ここから本文です

「中立である」はずなのに……。なぜ米国のメディアは特定の候補者を支持するのか

ITmedia ビジネスオンライン 5月26日(木)8時21分配信

 米大統領選の党指名候補争いは、民主党はヒラリー・クリントン前国務長官が、共和党は不動産王のドナルド・トランプ候補が指名をほぼ手中に収めている。

【80近い新聞社がクリントンを支持】

 ただトランプについては、7月に行われる共和党大会で正式に指名されるまで、まだ何が起こるか分からないという見方があり、目が離せない状態が続いている。

 そもそも、ほとんどの米メディアはトランプがこんな快進撃を続けるとは思っていなかった。しかも選挙が進むと、今度はトランプの勝利を阻止するべく反トランプの姿勢を鮮明にした。有力紙のワシントンポスト紙は「共和党幹部たちよ、トランプを止めるために全力を尽くせ」とする論説記事を掲載しているし、ニューヨークタイムズ紙もトランプの政治家としての資質を問題視して、別の候補者を支持すると表明している。

 そして次々と他の新聞も支持候補を表明し、現時点で、トランプ支持を表明しているのはゴシップなども扱うタブロイド紙3紙だけ。クリントンは80近い新聞社から支持表明を受けている。

 こうしたメディアの動きを見ていると、1つの疑問が湧いてくる。なぜ大手メディアが自らの政治的立場を主張し、堂々と意見を表明しているのか。そもそも米国では、ジャーナリストはできる限り「中立」の立場でバランスある報道を行うよう訓練されているはずだが、特定の候補者への支持表明はそれに矛盾する行為になるのではないか。

 日本でも最近、報道のあり方などがよく話題になっている。例えばここ数カ月でも、テレビ報道番組の司会者たちが同じタイミングで交代したのが政府の圧力だと一部で指摘されたり、先日も毎年恒例の「報道の自由度ランキング」で年々順位を下げる日本が2016年は74位になったことが大きく取り上げられていた。

 日本だろうが米国だろうが、民主国家の報道機関ができる限りバランスのある報道をすべきだというのは、メディア関係者じゃなくても分かっている。ならば、ジャーナリズムが成熟しているはずの米国で、大手新聞が次々と選挙で支持表明をするのはなぜなのか。

●メディアの「エンドースメント」

 新聞社が大統領候補の支持者を表明することは、メディアの「エンドースメント」と呼ばれる。このエンドースメント、実は非常に歴史が古い。例えば、1世紀以上前の1860年には、ニューヨークタイムズ紙が共和党の大統領候補だったエイブラハム・リンカーンに支持を表明している。そして現在までその伝統は続き、例えば2012年の大統領選挙では、全米から41の新聞が民主党のバラク・オバマ大統領を、35の新聞がミット・ロムニー共和党候補を支持すると表明した。

 そんな古くから行なわれているエンドースメントだが、その慣例はもちろん、日々のニュースを報じる社内の「ニュース部門」の考え方と完全に相反する。新聞のニュース報道はとにかく「中立性」「バランス」が念頭に置かれ、それを逸脱することは、メディアとしての信頼度の失墜に直結する。当然、ほかのメディアからも厳しい指摘を受けることになる。

 こう見ると、新聞には“支持表明”と“バランス報道”という矛盾が存在していることになる。これはどう理解すればいいのか。

 エンドースメントは新聞社内の「編集委員会」が行っている。この編集委員会とは、完全にニュース部門とは隔絶されて存在している。候補者の支持、というような意見を表明するのは編集委員たちであり、バランスある偏見のない報道を目指しているニュース部門の記者や編集者、カメラマンなどではないのだ。

 編集委員とニュース部門の間には“厚い壁”が存在し、両者が交わることはない。例えば2012年に読者からの質問に答えたニューヨークタイムズ紙のジル・エイブラムソン編集長(当時)は、大統領選の支持表明などをする自社の編集委員会について、「(ニュース部門の)編集長として、編集委員会と一切つながりはない」と内情を語っている。「彼らの記事(エディトリアル=社説・論説記事)は、私自身も読者の皆さんと同じように、紙面で初めて読むのです」

●編集委員会はニュース部門から独立

 編集委員会は通常、何人もの編集委員からなる。例えばワシントンポスト紙では、9人の編集委員が旬なトピックについて議論し、総意として記事にまとめる。ニューヨークタイムズ紙は16人、ロサンゼルスタイムズ紙も9人のベテランジャーナリストが委員になっている。“編集委員”は個人の意見ではなく、新聞社の組織としての意見を示すことが目的で著者名は「編集委員会」となる。

