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人類の隠された歴史
投稿者:
Legacy of Ashesの管理人
投稿日:2016年 5月25日(水)23時27分16秒
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返信・引用
編集済
「傀儡子とサンカ」
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/950.html
サンカは天皇のためには働かない
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/1017
アヤタチとサンカ その1
http://2006530.blog69.fc2.com/blog-entry-572.html
アヤタチとサンカ その2
http://2006530.blog69.fc2.com/blog-entry-573.html
アヤタチとサンカ その3
http://2006530.blog69.fc2.com/blog-entry-574.html
アヤタチとサンカ 終
http://2006530.blog69.fc2.com/blog-entry-576.html
アヤタチとサンカ~BBS
http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/1727318.html
日本を救うかもしれない八咫烏と山禍
http://likearollingstone.doorblog.jp/archives/65849978.html
陸軍の裏側を見た吉薗周蔵の手記 その3
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/355.html
吉薗周蔵手記 その1
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/3187
吉薗周蔵手記 その2
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/3189
天皇家とエフライム族
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1041.html
天皇家とエフライム族~補足
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/262.html
コメント
2015/11/12 0:07
投稿者:tk
神武以降の天皇がエフライムであるかどうか?
桓武以降は百済系なのは明らかですよね。
すりかえられた明治天皇も大室寅の祐説から箕作奎吾説
になってきています。
個人的には箕作奎吾=大室寅之祐=明治天皇ではないかと・・・
管理人注:それは違いますね~以下の記事の後半をお読みください。明治天皇は箕作奎吾であったことが分かりすっきりしますよ。大室寅之祐は北朝鮮工作員だった鬼塚英昭のでっち上げです。
人類の隠された歴史
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/1205.html
天皇と記紀神話
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/115.html#readmore
ここの掲示板にありますね。
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/1027
なぜなら秦氏とはエフライム族が中心でしたがその中にヘブライの司祭集団であるレビ族も入っていたのです。そのためユダヤ神殿と同じ様式の神社をいたる所に建設していきます。
司祭は宮司として「神の宮」を存続させるのです。
一方畿内を制圧したといえど唐勢力は圧倒的少数です。そのため自分の手足として百済王族を登用しますが直接「天皇」を名乗るまでには至りませんでした。
秦氏は蘇我一族滅亡後は中臣氏に一族の女を差し出すことで存続を図ります。そして秦の娘と藤原氏の間に生まれたのが藤原葛野麻呂なのです。空海が渡海したときの遣唐使大使。
中臣氏は唐王朝の指示によって日本の統治形態を作っていきます。
そのためには秦氏という出雲族でもなく倭族もない渡来集団が必要でした。
また秦氏も存続を賭けて出雲封印として神社や寺を建立する許可を得ていたと思えます。
しかし本国の唐時代が滅びます。
これを待っていた秦氏は日本全域に一ノ宮体制を作り上げるのです。
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/1030
天皇家とエフライム族
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1041.html
天皇家はエフライム族?
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/1654
天皇家と失われた10士族
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/3088
旧約聖書に預言されていた二日本の使命
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/3117
古代イスラエルはエフライム族?
