首脳宣言で「財政出動」と「経済危機」への言及にこだわり続けた日本のリーダーの姿勢は世界にどう映ったか。議長として指導力はある程度重要だとしても、我田引水では信頼を失いかねない。
サミットに臨んだ各国首脳には当然、消費税増税の延期の理由付けを模索する安倍晋三首相の思惑は見えていたはずである。本来であれば、世界一の借金大国の日本が増税を再度延期しようとすれば逆に止めにかかってもおかしくない。そこは議長国の顔を立てる配慮が慣例化しているからである。
その首相の思惑とは、議長を務めるサミットで世界経済が危機に陥る恐れがあるとの認識を共有し、財政引き締めとなる消費税増税を封印すべく財政出動で各国が協調することを首脳宣言に盛り込む−議長国としてその流れで議論は進められた。
ただ、経済危機については欧州連合(EU)離脱問題に直面する英国のキャメロン首相やドイツのメルケル首相が異を唱えたといわれる。財政出動には、財政規律に厳格なドイツや慎重な英国が難色を示した。
結局、首脳宣言は「新たな危機に陥るのを回避する」「財政戦略の機動的な実施」と幅広い解釈ができる玉虫色で落ち着き、「すべての政策手段を用いる」との文言も入った。安倍首相は早速、閉幕後の会見で「あらゆる政策という以上、消費税の扱いも検討する」と増税先送りを示唆したのだ。
だが、首脳宣言をよく読めば、リーマン・ショック級を危惧する記述はない。英国のEU離脱や、ドイツなど欧州の難民問題、世界を覆うテロといった経済以外に起因するリスクを挙げており、百年に一度の金融危機といわれたリーマン・ショックとは明らかに性質が異なるのである。
首相の会見はいかにも我田引水が過ぎる印象だが、それが許されてしまうのも議長国だからだ。各国が持ち回りで議長を務めるため「お互い大目に見よう」との配慮が働くといわれる。
しかし、それでいいはずはない。今回は財政出動の是非ばかりに焦点が集まる一方、格差の拡大や富の偏在といったG7が率先して取り組むべき課題が十分に議論されなかった。パナマ文書で注目された税逃れ対策も目に見える進展はなかった。
議長国の恣意(しい)が強くなりすぎると、サミットの意義を低下させかねないことを肝に銘ずべきだ。
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