志摩の民話

 七本鮫の磯部参り
 毎年、6月24日の伊雑宮のおみた祭の日に、太平洋の彼方からはるばる海原を越えて七本のサメが行列を成して来るという。サメは賢い魚で、通るとき皆にお辞儀をしながら「今日はお日柄もようて、磯部さんも大にぎわいでなあ」と言いながら通っていく。最後の一匹が尾をピンとはねてお辞儀をして挨拶するという。その様子は皆が見とれてしまうほどである。伊雑宮の鳥居をくぐり、大御田橋のところまで七本が揃ってお参りし、それから先は代表の一匹がお参りする。その時、代表は「磯部さん、どうか今年もわれわれを獲らんようにして下さい。」と言うてお参りする。ところが、ある年、お参りの帰りに1人の漁師がサメを見つけ、銛で獲ってしまった。サメは怒ってこの漁師に敵討ちし、殺してしまった。それからは、7本のサメが6本になってしまい、今では6本のサメが行列を成して磯部さんへお参りするという。
 七本鮫の伝承は、内容に多少の違いはあるものの神島、菅島、的矢、越賀、安乗など多くの漁村で伝わっています

         
             伊雑宮                       伊雑宮の森 
 竜宮へ行ってきた海女   本ページの 「海女の伝承、民話」 に掲示してあります。
 ダンダラボッチ
 昔、波切の大王島にダンダラボッチと言う30尺以上(10m以上)もある一つ目で片足の大男が住んでいた。この島は大王崎のずっと沖にあり、ダンダラボッチはこの島から近くの漁村に現れては荒らし廻っていた。秋には村に来て嵐を呼び、その度に大風が吹き、波が立ち、船がひっくり返りで、村人は大変苦しめられた。その上ダンダラボッチが帰るとき、村の産物を奪い取ったり美しい娘をさらったりした。村人は何とかしてダンダラボッチを退治しようと知恵を絞った。
ある日、ダンダラボッチが村にやって来て村内を歩いていた。足もとに一軒の家があり、一人の美しい娘がムシロを編んでいた。ダンダラボッチは笑って「おまえの作っているのものは何じゃ」と尋ねた。娘は、「これは千人力の村主さまが履くワラジです。」と答えた。ダンダラボッチは驚いて、「この村にはこんな大きなワラジを履く巨人がいるのか。ウカウカとこの村には来れんな。」と唸った。
さらに、網小屋の前で漁師たちがイワシ網を修理していた。ダンダラボッチは網を指さして「これは何に使うのじゃ」と聞いた。漁師たちは震え上がったが、年寄りの一人が、笑顔で網を指差しながら「これは村主さまが召される着物です。」と答えると、ダンダラボッチは急に身を震わせて当たりを見渡し、側にあったボテカゴに目をやった。恐る恐るボテカゴを指差して「あれは何じゃ」と聞くと、漁師たちはダンダラボッチが震える様子を見て、「あれは村主さまの使う飯箱です。」と答えた。ダンダラボッチは顔が段々青くなって、一目散に海の彼方に逃げて行ったという。
それ以来、波切では大きなワラジを作って、毎年九月申の日に大ワラジを海に流す行事を行って、大漁と安全を祈願している。
  
            荒れ狂う海                      わらじ祭り
 クス姫物語
昔、景行天皇の皇女でクス姫というお美しい娘が伊勢神宮に住んでいました。クス姫は、たいへん優しく、いつも子供達を集めて勉強を教えたり、遊ばせたりしていました。
ある年の夏も過ぎ、クス姫は大神宮から「神前へ供える海の幸を取ってくるように。」と言われた。クス姫は、志摩地方の海で魚や貝がたくさん穫れると聞いていたので、はるばる山を越えてやって来ました。
そこはたいへん静かで美しいところで、クス姫は毎日海辺を散歩し時を過ごしていた。
打ち寄せる波の美しさに感心されて、「こんなに美しい波が起こるところを見たことがありません。これからはこの土地を『浪張』と呼ぶことにしましょう。」と言って、いつまでも眺めていました。
とうとうクス姫は、「こんな美しい所を離れたくありません。」と言いだし、村里へ家を建て住み着きました。村人からアワビ等の海の幸を獲ってもらい、伊勢神宮へ年に何回か納める役目をしながら、皆の世話をし、この里で90歳過ぎまで長生きをしました。村人は、子供が病気の時に助けてもらった。村の暮らしが良くなった。村のためにつくしてくれた。クス姫さまに恩返しをしようとお墓をつくり、そこへ記念樹として楠の木を植えて、お祀りした。これが南張の楠御前八柱神社の始まりと言います。

 熨斗鮑の由来   「海女の伝承、民話」 に掲示してあります。
 竜宮井戸   「海女の伝承、民話」 に掲示してあります。
なごらの浮岩
横山の第二展望台へ行く途中に、三つの石が祀ってあります。
かつてこの石は鵜方浜の入口、長原の海中にあり、潮が引くと見えることから「なごらの浮岩」と呼ばれていました。この浮岩に舟の「櫓」が当たると祟りがあると言われ、漁師はたいへん恐れ、皆,この岩を避けて通ったという。
 ある時、越賀の漁師権太夫ら5人が青峰山へお参りに行くため、鵜方浜へ舟で着いた。参拝が終わり鵜方浜から帰るところ、「なごらの浮岩」に「櫓」が当たって、しばらくして権太夫は死んでしまった。
 また、木次郎、サワという夫婦が船越から鵜方に移ってきた。木次郎はかつお釣りのエサを売る商人で、サワは海女であった。ある時、木次郎は浜島へ行く途中、普段見えない「なごらの浮岩」が浮いているのを見て、サワにそのことを話した。その夜、サワの夢の中に浮岩が現れて「我は、なごらの竜神石じゃ、早く陸へあげて祀ってほしい。」と告げられた。サワは夢のことを木次郎に話した。木次郎は、我々だけでは、あの石は上がらん。近所の人たちに手伝ってもらおうと皆に頼んだ。竜神石を海から上げるのに良い大潮の日がきたので、木次郎夫婦と村人が舟に乗り、石を上げようとしたが、重くてなかなか上がらなかった。
そこで海女のサワが海に入り、石に綱を掛けて引っ張り上げ、やっと三つの石を上げた。龍神石は木次郎の家の裏山へお祀りすることにした。
 またサワの夢に竜神石が現われ、「我ら三つの石は、元々横山の神の使いであるから、横山に祀ってほしい。」と告げられた。木次郎とサワは横山の中程で鵜方浦がよく見える場所に竜神石を祀った。それ以来、鵜方浦のたたり石がなくなり、八大竜王が舟の安全を守ってくれて、大きな船でも自由に通ることができるようになったという。

   なごらの浮き石(横山)

    
      八大竜王石碑


    この民話は各町史、観光パンフ、志摩の海女(岩田準一著)等を参考にまとめました。

志摩学目次へ