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/3089
大カラスと三羽カラス
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/1135
日本人と阿波踊り
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/3171
カインをふら下げている日本人
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/939
契約の箱を作ったのは誰~れだ
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/1052
プトレマイオスから大航海時代へ
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/954
騎馬民族征服王朝説
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/2757
東北アジアの地では、4世紀からトルコ系騎馬民族の勃興期に入り、五胡十六国の乱(304~409)に始まり、魏晋南北朝、五代十国(907~960)にかけて、数世紀にわたり部族間の軍事抗争を重ね、敗れた部族は南下するのが歴史の法則で、三々五々渡来してきた騎馬族を、アヤタチは同族待遇で山窩に迎え入れたから、山窩の概念は時代とともに変化してきた。段階的拡張を続けてきた山窩観念を分別すると、次の6つになる。
①イスラエル十支族の末裔で本邦に渡来したアマベ氏。
②アマベと同族のモノノベ氏。
③本来縄文系の宇佐氏の血統に潜入した秦氏。
④満洲から朝鮮半島経由で渡来したトルコ系騎馬族。
⑤実質的セファルダムのポルトガル冒険商人とアヤタチ系の混血、
⑥実質セファルダムのオランダ人とアヤタチ系の混血、これである。
以上が本来の山窩(第1種)とその拡張観念であるが、周辺には別種の山窩がいた。すなわち、
⑦アマベ氏が華南海岸から引率した倭人に随伴してきた山岳民族。
⑧トルコ系騎馬族の渡来に際し、満洲からついてきたツングース系の非耕作民、これである。彼らはアヤタチの配下として第1種と混在していたため、世人から第1種山窩と同一視されて、山窩と呼ばれるようになったもので、第2種である~落合莞爾氏の歴史史観
秦氏と秦河勝は同じ人物か
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/1027
日本神話と旧約聖書
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/1031
イスラエルの平和のために祈れ
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/3119
イスラエル10士族の帰還について
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/3118
エルサレムとキリストの墓を結ぶライン
http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/1749159.html
レイライン
http://search.yahoo.co.jp/search;_ylt=A2RhP0U_tUZXvmMA71qJBtF7?p=%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=&oq=&afs=
レイライン神社の画像
http://image.search.yahoo.co.jp/search?rkf=2&ei=UTF-8&p=%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3+%E7%A5%9E%E7%A4%BE
https://youtu.be/o7TSrYG7nFg?t=295
からゆきさんで儲けたのは誰か
http://oujyujyu.blog114.fc2.com/blog-entry-686.html
天皇の軍隊731部隊
http://ameblo.jp/64152966/entry-11381737853.html
2010/07/09 にアップロード
オーストリア人の遺物調査人クラウス・ドナによる、45分のスライド・ショーです。こ?れは豊富なデータ、詳細で、徹底的な、非常に引き込まれる内容です。アトランティスか?ら、レプティリアン・ヒューマノイド、アヌンナキ人、古代シンボリズム、超古代の科学?技術、超古代地球共通言語など、さらに多くの情報をカバーしています。このインタビュ?ーは驚くべき内容のものです。どうぞお楽しみください。
アップロードの下にURLがあります。これは大変貴重な記事ですのでぜひご覧ください。BBSではURLを入れると拒否されますので
傀儡子(くぐつ し、かいらい し)とは、当初は流浪の民や旅芸人のうち狩猟と芸能を生業とした集団、後代になると旅回りの芸人の一座を指した語。傀儡師とも書く。また女性の場合は傀儡女(くぐつ め)ともいう。
平安時代(9世紀)にはすでに存在し、それ以前からも連綿と続いていたとされる。当初は、狩も行っていたが諸国を旅し、芸能によって生計を営む集団になっていき、一部は寺社普請の一環として、寺社に抱えられた「日本で初めての職業芸能人」といわれている。操り人形の人形劇を行い、女性は劇に合わせた詩を唄い、男性は奇術や剣舞や相撲や滑稽芸を行っていた。呪術の要素も持ち女性は禊や祓いとして、客と閨をともにしたともいわれる。
寺社に抱えられたことにより、一部は公家や武家に庇護され、猿楽に昇華し、操り人形は人形浄瑠璃となり、その他の芸は能楽(能、式三番、狂言)や歌舞伎となっていった。または、そのまま寺社の神事として剣舞や相撲などは、舞神楽として神職によって現在も伝承されている。
寺社に抱えられなかった多くも、寺社との繋がりは強くなっていき、祭りや市の隆盛もあり、旅芸人や渡り芸人としての地位を確立していった。寺社との繋がりや禊や祓いとしての客との褥から、その後の渡り巫女(歩巫女、梓巫女、市子)として変化していき、そのまま剣舞や辻相撲や滑稽芸を行うもの、大神楽や舞神楽を行う芸人やそれらを客寄せとした街商(香具師・矢師)など現在の古典芸能や幾つかの古式床しい生業として現在も引き継がれている。
その源流の形態を色濃く残すものとして、サンカ(山窩)との繋がりを示唆する研究者もいる。また、平安時代の文人、大江匡房の『傀儡子記』に日本民族とは異なる習俗であるとあり、インドからヨーロッパに渡ったジプシーと同源で、インドから中国・韓国経由で日本に来た浮浪漂泊の民族とする研究もある。
傀儡子記
『拙論「山窩と倭(同,2003年)」「山窩試論(同,2003年)」によると,山窩集団は,大和皇権の意を受けた組織である。では,傀儡子集団は,如何なる組織であったのであろうか。「傀儡子記」によると,傀儡子は,表字に「不耕一畝田」「不採一枝桑」と記述されている。該当する裏意は,それぞれに,「徐福」への警戒は徐福を侮る僧侶の懲罰である」「徐福への猜疑は徐福を嗤う午族の詐欺である」であるので,これらは,傀儡子に課せられた責務になっている。してみると,傀儡子も,大和皇権によって組織された集団であるのかも知れない。機会があるならば,このような視点からの更なる調査に取り組みたい』
注:伊豆の踊り子などは傀儡子の末裔で川端康成の『伊豆の踊り子』には 「物乞ひ旅芸人村に入るべからず」 という立て札が出てくる場面がある。
関連記事;倭はどこにあったのか
http://323.teacup.com/yoshiro/bbs/7494
『ここで注意しなければならないことは、「倭人」が朝鮮半島にもいたとする朝鮮人研究者がその地の「伽耶人」が日本にやってきて大和政権を形成したとしていたとしているである(李 鍾恒の前掲書)。つまり、「伽耶」=「大和政権」を導き出す前提としての考えで、「伽耶」に「倭人」がいては困るのである。加えて、その根底にあるのが「倭」=日本人が朝鮮半島に拠点を持っていたのでは「任那日本府」との関係において<民族的自尊心>から許さないという意識である(「李 基白」の前掲書74頁)』
管理人注:伽耶人がやってきて大和政権を形成したのではなくて.....
