消された? 弁慶の謎 清水寺参詣曼荼羅、赤外線撮影で修整跡
- 五条橋(左下部分)から清水寺門前までの参詣道が描かれた「清水寺参詣曼荼羅」=左=と高解像度で記録し、赤外線撮影した「清水寺参詣曼荼羅」。点線で囲んだ部分に修整を加えた形跡が見られ、五条橋の奥の欄干には、長刀の形が重なっているようにも見える(いずれも凸版印刷提供)
清水寺(京都市東山区)が所蔵する「清水寺参詣曼荼羅(まんだら)」(府指定文化財)で、五条橋に弁慶を描いた可能性があることが26日までに、デジタル保存作業などから分かった。現存する清水寺参詣曼荼羅は2作あるが、個人所蔵の方にだけ弁慶と牛若丸が登場する。寺所蔵の曼荼羅にも弁慶が描かれていたとすれば、消された理由は何か。研究者らが想像を巡らせている。
曼荼羅は、五条橋(現松原橋)から清水寺門前までの参道や寺内の様子を描く。作者は不明だが、応仁の乱で寺が焼失した後の16世紀、絵解きを通し、清水寺信仰を広めたと言われる。
文化財の保存と継承を目的に、屏風(びょうぶ)絵などのデジタル保存に取り組む凸版印刷(東京都)と清水寺が協力し、曼荼羅を高解像度で記録。赤外線撮影によって目で確認できない背景部分の画像を取得したところ、左下の隅に描かれた五条橋の一部に紙を貼り直し、修整した形跡が見つかった。
同時代の作とされる個人蔵の曼荼羅には五条橋に弁慶と牛若丸が描かれ、親しみやすい工夫を加えたと考えられる。赤外線撮影で弁慶が見つかった部分は、個人所蔵の曼荼羅に描かれた弁慶の位置と重なる。また、橋の欄干には弁慶が持つ長刀のような形も見える。
画像を確認した下坂守・元奈良大教授(日本中世史)は、「もし描かれていたのであれば、戦国時代にはすでに弁慶と牛若丸の伝説が広く定着していたとみられ、面白い」と話す。京都国立博物館の大原嘉豊・保存修理指導室長(仏教絵画)は「こういった絵画は手本があり、さまざまな絵師が模写していた可能性がある」と指摘。清水寺所蔵の曼荼羅に牛若丸が描かれた形跡がない点に注目し、「絵師が伝説を知らずに牛若丸を描き忘れた。後年になって弁慶だけがいるのはおかしいということで修整を加えたのかもしれない」と推察する。
【 2016年05月28日 19時05分 】