです。

レイチェルを失った深い悲しみを話してくださり、ありがとうございました。


閉ざされた心には、体験されずにいる深い悲しみがたくさんあります。

壊れた心の中にあります。

 

悲しみは、解放されます。

 

あなたがここにいてくださったことで、どれほどの学びがあったことでしょう。

 

無執着という概念がありますが、

仏教の教えから来たそれが、マインドによって都合良く受け取られると、痛みから解放される方法であると解釈されます。

『あっ。そうか。わかったぞ。執着しなければいいんだな』と、解釈される訳です。

そしてそこに、

無感覚や、距離を置いたり、ということが起こります。

そうなると、人生の痛みも、愛の痛みも、心が引き裂かれるような痛みも、

体験する必要がありません。

そして、

心地よさや、さとりや、コントロールなどという、

いろいろな名前にかこつけて、もっともっと固く心を閉ざすということが起こります。

 

ですから、無執着という考えは捨てて、

あなたの執着を進んで経験してごらんなさい。

執着することの痛みや美しさ味わい、

執着するものが、引きはがされていく悲しみを味わってごらんなさい。

そうすると、あなたは、

決して切り離すことのできない何かに気づくでしょう。

それは、

禁欲的だとか、無感覚だとか、無感情だとか、そのような非人間的な存在ではありません。

自由で、そして意識的に、それらのすべてをふくむものであるのです