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CindⅢ site

Hallo mein name ist Cyndi

「転勤族」が残していった爪跡

脳内スキャン
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わたしはとんでもなくしょーもない奴で、昔のことをいつまでもいつまでも引きずる。それほどまでに深く心に刻まれたことだからだ。時間が解決してくれると思っていたことは、大抵解決されていない。

3月で24歳になった。東京に来てからは14年。精神科に通い始めて10年。あんなに小さかった弟も週末で21歳になる。

「昔は○○歳ってもっと大人だと思ってたよね」と言い始めてからは何年経つだろう。

 

わたしは転勤族だった。

 

仕事柄、全国の政治家の話を聞く。

地元は○○県でして、とか
選挙区に住む皆様から、とか
○○駅の前で演説をして、とか
○○市議会議員だったんですよ、とか。

仕事だ仕事だと言い聞かせても、地方の話を聞くたびに、喉元にグッと酸っぱいものが上がってくる。地域ごとの違いを実感するたびに、布団をかぶって泣きわめきたくなる。

いつまで引きずっているんだろう、と、溜息をつく。

 

人生は2年単位だった

転勤族の子供はいつも"転校生"だった。漫画やアニメで見るくらいにベタな展開ではないけれど、偉い先生と別室でちょっと話をしてから教室に向かって、クラスのみんなの前で軽く自己紹介をする。余った席につき、その地域の挨拶・方言・訛り・学校でのルールを一瞬で把握して実践する。私は九州の北部ばかり回っていたからそこまで言葉が急に変わることもなかったし、そんなに難しいことじゃなかった。

他の人と比べたらちょっと仲良しかな、という感じの友達が何人かできる。上っ面だけ笑顔で合わせる。不満なんてない、見えるほど関わらないから。喧嘩なんかしない、するほど関わらないから。ひとりでもない、みんなと友達だから。家にはすぐ帰って、たまーに、補充人員として呼ばれて遊ぶ。

全員そうしていると思っていた。小学生にもなって一度も引っ越しを経験したことのない人間なんて存在し得ないと思っていた。人と人との縁はみな最大2~3年単位であり、それは悲しいことでもなんでもなかった。クラスで誰と1番仲が良い?と聞かれて、すっと答えられたことは多分いちどもなかった。反対に、小学校の同級生が同じ質問をされたとして、わたしの名前が出ることはなかっただろう。

わたしは当たり前のように転校生として溶け込み、溶け込めなくてもフヨフヨと移ろい、引っ越す子がいれば行ってらっしゃいと送り、転校生が来れば自分がされたように接した。そして2年経つちょっと前になると、「今度はここに引っ越すことになった」と親から言われ、わたしは喜々として2年に1度の恒例行事になった荷造りを始める。ケロッとした顔で全員に別れを告げて、新しいマンションの名前にメロディをつけて歌った。

2年間かけて他の人より少しだけ仲良くなった子とも、もうずっとお別れだった。

2年間かけてギクシャクした子とも、もうずっとお別れだった。

「手紙を書くね」「年賀状を送るね」が嘘だって事を、わたしはとっくに知っていた。

 

みんなそうだと思ってた。友達っていうのは、そういうもんだと思ってた。

お互いを貶めるような冗談を言って笑い合ったり、仲が良いからこその喧嘩をしたり、誰かが誰かを嫌いになったり、誰かが誰かをいじめたり、そんなのって有り得ないことだと思ってた。わたしの周りではそれがなかったからだ。

今考えれば、そういった騒動にすら気付かないくらい鈍感だっただけなのだけど。

 

2年リセットが効かなくなった

小学校5年に上がる年、わたしは福岡から東京に来た。

転勤族はこれでおしまいだった。母は専業主婦から働くお母さんになった。わたしはいつもどおり過ごそうとしていた。

東京は母の実家だ。毎年夏には1ヶ月ほど東京に来ていた。だから、どこまで九州の方言が東京の人(祖父・祖母)に通じるのかはしっかり把握していたつもりだったし、テレビの標準語を聞いて適応させようとした。これは努力ではなくて、儀式だった。

