2013年のカンヌ国際映画祭審査員賞を得た『そして父になる』(’13)、2015年の日本アカデミー賞作品賞、監督賞に選ばれた『海街diary』(’15)など、いまや人気・評価ともに日本トップレベルの監督となった是枝裕和。今作では、是枝作品に4度目の出演となる阿部寛を主役に据え、さらには真木よう子、樹木希林、リリー・フランキーといった常連メンバーで周囲を固めた。監督が育った団地を舞台にした家族ドラマである。
主人公は小説家の中年男性。15年前に文学賞を取ったはいいが、作家として生計を立てるにはいたらず、興信所勤めで糊口をしのいでいる。ギャンブル好きの性格がたたってか、妻ともすでに離婚している。11歳の息子との面会を心待ちにする彼だが、養育費すら滞納するありさまだ。
本作において主人公は、奇妙に安定した低空飛行を続けている。せまいアパートにひとりで暮らす貧しい男だが、不幸のどん底に突き落とされるわけでもない。ギャンブルで散財する悪癖はあるものの、どうにか最低限の収入は確保できているようだ。過去の是枝作品、たとえば『誰も知らない』(’04)における家族の死や、『そして父になる』で描かれる子どもの取り違え(同じ病院で同じ日に産まれた別の子どもを、知らずに6年育てたことが発覚する)といったショッキングなできごとは用意されていない。
本作におけるあらかたの不幸(父の死、離婚)は、すでに終わった過去としてしか描かれない。かくして、灰色の日々は沈鬱でありつつも、それなりの安定感を持ち始める。こんな境遇に甘んじている自分ではない、小説家として再起の可能性が残っているはずだと信じたい主人公にとって、この安定した低空飛行は息苦しく、窮屈であろう。主人公がつねに感じる窮屈さが、189cmという阿部寛の高身長を利用して、視覚的に描かれるのが本作のユニークさである。
背の高い主人公は、さまざまな場所で頭をぶつけないように首をすくめ、前かがみになり、足腰を曲げなくてはならない。電車のドア、駅の立ち食いそば屋ののれん、団地の玄関、質屋の入口。さらには、車の助手席、風呂場、公園の遊具といった狭い場所に、大きな身体をむりやりに押し込む場面も連続する。こうしたショットのどれもが、自分にはもっとふさわしい場所があるという主人公の違和感を暗示しているようだ。
しかし同時に、物語後半で実家の狭い風呂につかる主人公は、家族とすごすひとときにリラックスしているようにも見える。さらには、公園の遊具内部にみずから進んで入るにいたって、その窮屈さこそ自分が求めていたものだといわんばかりに明るい表情になるのだ。作品を通じて「狭さ」の意味が変化し、主人公はしだいに、狭い場所に慣れていく。主人公の母が口にする「幸せってのはね、何かをあきらめないと手にできないもんなのよ」というせりふそのままに、彼は限りある条件のなかで満ち足りる術を模索するのだ。その証左に、母、別れた妻、息子がそろってカレーうどんを調理するモンタージュ場面の、活気に満ちたようすはどうだろうか。団地の小さな台所で質素な食事を作るシーンが、きわめて躍動的で輝かしいアクションの連続に見えてくるのだ。
主人公は、結婚生活を失い、小説を発表する機会をなくし、安定した暮らしから遠ざかった。彼はその現実を受け入れられずにもがく。むろん、不幸になりたくて結婚したり、失敗したくて夢を追ったりする人はいない。しかし気がつけば、幸福や夢からは遠く離れた場所へたどり着き、なぜ自分はこんな状況に陥ったのかと嘆くほかなくなっている。主人公が元妻と待ち合わせをする場面は何とも秀逸だ。そのシーンで主人公はかつての妻に、昔ふたりでよく古本を買いに行ったねと声をかける。そのひとことだけで、劇中では語られなかった夫婦のなれそめが浮かび上がってくるようである。きっと元妻も、小説を読むのが好きだったのだ。そして、小説家の男性と恋愛関係になり、彼を愛し、彼の書いた作品を愛したのだろう。
その短くも美しい蜜月、夢と希望にあふれた時間を想起するだけで、何ともいえず悲しくなるのだ。彼らは幸福になれなかった。時計の針を戻すことは絶対にできない。この厳然たる事実をどう直視すればいいのだろう? しかし何を失ったとしても人生は進んでいき、私たちもまた低空飛行の日々を生きていくほかない。『海よりもまだ深く』が描くのは、喪失というありふれた経験であり、その取り返しのつかなさには胸をしめつけられるようである。
『海よりもまだ深く』
公開日:2016年5月21日
劇場:全国ロードショー
監督:是枝裕和
出演:阿部寛/真木よう子/小林聡美/リリー・フランキー/池松壮亮/吉澤太陽/橋爪功/樹木希林
配給:GAGA
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