アメリカは、ベトナム戦争で枯葉剤の不良在庫を抱え、その処分に困った。困った挙句に、日本政府に押し付けてきた。そこで、林野庁の高級官僚が、日本の国有林に雑草対策と称して散布し、それでも処理しきれなかったので、国有林内の山に埋設投棄した。信じがたい蛮行である。それから歳月は流れたが、今も、枯葉剤は、日本の山に眠っている。

枯葉剤というのは、ベトナム戦争時、アメリカ軍によって、ゲリラ掃討作戦の一環としてジャングルにまかれた、あの悪名高き枯葉剤のことである。枯葉剤の何たるかについては、(中)で詳しく述べている。

2015年8月24日は、高知県大豊町仁尾ヶ内の埋設投棄現場に行った。そして、26日は、愛媛県の石鎚山の山麓、大谷山国有林内の円山森林公園の現場に行った。ライターのMさんは、25日は、高知市内で私が紹介した何人かの林業関係者に会おうとしたが、会えなかった。私が取材した時は、みな協力的だったのだが、すでに、どこかから圧力がかかっていたのかもしれない。
看板
看板中の「埋没されていた」という日本語もおかしいが、過去形もおかしい。過去ではなく、今なお、この下に245Tが埋設投棄されている。

Yさん
ここでもYさんの10年前の記憶は通用しなかった。責任を感じてだろうか、林野庁時代の人脈を駆使して方々に問い合わせ、ようやく目的地にたどり着いた。写真は、古巣の友人に携帯で問い合わせるYさん。

円山森林公園
看板の向かいにコンクリートの構造物がある。この中に、枯葉剤を埋める際に使った道具、容器、軍手、服などが廃棄処分されている。枯葉剤を扱うとは、そういうことなのである。

探検
経験のある人も多いと思うが、8月の山中で何か探すということは、至難の業である。携帯の案内に従って、奥地に入っていくYさんとMさん。さすがに、ふたりとも大学山岳部OBである。迷うことなく、埋設投棄の現場にたどり着いた。アスファルト道路から10分ぐらい山中に入ったところに、それは鉄条網に囲まれて、人知れず、眠っていた。直下に水源池があったのが、気にかかった。

60年生
「20年生のヒノキ林の中に埋設投棄した」という。その後40年の歳月が流れているから、今ではヒノキは60年生になっている。ここだ。4mX9mの広さに、高さ1.5mの鉄条網が張り巡らされていた。「立入り禁止」と朱書された看板もあった。鉄条網は新しかった。