......この二つの部族は(古代からの叡智と)圧倒的な武力を持ち、大和族は日向を中心に九州全域と瀬戸内海内海の一部の原日本人を支配していった。出雲族は出雲を中心に次第に支配領域を広げ、近畿や北陸日本海側を支配した。その後、両者の間で戦争が勃発し、オオクニヌシの息子のコトシロヌシの時の戦争で、大和族と出雲族が拮抗し和睦した。(大国主の国譲り神話)その結果、大和族の王であった神武(サノ彦)は融和策として出雲族の娘(コトシロヌシの娘タタライスズヒメ)を娶り、大和朝廷を確立していく。”(九州高千穂のホホデミ王朝と神武東征より)
(百済)長州~(秦氏)薩摩を前提にすると.....スサノオ(後の出雲族)は朝鮮半島経由で....スメラミコト(後の大和族)は海路経由で九州高千穂に上陸で整合性がとれる。
漂白の民サンカ
http://blogs.yahoo.co.jp/houzankai2006/4062668.html
皆さんは、「山窩」(さんか)と言う言葉を聞いたことがありますか?
1950年代ころまで確認された、山中を漂泊し戸籍を持たず、定住せず、竹細工、蓑つくりを生業とし山の幸、川の幸で生活しているサンカと呼ばれる人々がいました。「ウメガイ」という両刃の山刀と「テンジン」と呼ばれる自在鉤、「ヤエガキ」といわれる厳しい掟をもった人々でした。
サンカというのは、定住の民が名付けた蔑称で、彼らは独特の自称を持っているそうです。かつて柳田国男や三角寛らが研究し、五木寛之は「風の王国」「戒厳令の夜」で題材としました。
その起源については謎です。色んな説がありますが、「幕末・近世にかけての困窮民が山に入った」という説は否定されています。むしろその時期に山を降り定住した人々が出てきたと研究されています。
柳田国男は、彼らは縄文人の末裔ではないかと考えました。稲作をもって弥生人が日本列島に進出してきた時、弥生人に屈するのを潔しとしない人々が山に入って独自の社会を作ったというのです。
たしかに、彼らの使う文字は、偽書とされた古史古伝の上記(うえつふみ)にある豊国文字にそっくりだといいます。
サンカは、平安時代の傀儡子とも同一視できるかもしれません。歴史的に敗者や異国人が参加していった可能性もあります。戦国時代の忍者もサンカであるといわれています。歴史上では、源義経、楠正成、豊臣秀吉、徳川家康がサンカの血が入っていたと言われます。
そういえば、家康の出自が被差別民であるサンカで、その秘密を記した巻物をめぐって争うという小説があったような。(柳生武芸帳だったかな?)
