「真面目」にオナニーをした中学時代、そして<空白>の一年。

中学校ではいつもオナニーをしていた。
授業中でも、自分の空想の世界に入り、奴らが「真面目」だと思っている隙をついて、
学生服の中に手を伸ばし、左の乳首の方が感度が良いので、大抵の場合は右手で左の乳首に手を伸ばしてこすり、下半身はと言えばその逆の左手で、何とかバレないように、ゆっくりこするか、
念入りに股を少し開いたり閉じたりして、呼吸も少し、バレない程度に荒げながら、工夫して射精した。
また、両方の乳首を逆の手、つまりは左手で右の乳首を、右手で左の乳首をいじり、
股に関しては先述したように少し開いたり閉じたりして射精することもある。
どちらにせよ、射精する際には極力声が出ないようにした。
そんな感じで授業中を過ごしていたのである。

休み時間にはいじめられる。
悪口を言われるだけならまだしも、殴られたり蹴られたりする。
授業中にはオナニーをしているものだから、股間はやけに冷たい。
その冷たさはお尻のあたりまで浸食しているときも多かった。
いじめられたストレスでオナニーをする繰り返しだった。
自分はそうすることでしか、自分の精神状態を保てなかったのだろう。
射精しながらノートを取っているときもあった。
頭がぼーっとしている中で、「真面目」本能から、
全く勉強にならない手の運動とも言えるような作業をしていた。
授業から得ることなど何もなかった気がする。
塾でも休み時間はほとんど欠かさずオナニーをした。
オナニーをしすぎてもはや精液が出ないような状態のときも多かった。
そうして家に帰ると、白いパンツは「赤く」染まっていた。
ただ赤いだけではなく、精液と血が混ざったような赤さだ。
チンカスも混ざっていただろう。
そんな、不思議な色をしていた。

しかしながら、「真面目」でいなければならないと教えられていたから、
テスト前にはしっかり勉強をして高得点を取った。
マナーもしっかり守った。
教師に廊下で会えばいつも頭を下げていたし、掃除も嫌々ながらも、「真面目」にやりとげた。
親や教師の前では、絶対に「真面目」でなければならない。
そうでなければ、エリートコースから外れるからである。
当時母親には、この競争社会では、勉強さえできて、良い大学に入って資格をたくさん取れば、
一生涯安泰だ、というようにいつも教えられていた。
祖母も祖父も同じようなことを言っていた。
こうちゃん(=月永皓瑛)は天才だ、などと言われて、幼い頃から常に周りから期待されていた。
そして、その期待を常に背負って生きていた。
スポーツは一切出来なくていい、勉強さえできればいい、そう言われた。
現に、小学校の頃から、それなりには速かった足もどんどん遅くなり、
最初は全然できなかった勉強はどんどんできるようになった。
小学3、4年あたりから英語も習わされたし珠算も習わされた。
そして、順調に上達していった。

確かにずっと、「真面目」だった。
小学校5、6年くらいからオナニーを覚え始め、中学に入ると物凄い頻度でしていたし、
勉強をすると言いながらノートパソコンでエロ画像を見たりしてオナニーをしたり、
ネットゲームをして、プレイヤーはネカマを含むであろうが女のキャラクターを見てオナニーをしたりしていたが、
パソコンができると将来の役に立つだろうということで容認されていた。
勿論、テストの点数が下がったりしたときは禁止されたり時間を減らすように言われたのだが……。
どうあれ、そんな感じで結局は「真面目」という前提は崩さないようにしていたのだ。

あの頃は確かに辛かった。
でも、どこか希望に満ちていた気がする。
いつか自由になれると信じていた。
誰かと笑い合える気がしていた。
何気ない日常の中にも楽しさを見いだせる気がしていたし、それで良い気もしていた。
何者にもならなくても、安定した生活を送れればそれでいいと妥協する覚悟ができていたのかもしれない。
これはもうデブであるがゆえの覚悟である。
痩せてしまったらこの物語は急展開を迎えるだろう。
(後にそうなったのである。)

「真面目」に生きた中学生活も終わり、
ずっと「真面目」に勉強してきたにも関わらず、一つだけ受けた高校に落ちた。
つまり、中卒か浪人のどちらかを選ぶしかないのである。

