100年以上前にロンドンで書かれた一冊『自分の時間』が出版社を変えて今月発売された。
仕事以外の「内なる時間」をどう埋めるかという話が中心で、これについては前に記事に書いた通りだ。
今回は、できるだけ失礼のない言い方をすれば『自分の時間』で書かれたことの「焼き回し」、失礼に言えば「パクリ」なのだが、「あ、こっちのが分かりやすい!」と感じた長岡秀貴という方の講演を紹介したい。
時間という財産: Hidetaka Nagaoka at TEDxSaku
《目次》
人が何かを諦める理由
お金がない。
経験がない。
学歴がない。
才能がない。
コネクションがない。
時間がない。
ないないを理由に、人は何かを諦めるのが常だ。動画で語られていることだが、長岡さんは地方に自己啓発系の講演を頼まれて行くと、何年経っても同じ顔ぶれが出席している。話してみると、数年前とやっていることが変わらない。こんなことがよくあるそうだ。
この講演ではテーマ設定の関係上もあって「時間がない」に焦点を絞っていく。
誰もが平等に与えられている財産
朝、目覚める。すると、不思議なことに、あなたの財布にはまっさらな24時間がぎっしりと詰まっている。そして、それがすべてあなたのものなのだ。これこそ最も貴重な財産である。
これは『自分の時間』からの引用だ。 「時間はどんな人間にも常に平等。常にそこにあるもの」と長岡さんが言い出したところから、これは怪しいな。『自分の時間』そのままだな、という感がにじみ出てきた。
まあ真理だから焼き回しみたいになるのも仕方がない。お金も地位も、知能も運動能力も平等ではない。唯一平等なものは?と気になる質問をされたときの気になる答えは、決まって「時間」なのだから。
財産を分けて考える
人生100年 876,000時間
0歳から20歳 175,200時間 1/5
睡眠時間 292,000時間 1/3
70歳から100歳 292,000時間 1/3
残りは 116,800時間
4867日
13年4ヶ月
人生の時間を分けて計算してみると、人生100年のうち、1/5は成人までの親たちに与えられる時間、睡眠時間が1/3(正確には0から20歳と70歳から100歳の睡眠時間も含めてしまっているので計算がおかしい!)、70歳から100歳の介護される時間が1/3(正確には3/10だ!)。
こうやって引き算していくと、残りの「人に与えられる時間」は116,800時間(13年4ヶ月)しかないという主張だ。先ほどの睡眠時間と介護される時間の誤算を正すと、292,000時間(人生の1/3である33年4ヶ月)という全然違う結果になるのだが!
誰もQCしていないのだろうか。僕が本人か関係者だったら頭が痛くなるどころでは済まないミスである。
それはともかく、こうやって計算してみると案外「人に与えられる時間」は少ないよということだ。随分、というか倍以上も少なく見積もり過ぎてしまったが、時間が貴重だという本質に変わりはない。
24時間分割意識生活
8H(勤労・勤勉)、6H(睡眠)、3H(食事・サニタリー)、7H(?)
この7時間を意識すると、「二回」人生を生きることができる。簡単にいえばダブルワークが可能になるということ。ここまでは『自分の時間』と全く同じだ。
長岡さんはダブルワークを可能にするためには、Weekday(平日)やHoliday(休日)というカテゴリー分けはせずに、WorkTime、HoliTimeという分け方をしたらどうかと提案する。これはなかなか優れていて使える考え方かもしれない。
長岡流で考え直してみると、平日でもHoliTimeが十分あることに気づくはずだ。そうはいっても仕事で疲れているから、という言い訳はなしだ。自由に使える時間が平日にもたくさんあるのは事実。しかも仕事のない休日はHoliTimeだらけ。何かをはじめるには十分な時間がそこにはある。「時間がない」は諦める理由にはならない。
長岡秀貴の本
『サムライフ』は映画化された彼の自叙伝。