心霊治療
心霊治療とは何か
心霊治療を信じる人たちは、それが患者側の治るという信念とは無関係に効果があると主張している。科学的には未解明だが、従来の物理学法則にはしたがわない超常的な能力に恵まれた人が病気の診断・治療を行なうもので、必ずしもそこに、何らかの神的存在が介在するとはかぎらないというのだ。
一般の超常現象と同じく、心霊治療も擁護派と批判派がはっきりと分かれたホットな論争のテーマになっている。 私には、その両陣営の演じる狂態がどうにも納得しがたい。 一方では、心霊治療の擁護者たちが疑問もなくペテン師・トリックスター・策略家に魅了されて軽信し、科学的に探究する気もなく、勝手に希望的観測を述べたてる。
他方では、現代科学信仰の守護者を自任する人たちが、いかなる超常的なできごとも、論理や理性を脅かすものとして嘲笑し、論破するのがつとめであるとばかりに批判する。 自分の現実モデルにどんな神秘・魔術・非合理も入れまいとして汲々としている点では、後者も前者に劣らず希望的観測者なのである。
この空騒ぎに立ち入る気は毛頭ない。 1960年代の後半に行なったマリファナに関する研究で、私はこの対立には感情がからんだら真実が見えなくなるということを痛感させられた。 また、私にはこの問題について詳細に論じるほどの体験もない。 心霊治療の現場を直接目撃していないので、間接的な情報に頼らざるをえないのだ。
信仰治療の場合と同様に、そうした間接情報にはつねに疑問がつきまとう。 そのほとんどは、正確な医学的裏づけに欠けるものばかりだからだ。 さまざまな治療法を総覧する以上、心霊治療にも口をはさまざるをえないが、それもできるだけ控え目にするつもりだ。
心霊治療の存在について、私は一切の先入観をもたないようにしたい。 現在信じられている身体的メカニズムでは説明がつかない、ということもさほど問題にはならない。
現代物理学が明らかにしたように、現実像の本体は、100年前の科学者からみれば非常に奇妙な姿をしていることがわかってきたし、テレパシー・念力・予知等々を説明する科学理論モデルが発見されることは確実だと思われる。 私がわからないのは、心霊治療が存在するとしても、それが信仰治療とどう違うのかという点である。
ほとんどの報告例では、患者は心霊治療師が自分を治そうとしていることを、はっきりと自覚している。 したがって、治癒が起こっても、それが治療師側の力だけのせいなのか、患者側の治るという信念のせいなのかは知りようがないのだ。
心霊治療とは何なのかを考えるための一助として、ふたりの高名な心霊治療師の治療内容を検討してみよう。 ふたりとも、超常能力によるとされる永い治療歴をもち、多くの医師によって詳細に研究され、文献が出版されている。 ひとりは主に心霊診断を行ない、もうひとりは心霊内科および心霊外科手術を行なった。
①「眠れる予言老」エドガー・ケイシー
心霊治療のエドガー・ケイシー(1877~1945年)は、ケンタッキー州の片田舎生まれで、職業的心霊治療師にありがちな逸脱したところのない、実直で分別をわきまえていた。
ケイシーは、トランス状態に入って、通常意識では知りえない知識や知見を得るという、驚くべき能力を示した。 その能力のゆえに、彼は「眠れる予言者」の盛名をほしいままにした。
ケイシーは生涯通じて、助けを求めてきた数知れぬ依頼人の「診察」を行なった。 横になって眼を閉じ、催眠状態に入ると、やがて喋り出すというだけのことなのだが、それはしばしは助手からの質問に答えるというかたちをとり、その答えはすべてその助手が記録した。 目が覚めても、自分が喋ったことはまったく覚えていなかった。 診察の多くは病気に対するもので、ケイシーは診断をつけ、特殊な食事療法やマッサージ、医薬品などの指示を出した。 小学校しか出ていないケイシーにとって、目覚めているときには聞いたこともない専門用語を正確に駆使して医学診察を行なうこと自体が、まったく不可解の一語に尽きるものだった。
