今回のエントリーはロバート・B・パーカーの「失投」僕の私的な防備録に過ぎないので、よほどのスペンサー好きもしくは、村上春樹さん好き以外の方にはお勧めしません。
※初期の村上作品に出てくる主人公のウィットに富んだセリフや料理好き、自身のマラソン好きはスペンサーから影響をうけているとのことです。【はじめに】
この作品はスペンサーシリーズの第3作目で1975年にアメリカで刊行されている。僕が生まれた年だ。僕は少年野球をしていたことがあるが、現在は野球にはほとんど興味がない。しかし、アメリカではメジャーリーガーは、子供たちのヒーローである。少年たちの夢であるとともにお手本であるのだ。その背景がこの作品の屋台骨となり深みを与えており人間臭い僕のヒーロー、スペンサーが誕生した。
日本では、複雑な家庭環境で育った少年とスペンサーの交流が叙情的に描かれる7作目「初秋」の方がベストセラーとして人気があるし、4作目の「約束の地」はアメリカ探偵作家クラブ長編賞を獲得した名作である。 しかし「初秋」のスペンサーに迷いはないし、すでに完成されており父性のかたまりとして描かれている。スペンサーは、第1、2作は「勧善懲悪ハードボイルド」であり、悩みを持たない行動派私立探偵である。第3作目の「失投」でロバート・B・パーカーは初めてスペンサーを悩める私立探偵として描いた。併せてハードボイルドにロバート・B・パーカーの人生訓を他の登場人物たちとの会話や行動として描いたのだ。作家は処女作に全てをぶちこむ、とすれば人間臭さのあるスペンサーシリーズは「失投」が処女作だと思う。 もちろんエンターテインメント作品としても一級なので初読でも楽しめる。ただ、何度も読んでいるうちにスペンサーの人間臭さがアラフォー男の胸に突き刺さるのだ。僕の文庫本は擦り切れ、ページの端は折られ、ボールペンの線にまみれている。ボロボロになるまで読んだ本は、レイモンド・カーヴァーと「失投」くらいだと思う。この小説のリズム感、文体も僕の体にあっている。翻訳者の菊池光さんの名訳もこの作品の魅力の一つである。 長くなるので書かなかったがP7の二段落に渡る文は、小説の冒頭文としては最高のものだと思う。残業で疲れてヘロヘロになった時にぜひ、読んでみてほしい。球場のスタンド席で、ビール片手にピーナッツを食べ爽やかな風を体にうけ、デイゲームを見ている錯覚におちいること間違いなし。ちょっとした疲れもぶっ飛びます。【あらすじ】
スペンサーは我が耳を疑った。レッド・ソックスのエース、マーティ・ラブが八百長試合を? 野球賭博には大金がからむ。ありえない話ではないが・・・・・・球団の極秘の依頼で調査を開始したスペンサーはラブの妻リンダに疑いをもつ。彼女の秘められた過去に事件の鍵があるのか? やがて悪辣な犯罪者がスペンサーの前に立ちふさがった。
【僕の好きなスペンサーのセリフ、行動】
P8.ピーナッツの殻を踏み潰しながら歩いた。
P18.翌朝早く起きて、川沿いにジョギングした。
P19.オレンジジュースをしぼって飲み、コーヒー沸かしのプラグを差し込んでおいて、シャワーを浴びた。
P19.最初の一杯のコーヒーを飲みながら、シェリイ入りのマッシュルーム・オムレットを作り、そのオムレットとパン種の入っていないアラブ・パンを食べ<グローブ>の朝刊を読みながら、二杯目を飲んだ。食事を終えると、食器を洗い器に入れ、ベッドを直し、身支度をした。
P25.「あんたのその女の子、いくつなんだ?」
P50.「野球を、制度という枠の中での人間個性の表現と捉える」
P59.起きて、プッシュアップを百回、シットアップを百回やり、シャワーを浴びて服を着るとベッドを直した。
P59.コーヒーを沸かしている間につくり、オヴンで焼いているうちにオレンジ・ジュースを一パイントしぼって飲んだ。新鮮なイチゴとビスケットを食べコーヒーを三杯飲んだ。
P71.ニュースの間に黒パンでハム・サンドウィッチを作って食べ、アムステルをもう一本飲んだ。男は就寝前に力をつけなくてはならない。胸が踊るような夢を見るかもしれない。みなかった。
P75.「バイオリンを始めた時、もう絶対にやらない、とママに約束したんだ」
P110.私はオフィスに首を突っ込んで言った、「片手の腕立て伏せは、誰にでも出来ることじゃないんだよ」感心した様子ものないので、立ち去った。
