発端は、橋本崇載八段の次のいささか不可解なツイートから。
<電王戦>将棋ソフトが連勝 118手で山崎八段降す(毎日新聞) – Yahoo!ニュース
指さずしてわかってた結果。こういうニュース見て誤解しないでほしいのは、彼は将棋で負けたのではなく将棋に似たゲームで負けただけ、ということです https://t.co/UXlvBKvcC0
— 橋本 崇載 (@shogibar84) May 22, 2016
「将棋に似たゲーム」とは何なのだろうか?私には橋本八段の真意はよくわからない。というか、このツイートだけでは誰にも正確にはわからないのではないかと思う。
コンピューターの将棋は異質だと言いたいのか、それとも機械と人間とでは条件的にフェアではないと言いたいのか、計算機に人間が敵うはずがないと言いたいのか、人と人とやるのが将棋本来の姿でありそれ以外は将棋ではないと言いたいのか、それらをわざとぼかして書くことに味があるのか、etc…。
無論、このツイートの本意は、山崎叡王に対する労いの言葉であり、それは橋本八段の優しさが発露したものであるのだとは思うが、だとしてもこのタイミングでそのへんの説明が不足したまま、他の関係者も多くが見ているなかで言うべきではなかったと私は思う。特に将棋ソフト開発者にしても将棋を指せるソフトを長い時間かけて作っているわけで、「将棋に似たゲーム」を指せるソフトを作っているわけではない(つもりである)から、それを「将棋に似たゲーム」と称するのは発言の真意はどうであれ、開発者のコミュニティに爆弾を投げ込むようなものである。
「将棋に似たゲーム」って当人が考える「将棋」との違いはあるのか?
単に俺はそれを将棋と認めんと思ってるだけな気がする。— かず@なのは (@kazu_nanoha) May 22, 2016
将棋に似たゲームで負けただけ、という言い方は命を削って対局した山崎先生にも、身を削ってソフトを作ったポナンザさんにも、失礼なのではないか、というのが僕の考え。
— きむりん(遺伝子組み換えの小六女子) (@kimrin) May 22, 2016
とりあえず、私は上の橋本八段のツイートを「計算機に人間が敵うはずがない(計算機に人間は負けて当たり前である)」というよくありがちな言説だと解釈し(おそらくその解釈は違うのだろうと思いながらも)、そう仮定した上で反論のツイートを書いた。それに、力の限り戦った山崎叡王に対して「あれは将棋と似て非なるものだから負けたことは気にするな」とも受け取れる発言は、山崎叡王に対して逆に失礼ではないかとも思い、そんなことからも私はやや感情的になってしまっていたというのもある。
橋本八段を含め、皆様に覚えておいていただきたいのは、コンピュータ将棋はかつて、プロ棋士からもその強さについては懐疑的に見られてきた歴史があり、「計算機如きに将棋のような複雑なゲームが出来るわけがない。指し手の組み合わせも膨大でコンピュータの計算時間ではとても処理しきれるものでは
— やねうら王 (@yaneuraou) May 23, 2016
(承前) ない。プロ棋士が指すような将棋は、人間の知性成せる技である。」と言われてきました。それを近年の機械学習の技術により人間のような局面の価値判断をさせ、探索技術の向上により探索局面数の組み合わせ爆発を極力防ぎ、ここ数年PCのクロック数がほとんど横ばいという状況のなか、
— やねうら王 (@yaneuraou) May 23, 2016
(承前) 毎年、前年度のソフトに七割以上勝つという驚異的な速度で進化してきたのは開発者の不断の努力の賜物であり、将棋というゲームが単なる計算に帰着し、それも、かなり高効率で計算出来るものであることを世間に示せたのは(開発者自身も理解に至ったのは)、ここ近年の話だということです。
— やねうら王 (@yaneuraou) May 23, 2016
(承前) ゆえに、そういった歴史的認識をないがしろにして、また、「将棋が計算機で非常に高い効率で計算出来る類のゲームであった」という事実認識をすっ飛ばして、「計算機に人間が敵うはずがない」というのは、極めて幼稚な発言だなと思います。(おわり)
— やねうら王 (@yaneuraou) May 23, 2016
末尾のツイートで「おわり」とあることからも、上の一連のツイートはここで終わりである。
しかし、これに続けて次のツイートも私はしている。これは上の一連のツイートとは無関係のつもりであったが、これも橋本八段へのツイートと捉えられても仕方がないし、それに関して、言い訳がましいことを言うつもりはない。
私はアマ五段程度の棋力しかないのでプロ棋士が私の棋譜を見て「こんなの将棋じゃないよ」と言われることは多々あるが、プロ棋士はその棋力よりはるかに高い棋力を持つ将棋ソフトに同じことを言われている気にならないのは何故なの?なんでそこが「計算機に勝てなくて当たり前」みたいな残念発言なの?
— やねうら王 (@yaneuraou) May 23, 2016
橋本八段、いや、ここでは親愛を込めてハッシーと呼ばせてもらおう。ハッシーは、おそらく「計算機に人間が敵うはずがない(計算機に人間は負けて当たり前である)」と言いたいのではなく、「人と人とやるのが将棋本来の姿でありそれ以外は将棋ではない」と言いたかったのだと私は思う。私はそのことを薄々感づきながら、あえて前者の主張だと解釈して反論した。なぜなら、電王戦のテーマ(ドワンゴの川上会長の考え)が前者に立脚するものであって、後者は、電王戦自体の否定に繋がるからである。将棋連盟のスポンサーたるドワンゴが運営するイベントの批判を、将棋連盟に所属する棋士がやっているように見えるとまずいのではないかとハッシーの立場を心配してのことだ。しかし、よく考えてみれば、私のそんな心配は無用だったのかも知れない。前回の電王戦の最終局でAWAKEの開発者である巨瀬さんを庇って次のようなツイートをしてくれたハッシー。
開発者の人が叩かれていたのは謎。あの角打ちは盤上最悪レベルの手で、反則に等しい。その瞬間に将棋ではないので指し続けろは酷。よくルール知らないけど貸し出しアリでバグ見つかっても修正できないんでしょ?どうしろと。これも自分が開発者だったら怒って帰りたくなる。完全に企画運営のミスです。
— 橋本 崇載 (@shogibar84) April 11, 2015
ハッシーが上のようなツイートをするのは、その立場的にまずいのではないかと思う。でもそんなの気にしないのがハッシー。男らしさのなかに、人に対する優しさが見え隠れしているのがハッシー。
今回のTwitterの一件、私が勝手にハッシーの発言を歪めて(?)解釈して、批判をしたのはすまなかったと思っている。ただ私は発言を撤回する気はないし、ハッシーもまた、釈明も何もする必要はないと思う。見る人が見れば、ハッシーの言いたいことも、その優しさもちゃんと伝わっている。だけどハッシーの発言に、将棋ソフトの開発者としてカチンときたので一言言わせてもらったというだけ。私はハッシーに対して悪い印象は全く持っていない。そのことだけは書いておかないとね。
お疲れ様です。ツイートと投稿をして頂き、有難うございます。月並みな言葉になりますが、私の心に強く響きました。
将棋というゲームの定めかもしれませんが、勝ち負けだけが強くフォーカスされるのは、少し悲しく思います。
開発なさる皆さんの努力や、将棋ソフト、ひいてはプログラミング自体の意義に加えて、自身の人生、時に命をかけて対局する棋士の先生方の能力や将棋を指すことの魅力を含めて、皆さんに知っていただけるといいなと思います。
私は関わるすべての皆さんをこれからも応援します。