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空になびくアフラームシャームの旗.2014年5月、イドリブ県にて撮影.

2011年3月にシリア内戦が勃発してから、5年が経過した。シリア政府軍と反体制派の争いが続く中、「革命」として政府軍と戦う世俗的な自由シリア軍などの民兵組織と、「ジハード」(聖戦)として戦いに挑むISやヌスラ戦線などのイスラム系武装勢力の拡大により、反体制派内の内紛も同時進行で拡大している。

ジハードは、イスラム教徒の義務の一つだ。本来は「自分との戦い」が主な意であるが、異教徒との戦いを表す「聖戦」の意も持つ。内戦が始まって以来、政府軍は空爆や砲撃、さらには化学兵器などで反体制派支配地域に住むイスラム教徒たちを虐殺してきた。それを見た厳格なイスラム教徒たちは、政府軍との戦いを「ジハード」と呼び、イスラム教徒を異教徒から守るために武器を手に取って戦いに参加した。

ジハードを戦う者は、アラビア語で「ムジャヒディン」(単数系はムジャーヒド)と呼ばれる。イスラム経典「クルアーン」には、ジハードを戦ったムジャヒディンが戦死した場合、必ず天国へ導かれると記されている。そのためシリアには、アッラーのためにジハードを戦い、イスラム教徒を攻撃する敵に立ち向かおうと、世界中からムジャヒディンが集う。彼らの根底には、アッラーのため、イスラム教徒を異教徒から守るため、という確たる目標がある。殉教すれば天国に導かれることが約束されているので、死を恐れることもない。

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トルコで一時休憩中のヌスラ戦士、アブダルハンナン.2014年5月トルコ南部・アンタキアにて撮影.

2014年春、私はトルコで若いエジプト人の男性、アブダル=ハンナンと出会った。当時21歳で、もともとは母国エジプトでジャーナリストとして仕事をしていたという。2011年のエジプト革命時には、アラブ諸国で活動するイスラム国家樹立を目指す組織・ムスリム同胞団とともに反政府運動に参加しながら、その様子を写真と文字でレポートしていた。

彼がトルコにきた理由は、ムジャヒディンとしてシリアのジハードを戦うためだ。当時、イドリブ北部のヌスラ戦線に参加し、戦闘の訓練を積んでいた。だが彼の本当の目的は、のちに「イスラム国」(IS)として国家設立を宣言した「イラクとシリアのイスラム国(ISIS)」に参加することだった。彼は最終的にヌスラ戦線を裏切り、ISに参加するために東部のラッカへ向かった。

ハンナンのように、母国を後にしてシリア内戦に参加する外国人は、今も増え続けている。米政府の調査によると、戦闘に参加するためにシリアないしはイラクへ向かった外国人義勇兵の数は約2万5千人に及ぶという。多くが、アフリカや中東、アジア諸国のイスラム圏や、アラブ地域からの移民が多い欧州諸国出身者だ。

だが今年3月、「イスラム国に加わるつもりだった」と話す23歳の日本人男性がトルコで逮捕される騒動が起きた。和歌山県在住の男性で、現地メディアによるとイニシャルはM.M。IS戦闘員とフェイスブックなどでやり取りをしており、戦闘員になるよう誘われていたという。男は国外退去処分となり、24日夜に関西空港に帰国した。

男は県警の調べで「日本での生活が嫌になった。ネットで情報を集めた。海外に行けば何とかなると思った」と話している。 渡航に至った経緯などの詳細はまだ明らかにされていないが、少なくともISに忠誠を誓い、ジハードを戦うためにシリアを目指したわけではないようだ。

ISに参加しようとした疑いでトルコ当局から逮捕される日本人は初だが、2014年10月にはISに参加するためにシリアに渡航しようとしていた北海道大学の学生(当時26歳)と千葉県出身の男性(当時23歳)らが警察から事情聴取を受けた騒ぎもある。2人のパスポートは今も没収されたままだ。

後藤健二さんと湯川遥菜さんがISに斬首され殺害された事件直後の15年2月には、「シリアに行きたい21歳」と称するツイッターアカウントが登場した。近畿地方に住む21歳の法学部男子学生だと名乗る彼は、スカイプでの取材に対し、遺跡をめぐる観光のためにシリアに入りたいと話した。だが同時に、「『空爆なう』って(ツイッターで)呟きたいんですよね」と楽しそうに語り、「公開処刑は見たことありますか?」「イスラム国の戦士に会うことってできますか?」と聞いてくるなど、ISにも大変な興味を示している様子だった。イスラム教徒でもなく、ジハードを戦う意志もない。単純に、戦争を見学したいだけに過ぎなかった。

03_シリアに行ってきた21歳

「シリアに行きたい21歳」から「シリアに行ってきた21歳」に改称した男のアカウント.

