データって説得力が有りそうですが実は全く無いといえば無いともいえると思っています。
「○○調べ」と言われても○○が有名であっても嘘の数値を出さないという保証はありませんよね。
また、その方が提示しているデータを本当に○○が出したものだという証明は○○に確認を取らねば確証を得ることはできません。
要は人の手を介した時点で真実は伝わらなくなると過去の経験から思い込んでいる方も多いでしょう。
端的に言えば大戦中の軍の発表と現在の警視庁の発表、私もどちらも、どちらで信用できない(参考程度)と思っています。
かつて薬害HIV訴訟に関わっていた時に国や大企業の出すいい加減なデータをマスコミが真に受けて垂れ流している現実を苦々しく見ていたせいもあって・・・。
(と、経験重視っぽさを強調してみましたが如何でしょうか。)
結局のところ、日本人の98%が幽霊を見たとニュースで流れても私は幽霊の存在を信じ切ることができないかもしれませんが、今、ディスプレイから手が伸びてきて私の首を絞めたら、一瞬で信じ切るでしょう。
歴史に至っては10人で伝言ゲームをやっても間違えるヒトが僅かに残った文書と遺跡から推察した甚だ信憑性のない話だと思っています。
あ、データといえば私は交通事故の裁判を7年かけて高裁までやった経験がありますが、このときに双方が専門家に頼んで事実のみを基に作った(はず)のデータが真逆な内容となっていることはよく有りました。
データも人間が作ったものであるかぎり、真実のみを映し出す鏡とは成り得ないと私は思っています。
卑近な例をもう一つ挙げれば、各種選択肢がある南京大虐殺のデータより大正生まれの祖母の大空襲の経験話のほうが戦争の悲惨さを知るには受け容れやすいというのもあります。
・講釈師見てきたような嘘を言い
洗練された『芸』の一つだとは認めています。
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