楊修(ようしゅう)は秀才で曹操もその才能を愛しておりました。
彼も自らの事を秀才と認めており、自他共に認める才子でした。
しかし秀才すぎることが仇となり、
彼はある出来事がきっかけで曹操に殺害されてしまう悲劇の秀才を紹介します。
三公の父を持つ秀才
楊修は弘農郡(こうのうぐん)出身の人です。
父は漢王朝の三公である大尉にまで出世した楊彪。
母は三世四公を輩出した名門・袁術(えんじゅつ)の妹です。
彼は青年期からその秀才ぶりを周りから認められ、
将来を周りから期待されます。
曹操に仕える秀才
曹操は楊修を召し出し、彼を丞相主簿(じょうしょうしゅぼ)に任命します。
楊修は丞相主簿に任命されると仕事をてきぱきと行い、
彼が行った仕事は曹操の意に叶った仕事ぶりで、彼を大いに褒めます。
こうして仕事面で成功した楊修を慕って、多くの人が彼と親交を結びに来ます。
親交を結びに来た人達の中には、曹操の息子である曹丕(そうひ)や曹植(そうしょく)などがおりました。
曹操の考えを悟った秀才【その1】
楊修は人の考えを悟る能力に秀でており、多くの逸話が残っております。
その中でも曹操の考えを察知した逸話が残っているので紹介します。
曹操は丞相の役所を新築します。
彼は門の垂木の組み立てを巡察した際、突如額に「活」と大書して門に掲げさせ、
その場を去ります。
楊修はこの額を見るとすぐに門を破壊するように伝えます。
曹操はなぜ「活」の字を書き入れたのか
門を破壊した役人は楊修に「なぜ門を壊すように指示したのですか。」と尋ねます。
すると彼は「門の中に活という文字が入ると「闊(かつ)」という字になる。
殿下は門が大きく作っているのが嫌なのであろう。」と伝えます。
闊は大きいや広いという意味の漢字です。
曹操は王に就任した当時、民衆や家臣らが「次は皇帝になられる。
そのため今は簒奪の準備をしているのだ」と後漢王朝の簒奪をもくろんでいる噂が
しきりに飛び交っていました。
曹操はその噂を抑えるため大きな門を建てるのは止めよという意味で、
額に「活」という文字を書き入れたのです。
楊修は見事に曹操の本心を見抜くことに成功します。
曹操の考えを悟る秀才【その2】
曹操はある時楊修を連れて、曹娥(そうが)の碑を見に行きます。
曹娥とは後漢時代、会稽郡に住んでいた少女で、
水死した父の跡を追って長江に身を投げて亡くなった少女です。
県令がこの少女を憐れんで碑を建立します。
この碑の裏に後漢の名文家として知られる蔡邕(さいよう)が
「黄絹幼婦外孫虀臼(こうけんようふがいそんせいきゅう)と書き付けておりました。
曹操はこの蔡邕の碑を呼んで楊修に「この八字の意味が分かるか」と尋ねます。
すると楊修は「わかります。」と即答。
しかし曹操は「まだ言うな。俺が答えるまで待て」と述べます。
その後2キロ(当時の里数に直すと30里ほど)ほど歩いた後、曹操は「わかったぞ」と言い、
答えを書き記し、楊修にあの八字の意味を解説させます。
楊修先生の解説「黄絹幼婦外孫虀臼」の意味
楊修は曹操に言われると早速解説を始めます。
彼は「黄絹(きけん)とありますが、これは色の糸の意味で文字に直すと「絶」です。
次に幼婦ですが、この意味は少女の事。文字にすると「妙」になります。
このように文字に直していくのが重要です。
さて次の文字は外孫の意味ですが、自分の娘が他家に嫁いで産んだ子で、
文字に直すと「好」になります。
最後の虀臼(さいきゅう)ですが辛(からし)を受け入れる臼ですから、
文字にすると「辞(旧文字の辤)」になりますね。
この四文字を合わせると「絶妙好辞」という評語になります。
皆さん分かったかな。」と述べます。
曹操は大いに頷き「私の才能は君に遅れる事30里だ」と嘆きつつも
彼を大いに褒めます。
このように曹操の考えを先に知り、行動に移すことで曹操の意を汲んだ行動を
起こしていきます。
しかし考えを先に知って行動を移すことが彼に禍を与える事になります。
曹植と親しく付き合う
楊修は曹植(そうしょく)と意気が合い付き合い始めます。
二人は非常に仲が良く色々な事を論じたり、詩を作ったりしながら付き合っていました。
こうして二人は親しく付き合っていく事になります。
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三国志ライター黒田廉の独り言
楊修は才知に溢れた魏国の秀才と言っても過言ではありません。
丞相主簿として曹操の考えていることを汲み、
彼の意志に沿った成果を挙げていきます。
曹操はそんな彼を見て大いに褒め称えます。
また楊修は人望もあり、特に曹操の三男である曹植と親しく付き合います。
曹植と親しく付き合った事で、彼の運命が激変する事になろうとは
この時楊修は全く気付いておりませんでした。
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