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孫呉を支え続けた宿老として有名な張昭(ちょうしょう)。
彼に比肩する才能を持った臣が孫呉を支えていたのを皆さん知っていますか。
彼の名を張紘(ちょうこう)と言います。
彼は張昭と同じく孫策(そんさく)の時代に仕え、彼の死後孫権(そんけん)に仕え孫呉を支え続けた賢才です。
その才能は曹操(そうそう)にも愛されるほどでした。
様々な学問を修めた秀才
張紘(ちょうこう)は徐州の広陵郡出身の人です。
彼は若い頃洛陽の太学(国立の大学)で学びます。
彼が学んだ学問は多岐に渡り、「易経(えききょう)」・「詩経」・「礼記(らいき)」
・「左氏春秋(しゅんじゅうさし)」を修めます。
その後故郷である広陵へ戻ると、茂才(もさい)に推挙され、
大将軍何進・大尉朱儁(しゅしゅん)・司空荀爽(じゅんそう)から招かれますが、
彼は病と称して出仕を拒否します。
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孫策に仕える
張紘は中原が乱れると、家族を連れて江東へ避難します。
その後彼の母が亡くなります。
彼は母の喪に服しておりましたが、一人の青年が家を訪れます。
その青年の名は孫策。
彼は張紘の賢才ぶりを聞き、ぜひ部下に加えたいと考え、張紘の家を訪れます。
張紘は孫策と会うと、彼の人柄に惚れ、母の喪が終わると彼の元へ出向き、
仕えます。
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許の献帝に上奏を届ける
孫策は江東を平定すると、曹操の元に居る献帝の元へ張紘を派遣します。
張紘は許へ着くと献帝と会見し、孫策の書状を渡します。
その後江東の実情などを話、無事会見は終わります。
しかし曹操から引き留められ、侍御史(じぎょし)に任命されてしまいます。
このため江東に帰る事が出来ず、許に留まる事になってしまうのです。
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曹操の江東討伐を諫める
孫策は許貢(きょこう)の食客らに暗殺されてしまいます。
孫策の跡を継いだのは孫権です。
孫策が亡くなり、若き当主が江東の主となった事を知った曹操は
江東を討伐しようと考えます。
張紘は曹操が江東討伐をもくろんでいると知り、
彼に「江東を討伐するより、彼らに恩を与えた方が得策です。」と
アドバイスを行います。
曹操は彼のアドバイスを取り上げ、孫策の跡を継いだ孫権に
討虜将軍(とうりょしょうぐん)の位と会稽太守を与えます。
そして曹操は張紘に「孫権を説得して配下に加わるよう説得して来い」と命じます。
張紘はこうして曹操の元を離れ、久しぶりに江東へ帰る事が出来ました。
孫権の母親からの依頼
江東に戻った張紘は孫権の母親である太夫人から呼ばれます。
太夫人は張紘が来ると「伯苻(はくふ=孫策の字)の跡を継いだ仲謀
(ちゅうぼう=そんけんの字)はまだ若く、
江東の主となって日が浅く心配です。
どうか息子の補佐をよろしくお願いします。」と伝えます。
彼は「分かりました」と応えます。
その後孫権の政治で何か問題が起きると、彼はすぐに適切な対応をおこない、
太夫人の期待通りの行動を行います。
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