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わたしのむしめがね

駆け寄ってみたくなったら、書くときなのでしょう。

ポエム、それも朝に後悔するタイプの

心のこと

何度も泣くこと、何度も泣き止むことで、まるで幼子のような経験を、やりなおしているだけだ。昔から少し、自分を包む膜が不透明すぎたから、誰かを傷つけてもそれに気付けなくて、優しい人がそのことを教えてくれたとしても、それがどういうことかわからず、よけいに申し訳なくなった。わけがわからぬうちに誰かを刺しているというのは、とても怖い。

他方で家族はわたしの膜を無いものとした。内側をなんなく占拠し、各々がどの位置をとるのかを、争ってはいない風を装って、わたしの顔をちらちら見る。どうすれば全員がうまくいくだろうかと考え、何を求めているのか察知する能力は、悲しいよ。

愛がほしいな、満ちているはずの愛がまだほしいよ、自分は間違っていないということを信じるだけでは、間違える自分を許せなくなる。間違えてもいいよって言ってほしい、自分自身に言ってほしいのに、言いたいのにできない。存在しているというだけの状態にはもう戻れないし、本当にほしい形では愛情はもう受け取れない。それは誰の責任でもない、だから自分を責める、楽なのだ。

他人に許されることを望んでしまうのは、自分でそれができないから、でも皆に許されることなどないんだよね。だから、間違えないように努力するしかないし、間違えたら全て終わりって気持ちになるしかない。

どうやったら自分の周りの不透明をどこかに捨てられるかな、捨てるというのは少し違うのかな。自分の輪郭が1つじゃあないのかな。重なりたい。

つらいな。でもこうして、反発していたものに身を委ねているのは、成長なのだろうか、それとも妥協だろうか、あるいはまた、皆の気にいるようにしているだけなのかな。敗北してみたかったのかな、それは客観的なものではなくて、主観的な敗北。すがすがしい負けというのを、生まれて初めて知ることができるのかも、知っていたけど知らないことにしていたのかも、ああ、ああ。自分のやることは全て自分の人生をつくる、それだけだ。

明日も笑顔で送り出したいのにこんなに泣いてしまった。誰に否定されてもいいからそこだけではかわいくありたい人の前で、きっと明日は目が腫れちゃって、ばかみたいだわたし、ばかでいいよ。