「経済で、結果を出す」。自民党のポスターのスローガンである。:小沢一郎(事務所)
2016/5/23 1:40
こんばんは。度々失礼いたします。
このところ聞き苦しい話題ばかりで恐縮なのですが、また愚痴を言いたくて、伺いました。
体調があまり思わしくなく、言葉がなかなか出てこないので、切れ切れになると思うのですが、ひとつよろしくお願いします。
本題の前に、「
公明党、今や意識は自民党員。だって、公明政策は自民と同じ。なら我が頭は安倍。:孫崎 享氏」を、帰り道の深夜の電車のホームで拝読していて思ったのですが、この二つの政党は、「政権与党」という名前の一つの政党なのだろうなと思いました。
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「
〈選挙の為なら何でもする、誰とでも組む、こんな勢力に負ける訳にはいかない〉と総理の弁:松井計氏」におっしゃる
「>志位和夫 自民の野党共闘攻撃のビラを見た。
政策が違う政党の共闘は「野合」だと。
野党5党は「安保法制廃止、立憲主義回復」の大義のもと結束している。
これは、あれこれの政策とは次元の異なる、国の土台を再建する仕事だ。
まともな政策論争を行う土台を回復しようということだ。
これ以上の国民的大義はない。<
でもね、〈野合〉という言葉もそろそろなくさないとね。
野合を辞書で引くと〈正式な手続きを経ないで男女が関係をもつこと〉とある。
これのどこがいけないの?極めて民主的で当たり前の事じゃないの。
なのに、まだこういう言葉があり、しかもそれが否定的ニュアンスで使われるという事自体が後進的だ」
ところや、「
着実に安倍暴走を阻止する動きが、予想を超えて、結集しつつある。:孫崎 享氏」におっしゃる
「参議院選・野党協力、32選挙区中残り3選挙区、ここまで進むとはほとんどの人が予想しなかった。
着実に安倍暴走を阻止する動きが、予想を超えて、結集しつつある。
自民・公明の醜い「選挙目当ての野合」論、野党連合、安倍政権の危険な政策阻止で協力を模索,参議院32選挙区中29で統一候補。
更に衆議院選への協力方針。
この中、自民・公明は「野蛮で不道徳なセックス」の言葉「野合」使う低俗さ」
ところなどを拝読していて、ふと思い出したことがあります。
二千五百年くらい前のある人の出生にまつわる伝説です。
「孔子生魯昌平鄉陬邑。其先宋人也。曰孔防叔。防叔生伯夏。伯夏生叔梁紇。紇與顏氏女野合而生孔子。禱於尼丘得孔子」
「道徳」とか「修身」とか「武士道」とか言う人の脳裏にあるのは、朱子学や心学が元になった道徳律めいたものではないかと思います。
通俗の道徳律において俗化したそれはともかく、儒教の根本にいる人の出生にまつわる伝説は、儒者は気にしないものなのでしょうか。
何か一言、あるのではないかと思うのですが、朱子は何か言っているのでしょうか。
知りませんが。
「
現行の経済モデルは害毒です」におっしゃる
「人が書いたものや語ったことを“偽作”する考え方には与しません。
もちろん、誰がどういう目的で書いたり語ったものなのかは徹底的に吟味しなければなりませんが、書かれた以上、誰かの意図や考え方が反映されているものです。
指定URLにはなかったのですが、それが「シオンの長老の議定書」であれば、現在も妄動を続けている『強欲者組織』が意図的に作成し流布させてものだと思っています。
(作成したのはユダヤ教組織ではないと考えています)
日本でも、「ツガル外三郡誌」や「秀真伝」などが“偽書”とされているようですが、それが江戸期や明治期に書かれたものであったとしても、そこには、書き手にそのような内容を書かせた伝承や価値観があるわけですから、それを素直に評価すればいいと考えています。
それらが“偽書”であれば、「日本書紀」も“偽書”です」
とおり、太史公が集めたものは確かに存在していたのでしょうから。
「野合」からも興味深いものが生じうるのでしょう。
「
「経済で、結果を出す」。自民党のポスターのスローガンである。:小沢一郎(事務所)」におっしゃる
「アベノミクスは終わりなき悪循環の連鎖になりつつある。
昨今の世のイクメン議論とイメージに多大なる打撃をもたらした「偽イクメン議員」の記者会見が行われていたようだが、時間と公共の電波と、紙面の壮大かつ絶望的な無駄である。
くだらなすぎて言葉もない。
急速に進行しているアベノミクス崩壊の国民の生活への影響について、より報じられるべきである」
