>この社会淘汰とは生物学でいう淘汰なのでしょうか?それともただの言葉の綾というか例えなのでしょうか。
社会活動に生物学的整合性を持たせるためのアヤというか、詭弁みたいなもの
でしょうね。。。
「生物学」とりわけ進化論における‘自然淘汰‘は、自然発生した変異体のうち、
より適応度の高い個体が選択的に生き残っていくことをさします。
一方、社会条件による個体数の増減は、生理的な変異とはほとんど無関係ですし
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>この社会淘汰とは生物学でいう淘汰なのでしょうか?それともただの言葉の綾というか例えなのでしょうか。
社会活動に生物学的整合性を持たせるためのアヤというか、詭弁みたいなもの
でしょうね。。。
「生物学」とりわけ進化論における‘自然淘汰‘は、自然発生した変異体のうち、
より適応度の高い個体が選択的に生き残っていくことをさします。
一方、社会条件による個体数の増減は、生理的な変異とはほとんど無関係ですし、
自然界の出来事でもありません。
「富める者がより富んでゆく」のが社会であって、適応度の高さとは一致しない
傾向も強いですしね。。。
そもそも寿命・出生率・死亡率は「文化人類学・社会人類学」で扱うべき問題で
あって、自然科学の法則(または傾向)を、そのまま社会科学に持ち込むような
手法は、何かにつけ問題が多いと思いますよ。
優生学にあるように、往々にして、強者の論理やナチズムに陥ることも多いです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%84%AA%E7%94%9F%E5%AD%A6
「クルマは進化する」というくらいは、あまり気にもなりませんが、社会淘汰と
いう言葉自体、慎重さに欠けるように思えますね。
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