いつの頃からだろう、他人の血液型を聞くのを意図的に止めた。
「君の血液型は○型でしょ、合ってる?」
かつては良く聞いてた、「君の血液型は○型でしょ、当たってる?」なんて。興味本位もあったけど、血液型性格判定にある程度の自負があった。今まで出会った人の血液型は、不思議と10中8、9当てていたからね。(当てていた気がしているだけかもしれんが)
これに科学的根拠はないらしい。そりゃそうだ、人間の性格が4つの血液型で枠にはまるとは、とても思えない。生まれや育ち、環境や現代科学では解明されていない要素が複雑に絡まり合って性格は形成されるのだろうし、他人の性格はおろか自分の事すら100%わからんのに、こんなに単純なものではないよね。けど、なんだろう、不思議と当たる気がしないかい、血液型性格判定というのは。
逃れられないバイアス
まぁ当たる当たらないだとか科学的根拠云々は抜きにして、血液型性格判定のことを少しでも知っていると、各血液型に対して特定のバイアスがかかってしまい、これは避けようにも避けきれない要素だと思う。A型は繊細で気を遣うだとか、B型はズバズバとものをいう、だとか。もう完全に先入観だよね。
これって、日常のコミュニケーションで何か役に立っているかといえば、YESとはいえない。むしろ、悪い方向に作用してしまう気がする。この人は○型だから、このように接しよう、だとか。あの人は○型だからこの案件はこういう風に持っていこうだとか。根拠のないことを理由に接し方や物事の運び方を決めてしまうというのは、色々な損失を生むのではないかと考える。
ネガティブな部分をクローズしてしまう
こういったデメリットも感じるところであるが、最近、最も嫌だなと感じるようになったのは各血液型のデメリットを意識してしまうところだ。例えばA型は根に持つ・B型はがさつ・O型はこだわりが強すぎる・AB型はマイペース過ぎるなど。
予め血液型を知ってしまったが故に、その人にネガティブなイメージを抱くというのは、非常に馬鹿げているのではないかと思うわけ。だから僕は、初対面の人やそれ以降に付き合いが続いたとしても、その人の血液型は聞かないようにしている。何かの折に耳にしてしまったというなら仕方ないが、そのこともできるだけ早く忘れるように努める。嫌なイメージを抱きたくないからね。
この春に異動があって、知らない人と仕事をする機会を頂いているが、血液型は当然、聞いていない。だが、ついこのあいだ、職場内で血液型の話題となり、不本意ながら耳に入ってしまった。で、それに対して「あ、やっぱりこの人はAだったか、当たってる」なんて無意識に考えてしまう自分がいた。切ない。
毒にも薬もなるのだろうけどさ
血液型性格判定もマイナスにならなければ話のネタになって盛り上がるのだろうが、そのあとにかかるバイアスが自分にとって不本意なものであったり、プラスにならないのであれば、やはりこれからも意図的にそのような情報は能動的にとるべきではないし、シャットアウトも必要なのかなって思う。
今まで、色々な先入観で他人の性格を枠にはめて考えてきた自分への反発というか、アンチテーゼなのかもしれないね。気にしすぎなのかもしれないけれども。
血液型性格判定というのは世間ではひとつのコンテンツにもなりうるよね。各血液型の思考を書籍化したものも、一時期ブームを巻き起こしたし。まぁ面白おかしく語っているうちは良いけれど、「あーあいつは○型だから仕方ない」なんて思考を止めてしまうような要素になるのであれば、先入観を助長するコンテンツというのも考え物なのかなって感じるよ。
ちなみに僕の血液型は・・・内緒。