ところの「偽イクメン議員」については、亭主も女房も「政権与党」の議員なのですから、どちらも存在自体が間違っており、いずれかに同情するなどありえないと思ったのですが、世の中では「それとこれとは話が違う」と言われるようです。
とにかくこの社会を構成している野蛮人とは、話が成り立たないと思っています。
〈選挙の為なら何でもする、誰とでも組む、こんな勢力に負ける訳にはいかない〉と総理の弁:松井計氏
2016/5/23 1:42
社会の根底が崩れているのに、上の言うことに従い、人が死んでも心を動かさず、上の言うことに振り回され死ぬ思いをしている下のものを叩く、そんな野蛮人たちとは、同じ空気を吸っているのも嫌です。
この社会の人々は、他人の人生に対する顧慮があまりにも乏しすぎるような気がします。
いずれとてつもない不幸としてこのつけが回ってくるような気がします。
現在でも既に不幸なのでしょうが、その比ではないようなものがいずれ巡ってくるように思います。
本題の愚痴なのですが、現在の労役を続けていると、死んでしまいそうなので、他に何か生きる術はないだろうかと思っているということです。
現在の経済活動に参加することには、どの役割であれ、何の魅力も興味も感じないのです。
高次産業から一次産業まで、いずれについてもそうです。
何かしたいことがあれば、それを目指すということが出来ると思います。
しかし、何一つとして、魅力を感じることのない、そのくせして人を無制限に拘束しようとする、この経済活動そのもの、この社会そのものが嫌になっている人間は、どのように身を振ったらよいのだろうと、現在考えあぐねて、そのままに、殺されるのではないかと不安に思いながら、暮らしています。
今までに自分が生きてきて、選んできたもの一つ一つが、総て間違っていたような気がしています。
「
学校教育の終わり:内田樹の研究室」におっしゃる
「教育改革をうるさく言い立てる政治家やメディア知識人はいまだに「勉強すれば報償を与え、しなければ処罰する」という「人参と鞭」戦術で子どもたちの学びを動機づけられると信じているようだが、それがもう破綻していることにいい加減に気づいたらどうかと思う。
利益誘導は、高い学歴や社会的地位や高い年収といった「人参」に魅力を感じない子どもたち、「欲望を持たない子どもたち」には何の効果も持たない。
「そんなもの、欲しくないね。
僕は家に引きこもって、ゲームをしている方がいいよ」と言う子どもに利益誘導はまったく無効である。
同じように、あまりにスマートであるために、学校に通って付加価値を高めるというような遠回りを「かったるい」と思う子どもたちにも利益誘導は無効である。
彼らは学校に通う時間があったら、起業したり、ネットで株を売買したりして、若くして巨富を積む生き方を選ぶだろう。
学校に通う目的が最終的に「金をたくさん手に入れるため」であるなら、自分の才覚で今すぐ金が手にできる子どもがどうして学校に通うだろう。
「人参と鞭」で子どもたちを学校に誘導しようとする戦略はこうして破綻する。
「欲望のない子ども」たちと「あまりにスマートな子どもたち」が学校から立ち去ることをそれはむしろ推進することになる。
引きこもりや不登校の子どもたちは別に「反社会的」なわけではない。
むしろ「過剰に社会的」なのである。
現在の教育イデオロギーをあまりに素直に内面化したために、学校教育の無意味さに耐えられなくなっているのである。
だから、ひどい言い方をすれば、今学校に通っている子どもたちは「なぜ学校に通うのか?」という問いを突き詰めたことのない子どもたちなのである。
「みんなが行くから、私も行く」という程度の動機の子どもたちだけがぼんやり学校に通っているのである」
ところが、ここまで書いていて、ふと頭に浮かびました。
他人との交際には少しの楽しみや喜びもありましたがそれさえも既に奪われて久しく、社会には既に何の魅力も感じていません。
一体この、著しく抑圧的な社会というものの存在意義は何なのだろうと、考えています。
そして、この著しく劣等な社会というものと、自分はどう関係を持っていったらよいのだろうと、悩んでいます。
全く以てまとまらないのですが、これは自分の頭の出来が悪いだけなので、ご勘弁ください。
もう少し具体的なことを含めて、何か言葉が出したいのですが、夜も更けましたので、またにします。
いつもつまらない愚痴をお聞かせいたしまして、どうもすみません。

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