人工透析導入になったのが20歳の時だ。
導入ぎりぎりまで家が貧乏だった為、家にお金を入れる為に働き続けた。
低学歴なため、正社員になることなど出来ず、当然アルバイト。それも掛け持ち。慢性腎不全という病気を抱えながら。
昼間はカフェの店員。夜はホテルマンとして。
昼の12時から深夜3時まで働いていた。昼夜逆転の生活。当然、身体に良いはずがない。
それでも、金の為、身体が壊れるギリギリまで働き続けた。
もうさっさと腎臓よ死んでくれ。そして俺をこの地獄から解放してくれ。何度そう思ったか。
特にホテルマンの仕事は時給の割にものすごく仕事がハードだ。ずっと立ちっぱなしなだけでなく、マナーなどとても厳しく、マナーに関してはアルバイトだろうが正社員並みのものと求められた。
家に帰って風呂に入っているときに、風呂の中で寝てしまって溺れかけたことが何度もあった。
職場がブラックだということもあり(ホテルマン、休憩なしで深夜まで働かされていた。夕方6時から夜中の3時まで)もうさっさと腎臓がどうのこうのより、さっさと死んでしまいたいという気持ちが強くなっていった。
そして、そうやって無理をかさねたこともあり、人工透析導入まで最低1年は猶予があると言われていたのに、半年で人工透析導入になった。
私は正直、嬉しかった。やっと仕事から解放される。
その後の、今の地獄のような生活が待っているとも知らずに。
人工透析導入になって
まとめて何か月分かの障害年金が入った。額にして数十万円。
でも、家は貧困。でも自分はもう普通に働くことが出来ない。
なんとかして仕事を探した。障害のことを隠しながら。でも、見つからない。
モデルもやっていたけれど、とても生活できるほど仕事を取ることは出来ていなかった。
人工透析をしながら出来る仕事が、スキルも資格も全く持っていなかった低学歴の自分が出来る仕事なんてなかった。(当時は寝ている間に人工透析を行う、深夜腹膜透析というものをやっていた。)
どうしよう、家に金は入れ続けないといけない。幸い障害年金はある。でも、この金はすべて家に入れる金。
そういう状態だったから、生活費は貯金からまかなっていた。モデル事務所のレッスン費用も。
どんどん目減りしていく貯金。どうにかしてお金を稼がないと。
とりあえず、モデル事務所は辞めた。辞めざるを得なかった。
ずっと夢見ていた芸能人。健常者だった頃は東京に行ってもっと大きな事務所で芸能人になると決めていた。
そんな夢が全て壊れた瞬間でもあった。
夢よりも”今”を生きないと。
そこで手を出したのがパチスロだった。
芸能事務所時代に知り合った人がパチスロのプロの人でその人から稼ぎ方を教わっていた。
「とりあえず、よく出るイベントを見極めてそういったイベントを回るのと、新規開店のお店は最初の4日間くらいは出すから、それらのイベントを回ればいい。」
元々趣味ではパチスロを打っていて、それなりに勝っていた。だから多少の自信もあった。
というより、これでもうダメなら死ぬしかないな。そのくらい追い詰められていた。
そこからパソコンを買い、福岡市内の新規オープンのパチンコ屋の情報をかき集め、福岡市内のパチンコ屋全てのお店のメールマガジンを登録してイベント情報を集めまくった。
なんとか運よく、新規オープンのお店を回ることでパチスロで稼ぎ続けることが出来た。
そうやってなんとか生活の危機を脱出することが出来たのだ。
パチンコ屋での様々な出会い
そうやってパチンコ屋を回っていると様々な出会いがあった。
・ヤクザ
・スロプロ(だいたい見た目チンピラ、当然無職)
・ミュージシャン志望の兄ちゃん
・ヤンキー
・キャッチの兄ちゃん
・ホスト
・キャバ嬢
だいたい人と仲良くするのが好きなので私はこういった人達にも可愛がられた。でも、時には知らないチンピラに絡まれ、
「俺らのホームで好き勝手したら殺すぞ!!」
と脅しをかけられたこともあった。角刈りだったから、通称カクさん。(その後、ヤクザさんがその人に注意をしたとの話があった。)
プロの人に代打ち(プロの人がお金を出して台を選んで、その人の変わりに打つこと。時給制でお金が貰える。)を頼まれて代打ちをすることもあった。
正直、パチスロは本来ならお金に換金できないと(表向きには)されているギャンブルだ。警察も暗黙の了解で介入しない、3点方式という方法で運営されている。
だから、どれだけ勝っても税金を払う必要がない。本来なら、儲けの出ない娯楽、という扱いだからだ。
かなり裏社会。ゴト師と呼ばれる違法にお金をせしめる詐欺師のような人達もいる世界。
違法な暴力団の資金源を、パチンコの出玉に一度変えて、また換金をするという方法、マネーロンダリングも行われているのがパチスロの世界だ。
そう、私は半裏社会で活動をしていたのだ。
でも、生きる為に金が必要だった。どんな方法でも犯罪でない限り、お金になることも何でもした。
ネット上でいういわゆるDQNだ。
友人の親に見つかり、嫌な顔をされたこともあった。あのヤンキーが、というような目で見られたり。
しかし、そんな世間体は気にしていられない。こっちは生きていく為に金が必要なんだ。
お前らみたいにぬくぬく生きてきた奴に俺の何が分かる。
自分達も苦労してきた、という人間がいるが、人それぞれ苦労の仕方は違う。
人工透析をやっていても普通に仕事をしている人達がいる? そいつらと俺の症状が、環境が全く同じだと思うのか?
