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【東日本大震災】「スーッと橋が落ちた」 3・11茨城・鹿行大橋
「どこの橋を通っても頭によみがえる。また地震で落ちないかって」。茨城県東部の鹿行(ろっこう)大橋。震災時の重要路線「緊急輸送道路」にあり、東日本大震災で唯一、揺れで落橋して犠牲者が出た。目の前でその瞬間に遭遇した女性は今も不安が消えない。 (上條憲也) 琵琶湖に次ぐ面積の霞ケ浦。その水域の一つ、北浦の湖面を寒風が渡る。湖を東西にまたぎ、行方市と鉾田市を結んだ長さ四百四メートルの鹿行大橋は、崩落した姿のまま。中央付近の橋桁や橋脚が湖底に沈むが、水が濁って見通せない。 「私の車が止まったのはあそこです」。北隣に昨年四月完成した新しい鹿行大橋の上で、和泉トヨ子さん(66)=鹿嶋市=が指さす。落ちた橋桁まで六メートル。生死の境目だった。 二〇一一年三月十一日。病気の義母を見舞うため、鉾田市側から車で橋を渡り始めた。すぐに違和感を覚えた。「随分と風が強いな」。地震とは気付かない。ハンドルを取られ、車が蛇行する。「パンク?」。慌ててブレーキを踏む。橋の中央まで進んでいた。次の瞬間。「映画でも見ない光景」を見た。「目の前の橋がスーッと落ちた」 落ちた橋桁には対向車が載っていた。車はしばらく水に浮いていた。急いで携帯電話で一一九番した。「鹿行大橋です。車が一台落ちました」。一度だけ通じた。 急に恐怖に襲われた。自分も落ちるのでは。「頭の中が真っ白になった」。橋のガードレールにしがみついていたオートバイの高校生から車外に出るよう促され、橋のたもとまで運んでもらった。車は置き去りにした。 橋は一九六八年架設と古く、すれ違いも困難な狭さ。なのに重い荷物を積んだ車がひっきりなし。「危ない橋」と感じていた。 新しい鹿行大橋への架け替えは〇二年に県が着工。だが用地買収などに手間取って工事は遅れ、撤去されるはずの未耐震の橋が使われ続けた。落橋後、前倒しして丈夫な橋が架かった。「もっと早くできていれば」と悔やみきれない。 地震の九カ月前に夫を病気で亡くした。皆が「守ってくれたんだね」と言ってくれる。和泉さん自身、そう思っている。 落下した車の男性=当時(61)=は助からなかった。遺族の心の傷は癒えない。電話口で「そこには行かない。見ないようにしています。(橋の完成)式に呼ばれたけど断りました」とだけ語った。 <緊急輸送道路> 震災時に救命活動や物資輸送を円滑に行うため都道府県などが指定した道路。倒壊建物で緊急車両の通行が妨げられた1995年の阪神大震災を教訓に設けた。高速道路や国道のほか防災拠点に通じる道路も対象で、非常事態に対応できる交通確保を図る。全国の総延長は約9万キロ。 PR情報
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