 

東京の小学生は、なんだか九州の小学生と違った。

小学校1年生から5年生までずっと同じ学校にいる人がほとんどで、幼稚園や保育園が一緒の人もいるらしい。嘘だろ。男の子がたまに殴り合いの喧嘩をする。嘘だろ。そんなことしたら二度と顔を合わせられないじゃないか、転校するのかな?いや、数十分後にしっかり話し合って握手をして笑っている。嘘だろ。そんな人間関係がこの世にあったのかよ。どうやったらそんなことができるんだ。

 

彼らの結束方法はすぐに分かった。

排他的な態度を取ることだった。

 

マジックワードは「キモい」。どうやら彼らはわたしの全てが「キモい」らしい。人にあからさまに負の感情をぶつけられたのが初めてだったから困惑した。友達とは仲良くするものだ。歯向かうなんて発想はない。話し合うなんて発想もない。どうにかしてわたしが行動を正さなければ、ここでは平穏に過ごせない。2年リセットはもうできない。自分でどうにかしなきゃいけない。もう勝手に変化してくれる環境に甘えられないんだ。

どうやら「キモい」の根源は、10年かけてこびりついてしまった九州訛りらしかった。「キモい」印象がついてしまったからか、何をしてもわたしはダメだった。第一印象付けに大いに失敗してしまったのである。
九州の子供たちが目もくれなかったような小さな小さなところを、東京の子供は全部拾って罵った。一生懸命矯正した。なおす(片付ける)、しょーけー(しているから)、いかんとよ(ダメだよ)、こういった伝わらないかもしれない言葉は何も使っていないのに。まだダメなのか、まだダメなのか、東京の子供に普通にしてほしくて、頑張った。でも、訛りが完全に消えたあとも、ダメだった。

もう1人転校生が来た。女の子で、可愛いなと思った。何も嫌な印象はなかった。近場から引っ越してきたようで、きちんと標準語を喋っていた。なのに、東京の子供はその子を盛大にバッシングした。わたしへのバッシングは一時的に減った。ターゲットが変わった瞬間を見たようだった。そうか、ここの子供って、転校生が嫌いなんだ。

いじめられてはいなかったと思う。ただみんなに嫌われてただけ。転校生だから。
わたしも、もう1人の子も。

その他にも色々ショックなことがあって、わたしは徐々に小学校を休むようになった。母が出社したあとに自分で学校に電話をかけて休んだ。学校のことを親に話すという発想がなかったのと、自分は相手を不快にさせてしまっている加害者だという意識があったので、母には何も言えなかった。引っ越しと同時に小学校に入学して、普通に1年生のクラスでうまくやっている弟が憎たらしくて、憎たらしくて、憎たらしくて、包丁を向けたこともあった。

九州では、楽しいこともほとんどなかったけれど、こんな苦痛もなかった。自分にもひしひしと伝わってくるほどに嫌われてしまうということが初めてだった。必殺・2年リセットが効かない環境は、わたしにとって初めてだったのだ。小学校を2年耐え忍んでも、その後は全員一緒に中学校に持ち上がる。私立中学を受験する子は、本当に頭の良い子だけだ。

 

わたしは受験をする気はなかった。

すっかり「環境を自分で変える」という考えが抜け落ちていた。

 

ルーティン化された2年間をひたすら繰り返していただけだったから、わたしは発想力がなかった。挫折を乗り越えたことなんか、ただの一度もなかったのである。

 

「みんな仲良くしましょうね」

派手に暴力を振るってくれたら。ものを隠してくれたら。

そうしたら「いじめられてます」って言えたのに。

「みんな仲良く」できないんだって知れたのに。

わたしはただの嫌われ者でしかなかったから、まだまだ信じてしまうよ。

わたしが頑張って悪いところを直したら、きっと大丈夫でしょう?

