魏・呉・蜀には猛将や勇将など数多くあらわれます。
魏には張遼(ちょうりょう)や夏侯惇(かこうとん)、曹仁(そうじん)などの勇将。
蜀には関羽(かんう)や張飛(ちょうひ)、趙雲(ちょううん)をはじめとした五虎将軍達。
他にも呂布(りょふ)や顔良、文醜など一騎当千の武将が活躍した時代です。
では後漢王朝には優れた将軍はいなかったのでしょうか。
そんなことありません。
今回紹介する朱儁(しゅしゅん)は黄巾討伐で活躍し、その名声は天下に響き渡ります。
各地で反乱を起こす賊を討伐
朱儁は揚州の会稽郡出身の人物です。
若い頃から必死に学問に打ち込み、後漢王朝に就職します。
彼は就職するとすぐに軍を率いて、交趾で反乱を起こした賊を討伐するため出陣します。
協力して賊を討伐
彼は五千の軍勢を率いて、交趾に赴きます。
賊は反乱を起こした後、兵力を増し一万人ほどに膨らんでいました。
彼は一人で戦っても勝てないと思い、隣郡の太守に協力を依頼。
隣郡の太守は快く、協力依頼を受け、出陣します。
彼と隣郡太守の挟撃により、賊軍は敗北し、賊の太守を捕え、処断します。
この功績により、中央政府に出仕する事になります。
関連記事:三国志は黄巾の乱から始まった
関連記事:黄巾の乱は、どうして起こったのか? 黄巾賊についてわかりやすく解説
関連記事:実は、最初から作戦に失敗していた黄巾賊
江東の虎を引き連れ出陣
183年三国志の始まりである黄巾の乱が勃発。
朱儁は数々の武功を立てており、その軍歴が評価され黄巾討伐軍の大将に任命されます。
彼は黄巾討伐に出陣する前に、江東の虎として恐れられた孫堅(そんけん)を部隊長に任命。
孫堅は義勇兵1000人を引き連れ彼の軍勢に加わり、出陣します。
関連記事:記録が乏しい孫堅の妻たち
関連記事:孫堅が伝国の玉璽を手に入れたわけ
関連記事:呉・三国志 孫堅のあっけない最期
黄巾軍に大敗北
朱儁は孫堅を部下に加え、黄巾軍と戦闘を開始。
だが、黄巾軍の勢いが強く敗北してしまい、県城に逃げます。
黄巾軍は朱儁が籠る県城を包囲し、猛攻を加えます。
朱儁は必死に応戦しますが、陥落寸前まで追い詰められます。
漢の将軍・皇甫嵩と協力して包囲軍を撃破
photo credit: SMC Takumar 50mm f1.4 via photopin (license)
朱儁は漢の将軍皇甫嵩が援軍として来援すると、
協力して、県城を包囲している黄巾軍に猛攻を開始。
ついに黄巾軍を敗走させます。
朱儁と皇甫嵩は黄巾軍を猛追撃し、大将である波才を討ち取る大功を立てます。
二人の将軍は黄巾軍を討伐した功を認められ、侯の位を与えられ、
その後各地の黄巾軍を討伐に成功。
特進(三公の位に次ぐ職)に任命されます。
【次のページに続きます】