彼の指示する調剤は薬剤師たちを戸惑わせ、昔の教科書をあさって、やっとその成分を見つけるとケイシーがじつに正確な処方をしていることがわかるといったものが多かった。 ホメオパシーを行なうある医師が、トランス状態に入ったケイシーに質問して、その医学知識を試したことがあった。 例えばこんな具合いである。 「人体で最短の筋肉は?」すると、ケイシーが正確に筋肉名を述べた。その医師は、のちにケイシーの下で働くことになった。
催眠状態に入ったケイシーにとっては、依頼人が同室にいようが、地球の反対側にいようが、何ら変わるところはなかった。 ときには、ただ名前を聞いただけで、その人の生活環境や健康状態をよどみなくいい当て、治療の指示を与えることもあり、いい当てた内容についても、別々の証言者たちによって、それぞれ真実であることが確かめられている。
ケイシーに助けを求めてきた患者の多くが、科学的医学からは見放された重症の慢性病患者も含めて、彼の指示を守って救われている。 それらの治癒は瞬時に起こったわけでも、魔術によって起こつたわけでもないが、治療の主体という観点からすれば、確かに異常なことだった。 彼の診察の大部分、および、その後の治癒例の医学的データは記録として残されている。
多くの医師がケイシーのもとを訪れた。自分の患者の治療に、ケイシーの力を借りる医師もいた。 ケイシーの死後、彼が残した指示にしたがって患者を治療していた医師もいた。 事実、合州国にはいまでもいくつかの「ケイシー・クリニック」があり、そこではケイシー流診察を独得の治療法として認める医師たちが働いている。
「眠れる予言者」が告げたのは、単に病気治しの指示にとどまらない。あるときは株式市場の予測をたて、あるときは油田の所在地をいい当てた。その種の予測をして金を稼ぐ人もいるが、ケイシーは決して謝礼を受けとらなかった。 依頼人の前世に関することも言い当てた。 催眠状態のケイシーは、生まれ変わりを当然のこととしていたからである。
また、アトランティス大陸についても多く言及し、二〇世紀の終末に地球規模の破滅が起こるという予言を残している。
それらの多くは妄言としか思えない。 私も1998年にカリフォルニア州が沈没し、アリゾナ州の フェニックスあたりが新しい海岸になるという説は信じかねる。 また、たとえば多発性硬化症は金の不足による内分泌腺の乱れから起こると断言するなど、特定疾患に対するケイシーの代謝およびホルモン系の説明には、不正確かつ奇抜なものが多くみられる。
私は、それが何であったにせよ、ケイシー現象は彼の死とともに終わったのだと思っている。 師の発言の一語をも聞きもらさずに記録分類した弟子や後継者たち、彼らの指導だけを頼りにそれを治療に応用しようとしている医師たちには「眠れる予言者」ほどの説得力はない。
もしケイシー現象がほんものなら(症例の豊富さと詳細さは間接情報にも説得力を与える)ユングが提唱した集合的無意識の真実性を立証することにつながる。 (通常意識には閉ざされているが個々の無意識の心には通じているという、あの普遍的なシンボル・知識・知恵の貯蔵庫である。) トランス状態をはじめとする、注意が無意識の世界に移行するような異常精神状態に入ると、その貯蔵庫に貯えられていた情報が使えるようになる。
トランス状態のケイシーは、通常意識には含まれない知識を得ることができたが、それでも、その知識を通常意識に送り込む事はできなかった。 遠隔診断ができたり、過去や、未来のできごとを語ったということは、その集合的無意識が通常の時間と空間の拘束から免れているということを暗示している。
また、リーディングが全体的にみて事実と空想の混合体であったということは、集合的無意識からの伝達内容に問題があるということを示唆している。 おそらく、正確な情報が、ケイシーの無意識の心にあった観念や連想ともつれ合ってしまうときがあったのかもしれない。
精神分析や催眠といった心の内部を明らかにする試みは、ことごとく、個人の無意識が混沌として規則性のない世界である事を証明しているのである。