九州ではみんな表面上仲良くできていたじゃない。「みんな仲良く」できていたじゃない。なのに東京じゃわたしのせいで仲良くできない。どうしてわたしは東京で嫌われるような振る舞いしかできないんだろう。どこをこれ以上直せばいいのかな。キモい、だけじゃ分かんないよ。言葉がんばって直したじゃん。あれやめてこれやめてって具体的に言ってよ。具体的に言わないと分かんないところが嫌いなの?

どうやったら気に入ってもらえるの。どうすればいいの。

それとも、わたしがいなくなれば、わたし以外のみんなで仲良くできるの?

「みんな仲良く」を上っ面かつ2年間限定でも実現できていたわたしには、いまだに「みんな仲良くなんて幻想だよ」ってのが信じられない。

「みんな仲良く」が実現できるのなら、わたしは死んだっていい。
 

絶対に大袈裟だって思われるだろうけど、わたしは、日本中だけじゃなく、世界中の全員が全員100%納得する方法が、かっちり合う歯車がどこかに隠されていると信じている。探しだすのに何年いるか分からないけど、それを見つければ戦争もなくなるし、差別もなくなるし、世界中の諸問題が全て解決すると思っている。

だって、そんな方法が絶対にないってことを証明するのはすごく難しいでしょう。

 

思い出は美化される、っていうよね。

わたしのこの幻想は、みんなと仲良くできていた過去の、超でっかい版なのかもしれないね。

 

転勤族が持つ"仮面"

ただただ自分の中の黒いものを吐き出すようなこの記事で引き合いに出すのも申し訳ないんだけど、わたしはけいろーさん(id:ornith)のこの記事を死ぬほど読んでる。いつこの記事がぶっ飛んでも大丈夫なように、Evernoteにも全文保存してる。

真反対な点もあるけど、ほとんどの部分に通じるところがあって心が震えるのだ。

 

yamayoshi.hatenablog.com

 

今日もこの記事を書く前に何度も何度も読み返して、鼻水もヨダレも垂れ流しにしてボロボロ泣いた。

当事者の明るく小粋に書く文章ほどグサグサ刺してくるものはないよ。

 

けいろーさんの担任の先生は、 けいろーさんに「複数の仮面を持っているね」と言ったらしい。それが強く強く印象に残っているんだそうな。

 

わたしも似たようなことを言われたことがある。

小学校3年・4年の時の担任の先生が、母に言ったことだけれど。

(わたし)は、クラスメイトに心を開いていません。どうせ自分は2年でここを去ると分かっています。それを大前提に日々を過ごしています。

だってさ。

 

先生ってすごいね。わたしは誰のこともちゃんと見てないのに、先生は生徒を見ていたんだね。

今年のお正月、15年ぶりに年賀状を出したら返ってきちゃったよ。

 

先生。わたしは大人になって長期間のお付き合いは少し上手になったけれど、いまだに人に心を開くのは苦手だよ。

先生。わたしはどの地に足を着ければ良いのでしょう。

先生。わたしはおかしいですか。

 

とりあえず、テレビやニュースで「福岡弁は可愛い!」とのたまう同世代の東京都民を見るたびに「うそだ、キモいって言ったくせに」って泣いてしまうのをやめたいです。

関西の人が堂々と東京で関西弁を喋っているのを聞いて「なんで関西の人は我慢しなくていいんだ、ずるい」って思っちゃうのを絶対に絶対にやめたいです。

ふるさとを大事にしている人を見て「そんなのどうでもいいじゃん、さっさと便利なとこ引っ越せばいいじゃん」って思っちゃうのも絶対に絶対に絶対にやめたいです。

 

どうにか自分を正当化させたいんだよな、分かってる、分かってるよ。

だから、今日はもう、おやすみ。 

 

Cyndi.