P120.「ヴァイオレット」私が言った、「ここが地球かどうかすら、疑わしい感じだよ」
P126.「得意の片手腕立て伏せ。まず絶対に相手の心を捉えるんだ」
P130.「私は不快さに対する耐性が非常に強いのだ」
P131.「ははあ、ははあ! 経営の多角化だ」
P161.「人は学ぶことを止めれば、進歩はありえない」
P177.「あなた方を救い出してあげる」私が言った。彼女は私の顔を見なかった。「あなた方を脅迫しているのが誰か、判っている」今度は私の顔を見た。
P190.「業が命を賭したくだらない勝負である時/初めて行いは真の意味を持つ」
P255.「草の中に短刀の刃がひそんでいる」私が言った。「そして火のすぐ外側にトラがひそんでいる」
P284.「今あった事をよく覚えておけ、バッキィ・ボーイ」私が言った「俺を怒らせるな」
P290.「その点が問題なんだ。やり方が。問題はその点だけなんだ」
【僕の好きな地の文】
P9.六月下旬、陽光、温暖な気候、野球、ビール、ピーナッツ、すばらしき自然よ。
P56.私は役割の中に没入しかけていた。装いを忘れ始めていた。本気で興味を感じていた。事によると、質問のいくつかは自分自身に関するものであるかもしれない。
P67.また沈黙が続いた。自分がこれほどまでにタフでなかったら、俺は怯えていると誤解するところだ。
P81.つい先程、ここできわどい探り合いが行われた、それもふつうでは考えられないほど厳しい探り合いだった。
P121.マンハッタンのミッドタウン、イースト・サイドは、映画で見せるニューヨークだ。優雅、魅力的、清潔<君の毛皮に合うスミレを買ってきたよ>
P144.自分はそれらの事をどれをも絶対にしない、その点は始めから判っていた。
P167.ベンチプレスを一セット、リスト・ロールを二セットやった。
P187.「手を引け、スペンサー。お前がかかわり合っているのは、暑い日にアイスキャンディが溶けてなくなるように、お前を簡単に消してしまう連中だ」
P192.場所を見つけるのに探偵的才能を結集したあげく、職業別電話帳を調べることにした。
P194.<ミスタ>を外すと多少気が強くなった。
P229.そこで、スペンサーの法則の一つを適用した---考えが決まらない時は何かを料理して食べろ。
P231.スペアリブが出来上がって、パンが熱くなった。薄切りのズッキーニをビールの練粉にさっと入れて、少量のオリーヴ油で揚げた。一人で食事をするのは、何もこれが初めてではない。今日は楽しくないのは、なぜだろう?
P256.彼女は右腕を私の体に回しており、左手を上げて私の頬を軽く叩いた。小川のせせらぎが聞こえていたが、そのうちに眠りに落ちた。
P292.「あなたのシステムの二つの道義的規範は、罪のない人々が被害者になるのを絶対に許してはならない、という事と、不可避な場合以外は絶対に人を殺してはならない。適切な表現ではないかもしれないけど、大体、そういうことでしょう?」
P293.「スペンサー」スーザンが言った、「あなたは、女性解放の典型的な標的になるわね。男性の神秘性の信奉者、といった事で。そして私は、この愚か者、いい加減にヘミングウェイ的な馬鹿げた考え方から卒業して大人になれ、といいたい。そうでいながら・・・・・・」
P294.「スーズ、君を俺のシステムの中へ組み入れることが出来そうだ」
「愛の言葉はもう結構」彼女が言った「さっ、脱ぐのよ」
【最後に】
ここまで読んでいただいた方は何人いるだろう。ありがとうございます。僕は考察などは得意ではないのでくどくど書かないが、スペンサーの魅力はやはり、男としての筋が通っていて決して揺らがないことである。そして、それが彼のヒーローたる所以であるのだが「失投」においてスペンサーはギャング二人を殺してしまったことを苦悩する。
この本の、あとがきにもあるが、方法なんか問題じゃないという恋人スーザンに、「その点が問題なんだ。やり方が。問題はその点だけなんだ」と答える。これが、僕がこの「失投」におけるスペンサーが一番好きなところだ。この小説は、ハードボイルド小説という形を借りた、男の苦悩する生き様を描いたものであり、我々、アラフォー男が手本にすべき本である。