一つ断っておくが、私はKYで性格の悪いコミュ障のアラサー女だ。それでも普段は出来るだけ周りに合わせて生活をしているつもりだ。でも震災があったときくらい本音をぶちまけさせて欲しい。
恐らく多くの被災者の皆さんには不快な内容だろうが、ご理解頂ける方のみ続きを読んで頂きたい。
私が住む場所は前震も本震も震度6を超えた。
お気に入りの食器はことごとく割れたが他に被害も無く、前震の次の日も、本震の翌月曜日も会社に出勤して社畜した。私は震災のあった次の日から特に被災者という意識は無く、一刻も早く日常に戻りたかった。しかし、周りがそれを許さなかった。
寝たらハブられる。
前震があったのは水曜の21時過ぎ。ウィークデイのど真ん中だ。明日は出勤したらまず県外の客先にフォローしなければ、パソコンは生きてるんだろうかと社畜ならではの不安が頭をよぎる。引っ切りなしに余震が続く真夜中、出来る事は何にも無いのだからせめて体を休めておかなければ。そう思って道に集まっていた近隣住民の方々から離れて部屋に戻ろうとした。途端に「えっ」という反応をされた。えっ。
どうも近隣住民達は誰が明言したわけでもないのにみんなで道で一晩を明かす事になっていた。身を寄せ合って眠れない夜を過ごすことが必然となっていた。一体なんのためにそんなことをするのだろうか……
意味が分からなくて部屋でカンテラ型の懐中電灯とラジオの音源を付けっぱなしで布団に入った。もちろん熟睡は出来なかったが、目を閉じて横になるだけでも楽になった。私にとってはそれが建設的な行動だったが、ご近所の方々にとってはそうでは無かったらしい。このような小さな歪みは本震後もしばらく続き、少しずつストレスになった。
乞食をしないと疑われる。
日頃から自炊をしていた事に加え、前震後、まだ揺れてる内にコンビニに行って水と食料を確保したため食べるのは困らなかった。むしろコンビニで手に入れた食料は全て困っている家族や親戚に渡し、自分自身は元々備蓄していたレトルトや冷凍食品を食べた。幸いにも我が家の電気はすぐに復旧した。水は無いけど、頑張れば徒歩圏内くらいのところに湧き水を汲みに行けた。ガスも無いけど、カセットコンロがあった。本震の次の日には開けてくれるスーパーがあったので1時間以上並んで買いに行った。
だから困っていることと言えばお風呂に入れないことくらいだったのだが、県外からわざわざ物資を運んできてくれた知人にミカン箱いっぱいのお菓子や菓子パンを押し付けられそうになった。
はっきり言って迷惑だったので、本当にうちに食料はいっぱいある、そのまま貰っても腐らせるだけだからと言ったのだが、向こうは向こうで「持って帰っても誰も食べないから!」と語気を強めて押し付けてきた。じゃあわざわざ買って持って来んな。
結局他の困ってる人に渡すことが出来たので結果オーライなのだが、本人は正しい事をしていると信じきっている親切の押し売り程迷惑な事は無いと思った。
自活しているとは口が裂けても言えない。
水とガスは丸々1週間来なかった。しかし、前述の通り我が家には近くに湧き水が汲めるところとカセットコンロがあり、スーパーに長時間並んで食料を買いだめしたため、ほぼ毎日生鮮食品を調理して食べることが出来た。どうしてだか、電気とガスが通っているはずの隣人は避難所に並んで炊き出しを食べていた。うちは電気しか来てなくて自炊してるのに…?
確かに不便なのは間違いないため、人の手を借りることを悪いとは言わない。しかし、
「ご飯作れなくて不便だよねー^^」
→調理してますが…
「スーパー開いてなくて不便だよねー^^」
→開いてる所で並んで買ってますが…
「スーパー開いててもお弁当とか売り切れてるよねー^^」
→生鮮食品は余裕で売ってありますが…
「まだお洗濯出来るほど水が出なくて不便だよねー^^」
→少しでも庭の水道が出る様になったら洗濯板と桶で洗濯してますが…
「何にもやる気にならないよねー^^」
→毎日仕事行って水汲みに行って家事して片付けしてで時間足らないんですが…
全く話が合わない。
そして今の自分の生活を言おうものなら、遠回しに他人に頼り切った生活をしている相手を非難してしまう上に、不幸自慢ではうちの復旧の方が遅かったために震災マウンティングに圧勝してしまって気まずい事になる。
何よりも復興格差で言うなら上位に位置するはずの隣人が何故底辺と同じ支援を望むのか。違和感しか感じなかった。
軽度に被災者ぶってると呆れられる。
田舎民の憩いの場所、ショッピングモールは壊滅的な状況だ。さすがにもう日々生活する上で困る事は無くなったが、本を買いに行けない、ゲームを買いに行けない、服を買いに行けない、化粧品を買いに行けない、髪を切りに行けない。これらは私にとって大きな苦痛だ。繁華街は少しずつ復旧しているようだが、遠いし…ショッピングモールの方が近いし…
何よりも映画館が全く開いてない。熊本県の映画館 < 映画 - 楽天エンタメナビ曰く、7カ所あるはずの県内の映画館で開いてるのはたった2カ所。どちらも「ちはやふる 下の句」は上映していない。
……震災直後、こんなことを言っていたら「何言ってるんだ、そんなことよりも大変な事があるだろう」とよく言われた。今まで当たり前にあった娯楽を憂いて何がいけないのか分からなかった。生きるか死ぬかの本当に極限状態だった時期はすぐに無くなったはずだ。5月17日も何も無かったしな。
2062氏を否定出来ない。
熊本人なら老若男女誰でも知っている5月17日の話だが、それが2ちゃんねるに書き込んだ自称・未来人がソースであるとはほとんどの人が知らない。
5月17日という日付と「その日に熊本でまた大きな地震が起こる」という噂は毎日の様に日常会話の中に登場し、ネットなんて見た事も無さそうな近所のお爺ちゃんまで知っていた。
「5月17日に大きな地震が来るらしいよ」と誰彼もがそこかしこで何の根拠も無く言っていた。その度に私は「でもそれって2ちゃんねるの…」と解説した。必要であればLINEのジャガーのタイムラインまで見せた。「ふーん。でも怖くない?」と意味不明な同意を求められた。
何故か本当の事を言うとKY認定される。世間と逆の事を言うと黙殺される。こんな曖昧な情報を妄信して実際に5月17日前後に車中泊や県外に逃げた人も居たのに、それを否定する事は決して許されなかった。
要するに言いたいのは、
家屋の倒壊も無く、部屋がぐちゃぐちゃになってライフラインが1〜2個止まった程度の恐らく最も割合の多い被災者同士では何故か正論を言ってる者が責められる風潮だった。
誰もが可哀想で辛くてやるせなくて生きる希望を見失わなければならなかった。その空気にめちゃめちゃストレスが溜まったし、それを吐き出すと私の方が非常識だった。前震からもう40日、そろそろ言ってもいいだろうか。被災者だからって必要以上に被災者面してんじゃねぇ。
最後に、念のため。
私は被災者と言ってもかなり軽度である。今日書き記したのはあくまで私と同程度の被災を被った人に関することであり、日々の生活に苦しんでいる人は未だ居る。
うちの近所だって散歩すれば倒壊したまま野ざらしにされている家はあるし、近くの公園にはテントが何棟も建っている。一見何の被害も無さそうな家も、ブルーシートを被っている。一刻も早く誰もが安心して暮らせる様に、復興を願う。