バカも休み休み言え。
こういった話を、特に医療関係者が言ってくる。自分達はたくさんの患者を見てきたからわかる、と。
分かるはずねえだろ!! お前はエスパーか!?
こういった無理解からも苦しめられ、一部の友人以外にパチスロで生活をしているなんていうことを言うことが出来なかった。
本当に苦しかった。違法なことはしていないけれど、社会のレールを外れ、半裏社会の中で生きていることが。
そういった圧力に耐えられなくなり、パチスロ業界も稼げなくなると噂されていた為、私はそういった世界から足を洗うことが出来た。
パチスロで貯めたお金で、パソコンの学校に通い、WEB系のプログラミングやデザインなどを勉強して、IT企業へと就職した。(未だにデザインはセンスがなくて苦手だけれど。)
川崎の元ヤンキーHIPHOPグループ
何故、急にこんな記事を書こうと思ったのか。それは、とあるブログで川崎のもとヤンキーのHIPHOPグループ「BAD HOP」というグループが紹介されていた動画を見たからだ。
彼らの生まれは同和地区。部落だ。
私の生まれも同和地区。
私は生まれてすぐに普通の地区へと引っ越したし、地元の同和地区は川崎ほど酷くない。差別があるだけの、普通の地区だ。
でも、なんだか他人事とは思えず、自分の周りにも生まれた環境が悪かったばかりに犯罪に手を染めてしまった人間もいることから、自分の黒歴史、DQNな部分を書いてみようと思ったのだ。
私の元親友はヤクザになった。
今でも仲の良い友人に刑務所に入っていて今でも執行猶予がついたままの奴もいる。
死体遺棄容疑で刑務所に入っていた同級生もいる。(今は社会復帰してしっかりと働いている。)
そういった友人達と彼らを重ね合わせてしまったのかもしれない。
私は周りの人間が関わるな、と噂する人間でも自分で判断して関わるか関わらないか決めている。
だから、私の元犯罪者の友人達は根は良いやつばかりだ。だから、私はそういった奴らを差別はしないようにしている。自分だって対して育ちはよくないしね。
人によっては私レベルでも関わりたくない、という人間もいるだろう。でも、もう少し柔軟な考えを持ってほしい。
・生まれながらにして、犯罪に手を染めないと生きていけない奴らがいる。
・犯罪者は環境が作り出している。
最後に
だんだん書いていくにつれてパチスロ関係ねえじゃん、という風になってしまったのは申し訳ない。
でも、なんだか自分が生きてきた環境について、パチスロを例にあげてそういった裏社会的なところで生きている人間にも理由があるのだよ、ということが伝えたかったのです。
ブロガーはだいたい高学歴の育ちが良い人が多い。だから、なかなかこういった話を読む機会はないだろう。特に当事者が書いたものなど。
でも、私などは好感度低い、嫌われ者代表ブロガーだから平気でこういった話を書くことが出来る。
だったら私が書くしかない。
そう思い、キーボードを手に取って文章を綴ったのです。
長文を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
だいちゃん(∀)
最近の小中高生の教科書には部落の話が出てこないと聞きました。一種の差別ですよそれも。部落差別解消の為にも子供にこういった問題の学習をさせるべきです。