こんな状況にありながら、どこか心地よかった。
合格発表の時に名前がないのを見たとき、
「真面目」な自分に終わりを告げる萌芽を見いだしていた。
これから先どう生きていくかは確かに迷ったが、それ以上に喜んでいた。
縛りから解放された気がした。

そしてその後、中学の頃と同じ塾に浪人生として通い始めた。
同じ高校に入るために浪人した女子が1人いた。
しかしながら、初日からあろうことか、オナニーをした。
(といっても、塾が始まるまでの待ち時間であり、授業中ではないのだが……。)
バレないように、中学時代のテクニックを用いて、バレないようにやり遂げた。
全く懲りていなかったのである。
しかし今度も態度面でも勉強面でも、「真面目」を突き通さなければならなかったため、
勉強もしっかりやったし、発表のときには間違えたときに恥ずかしいし、生徒は他に女子1人しかいないため、小声で発表するようにした。
塾の講師には「真面目」に思われなければならないのだが、
生徒である女子には極力「真面目」というよりは「無気力」にみせなければならなかった。
何より、一人しかいないその空間が耐えきれなかった。
実際に話すことはほとんどなく、一年も同じ塾に高い頻度で通いながら、何か話題を共有した記憶はない。
その人も携帯をいじっているようだった。
話しかけられる前に自分の世界に入ってしまおうと、いつも突っ伏していた。
隣が勉強し始めれば、それに応じてタイミングをずらして一応勉強をする。
雰囲気に合わせて、ガリ勉ではないように思わせながらも、「真面目」で、
しかしながら基本的に「無気力」のように思わせなければならない。
行く時間も適度にギリギリでなければならなかった。
相手より少し遅めのときと、相手より少し早めのときを、
バランスよく考えた上で、時間調整もしながら塾に行ったこともある。
常に気を遣っていた。
というのも、お互いに浪人しただけに、勉強は凄くできるのである。
だから点数の差もほとんどつかず、ほとんどの模試では5教科500点満点のうち460点~480点の間の争いをずっと繰り返していた気がする。
これが、人数が多ければ1位でなくとも良いと思えて気楽なのだが、2人しかいないものだから、僅かな点差であれ勝敗がはっきりしてしまう。
もはやこれは逃げ場がない。
適当に勉強しても合格するからと言って、適当に過ごすわけにもいかない。
バカだと思われてしまえば、もう恥ずかしくて塾には行けなくなる。
かと言って自分の本来の目標であるダイエットもうまく成功させなければならない。
そして、「真面目」ながらも「無気力」というキャラを一度定着させてしまった以上、
それを一年間突き通さなければならないと思ってうんざりしてしまう。
しかしながら、相手はそこまで考えていなくて、自分だけが深く考えすぎていたのかもしれないとも今では思う。
話してもいない相手に、あそこまで振る舞いを気にしすぎたのは異常としか思えない。
相手の方を見ていないフリをして、相手が果たしてこちらを見ていないか恐ろしくて、
肘をつきながら寝ているフリをしつつ、睨んでいたこともあった。
本当にこの空気感は辛かった。
そこまで辛いから、途中からオナニーはしなくなった。
というより、考えてみればしていたのは最初だけだった気がする。
ダイエット中だったのでオナ禁しなければならないというのもあった。
オナニーに歯止めをかけたのはダイエットだったのである。

これでもう完全に「真面目」の完成である。
とは言え、そのオナ禁もどれくらい続いたかも、本当に出来ていたかも覚えていない。
そのときにもう、射精しなければいいだろうと自分なりに解釈して、
エナジーオーガズムにハマっていた気もするし、同人音声のサンプルを聞いていたかもしれない。
いや、それは18歳の時の2度目の浪人の頃だったか、思い出せないが、
少なくとも完全にオナニーをやめたわけではないのである。

オナニーの頻度がどうなったかはさておきとして、こんな中でも一年間で50kgも痩せて、
終わらない中学時代を<空白>の1年を含めた4年で終わらせ、高校にも入学した。

「真面目」を突き通した長い長い中学時代は、こうして幕を閉じた。