 編集委員はその媒体にそれなりの期間勤めた専門性のある元記者や元編集者たちだ。ただ、生え抜きばかりそろえているところは少ない。なぜなら、1つの会社で記者・編集畑をずっと歩んできたという人は、本人の自覚がないままに視野や見識が狭くなっている可能性があるからだ。

 ちなみに米国では、日本とは違い、大手報道機関が新卒採用を行って全く経験のない学生を記者や編集者として雇うケースはそうない。大抵の場合、記者などは地方紙などで基礎や実力、専門性などを身につけて、その中でも特に優秀な人たちが大手に集まってくる。そういうシステムを見ると、生え抜きが少なくなるのも理解できる。

 ワシントンポスト紙は、編集委員会について新聞社としてこんな説明をしている。「論説記事は、編集委員会のメンバーらが議論を交わして決めた、ワシントンポスト紙の機関としての見解を表明しているものである」。さらには、「ニュース記者や編集者は決して編集委員会の議論に参加することはないし、編集委員はニュース報道に一切関与していない」とはっきりとニュース部門との違いを表明している。どの新聞社でも、編集委員会がニュース部門から独立していることを明確に強調している。

●米ジャーナリズムの独特な気質

 では新聞社はなぜ、そんな誤解を招きやすいことをするのか。本来のニュース記事に誤解を生じさせかねない編集委員の論説を載せるのはそんなに大事なことなのか。ここに日本人なら理解しにくい米ジャーナリズムに独特な気質がある。

 1つには地域への貢献という側面がある。日本と違って、国土の広い米国の新聞は州や地域ごとに発行されており、メディアは読者のコミュニティーに近い。だからこそ、新聞社もコミュニティの一員として声を挙げ、存在や見解を示す必要がある。ニューヨークタイムズ紙の編集委員の1人は、「候補者のエンドースメントは、読者に特定の候補者への支持を求めるものではない。それよりも私たち新聞が感じている“市民対話に参加する義務”を果たそうとしているのです。特に新聞社は、自分たちが取材などで得る『見識』を読者と共有する義務を負っているのです」とエンドースメントの賛否について語っている。

 またメディアとして支持者を表明することが、議論のスタート地点になる。報道ニュースでは流されてしまうかもしれないが、意見表明なら議論を促すことができる。それが、新聞を読んでくれるコミュニティへの貢献にもなるということだ。

 こうした理由から、新聞社は大統領選挙だけではなく、地元の地方選などでも支持候補を表明するのである。

 ただ今、このエンドースメントという新聞の文化が衰退の一途をたどっている。

 それもそのはずだ。読者からすれば、同じ新聞紙面に論説とニュースが載ればその違いは分からないだろう。日本でも「NYT紙、クリントン氏とケーシック氏を支持 大統領選」などと報じているが、編集委員もニュース部門も関係なくひっくるめて、「NYT紙」が立場を表明したと受け止めてしまうだろう。

●エンドースメントが消滅する日

 実際のところ、米国人でも混乱する人は少なくない。読者にしてみれば、ワシントンポスト紙はワシントンポスト紙であり、そこに2つの顔はない。「編集員会」と「ニュース部門」の違いという新聞社側の理屈を押しつけるのはどうかとの意見もある。

 ちなみにウォールストリート・ジャーナル紙は、ハーバート・フーバー第31代大統領の支持表明を最後に、1928年にエンドースメントを止めている。USAトゥデー紙も創刊から一度もエンドースメントはしていない。最近でもエンドースメントを止めると宣言している新聞は続出しており、2012年の大統領選挙では、全米トップ100の新聞社のうち23社がエンドースメントを止めている。

 モンタナ州で発行されているグレートフォールズ・トリビューン紙もその1つだ。発行人であるジム・ストラウスは、2012年にエンドースメントを止める際にこう語っている。「ますます多くの読者がニュース報道と論説ページの違いを見出せなくなっている。本紙のニュース記者はエンドースメントに決して口を挟むことはないが、多くの読者がそれを信じていない。支持者を表明したら、読者はそれ以降すべての記事が、特定の候補者に偏っているとレッテルを貼る」

 エンドースメントという米国のメディア文化が消滅するのも、時間の問題なのかもしれない。

(山田敏弘)

最終更新:5月26日(木)8時21分

ITmedia ビジネスオンライン

Yahoo!ニュース 特集(深層クローズアップ)