ちょっとここ最近、思うところがあって、書く。
人々は、企業に向かって賃金を寄越せ!というけれども、なかなかそれを実現するのは難しい。
けれども、生活保護同然の賃金でなんとかやってきとるという現実がある。
それを考えると、私が思うとる、安全性だけの議論とは別に、人々が思うとる”賃上げ”について、ちゃんと考えなアカンのとちゃうか?と考える。
そうすると、じゃあ人々は生きていくのにどういう費用が必要か?となる。
まずもって、家賃とか食費とか、どうしても必要な費用がかかる。そこには健全な生活を送る基本的な娯楽費もある。
コレは生活保護のベースとなっている。
その上に、仕事したぶんに応じた稼ぎがあって、そのぶんはのっかってもええやろ。
障害のある人とか、いろいろ体に故障を抱えた人とか、妊婦さんとか、そもそも生きるだけでたいへんなんやから、働いてなくてもそのぶんの費用はプラスしたほうがええ。
そうすると、税金とかの発想をコペルニクス的に転換して、
1.企業の収入のうち何割かは必ず新政府に収めること、という大前提を打ち立てて、それを税金にして、その中から国民全員に均等に生活費を毎月割り当てる。
2.企業で働いている者は、企業の儲けに応じて、企業から給料を割り当てる。
3.生きるだけでたいへんな人に関しては、加算金を用意する。
こんなおおざっぱな感じで再構築できんかなあ?
どうせ儲けを出すのは企業なんやから、企業からゴッソリ税金を取ったら、一般人は税金なんて納める必要ないやろ。
そうすると自営業者はどうなるか?農民はどうなるか?というハナシになるけど、自営業者や農民は1.はもらえて、2.がもらえん代わりに、自分で稼ぐ、というカンジになるかなあ。
世の中をこうやって変える、というのはアリやと私は思う。
私は、旧来の年功序列制、というのも、必ずしも悪いものではないと思うとる。
だって、トシいったからといって、豪遊するじいさんばあさんなんて大しておらんかったやろ。(最近は違うけど)
なんでかというと、じいさんばあさんはその財産を、所得が低い子孫のために貯めとった。
所得が低い子孫が、結婚とか出産とか、家を建てるとかいうたときに、じいさんばあさんはその費用を充てとったんや。
それが、いっぽうでは年功序列制がなくなって、子供が自分の給料だけでなく親をもアテにはできんと思うたのが、少子化に繋がっとるんとちゃう?
また逆に、子供が少なく結婚もしてないことに甘んじて、本来子供に残すべき財産を、自分らで使うてまうじいさんばあさんが増えたという側面もあるんやろと思う。
どっかの誰かがうちたてた学問にとらわれることなく、自分で頑張っていまの社会について考えてみるのは大事と思う。
自分が頑張って考えたものと、どっかの誰かがうちたてた学問とを比較したとき、その違いをどう認識するか?が、自分と社会を変えるチカラになると考える。
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