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aichikenminの書斎

20代サラリーマンが、読んだ本と、心に残った言葉、その時考えたことを徒然なるままに書き留めたもの(金融、理系、工学、航空機、読書、東京住み)

【読書】ニッポンの文学/佐々木敦 新たな作家に出会うための本

名言 小説

文学は小説の1ジャンル

ニッポンの文学 (講談社現代新書)

新品価格
¥929から

僕は本を読むのが好きだ。

実用書から小説、マンガまで何でも読む。

ジャンルにこだわりはない。

 

そんな僕でもジャンルが気になるときがある。

それは芥川賞直木賞が発表されるときだ。

文学的なものは芥川賞、エンタメ系は直木賞

漠然としたイメージは持っているが違いはよく分かっていない。

言えることは、どちらも面白いということだけ。

 

本書は、文学という響きによる小説の中での際立った存在感に対し、疑問を投げかける。

文学とは何なのか。

小説の1ジャンルだろう。

 

また現代小説が数多く紹介されており、次の本を探す、新たな作家に出会うための本と言っても過言ではない。

僕もこの本を読んで5冊ほど新たに購入を決めた。

 文学だからといって肩肘張る必要はない

「文学は小説の一ジャンル」
「よくわからないまま張り付いている権威性や芸術性、気高さや高尚さのイメージから文学自身を救い出すことが出来る」

文学と言えば、何となく高尚な、とっつきづらいイメージがある。

でもよくよく考えて見れば、それは小説の中におけるジャンルである。

格式張っているからこそ、新たな層が入ってこれない。

そういった苦しみから文学を解き放つためにも、他の小説と同一の視点で語ってあげるべきなのだ。

 

 

小説家は世界をつくる

「小説の語りは現実にリアルなものであるかどうかは問題ではなく、ただリアルだと読者に受け取られさえすればいい」

小説の現実がリアルと乖離していてもいい。

なぜなら小説の世界は読者の中に存在しているのだから。

小説家は物語だけでなく、世界を作る。

その世界がいかにリアルであるかを読者に示すことが必要であり、現実に即して

いることを求められているのではない。

ありそうで、なさそうな、そんな世界を作る小説家はすごい職業だと思う。

 

日本語で書く英語作家

村上春樹は、日本語で書く英語作家であり、海の向こうでは英語で読まれる日本語作家です」

日本語で考えていることを英語にし、その後日本語化するといった流れが村上春樹の文体を作っているのではないかという著者。

確かに、村上春樹の文章は独特の味を持っている。

それが文章の流れを生み出し、小説の流れを生み出し、世界を生み出している。

この主張は思った以上にしっくり感じた。

 

SFは比喩を現界させる

「メタファーである筈のモノが具体的に存在するのだというのが、SFに出来ることのひとつ」

SFの世界は通常の世界から乖離することを許容される。

その世界では、象徴が作られることが多い。

何を表しているのか、隠喩ではなく、直接的な物体として語りかけてくる。

内容が似通っていても、日常とSFの世界では大きく異なる物語たりえる。

主義、主張が目に見えて押し寄せてくるのだからSFのちからはものすごい。

 

文学の隆盛

「異業種作家の台頭は、九〇年代以後の文学において、やはりひとつのトピックと言える現象だと思います」

それには文学の商業的不振が関与しているのではと著者は述べる。

文学が売れなくなってきて、目を引くトピックが欲しいという時に異業種作家を持ってくる。

注目されれば、皆が買う。

読者が均一化されてしまったのだろうか。

他にものが溢れすぎて、小説を楽しむ人が減ってしまったのだろうか。

だが、それが影響して、様々な才能を持つ人が著者となったことは、一読者として嬉しく思う。

 

ミステリの転換

「ひとりの犯人に収斂する謀り事というより、人と人との間の網の目のような関係性がそれ自体として編み上げる機構=
理によって、起こるべきではない事件が起きてしまう」

京極夏彦について著者はこう述べる。

確かに、本格ミステリにおいては、犯人は誰だ、という明確な問が置かれる。

だが、近年のミステリでは、偶然が重なって不幸な結果になるといった物が多い。

これらはより現実感のある小説として仕上がるが故のものであろうか。

そしてそういった小説においては、裏に何かしら伝えたいテーマが見え隠れする。

そのような小説は大好きだ。

 

話す本

「最初から全編話し言葉で書かれているのだから」

近年のライトノベルブームを牽引する西尾維新に対する著者の評。

僕は、西尾維新の小説は読者に本を読ませるのではなく、聴かせるといったイメージを持っている。

登場人物がマシンガンのように語りかけてくるからだ。

だが、彼の小説は小説でしかできないことを多々やってくる。

聴かせる小説なのに、小説でしかできない。

難しいジレンマを難なくこなすのが、西尾維新の凄さ。

 

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