中国が伊勢志摩サミットでの海洋進出批判に神経をとがらせている。国際社会の「異形の大国」とならぬよう、平和共存による相互利益を求めてほしい。
中国のネットなどから最近、姿を消してしまった言葉がある。「習大大(習お父さん)」と親しみを込めて習近平国家主席を呼ぶ表現で、習氏の出身地である陝西省など中国西北地域の言い回しだという。
習氏の意向を受け共産党宣伝部が禁じたとの情報もある。最高指導者と民衆の距離を近づけるような言葉はなぜ封印されたのだろうか。その背景には、近年露骨になっていた習氏個人崇拝に近い風潮への危機感があったようだ。
◆文革発動50年の悪夢
上海の土産物屋の店頭では今年初めごろ、カリスマ指導者の毛沢東、〓小平と習氏が並んだバッジや皿を見かけた。二月には習氏が国営新華社通信などを視察し「国営メディアは共産党と政府の意見を代弁すべきだ」と指示し、ネット管理の強化も命じた。
三月の全国人民代表大会(国会)前には、地方指導者らが習氏を「党の核心」と持ち上げる露骨な個人礼賛の発言が目立っていた。
民衆の間には、一億人が被害を受けたという文化大革命の悪夢がよみがえったことは想像に難くない。毛沢東が発動し、中国政府が「大きな災難をもたらした内乱」と総括した文革から今年は五十年の節目にあたる。
礼賛禁止への転機は四月後半に明らかになった。習氏が「善意の共産党批判は歓迎」と異例の発言をし、続いて知識人からの批判に対し「誤りがあって正確でなくとも(指導部は)寛容であり、責めたりはしない」と踏み込んだ。
強硬なメディア統制の姿勢からの転換は、「第二の文革」との批判を念頭においたものだろう。
◆懸念された個人崇拝
習氏は文革再来を想起させるような個人崇拝の路線とは一線を画そうとしたとみられる。もしも、そうした判断であれば歓迎すべきことである。
習氏を個人崇拝するような動きに懸念が強かったのは、中国内政だけでなく国際社会との関係にも影響するからである。
どの国の指導者であれ強い求心力を欲するのは共通するだろう。ただ、最近の中国の外交や政治に目を凝らすと、指導者の権威確立のため、大国にふさわしい誇りを取り戻そうとばかり、摩擦を招くような対外強硬姿勢がより目立っていた。
東シナ海や南シナ海の問題で中国が「法の支配」に反するような一方的な海洋進出を強行し続けることに、国際社会は懸念を募らせていた。先進七カ国(G7)外相会合では中国を念頭に「挑発的な一方的行動に強い反対を表明する」とした声明が出されたが、中国は強く反発した。
四月末に北京で岸田文雄外相と中国の王毅外相の会談が実現したが、王氏は伊勢志摩サミットで日本が南シナ海の問題を取り上げることを強くけん制した。
しかし、南シナ海は世界有数の海上交通の要路である。だからこそ米国は最近、三度目の「航行の自由」作戦に踏み切った。安全な航行確保は日本経済に重要であることも言うまでもない。
王氏は「地域や国際社会の問題で中国への対抗心を捨てよ」と、挑発的とも取れる発言をした。
日中間には東シナ海の尖閣問題や歴史認識問題など、解決すべき課題は山積している。安倍晋三政権が、歴代内閣が否定してきた集団的自衛権行使を容認する安保法を成立させたことに、中国民衆が不安を覚えるのは理解できる。
しかし、不満があるからといって相手を一方的に責め、対話に背を向けてきた最近の中国の姿勢は建設的とはいえない。対話を通じた相互理解で共通利益を求めることこそ肝要である。
日中外相会談は関係改善に向け努力することで合意した。これを弾みに、九月に杭州市で開かれる主要二十カ国・地域(G20)首脳会議の際の日中首脳会談を実現してほしい。
◆「二つの夢」実現には
中国は共産党成立百年の二〇二一年に小康社会(ややゆとりある社会)建設を達成し、新中国成立百年の二〇四九年に中等先進国の水準に達するという「二つの夢」を掲げている。
夢の実現には、国際社会や周辺諸国との安定した関係が何よりも重要であろう。中国はかつて平和的台頭を意味する「和平崛起(くっき)」を強調した時期がある。
習氏は反腐敗闘争で内政を固め、個人崇拝を排して集団指導体制下の強いリーダーをめざす姿勢を示し始めたといえる。この機に外交でも強硬路線と決別し対話で平和共存の道を歩んでほしい。
この記事を印刷する