サンカの人がみると、相手がサンカかどうか分かるそうです。T元首相もサンカ出身らしいです。現代にもサンカ出身の有名人は何人かいるそうです。しかし、その秘密をあばこうとする者は、闇から闇に葬られると言い伝えられています。
こうして書いていくと、サンカの人々が異形の恐ろしい人々のように思えますが実態は違います。一揆をおこして被差別民におとされ僻地で困窮していた人々を助けたり、ライ病者として山に捨てられた人の世話をしたりもしたそうです。誇り高き、優しい人々だったと思います。
大自然と一体となって生活する彼らこそ、真の自由人といえるのではないでしょうか?現在は、その存在は確認されていませんが、どこかで必ず生きているはずです。
管理人注:生きているどころか例えば吉本興業などは山窩の末裔であり整合性がとれます。山窩の世界は女尊男卑というのも面白い。
朝鮮王朝
http://www.bbweb-arena.com/users/hajimet/chosun.htm
邪馬台国と朝鮮半島
http://www.k3.dion.ne.jp/~kodaira/soo1004.htm
サンカとゴシェン その1
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/297.html
管理人注:その1に出てくる神の山は隠された神の山をご覧ください
サンカとゴシェン その2
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/298.html
サンカとゴシェン その3
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/302.html
サンカとゴシェン その4
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/303.html
サンカのルーツは創世記のヘテ人 その1
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/304.html
サンカのルーツは創世記のヘテ人 その2
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/305.html
サンカのルーツは創世記のヘテ人 その3
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/306.html
伽耶は日本人のルーツか(伽耶=傀儡子?)
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/index/detail/comm_id/1660
http://blog.goo.ne.jp/chutaro1503/e/53a8205bf3f5306cc7d2028277dceafc
から
関連記事~日本の渡来人
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/1466
伊豆の踊り子
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/1467
関連記事:消された伝統の復権
http://blog.goo.ne.jp/motoyama_2006/e/0bf67c6f50dc1594a622be8c507f673f
『司馬を無名時代から高く評価していた海音寺潮五郎も、司馬の『兜率天の巡礼』よりも前に、ゴードン説に刺激されて、長編歴史小説『蒙古来る』(文春文庫)を昭和28年から29年にかけて新聞の連載小説で書いている。
文永・弘安の両役前後の日本とユーラシア大陸を扱った『蒙古来る』は、蒙古軍によって、故国を追われたペルシャの美姫、景教徒のセシロヤが、海路、アラビア、中国沿岸を経て、日本に辿り着く物語である。
日本では、セシリヤは傀儡子(くぐつ)の一団に身を隠す。傀儡子というのは、幻術、奇術を生業とする漂泊民である。そこで、セシリヤはペルシャの音曲やペルシャの幻術を披露したのである。
傀儡子とは?
伊豆の踊り子などは末裔で川端康成の『伊豆の踊り子』には 「物乞ひ旅芸人村に入るべからず」 という立て札が出てくる場面がある。』
伽耶=大和政権
http://323.teacup.com/yoshiro/bbs/7494
縄文人のルーツは沖縄?
http://8628.teacup.com/toraijin/bbs/3124
伽耶大学教授かく語りぬ
http://6260.teacup.com/chikyuboueigun/bbs/9140
なぜ朝鮮人は嘘をつくのか Why does the Korean tell a lie?(1/3)
http://www.youtube.com/watch?v=9ATZG6pyY88
なぜ朝鮮人は嘘をつくのか Why does the Korean tell a lie?(2/3)
http://www.youtube.com/watch?v=jbgbbXk0n1k&feature=related
なぜ朝鮮人は嘘をつくのか Why does the Korean tell a lie?(3/3)
http://www.youtube.com/watch?
