企画特集 3【神奈川の記憶】
(24)臨済宗と曹洞宗
■近くて遠い禅の大本山
◆作法披露し合って交流「史上初」
これはちょっとした事件なのだろう。鎌倉の建長寺で15日にあった講座「禅を知る、禅を感じる」に参加しながら、そんな思いにとらわれた。「五山第一」を掲げる建長寺は臨済宗の大本山。そこを会場に、横浜の鶴見にある曹洞宗の大本山総持寺の僧が曹洞禅の作法を披露したのだ。臨済と曹洞はともに鎌倉時代に始まる禅の宗派だが、こうした交流は長い歴史でも初めてだろうというのだ。
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鶴岡八幡宮境内の鎌倉国宝館で開催中の「総持寺の至宝」展の関連行事だが、講座には仕掛け人がいた。
総持寺宝蔵館の岩橋春樹館長だ。岩橋さんは鎌倉国宝館の元学芸員。国宝館は関東大震災で深刻な被害を受けたのを教訓に〈鎌倉の宝〉を守ろうと昭和の初めに鎌倉町が設けた。
鎌倉には禅寺が多いがことごとく臨済宗。国宝館に27年間勤め、いつしか臨済美術の専門家になった岩橋さんは、総持寺が運営する鶴見大の教授に招かれた。そこで曹洞禅に触れ「何かが違う。空気が、呼吸が違う」と感じた。違いを分かりやすく示せないかとの思いが講座になった。
どのように座禅をするのか。作法が披露された。
曹洞の作法は、総持寺の花和浩明参禅室長が説明した。肉厚の丸いクッションを用い壁に向かって座る。手は親指をまっすぐにのばし、卵が一つ入るほどに結び――。「人間は生まれながらに仏であることを静かに確かめるのが座禅です」
その実演を目にして建長寺の永井宗直・元教学部長は「曹洞の座禅は細かい動きまで丁寧。新鮮です」。臨済には14の派があり、手の組み方などは派により異なるので、あまりこだわらないという。臨済では人と向き合って座る。敷くのは長方形の布団だ。「自分と他を分けないこと。それが禅。長く座れば足は痛い。痛いものと諦めることです」と永井さんは説いた。
作法だけでない。歴史をたどると二つの宗派の違いはくっきりする。
建長寺は鎌倉幕府の執権北条時頼が1253年に建立した。中国僧の蘭渓道隆を開山(創始者)として招いた。五山は鎌倉幕府が定めた制度で、建長寺はその筆頭とされた。臨済で最も知られるのは京で活躍した一休さんだろう。
総持寺は、曹洞宗の開祖道元のひ孫弟子に当たる瑩山(けいざん)が1321年に能登半島に開き、福井の永平寺と並び大本山となった。明治に大火に遭ったのを契機に鶴見に移転した。こちらの代表は越後で子どもと手まりをついた良寛さんだろう。
臨済は中国直輸入の禅で都市の有力者が中心。地方でさらに広い層を信者にしたのが曹洞――そんな姿が見えてくる。
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日頃仲が悪いわけではないというが講座の実現は簡単でなかった。「勇気のいる企画でした」と総持寺の村田和元・副監院は振り返った。建長寺の永井さんは「対立している時ではありません」と語った。
仏教やお寺を取り巻く環境は大きく変わっている。宗派の違いにこだわっている時ではないとの思いが実現を後押ししたようだ。
禅の文化は今日の暮らしにも深い影響を及ぼしていると岩橋さんは強調する。礼儀や作法だけでなく、僧堂の組織は日本軍が取り入れ、現在の行政にも遺伝子が生きているという。
「それなのに知られていない」と岩橋さんは嘆く。
曹洞宗は全宗派で最多、全国に1万4千余の寺を持つ。その基礎を築いたのが瑩山。伝教、弘法など大師号を持つ僧は日本の歴史に25人。常済大師瑩山はその一人。「それなのに不当なまでに知られていない」と岩橋さんはさらに嘆く。
確かに知らないことを痛感する。とりあえず29日までなら鎌倉国宝館で瑩山の像に会うことができる。
大本山が近くにあるので可能になった交流。「これを契機に、今後も模索したい」という点で両寺の姿勢は一致するようだ。教えや作法の違いもいいが、現代の一休さんや平成の良寛さんに巡りあえたなら……。悩み多い凡俗の身として、そう願うのは私だけではないだろう。
(渡辺延志)
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