約4ヶ月後の昨年6月15日、彼はツイッターのアカウント名を「シリアに行ってきた21歳」に改め、「帰ってきました」「何事もなくカメラを取り上げられる事もなくシリア、アフガニスタン、イラクの3ヶ国を旅行できたので動画は随時アップしていきます」と更新した。だがその後、男性のツイッターは更新されないままだ。

そして今年、また新たにシリアに行きたいと話す日本人が現れた。アルシャッドと名乗る男は、今年4月まで定時制高校に通っていた16歳の青年だ。「シリアに行きたい21歳」と同様に、 邦人人質事件で国内でもISに関するニュースが飛び交っていた15年1月頃にシリアに興味を持ち始めたという。

アルシャッドさんの両親は、彼が小学生の頃に離婚。中学に上がった頃に母親が再婚し、今は母と再婚相手の父、2歳年上の姉とともに関東近郊の田舎で暮らしている。中学生の頃はあまり勉強をせず、部活にも参加していなかった彼は、当時の学力で入学できる定時制の高校を受験し、2015年4月に入学した。

「今の世間一般では、物事を善悪で判断して、その誤った情報から生まれる偏った先入観で全てのものを決めつけています。自分が良ければ他人はどうでもいい、という自己中心的で冷淡な行動や考えに憤りを覚えました」

人間不信に陥ってしまった、というべきだろうか。 複雑な家庭で育った彼は、現在の日本社会に息苦しさを感じてきたという。「こんな歪んだ思想や偏見に満ちたところでは生き辛い。このままでは自己喪失してしまうのでは、と閉塞感や疎外感も感じていました」

そんな彼の目に映ったのは、自らを犠牲にしてまで戦うムジャヒディンの姿だった。「戦士たちの気概と同胞意識、信じるものに忠実に従って尽力する姿に自分の求めていたものが重なった」アルシャッドさんは真剣な声で語った。「『シリアに行けば今までの自分の歪んだ思想や価値観、人生観などから抜け出せて、別の新たな価値観や人生観が見出せるのではないか』って思ったんです」

シリア行きを決意してから、彼の生活は一変した。まず、イスラム教徒に改宗した。改宗したときに新たに持った名前が、アラビア語で「最も誠実」の意を持つ「アルシャッド」だ。「礼拝は一応していますが、コーランは読んでないです」とアルシャッドさんは電話での取材で若干申し訳なさそうに話していた。

アルシャッドさんは、今年4月に高校2年生に進級するはずだったが、高校生活がシリアに行く準備の妨げになるとして、3月末に退学した。退学を決意したあとはほとんど学校にも通わず、近所のスーパーマーケットでアルバイトをしながら毎日を過ごした。現在は、地元を離れてどこか別の場所で就職しようと考えているという。貯金をしながら、シリアに行くために情報収集し、来年か再来年にはシリア渡航を実現したいのだと話した。

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イドリブで活動するヌスラ戦士.2014年3月、トルコ南部アンタキアにて撮影.

「ヌスラ戦線に参加したいです」今年17歳になるアルシャッドさんは声を高めた。反体制派の中でも最も主力とされるヌスラ戦線には、外国人義勇兵の数も多い。所属する戦士たちは当然、アッラーのためにジハードを戦っている。

ヌスラ戦線をはじめ、シリア内戦に参加するほぼすべての武装勢力は、参加する者に特別な資格や経験値を求めない。年齢制限もなく、現に、まだ中学生くらいの年齢の少年兵も存在する。ただ、ヌスラ戦線などの厳格なイスラム教サラフィー主義を掲げるグループは当然、参加者がイスラム教徒であり、「ジハード」を戦う目的を持つことが絶対だ。非イスラム教徒はもちろん、イスラム教典「クルアーン」の内容を十分に理解できていないイスラム教徒も受け入れられない。