『ハンドルの重さ』 H・N 40歳 会社員
木枯らしが吹きすさぶ中、市原刑務所で最愛の家族と離れて最初の正月を迎えようとしています。
平成13年5月8日、午前零時20分ごろ、死亡事故を起こしてしまいました。一瞬にして38歳の男性の尊い命を奪ってしまった、忘れることのできない日です。
私は父が経営する運送会社で運行管理者として、日ごろから安全運転の実施などについて従業員に対し指導してきました。また、地元の商工会青年部や消防団に所属し、中心となって活動してきました。
私は仕事が終わると会合に参加し、その後は仲間同士で飲みにいくという生活を送っていました。有頂天になっていた矢先の出来事でした。
その日は午後7時ごろ仕事を終え会合に行き、帰りに行きつけのスナックへ午後8時30分ごろ着きました。私の自宅からスナックまでの距離は約500メートルぐらいでしたので、一度自宅に戻って車を置いて出直そうかと思いました。
でも、「自分は大丈夫、自宅がすぐ近いから」などと車の運転には甘えがありました。その結果、取り返しのつかない重大な事故を起こしてしまったのです。
スナックで焼酎水割り8杯くらい飲み、店を出てハンドルを握りました。窓を開け気持ち良い風を受け、走り始めて間もなかったと思います。突然、歩行者が出て来て「ガシャ」と鈍い音と車に伝わる衝撃を感じました。車から降りると男性が倒れていましたので、すぐに救急車を呼びました。男性は同じスナックで飲んでいた客の一人で、「大丈夫ですか」と何度も繰り返し声をかけるのが精一杯でした。
救急車が到着し「即死です」と聞かされたとき、絶望感を感じました。その場で逮捕され事故現場の人混みの中から私の両親と妻がとても悲しそうな目で見送ってくれたことは、今でもはっきり覚えています。
酒気帯び運転のほか、制限速度40キロのところ20キロオーバーの60キロで走行し、前方不注意が原因でした。
自分自身が車を運転することの厳しさと責任の重さを自覚し、安易な考えをしなければ事故を防ぐことができたと後悔しました。逮捕され留置場に入った私は、時間が経つにつれ大変なことをしてしまったという気持で一杯でした。夢であって欲しいと何度思ったことか、死んでお詫びをしようかとも何度も考えました。
通夜と告別式は両親と妻、弟、妻の父親、それと私の友人、知人がお伺いしました。そして、私が保釈を許されるまで毎日、妻と母がお詫びに行っていたことを後で聞かされました。遺族の方だけでなしに、家族にも迷惑をかけてしまい本当に申しわけない気持で一杯でした。
留置場に入って3日間は何もできずただ被害者のことしか考えられず、私は人殺しだと自分を責め、泣いた時もありました。
しかし、その後だんだん留置場の生活に慣れてくる自分がとても嫌いに思いました。日ごろ、両親から人を指導する立場にあって飲酒運転やスピードの出し過ぎには注意を受けていました。その忠告も上の空で聞いていた自分が恥かしいとともに、そのとき「素直に聞いていればと後悔する日が続きました。
やがて保釈を許された私は被害者宅へ謝罪に行きました。そのとき、遺族の方に「飲酒運転さえしなければこんなことには…もう主人は戻らない。幸せだった生活を返して下さい」と言われた私はどのような言葉や態度をしたら良いか分からず、頭を下げているのが精一杯でした。亡くなられた被害者は新婚3ヶ月で、遺族の憎しみと怒りに満ちた目が印象に残っています。
それから週に何度かは必ず謝罪に行き、事故4ヶ月で示談が成立し、任意保険から5千500万円という金額が支払われました。私は判決の日まで、できるだけ被害者宅へ伺い線香を上げさせてもらいました。
そして、遺族から思わぬ言葉を頂いたのです。「救急車を呼んでくださってありがとうございました。あなたにも家族が居るのだから同じ過ちを二度と繰り返さず、これからは人生前向きに生きてください」と言われたのです。自分の身勝手な行動で一人の尊い命を奪ってしまったというのに反対に励ましの言葉を頂いたのです。
やがて判決で懲役1年4月となり、現在は人殺しという現実を見つめ、市原刑務所で規則正しい生活を送っています。
今回の事故は、私が罪の意識も無いまま飲酒運転を続けている限りいつか起きなければならない事故だったと思います。
私の家族は両親と妻、子供3人の7人家族でしたが、被害者が近所ということもあって妻子は引っ越し、両親と別々に暮らしています。子供たちは、学校で友だちから私の話を聞かされ辛い思いをしているそうです。元気がないようですが、私に心配をかけまいと手紙には一言も書いてこないのです。
私は最愛の家族の幸せな生活までも一転させてしまいました。
私のために辛い思いをして待っていてくれる家族、励ましてくれた友人、会社関係の方々に対し感謝を忘れず、一日でも早く出所出来るよう努力したいと思います。
この受刑生活の中で自分の考え方や行動を見つめ直し、被害者のご冥福を心からお祈りするとともに、遺族に対し一生償いをしていこうと思います。
私は今日も精一杯大きな声を出して行進します。家で待っている家族に声が届くように…。
|