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「原爆に命を救われた」元米兵捕虜、オバマ大統領の広島訪問に複雑な心境

西日本新聞 5月23日(月)13時46分配信

 第2次世界大戦中に旧日本軍の捕虜となった元米兵や家族でつくる退役軍人団体「全米バターン・コレヒドール防衛兵の会」が21日、米テキサス州サンアントニオで記者会見を行い、元捕虜7人と家族がオバマ大統領の広島訪問について語った。米政府からの要請で元捕虜の1人はオバマ氏の広島訪問に同行するという。ただ、大統領の訪問そのものに反対する人もいる。現職大統領の歴史的訪問を巡り、日本と戦った退役軍人の間に複雑な思いが交錯する。

【画像】広島に原爆を投下したB29爆撃機エノラ・ゲイ

 「もし広島に行くなら、誰かが彼を撃つだろう」。アリゾナ州のハロルド・バーグボワーさん(96)の一言に会見場がざわめいた。

 1942年5月、フィリピンのミンダナオ島で捕虜になったバーグボワーさん。なぜそこまで反対するのか詳しくは語らなかったが、3年以上にわたった過酷な経験が、そんな激しい言葉を言わせたのか。

 「一切、謝罪すべきではない」「捕虜となった、われわれの苦しみについても広島で話すべきだ」…。参加者のほとんどは、謝罪せず捕虜たちの犠牲にも言及するならばオバマ氏の訪問を容認する立場。会見で明確に反対姿勢を示した元捕虜はバーグボワーさんだけだった。しかし、カリフォルニア州のオスカー・レナードさん(97)も会見に先立つ西日本新聞の取材に「大統領は行くべきではない」。強い口調で言った。

処刑執行直前に原爆投下

 レナードさんは42年5月、ミンダナオ島で捕らえられ、10月に日本へ船で運ばれた。米兵たちは日本軍の捕虜輸送船を「地獄船」と呼び恐れた。立つことも横になることもできない狭いスペースに24時間かがんだ状態で閉じ込められ、ふん尿は垂れ流し状態。馬の餌のような食事が1日1度与えられただけだった。

 航行中、味方の魚雷で沈没した輸送船も多い。約40日間かけて大阪に到着。終戦まで3年近く川崎市の工場などで強制労働に従事した。乏しい食事で毎日10~12時間働き、終戦時の体重は約40キロ。日本兵の厳しい命令におびえ続けた結果、帰国後の7年間、今でいう心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しんだ。

 45年8月15日に日本が降伏しなければ、レナードさんの収容所の捕虜は同26日に処刑される命令が出されていたという。それを免れ、9月2日、東京湾の米戦艦ミズーリ上での降伏文書調印式にも参加できた。「原爆は日米双方の多くの命を救い、私も救われた」。レナードさんは日本軍への憤り、原爆に感謝する気持ちから、オバマ氏の広島訪問に強く反対していた。

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最終更新:5月23日(月)13時46分

西日本新聞

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