2016年05月24日

「京大出て専業主婦なんてもったいない」という話について問題を切り分けてみた、あるいは主婦が「もったいない」といわれるのがよくわからない


このエントリーを拝読しました。


コメントを含めて、どうも幾つかの問題が割と面倒な感じに絡んでるなーと思ったので、余計なお世話とは思いつつも、ちゃんと切り分けてから考えてみたい欲求に駆られました。

ただ、テーマ自体がいわゆる「個人的な問題でも一般化したい病」に類するものなので、あまり建設的な議論にはならないと思います。ご承知の上お読みください。





恐らくこの話は、大きく四つくらいの問題に切り分けることが出来ると思います。


○出る大学と歩む道によって、「もったいない」というべき状態は発生するか
○発生するとして、それを他人が指摘することをどう評価するか
○主婦という生き方は「もったいない」といわれるようなものなのか
○学歴や生き方に伴ってマウントをとったりとられたりする件について


順番にいきます。


○出る大学と歩む道によって、「もったいない」というべき状態は発生するか

学んだ分野のカテゴリーや専門性と、それを学んだ動機、費用などによって変わってきます。

「もったいない」というのは何かというと、要するにコストとリターンがかみ合っていないことです。そして、その「かみあっていない」というのを評価する主体と評価軸は、視点によって変わります。

コストは単純に、その大学に入って卒業するに至るまでの、学業や研究に対する努力、時間的コスト、精神的コスト、金銭的コストなどがそれに当たるでしょう。自分ひとりで完結する話ではないのが若干厄介ですが、ちょっと頑張れば数値化することも可能かも知れません。


リターンについては色々面倒くさいです。これは「場合と視点による」という話になります。

三つくらい例示してみましょう。


やや曖昧なワードですが、例えば「社会」という視点で評価するとしたら。極端な例で言えば、「日本でほんの数人しか研究していない分野で、成果次第では大きな社会発展の種になる」というような専攻分野をとっていた人が、卒業してから完全にその研究をやめてしまった、というようなことであれば、「社会的にもったいない」というようなテーゼは成立するのかも知れません。あるいは、今完全に人手不足の分野で、その専攻をとった人はその分野の道を歩むことが期待される、という分野であれば、同じく「(社会的に)もったいない」と言えるかも知れません。

記事を拝読する限り、ブログ主様の専攻分野が上に該当するかというと、多分しなさそうな気がします。教授がもったいながるなら、まあ20歩くらい譲ってわからなくもないんですけどね。


例えば経済的な側面で評価するとしたら、「学歴を生かして就職していれば得られたかも知れない金銭的なリターン」というものがあって、それが得られなかったことについて「もったいない」という余地があるのかも知れません。もっとも、これも現在の社会状況から言えば、いい大学を出たからといって即高収入に通じるわけでもなし、どの程度働けば幾らのリターンと決まっているわけでもなし、随分と曖昧な話ではあります。


完全に主体的に、つまり一人称視点で評価するとすれば、リターンは「自分が今、満足しているかどうか」の一点になります。この視座で見る限り、自分の現在のあり方に満足しているのであれば、「もったいない」という言葉は根本的に筋違いでしょう。一方、例えば「大学入学前に強力な動機があり、それに中途で挫折してしまった」というようなことがあれば、現在の満足に若干の瑕疵が発生するかも知れません。

そして、これに関する限り、ブログ主様は現在の生き方に十分満足されているようには見受けられます。つまり、ブログ主様的には、一人称視点での「もったいない」という言葉は全く当たらない、ということになります。

それに対して、無理に前者二つの曖昧な「もったいない」という言葉を押し付けられているので、ご自分の意識とのギャップに不快感を感じられている、ということなのでしょう。多分ですが。





○発生するとして、それを他人が指摘することをどう評価するか

いやまあ、他人が口出すような話じゃねーよなー、と(そういう意味ではこの記事自体どうかという話ですが)。


これが例えば、国策プロジェクトによる奨励学生が選択した道とかであれば、ある程度上のような評価も意味を持ってくるのかも知れないですが。そうではない、少なくともご自分(あるいはご親族)の納得と努力の上で選んだ道であれば、少なくとも「一人称の評価」以外を適用するような筋合いはないでしょう。

この記事含め、他人の「もったいない、もったいなくない」という話については、「知るか黙ってろボケ」の一言で万事解決するのではないかと考えられます。あるいは、「お前は私の指導教官か?」でもいいかも知れません。どちらでも、わずか10文字前後で済むのでお勧めです。



○主婦という生き方は「もったいない」といわれるようなものなのか

実は、そもそもこれが良くわからないんですよね。

専業主婦という生き方って、つまりご結婚されて家庭を切り盛りされているわけで、別にニートやってるわけじゃないじゃないですか。言ってみれば、旦那さんを含め、家庭の運営というワンパックで評価されるべき「職業」であって、一概に生産性が低いみたいないわれ方をするのどうなのかなーと。

「学歴と直接結びついていない」という話であれば、上で書いたような専門的な分野を除いて、「学歴ときっちり結びつく」「大学で学んだことがそのまま役立つ」と言い切れる職業が、世の中にどれだけ存在するのか。少なくとも「学歴と直接結びついていない」職業は主婦だけではない、ということは断言出来ます。


しんざき家で言えば、しんざき奥様は現在専業主婦というカテゴリーに入ると思うんですが、子どもは育てるわ、掃除はするわ料理はするわ洗濯はするわ、物凄い生産性ですよ。いや勿論、専業だろうが兼業だろうが家事は家庭内で分担するものではありますが、それでも「家庭が職場」というのは「家にいる間中ずっと職場にいる」ということでして、仕事から完全に離れられるタイミングが極めて希少です。奥様のタスクとか、下手すると私よりずっと大変なんじゃないかと思うくらいですよ。


少なくとも私に関する限り、奥様が「専業主婦」というタスクをこなしてくれていなかったら、今よりずっと低い生産性でしか仕事を出来ないのは疑いないわけで。100歩譲っても、「専業主婦」という職業の生産性は夫婦セットで評価されるべきではないでしょうか。


勿論、「専業主婦」という職種の中で生産性の多寡というのはあるのかも知れませんが、少なくとも「専業主婦」という一言で「他の生き方よりも生産性や貢献度が低い」みたいな評価をされるの、どう考えても意味がわかりません。主婦という仕事は、もっと誇りを持って語られていいと思います。

主婦という職業に対するイメージって、多分男女間対立の一つのネタとして変な風に煽られてるようなところあると思うんですが、まあそれについては項を改めます。



○学歴や生き方に伴ってマウントをとったりとられたりする件について

コメント含めて色んなところで、上から目線とか下から目線とか、斜め上から胸そらし目線とか、よくわからないユークリッド幾何学的な角度が乱舞しているように思えます。


どうも、学歴や職業、生き方に絡んで自分の考えを開示すると、ここぞとばかりにマウントをとりにきたり、あるいは「マウントをとられた」と考えてよくわからない憤り方をする人がかなり多いように感じられます。

学歴というのは、言ってしまえば単なるラベルであって、本来であればそこまでデリケートに扱われるべき話でもないと思うんです。ただ、現実問題、「隠しておいた方が無難な属性」になってしまっている嫌いがあるなーと。

しょーもない話だと思うんですけどねー。お互いに、「お前らの人生と俺の人生には1ミリグラムの関係もない」という前提で考えた方がいいのではないかなー、とは。



ということで。切り分けちゃうぞおじさんとして、なんとなく切り分けられたような気はするので満足してこの辺で〆ます。皆様ごきげんよう。

posted by しんざき at 07:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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