ある種の患者には、外科手術も施した。 それは不可思議きわまりない手術だった。 消毒法も麻酔も使わない、使ったのは手近かにある刃物、ポケットナイフ・ハサミ・包丁などで、錆びたなまくらなものでも気にしなかった。 その手際は鮮やかで、秒単位か分単位のうちに手術を完了した。 腫瘍・病変器官・白内障などを摘出するのだ。
しかも、昼日中に衆人環視の中で行なわれ、見学者の中には眼を皿のようにして注視する医師たちの姿があった。 患者は手術中に、痛みも違和感も感じなかった。 手術創は短期間で癒え、ほとんどの患者が寛解か治癒を証明されている。 何人かの研究者が、アリゴーの手術の様子をフィルムに収めている。
私は彼の治療を直接目撃できなかったことを、いまでも悔んでいる。 アリゴーに会うためのブラジル旅行を計画していたときに、死なれてしまったのだ。 アリゴーに対する私の関心をかき立てたのは、彼のもとに滞在していた医博で、偏見のないすぐれた観察者として信頼するに足る、私の友人だった。 友人からの手紙だけでは間接情報にすぎないのだが、私にとっては、最も信頼度の高い間接情報だった。
その手紙によると、友人は十回以上にわたって、アリゴーの白内障摘出術をごく間近かで目撃している。 アリゴーが、ポケットナイフを無雑作に患者の眼に突っ込むと、眼球がナイフの圧力で手前に突出し、ナイフを引きぬくとそこに不透明な水晶体が付着しているというシーンを、何度も見ているのだ。 何の苦痛も伴わずに、患者はその場で視力を回復したという。
心霊手術や瞬間手術の例は世界各地で報告されているが、そのほとんどはいかがわしいものだ。 大半の心霊手術師は巧みな手品師で、夜間にロウソクの光を使い、注意深い観察や、見たものを冷静に解釈することを拒むような、騒がしい雰囲気の中で施術している。 私が収集した報告の中では、アリゴーの例がいちだんと異彩を放っているが、なにぶん直接目撃していないので確かなことはいえないし、いずれにせよ、私にはまだ、彼の外科的な手腕を説明するだけの準備ができていない。
その問題はさておいて、彼が使った主な方法 (瞬間診断と薬物処方の記述 )に話を戻せば、アリゴーとケイシーには多くの共通点がみられる。 ふたりとも、通常意識以外のところから確かな専門知識を得ているし、ふたりとも治療法を指示し、それで助けを求めてきた人々の病気を治している。
その知識をどこから得たのか問いたくなるのは当然だが、正しい答えは、人間の心について、いまよりもはるかに多くのことがわかるようになるまで待たなくてはならない。 心霊治療で処方された薬がなぜ効くのかに関しては、それが市販の薬であれ、怪しげな薬であれ、一般の処方薬の治効理論と何ら変わらない。 その薬理作用によって、直接効果をあらわすこともあるだろうし、 あるいは、プラシーボ反応を賦活させて、間接効果をあらわすこともあるだろう。 患者たちが薬の効果を信じ、処方してくれた治療家の能力を信じたことには変わりがないのだ。
ケイシーやアリゴーのような、その信望と特異な才能ゆえに高名になった心霊治療師の場合は、患者の信念が、そこに来たということだけで一層強化されたに違いない。 私にはケイシーやアリゴーのもとを訪れた患者が、ルルドの泉を訪れた巡礼者と同じ期待に満ちた興奮状態にあったのではないかと思われる。
だとすると、この人がきっと治してくれるという患者側の信念には、強固なものがあったに違いない。 その診断や治療法の情報をどこから得たのかという問題や、正規処方であろうとなかろうと、薬の直接効果で治ったという事実以上に、それは重要なことだと思われる。
心霊手術や瞬間診断について、また、試験管内での生化学反応を早める能力について、また、手で触れ、精神エネルギー放射で植物の成長を早めたり動物の病気を治したりする人の能力について、私はもっといろいろなことが知りたくてたまらない。
しかし、超常現象に関して、現在のように両陣営が感情的に対立しているかぎり、正確な事実の収集すらもままならない。 対立がつづくかぎり、盲信者は、事態を真摯に受けとめ、科学的実験をすることをしないし、また、結果だけに注目して云々する批判者は、あらゆる超常現象を誤信・詐欺・トリックとみなすにとどまるだけだろう。