G7伊勢志摩首脳宣言は温暖化対策に「指導的役割を担う」という。だがそれを原発維持の口実にされてしまっては、フクシマへの、ひいてはヒロシマ、ナガサキに対しても、裏切りとは言えないか。
気候変動・エネルギー問題は、世界経済と強く結び付き、貧困やテロの温床にもなるような重要な課題である。
昨年のドイツ・エルマウサミットでG7が発信した政治的シグナルが、年末に国連で採択された気候変動の新たな国際ルール、「パリ協定」の強力な後押しになったのは、間違いない。
G7は、地球温暖化に対してより重い責任を持つ先進工業国である。伊勢志摩では、パリ協定の発効を念頭に、対策の強化と具体化を促すような、より強いメッセージを期待した。
ところが、関心度、議題としての扱われ方などは、エルマウより数歩後退したようだ。現地に詰めた環境NGOの間にも失望感が広がった。
首脳宣言は、気候問題について「引き続き指導的な役割を担う」と強調し、「世界経済の非炭素化を可能にするエネルギーシステムへの転換に向けた取り組みを加速することを決意」とうたう。
しかし、安倍首相は議長国日本のリーダーシップには言及せず、どのようなエネルギーシステムに転換していくかについても、具体的な議論はなされなかった。
一方、宣言は、福島原発の廃炉や汚染水処理問題の進展にも触れながら、「原子力は将来の温室効果ガス排出削減に大いに貢献し、ベースロード(主要な)電源として機能する」と明記した。
廃炉も汚染水処理も、難航を極める先の長い課題である。原発は長期的には地球温暖化問題の解決策にはなり得ない。
世界の流れは、脱原発、脱炭素、再生可能エネルギーの時代である。温暖化対策はその流れの中にしか、あり得ない。
「核」は、命、暮らし、経済、ふるさと、地球…。つまりすべてを根こそぎ奪う危険な力を秘めている。
兵器でも民生でも理屈は同じ。地球の「持続可能性」にとっては、最大の敵である。
日本が議長国であるうちに軌道修正すべきである。さもなくば、自然と共生しながら千古の歴史を刻み続ける伊勢志摩で、サミットを開いた意味がない。
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