殺人ゾウと呼ばれ、コンクリートの監獄に閉じ込められた。61年後、この象の姿に胸が締め付けられた。
井の頭動物園のゾウ「はな子」を知っていますか ?はな子は戦後初めて日本にやって来た、もうすぐ69歳になる日本最高齢のインドゾウです。絵本やテレビドラマの題材としても取り上げられ、世代を超えて愛され続けています。しかし現在、このはな子が「世界一悲しいゾウ」として世界中で話題になっているんです。
はな子が日本にやってきたのは1949年のこと。日本では戦時中に、猛獣処分によって多くの動物が薬殺、絞殺、餓死などで亡くなっていました。戦後にタイ政府が「日本の子どもたちにゾウを見せたい」と東京の上野動物園に贈ったのが2歳半の「カチャー」でした。カチャーはその後、上野動物公園で亡くなった花子(ワンリー)にあやかって「はな子」と名付けられます。1950年から、はな子は移動動物園で日本各地を訪れています。多忙な日々でした。やがて武蔵野市・三鷹市ではな子の展示を求める声が上がり、1954年に上野動物園から井の頭自然文化園に移されました。
移動動物園のゾウ
しかし、ゾウは本来群れで生活する動物です。1頭きりの生活を始めたはな子は、心労やストレスが増え、気性も荒くなっていきました。そして井の頭動物園に来てから、2度の死亡事故を起こしてしまいます。深夜にゾウ舎に侵入した酔客、さらには男性飼育員を踏み殺してしまったのです。世間に「殺人ゾウ」として非難され、殺処分すべきだという意見も上がったため、はな子は狭いゾウ舎の中に前足を鎖で繋がれた状態で2か月以上も閉じ込められていました。ストレスから、はな子はアバラ骨が浮き出るほどやせ細り、4本のうち3本の歯を失なってしまいました。
人間不信になり、凶暴化していたはな子はその後、飼育員の山川清蔵さんと出会います。山川さんは、はな子を鎖から外して付きっきりの世話を続けました。しかし人を傷つけるまでに追いつめられていた孤独なゾウは、なかなか心を開いてくれませんでした。山川さんの存在に安心して手を舐めてくれるようになるまで6年、体重が戻るまでには8年もかかったそうです。山川さんははな子に深い愛情を注ぎ、30年に渡って飼育を担当しました。やがてかつての温厚さを取り戻したはな子は、井の頭動物園のマスコットとして人気を集めるようになります。1頭と1人の交流は本やドラマにもなり、多く人々の涙を誘いました。やがて定年を迎えた山川さんは動物園を去り、はな子の世話は息子の山川宏治さんのチームに受け継がれました。直接的な飼育方法がはな子の動きを生き生きとさせると評判を呼び、多くの来園者が動物園を訪れました。飼育員とはな子の信頼関係は高く評価され、賞を受賞したこともあります。
はな子の檻に変化が現れたのは、すでに60歳を過ぎた数年前のことです。飼育員が鼻で転倒させられたり、獣医師が投げ飛ばされる等の事故が起きていたため、2011年から飼育方法が柵越しに世話をする準間接飼育に移行する措置がとられました。これは飼育員との直接の触れ合いが減ってしまうことを意味しました。人懐っこいはな子を知る飼育員たちにとっては、悔しい決断でした。それからというもの、はな子は飼育員用の出入り口にたたずむようになりました。
はな子が海外で話題になったきっかけは、そんなはな子の様子を見た1人のブロガーの投稿でした。井の頭自然文化園を訪れた Ulara Nakagawa さんは、その時のことを次のように語っています。
「彼女が監禁されている状況を直接見て、ショックを受け、落胆した。現代では考えられないほど前時代的で、悲惨な動物園だった。彼女はたった1頭で、コンクリートの壁に囲まれ、快適も刺激も与えられず、まるで置物のように、ほとんど死んだように立ってた。他にできることは何も無さそうだった。心が痛んだ。さらに最悪なのは、この動物園が東京で最も豊かな地区の1つにあるってことだった。」
Ulara Nakagawaさんの訴えにイギリスの動物愛護団体が反応し、署名活動が始動しました。嘆願書の内容は、はな子を適切なゾウの保護区域へ移すか、適切な施設で仲間のゾウとコミュニケーションんを取れる環境においてあげたい、というものです。この活動は今大きな注目を集めており、すでに25万人が署名が集まっています。その他にも「世界一悲しいゾウ」として海外メディアで取り上げられ「はな子をコンクリートの牢獄に押し込めている」などの意見が飛び交い、掲示板redditでも2000件以上のコメントが付くなど、活発な議論が交わされています。残念なことに、動物園には海外から批判の目が向けられています。
タイの保護地区
高齢のはな子が60年以上も1頭で、草木の無いコンクリートの古くて狭い施設で暮らしているのは事実です。しかし、61年も1頭で暮らしてきた年老いたゾウを、どうやって海外の保護区域へと連れて行くというのでしょうか。動物園での展示は、できるだけ自然界に近い環境を作り、できるだけ自然の姿で見せようとする「生態展示」が理想的です。しかし現在の日本には、動物園における展示基準や、動物の権利と福祉に関する基準がありません。その上、施設の老朽化が進む動物園が多く、再生への挑戦を行う施設もありますが、そのための資金集めにも時間がかかっているのが現実です。すでに何年も前から飼育環境に関する厳しい基準が設けられている欧州から、批判的な声が上がるのも理解できます。環境の整った動物園に比べると、確かにはな子は可哀想に見えてしまいます。
ドイツの動物園:アフリカゾウ
「はな子の部屋」
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しかし井の頭動物園では、できる限りの世話をしています。例えば、高齢のはな子の健康管理のため、カロリーがきちんと計算された質の高い食事が一日に何十キロも用意されます。職員は毎日、歯が一本しかないはな子のためにバナナの皮を一本ずつ剥き、野菜を煮て、大好きなおにぎりは1個ずつ手作業で握っています。施設は古くて前時代的かもしれませんが、飼育員ができるだけ工夫を凝らして世話をしてあげていることが伺えます。はな子が他のゾウと触れ合ったのは半世紀以上も前で、今は人と触れ合う機会も減ってしまいましたが、この手厚い世話があったからこそ68歳まで生きることができたのではないかという意見もあります。井の頭動物園以上に、現在はな子に適した施設は果たしてあるのでしょうか。
はな子の餌
動物の幸せとは、一体何なのでしょう。はな子はいつでも人間の都合に振り回されてきました。日本のたっての願いでタイから贈られてきたはな子は、全国を見せ物のように巡り、ひとりぼっちになり、一時はクサリに繋がれ人間不信になりながらも、穏やかさを取り戻し、61年間も動物園の来園者を喜ばせてきました。世界中には、はな子のように動物園でたった1頭で暮らしている動物たちが大勢います。68歳になったはな子に残された時間は僅かです。はな子が安らかな老後を暮らせるよう、私たちにできることを改めて考え直す必要があるのかもしれません。
子どもの頃に訪れたことのある動物園のアイドルの、過去と現在を初めて知りました。複雑な気分です。60年以上もずっとひとりでいることの寂しさを想像すると、涙が溢れてきます。
はな子の安らかな老後を願うなら、