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【芸能・社会】笑点6代目司会は春風亭昇太 歌丸「涙腺狂っちゃった」2016年5月23日 紙面から
日本テレビ系の人気演芸番組「笑点」で「歌丸ラスト大喜利スペシャル」が22日、生放送され、司会を10年間務めた桂歌丸(79)の後任に春風亭昇太(56)が就くことが同番組で発表された。1966年の初回放送から出演してきた歌丸は「50年の集大成の舞台に」と万感の思いを込めて、最後の大喜利を務めた。 歌丸の口から告げられた6代目司会者の名前は、ベテランぞろいの大喜利メンバーの中では圧倒的に“若手”の昇太だった。観客も虚をつかれ、昇太は「客席から『え〜』って声がしました」と自虐コメント。司会の大本命とみられていた三遊亭円楽(66)は「オレだろ?」「ワンポイントだから」とチャチャを入れ、場を盛り上げた。 昇太は2006年加入とキャリアは浅いが、2003年から11年まで若手主体の「BS笑点」「笑点Jr.」で司会を務めた実績がある。昇太は「プレッシャーはありますが、考えてもしょうがないので一生懸命やりたい」。歌丸は「今日までのことは忘れて昇太さんなりの司会をやってもらいたい」と背中を押した。 番組終了後の会見で、中村博行プロデューサーが「笑点」らしい爆笑の起用理由を説明。三遊亭小遊三(69)のスケベ、三遊亭好楽(69)の貧乏や「面白くない回答」、林家木久扇(78)のおバカキャラ、円楽の腹黒さや政治批判、林家たい平(51)の朗らかさを「笑点に必要」とし、「この人(昇太)は、まあ(大喜利にいなくても)いいか」と消去法だったことを明かした。 今年2月、司会の話を聞かされた昇太は「とっさにカメラを探した」と、“ドッキリ”を警戒したという。昇太は「落語家で『歌丸師匠の後をやって』と言われて『やったー』という人は誰もいない。大変なことが待っていると思いますが、自分らしくやるしかない」と腹をくくり、「普通にやってても今までと違った大喜利になる。僕は一番の新参者。史上初めて、回答者の方が上から目線の大喜利になる」と立場の低さを逆手に抱負。すると、歌丸がビシっと一喝した。「決して、上から目線と思っちゃいけません。上下の差は楽屋にあるもので、舞台では全員が同じです」 昇太の司会昇格に伴う新大喜利メンバーは29日の生放送で発表される。 ◆今後は番組史上初「終身名誉司会」に番組最後の出演を終えた歌丸は、スタジオに集まった客からの万雷の拍手を浴びると、感極まった。 「50年間、いろんなことがありました。面白いことも悲しいことも。それがごっちゃになって頭の中に出てきたとたんに、涙腺が狂っちゃいました。最後まで涙は見せまいと思っていたけど、別れはつらいですね」 ここ数年は度重なる体調不良で入院を繰り返し、勇退を決意。「われわれ、噺(はなし)家を世に出してくれた大きな番組。私は恩人だと思っています」と感謝をにじませた。 番組前半は5人組アイドルグループ「TOKIO」との大喜利対決や番組の秘話を紹介する「裏事件簿」など事前収録のVTRなどで構成。午後6時半から、歌丸が最後の司会を務める生放送の大喜利がスタートした。 普段、歌丸は自分がイジられると容赦なく座布団を取り上げるのだが、この日は大盤振る舞い。林家たい平は最大9枚まで重ねたが、三遊亭小遊三が「師匠、これが最後です。抱いてください」とお得意の下ネタをさく裂させたところ、歌丸は「山田君、気持ち悪いから全員の、全部持って行って!」と一刀両断。“歌丸節”全開で客席の爆笑を誘ったところで、司会の役目を終えた。 「本当は全員に10枚出そうと思った。でも、(小遊三が)ああいう答え言ったから全部取った。でも私の一つの大きな思い出になると思う」と笑った歌丸。今後は番組史上初の「終身名誉司会」として携わる。 「今望んでいることは、いつか『笑点』の収録を一番前(の客席)で見たい」。お目付け役への意欲を示しながら「(新司会の)昇太さんが倒れたら、アタシがやりますよ」と、冗談交じりに“復帰”まで予告した。 ◆円楽「小うるさいジジイだけど大好き」悪口の応酬で歌丸と「宿敵」を演じ続けてきた円楽は会見で歌丸への思いを問われ、神妙な面持ちで感謝の言葉を並べた。 「個人的に言えば、(歌丸は)私のバックボーン。僕らの見本となって芸を続けている人。小うるさいジジイだけど、励ましてもくれるし、見つめていてもくれる。『笑点』が(今後も)続く中で、いつでも相談にいけるし、(内容が)まずければ修正してくれる。大好きなおじいちゃんです」 木久扇は「ご自分で区切りをつけられた男っぽい師匠」とたたえ、「みんな、(最後の大喜利の)3問目になったら泣きだしちゃうんじゃないかと思い、一生懸命普通にしていました」と振り返った。 好楽も「努めて明るくという感じでこの1週間やってきましたが、最後の歌丸師匠の涙でダメでした」と声を少し震わせていた。 小遊三は「私は仕事が好きじゃないのでいつもは『早く終われ』と思っていますが、今日はずっと大喜利やっていたかったですね」と胸の内を明かした。 たい平は「TOKIOとの大喜利でも進化を続けていて、新しい魔球を投げてくださる。最後まで新しい球を投げてくださる歌丸師匠を見られる幸せとかっこよさを今日は感じました」と尊敬の念をにじませた。 <春風亭昇太(しゅんぷうてい・しょうた)> 本名・田ノ下雄二(たのした・ゆうじ)。1959(昭和34)年12月9日生まれ。静岡県出身。東海大在学中に落語研究部に所属。複数のテレビ番組で優勝を機に大学を中退し5代目春風亭柳昇に入門、春風亭昇八を名乗る。86年、二つ目昇進を機に春風亭昇太に改名。92年に真打ち昇進。独自の世界観で新作、古典落語をこなし、00年には文化庁芸術祭大賞受賞。06年5月から「笑点」の大喜利レギュラーに参加。舞台や映画、ドラマ、ラジオでも活躍し、音楽ライブも行う。趣味は城郭見学など。 PR情報
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