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【埼玉】

沖縄戦体験者の実話を朗読で 川越の俳優・谷さん「思い伝え合う」

先月開かれた朗読会で公演する谷さん=さいたま市で

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 太平洋戦争末期の沖縄戦で顔に爆弾を受けて大けがしながらも、明るく、力強く生き抜いた女性の半生を書き下ろし、朗読公演を続けている女性がいる。川越市在住の俳優谷英美(えみ)さん(51)。沖縄とは縁もゆかりもなかったが、作品のモデルとなった女性との出会いが人生を変えた。 (冨江直樹)

 「日本軍の兵隊さんはガマ(洞窟)から住民を追い出して自分たちが入って、私たちをガマにいれてくれませんでした。『ここにいたら死んでしまう』と父が私の手を引っ張った瞬間に、飛んできた爆弾の破片が顔に当たってしまって…」

 先月、さいたま市大宮区の公民館で開かれた「『顔』−沖縄戦を生き抜いた女の半生−」の朗読会。谷さんが壮絶な沖縄戦について語ると、約四十人の聴衆が固唾(かたず)をのんで耳を傾けた。

 谷さんと「沖縄」との出会いは十五年前にさかのぼる。当時、川越市の童謡サークルから「六月二十三日にちなんで沖縄戦に関する朗読をしてほしい」と依頼された。

 六月二十三日は、沖縄戦が終結したとされる「慰霊の日」。だが、それを知らなかった谷さんはすぐに図書館に行き、初めて沖縄戦について学んだ。「沖縄に無関心な本土の人間の一人なのだ、と沖縄の人に申し訳ない気持ちになった」。そのころ、沖縄出身の地元紙記者と知り合ってさらに関心を深め、沖縄戦の集団自決を描いた作品の朗読を始めた。

 谷さんは二〇一〇年、原爆の図丸木美術館(東松山市)で開かれた「OKINAWA展」のイベントに出席。そこで「沖縄戦での体験者なんですけど」と声をかけられたのが、越谷市に住む新垣(にいがき)文子さん(83)だった。

 一九四五年六月、当時十三歳だった新垣さんは、米軍に占領された首里城を離れ、家族七人で南へと逃げた。その途中で冒頭の悲劇に遭った。

 作中で谷さんが演じる新垣さんは、爆弾を受けた話に続き「顔の真ん中にザクロのような穴が開いていて、こんなけがをして生きていて良かったんだか」と語る。一方で「けがをして大変な苦労をしたが、私が悪いんじゃない、戦争でこうなったんだという負けん気でここまで生きてきた。顔のおかげでつらい思いもたくさんしたが、人の真心も知った」と前向きな生き様も示す。

 谷さんは新垣さんの実体験を聞き、「つらい体験にもかかわらず、ユーモアもあり、明るい前向きなエネルギーで生きる姿に感銘を受けた」。二〇一一年には新垣さんと一緒に沖縄を訪れて当時の足跡をたどり翌年、作品を書き上げた。

 これまでに県内各地で約十回公演。昨年六月には、新垣さんと再び沖縄を訪れる話が膨らんで、沖縄で初公演した。「何しに来たと言われるんじゃないかと怖かった」と振り返るが、聴衆から「体験者の話は何度も聞いているが、明るい気持ちになれる話は少ないのですごく良かった」との感想も寄せられた。

 「こういう交流を続け、思いを伝え合うことしかできない。そこから何か生まれていけばいい」と谷さん。今年も来月十七日に那覇市のホテルで朗読会を開く。来年以降も沖縄で語り続けていくことが目標だ。

 

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