◆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆
韓国加耶大学客員教授 崔基鎬 氏の真実の歴史1
http://www.youtube.com/watch?v=-YhXvyv91XY&feature=related
韓国加耶大学客員教授 崔基鎬 氏の真実の歴史2
http://www.youtube.com/watch?v=RG0Thx5vfq4&feature=related
韓国加耶大学客員教授 崔基鎬 氏の真実の歴史3
http://www.youtube.com/watch?v=SFDN2zxZfPQ&feature=related
◆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆
朝鮮人が認めたがらない朝鮮人の歴史(正直な朝鮮人出演)【後編】
http://www.youtube.com/watch?v=z647yDVz914&feature=related
アーリア人の起源
http://8906.teacup.com/toraijin/bbs/164
外国から来た天皇家
http://8606.teacup.com/meizireligion/bbs/305
鉄を産出する伽耶
http://6247.teacup.com/toshifjjp/bbs/6412
伽耶は鉄の國と呼ばれた
http://8906.teacup.com/toraijin/bbs/268
888とキリスト
http://8906.teacup.com/toraijin/bbs/3926
関連記事:九州王朝の考察 その1
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/index/detail/comm_id/2921
九州王朝の考察 その2
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/index/detail/comm_id/2252
失われた九州王朝
http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/index/detail/comm_id/1842
本日は、「伽耶は日本のルーツ」(澤田洋太郎著 93年)のご紹介をします。
著者は、この書にて、日本人および天皇家のルーツについて、大胆ではあるがうなずける仮説を展開されています。
まず、日本人の原郷を伽耶地方つまり、朝鮮半島の南端、慶尚南道のあたり、古代に任那とか弁韓と呼ばれていた地域としています。
論拠は、つぎのとおりです。
伽耶地方と北九州地方の、弥生時代と同時代の遺跡や発掘品の比較によって 双方非常によく似ていて、若干、北九州の方が新しいということ。
・環濠集落や銅剣、鏡、管玉の意匠が、そっくりであること。
・双方で、そっくりの馬よろいが発見され、騎馬民族系譜であること。
・墓制がそっくりで、石槨はあるが、棺はないという騎馬民族の特徴がある。
・この騎馬民族的特長は、百済や新羅にはありません。
つぎに、天皇家の由来、系譜についての説をご紹介いたします。
①1世紀に北九州は、百余国に分かれていたわけですが、これは、伽耶地方の 諸国の王族が、伽耶の海岸線で活躍していた倭人(海人族)に助けられて、北九州に移住し、国をつくったというものです。
②この中から、邪馬台国が成長し、卑弥呼が登場するのは、3世紀半ばです。
③伽耶の豪族であり、日輪信仰をもつ、物部氏の祖先が、畿内に移動。
④卑弥呼の死後、男王がたつが、国が乱れ、豊後中津方面に退去し、後にヤマトに移動(神武東征 300年ごろ) 物部氏を臣従させて、日輪信仰つまり、天照大神を奪う。これが、イリ系の天皇と呼ばれ、神武、崇神です。
⑤400年ごろ、神功皇后・応神が、波多氏・蘇我氏・巨勢氏・平群氏・紀氏・葛城氏の助けをかりて、畿内に入り、大王となる。これが、ワケ系(タラシ系)の王朝で、応神から継体までつづく。
⑥532年、伽耶の王国は、新羅に降伏。その王族が、ヤマトに来朝、欽明天皇となる。ずっと蘇我氏の実質支配となる。この王朝は、天智天皇までつづき、ずっと任那回復や百済への肩入れを続ける。任那王族の王朝なので、うなづける。
⑦このあと壬申の乱により、天武が即位。天武は、天智とは兄弟ではなく、別の王統であり、新羅系の渡来人の指示を受けている。
⑧770年、天智の孫、光仁が即位し、百済系の復活となる。その子の桓武は、百済王家(100年前から日本に帰化)の姫を皇后にする。桓武は、天皇家が、三韓の出身であることを隠すため、それに関する焚書を実施する。
天皇家のルーツと、庶民としての日本人のルーツとは、どのような関係になるのかということであるが、私は、大同小異だと思います。
天皇家が、伽耶の王族の子孫だとしても、かれらは、伽耶の庶民と同じ民族であろうし、北九州の同時代の人々も、伽耶と同じ文化をもつ人々であろうと思われるからです。
澤田先生の著書でおもしろいのは、伽耶人、倭人が、騎馬民族系であり、百済は高句麗系、新羅には、騎馬民族の特徴がないことから、伽耶は、三韓のなかでも特徴のある地域だということです。
これは、日本語と朝鮮語が、よく似ているが、音韻構造がとても異なり、別の民族、遠い過去に分岐したと考えるべきということになります。決して、朝鮮民族から日本民族が分岐したわけではないということです。
また、日本民族では、自己主張をしない日本人の気質や虫の鳴き声を音楽として聴ける性質など、縄文人から受け継いだものや南方系から受け継いだものがあります。
これで、2300年ぐらい前まで、日本人のルーツは、かなりの確からしさで見えたと思います。
しかし、いつ朝鮮族と日本人がわかれたのか、日本人と同一の祖先をもちそうな民族の範囲を特定していくなどの、テーマが残っています。
以上は
http://blog.goo.ne.jp/chutaro1503/e/53a8205bf3f5306cc7d2028277dceafc
様より
その他サンカ関連記事
風の王国 その1
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/514.html
風の王国 その2
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/515.html
風の王国 その3
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/516.html
アヤタチとサンカ その1
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/803.html
アヤタチとサンカ その2
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/804.html
アヤタチとサンカ その3
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/805.html
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