私は回り道が好きだ。
RPGでは「正解ルート」だと分かれば一旦戻り、「不正解ルート」を埋める。
取逃したアイテムから強力な武器を見つけたり、モンスターと戦うことによってパーティーが強化される可能性があるからだ。超楽しい。
結果、次のダンジョンが楽になる。
回り道が早道の考えだ。
これは実生活にも当てはまっている。
だが沢山の人から話しを聞くと、皆がそうでは無い事を知った。
回り道を「失敗」と呼ぶ人たちの事だ。
そして、彼らは共通して「失敗」を「恐れている」。
なぜだろう。
少し一緒に考えてほしい。
「失敗」の定義
果たして「失敗」とは何だろう。
コトバンクには下記の様に記載されていた。
物事をやりそこなうこと。方法や目的を誤って良い結果が得られないこと。しくじること。
つまり、「間違ったこと」をしたら「失敗」と言われる。
うん?「間違ったこと」って何だ。
「間違ったこと」の定義
果たして「間違ったこと」とは何だろう。
コトバンクには下記の様に記載されていた。
真実と違うこと。誤り。しくじり。
また「しくじる」が出てきた。でしゃばりめ。
「間違い」にレッテルを張ってる
なるほど。見えてきた。
「正しい」とは「違うこと」をするのが怖いのか。
不正解が怖い…と。
うん?繋がらない。
捉え方が違うだけじゃないか。
それの何が怖いんだ?
正解への仮説を立証する、施行回数の話しではないのか。
「失敗」に悪いことは一つも無くない。気がする。
「正解への道」が、絞れただけだろう。
99%の失敗
仮に99%の確率で失敗する実験があるとする。
1回目の成功率は1%。
しかし2回目は99%*99%なので、98%の失敗率になる。
2回目の成功率は2%。
3回目は98%*99%…
4回目は…
と、繰返せば459回で成功率が失敗率を逆転する。
たったこれだけ。
エジソンが言ってたよ。
俺ぁねー 失敗なんかねー してないっつーのよねー。ただねー 上手くいかない方法を10000通り見つけたんでっす。
他人からの見た目
プロは失敗から成功を得る。
失敗を肯定的に捉えている。
失敗をすることで「他人からどう思われるか」を心配している人が多い。
でも、その「他人」は一生を添い遂げてくれない。
なら、覚悟を決めて挑戦をするべきだ。
他人からの評価のためではなく、自分のために。
ブログも同じではないだろうか。
諸事情があるにせよ、志半ばで辞める人が多いと思う。
「成功」をどこに設定するか次第だが、「上手くいかない」のが理由であれば、最低でも459回は続けてみればいい。
もちろん前回の反省を活かした上で。
諦めるのはそれからでも良い。
どうせ、459回も最善に施行されれば成功している。