上久保誠人のクリティカルアナルティックス
民進党が共産党と共闘するのはあり得ない選択肢だ
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筆者は、民進党が共産党と共闘するのはあり得ない選択肢だと考える。安倍政権憎しで安保法制反対で一致したが、本来、安全保障政策は野党間で最も違いが大きい政策課題であり、民主党政権の混乱の一因も安全保障政策の不一致だった。民進党と共産党が共闘しても、必ずそのうち問題が起きてしまうからだ(第122回・3p)。
また、「消費増税延期」で民進党が共産党と組むのは、安全保障政策以上に問題だ。繰り返すが、民進党内には、社会保障充実や財政再建のために予定通りの増税を求める声が少なくない。岡田代表は、参院選を控えて共産党との共闘を重視したが、この判断は将来大きな禍根を残すことになり、いずれ後悔することになるだろう。
なぜなら、共産党との共闘は、日本のサイレントマジョリティである「中流」の支持を失うことになるからだ。「中流」というのはアバウトな概念だが、サラリーマンを引退した高齢者、現役世代のサラリーマン家庭、その予備軍である思想的な偏りのない若者などである。この「中流」の人たちは、食べていくため、家族を養うため、非常に現実的に社会を見ている(第115回・下)。
「中流」の人たちは、民進党・共産党が共闘しようとしている「安保法制廃止」の非現実性に、半ばあきれ果てている。また、元々「消費税廃止」を訴えていた共産党の非現実性に引きずられる民進党に対して、白け始めている。
なによりも問題なのは、「中流」の人たちが、実は民進党・共産党が熱心に訴える「弱者救済」に微妙な嫌悪感を持っていることだ。なぜなら、彼らは税金を多く取られているという痛税感が強く、その割に行政サービスを十分に受けられていないという不満を持っている。それなのに、「弱者救済」ということで彼らが払った税金が他人に使われることには、納得できない感情があるのだ(井手・古市・宮崎『分断社会を終わらせる』2016)。
このあたりの中流意識ってのは実態と乖離しているというか、たいていの中流は言うほど税金など払っておらず、実際には年収一千万オーバーの人たち(給与所得者の1/25)が不満をもつべきなのだろうが、中流がそう考えていることは選挙に相応の影響はあるだろう。
とはいえ、そんなことより問題なのは、共産党の公明党化というか、共産党の民進党支配を許すことだろう。自民党が公明票をもらうことで生き延びているのと同様に民進党が共産票に依存しないと当選者を出せなくなると、民進党としては困る。そして共産党は少数なのに大政党を引き回せるようになる。
共産党としてはおいしいが、それで民進党はいいんですかね?